なんとかして……なんとかして完結させたい……
どこを見渡しても、偽物ばかりが詰まっていた。
全てが嘘っぱちで、全てがつくりもので、全てがまがいもの。
気象がどうの、星の並びがどうの、空の色がどうの――まともに考えるまでもない。
ずいぶんと杜撰な神様が創り上げた、血管まみれの箱庭がこの世界だ。
「ああ、やっと見つけた」
「そんなところで何をしているの、チャーチ。早く帰るよ?」
上層の最上部、この箱庭を見渡せるほど高い屋根の上。
見つかるまいと昇ったこの場所に居ても、姉さんは僕を見つけてくれた。
この世界で。
姉さんが淹れてくれるスープだけが、確かにほんものだった。
*
姉さん、ねえさん、聞いておくれ。
僕ね、この世界を壊す方法を思いついたんだ。
この世界は、アリスを求めている。
だけどアリスは無数にいて、どれがなんなのか、世界だってわからなくなっている。
大きなアリスが居るのかもしれない。小さなアリスだって居るのかもしれない。
僕らが小さいアリスなのか大きいアリスなのかはわからない。
けれど、この魂が世界にとって異質で渇望を抱く程白く綺麗なことは確かだ。
そのすべてを、
消し去ってやったら、どうだろう?
「――――――――」
思いついてからは速かった。
隣家に住むアリスのひとり、エミリーを斧で殺してみた。
この世界は暫くすると壊れて創り直してを繰り返すけれど、殺したアリスは元に戻らなかった。
すべてが元通りに創り替わる世界で唯一、元に戻らないものを見つけたとき。
僕は、本当に生のすべてが報われる気がしたんだ。
オパールを殺した。ロリュウスも殺した。ロミアも殺した。
エイヴルを殺した。エイテュスも殺した。ミコも殺した。
殺せる限りのアリスを残らず殺し尽した。
殺す都度に心が満たされていく実感があって、世界を拒むことが出来るようになった。
ねえ、姉さん。
きっとこれで、すべてが変わると思うんだ。
僕らが帰るべきところへ、いつか帰れるときが来ると思うんだ。
だから…………。
「僕らの故郷は、どこでもない。ここなんだよ、チャーチ」
そんな顔で、僕を拒まないで、クライス姉さん。
*
眼前の敵が『船』であると気づいた次の瞬間には、私の五体は爆散していた。
次に来たときには幾分か時間を稼げた。けれど、ほどなくして襲ってきた亡霊に抱き着かれてやはり爆散した。
幾度となく体が吹き飛び、幾度となく私は死んだ。当然だ、こんな女ひとりに何ができる?
巨大な船を前に、私は何をすればいい? どうすれば先へ進める?
背を向けて逃げることは容易だったが、どうしてか私はそれをしなかった。
戦うことをやめる、その選択肢が、最初から頭の中に存在していなかったようだった。
だから、私はまた、霧を潜る。いつものように、慣れた動作で。
砲弾と鉄砲水の豪雨を建物に身を隠してやり過ごし、階段を昇ってマストの上へと飛び移る。
ふよふよと浮かぶ亡霊たちを一瞥し、すんでのところでその抱擁を交わすと、亡霊たちは私を殺すつもりで放った自爆で自身の船体を傷つけることとなる。そうして風穴があいた船体からは、どういうわけがごぼごぼと血液が噴き出すのだった。
(この船――生きている……の?)
陽気に鐘を鳴らし続ける船長らしき亡霊に切りかかってもみたが、手ごたえはない。
足蹴にしている船そのものに鋸を突き立てたところ、ばきばきと音を鳴らしてそれは出血した。肉削ぎの技術すら通じるほど、この船は生々しかった。
「やめろ、私の船体を傷付けるなっ! これ以上邪魔するのならばスナークの餌にするぞ!! (スナークとはブージャムのこと)スナークの餌にするぞ!! (大事な事なので二度言ったよ)スナークの餌にするぞ!!! (三度目だ! これで証明される、三度目の正直という奴だっ!)」
相も変わらずやかましく騒ぎ立てる亡霊は私の攻撃をよそに鐘を鳴らす。
鐘を鳴らすという行為は、この船にとって即ち大砲を放つための合図だ。それならば、船の上に立ってさえいれば脅威ではない――甲板から湧き上がる亡霊たちを処理するため、距離を取ろうと試みた時。
ぐじゅっっ、そんな音がして、片足が船の『傷跡』に埋め込まれた。踏み抜いて陥没したそこに、足を取られた私の体は転げて叩きつけられる。姿勢を取り直そうと振り向いた私が見たのは、私に迫る無数の亡霊たちだった。
「しまっ――――」
そう口にするが速いか、私の体は私を抱きしめた亡霊たちの自爆によって吹き飛ばされる。
それと同時に放たれるのは、船の大砲。響き渡る爆音と唸り立つ波の中、かろうじて四肢を千切られずに済みはした私の体がビリングズゲートの海面に突き落とされた。
全身の傷――というよりも、欠けた部位に海水がしみて意識が消え失せかける。スカートのポケットから内側に手を入れ、一本のハーブ瓶を取り出し、殆ど思考する間を挟むことなく私は自分の体を治療する。
つながった。輸血薬をいくつも叩きこんで確かな意識を取り戻す。前を向く。わずかな出血だけを残す船の大砲が、依然として私を睨んでいた。
……窮地から脱し、自分の身を立て直して尚、状況は何も変わっていない。
「……はぁ……ふーっ…………」
呼吸をし、鋸を構えて睨み返す。それを相手に何ができるのか、打開策はひとつとして見つからないまま。
からん、からん、と鐘が鳴る。まただ。いったいいくつ砲台を抱えているんだろう、あの船は。スナークを狩るのに、そんなに大層な艤装がはたして必要か? 来る大砲の乱射に備え、数歩後退する私の手の先に――こつん、と何かが触れた。
「…………?」
振り向き、見つけたのは、チャーチの大斧。
――あの、虐殺者の大斧だった。
「…………ッ」
いったい、何人の肉骨を千切り折り断ったのだろう。赤く錆びついた巨大な刃は、未だ血と肉を求めている気がして止まない。無数の『曰く』に憑りつかれたであろうそれを手に取るのは、僅かばかりのためらいがあったが――今、私が持っている獲物に比べれば、まだあれを殺せるかもしれないと思わせるには十分だった。
大砲の照準が、私を定める。
依然として、毅然として、私はそれらを睨み返しながら――
虐殺者の大斧の柄を、握り締めた。
刹那、私の魂と、大斧の内にある無数の魂が突き刺さるように接続する。
白い魂。白い魂。白い魂。どれもこれもが真っ白い、無垢な少女のそれを思わせるソウル。
名も顔も知らぬ彼女らの想いが、ソウルが集ったその瞬間。
私の脳裏には、喪われていた何か達が脳を掻き毟りながら表れていった。
*
在る筈が無い
「あれ」を打ち倒せる者など、在る筈が無い。
故にすべては、これで終わりなのだ。
覚めぬ夢は、確かにここに在る。
いつまでも、それを享受していればいい。
おあつらえ向きに、この夢には――
似たような肉便器たちが、たくさん生きているじゃあないか。
混沌より産まれ、混沌に帰ったわたしに、虚無の少女はそう言った。
「一周目」のわたしは、きっとそうかとあきらめた。
「二周目」のわたしは、そこにはたどり着かなかった。
「八周目」のわたしがようやくたどり着き、同じようにあきらめた。
「二十三周目」のわたしもそこにはたどり着かず、
「四十六周目」のわたしが、いつしかはじめて異を唱えた。
ならばどうして、わたしたちはここに居る?
わたしが――私が、僕が、ここに生きていることは、確かなことだ。
そして生きるとは、歩み続けることに他ならない。
何故、僕は生きているのに、歩みを止めなくてはならないんだ?
「四十六周目」のわたしは、大斧を手にして、それから『わたし』たちを殺し始めた。
欠けた魂たちが無数に生まれて無数に徘徊しているならば、それらすべてをひとつに戻してやればいい。
無数の白い魂たちを集わせて、ひとつの強大な白い魂たちにしてしまえばいい。
だが、四十六周目のわたしは器としては不十分だった。
すでに周回を終えてしまっていた彼女の体は、もはや『器』ではなく『断片』で、だから彼女は白い魂を取り戻す度に正気と共に精神を崩落させていった。
「アシュリィ」
正気も狂気もそこにない、まっすぐな瞳で、チャーチは静かに口にした。
「少女のソウルをかき集めて、少女の器に焼べて」
「……その行いが、たぶん、唯一」
「この夢を覚ます、手段だと、思うから」
その瞳を、まっすぐ見つめ返している間だけ。
私の脳裏で鳴り響いては脳を磨り潰す、歯車の音が止むような気がした。
*
「……ふふっ…………ははははっ」
集う白いソウルは、真っ白い炎を私の内に滾らせる。
久しく失っていた、あの兎たちを食い散らかして得た力。ロストエンパイアで培った、私の力が取り戻されていく。そうか。私は、こうして失っていたんだな。
「はははははっ……ぁは、はは、きゃふっ、くす、ふふふふっ!!!」
振れる。やれる。図体がでかいだけの船一隻、今更どうということもないじゃないか。
なあ、宿敵よ。きっと、いや確実に言える。お前の方が強かったよ。私がここで戦ったどれよりも確実に、お前こそ。
ああ……懐かしい、懐かしい。とっても懐かしくて、笑いが止まらなかった。内なる白いソウルの炎で上昇する体温を冷やす為か、両目から液体が絶えずこぼれ出した。
身の丈に合わない巨大な敵との邂逅など――私にとって、日常だったじゃないか。
大砲の発射用意が完了する。そして砲弾が発射される刹那。私は短銃の銃弾を砲口へと飛び込ませた。
発射寸前の砲弾に銃弾がかすめ、そのわずかな衝撃で一発の砲弾が起爆し、大砲をつたって船内で連鎖爆発が巻き起こる。そして自由を失った船は、体中からだくだくと血液を噴き出しながら、がくんと砲口を下げて体勢を崩した。
その瞬間を狙い、私は駆ける。大斧を振りかざし、高く飛び上がり、歯を剥いて笑いながら――
「――ひゃぁぁあぁあぁぁああッはははははははははははははははははははっっっ!!!」
横一閃。
眼前に存在するものすべてを、真横に切り裂く
一瞬……船体の上下が互い違いに動き、ズレて。
そしてそれは、爆ぜるように夥しい血液を噴き上げて、やがてうめき声をあげて霧散した。
ざん、と海面に降り立ち、着地する。受け身を取るまでもなく、まるでヒーローみたいな格好つけた着地ができた。
私の体は、こうまで強かったか。それもたぶん、いくつかの断片を取り戻したにすぎず……そうでありながら、船を飛び越えるぐらいの跳躍も、そこからの着地も容易に行えた。チャーチが素手で銃弾をはじいたり、ざぶざぶと海水を掻き分けて走ってこれた理由も今ならわかる。
戦いを終えると、大斧はひとりでにぼろぼろと崩れ去り、海水の中にこぼれ落ちていった。
自らの体が器に適さなかったチャーチは、体ではなく大斧にソウルを込め、それと肉体を繋ぐことで自らの強化を図っていたのだろう。大斧に込められていたソウルは私の内へと還っていったから、あの一撃を放ったために限界を迎えた。
ありがとう。心の内に礼を言い、錆の粉末と化したそれを握り締める。手に取る前に仕舞い込んだ鋸を再び手に取って、船が塞いでいた向こう側を見る。
鐘の音はもう止んでいた。
ざざん、ざざん、と。
静かな海の波音が、わずかに聞こえて来た。
*
どこか悲壮な雰囲気を漂わせる、不思議の国の一角にしてはあまりにも気分が落ち着く場所である。
寄せてはひいてを繰り返す波、生い茂る浜辺の木、ぽつんと置かれた篝火。
篝火に火を灯して身をやつせば、衣擦れや足音も聞こえなくなって本当に静かなものである。
ふわり、暖かな炎が舞い上がり、深い霧となって私の体を包み。
暖かさに預け、手放していた意識を取り戻すと、そこは図書室だった。
心を落ち着かせるピアノの旋律がどこからか聞こえてくる、私の拠点。
収まる場所を失った無数の本たちが積まれているそこに戻る度に、私の中に溜め込まれた絶望や諦めといった黒い想いがどろりと流れ落ち、またからっぽになってもとに戻る。そんな名状しがたい感覚がいつもあって、だから私はここに戻る度に心を落ち着かせ、落ち着いてからっぽになった心になにかを詰め込むためにまた不思議の国へと戻るのだ。
ただいま――そうこの夢の主に呼びかけようとして、それよりも早く彼女は私に振り向いた。
「ゲルマ」
「…………?」
「――――ア…………グリム……様」
彼女は、聞き覚えの無い名前を口にしたかと思いきや、すぐさま私の名を呼び直した。
「……お帰り……なさい。すみません、私は……どこかに」
「ノーデ」
ぼうっとうつむきながら、視線を右へ左へとやるノーデの名を呼んで席につく。
空のティーカップがそこにあった。今まで使っていたものと違う柄だった。
「何でしょう、グリム様」
「アリスを殺した」
「…………」
「この国に、アリスはあと何人いるの?」
ノーデは席につくことなく、私を招くように地下室へ向かう階段へと歩いて行った。
「この国に、アリスはたったひとりだけです、グリム様」
「それは、私のこと?」
「いいえ、グリム様。グリム様はグリム様――いつだろうと、それに違いはありません」
ノーデは肩越しに振り返り、私を見た。
待っているのだろう。立ち上がり、彼女の元へと歩み寄る。
「そういえば、地下室……あんまり、行ったことなかったね」
以前、興味本位で降りてみたことはある。鬱屈とした、誰もいない牢がただ並ぶばかりの部屋だった。
そこから様々な部屋に繋がっているようではあったが、どこへ行く道も硬い壁で塞がれていて、キャンディを欲しがる白い鴉がちょうだいちょうだいと鳴くばかりだったと記憶している。
「お望みであれば、直ぐにでも使えますよ」
ノーデは階段を下りながら、くすりと笑ってそう言った。
「………………使ったこと、あるの? ……その……私」
「さあ、どうでしたか」
かつん、かつん、かつん、かつん
無機質な足音が、互い違いに響く。
深く、深く、下り、下り――下り切った、果て。
そこに地下牢はなかった。
私が入り浸っているあの本まみれの空間と、また別の書斎があった。
見渡す限りの本棚に、余すことなくきっちりと本が詰め込まれている。
あそこに比べれば量は少ない。本棚の上や、床に無造作に積まれている本が一冊もないから、そう確信を持って言える。
ここがどこなのかと問いかけようとして、先にノーデが答えを言った。
「四百と、二十六冊」
「すべて、『貴女』の蔵書です、『グリム様』」
…………私の?
ノーデは本棚から一冊、それはそれは丁寧に取り出すと、私にその本を差し出した。
本には、『エミリー』と書かれていた。
「……エミリー……」
「彼女は聡明な貴女でした。この国の、この国あらざる現状にいち早く気付くや否や、武器を捨ててラドウィッジに居を構えたのです」
「…………」
「その在り方にヒントを得て、ガストが不動産を始めました。国中を巡り、蔓延る魔獣を狩り、安全な住居を欲するものに貸し与える。最も、貴女方はひとりひとりが外なる神と真正面から戦える程の強さを持っていますから、自衛で事足りたようですが……戦いを好まぬクライスのような貴女は、なるたけ静かな場所に住むことにしたようですね。妹のチャーチと一緒に、それはそれは長い間二人で暮らしたそうです」
「…………ノーデ」
本を仕舞っては、別の本を取り出し、それを仕舞ってはまた取り出し。
淡々と説明を続けながら、低く沈み切った声でノーデは話し続ける。
「その心を魔獣に堕として尚、戦うことを望んだ貴女がオパール。ロミアも同じく魔獣と堕ちましたが、彼女はいつか届くと祈りだけは続けていました。ヒトの形を保ちながらも神に傾倒し、神を愛し続けたミコと、神こそを滅すべきだと聖女の歯車を背負い振るったロリュウスは常に殺し合っていましたね。上層の家に二人で住まい、いつか二人で帰ろうと手をつなぎ続けたエイヴルとエイテュスの姉妹と共に――漁夫の利と言うべきか、彼女たちを手にかけることは、チャーチにとって容易だったようです」
「ノーデ」
彼女は先ほどなんと言った?
四百と、二十六?
そのすべてが、ここにあると言うのか?
繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し、産まれ続けた、私の残滓が?
「皆」
「――思い思いの生を、生きました」
「ひとりの『貴女』――チャーチが、大斧を手に取るまでは」
ぱたん、とノーデは本を閉じた。
物憂げなその顔は、どうしてかひどく人間くさく見えた。
「それは、正しいことでは、なかったの?」
私の口からは、そんな疑問がついて出た。
「いいえ、この上なく正しいことです」
「彼女たちを殺して、彼女たちのソウルを喰らえば、夢が覚めるというのは?」
「正しいのです」
「――貴女は、それをする私を、止めるつもりなの?」
「止めはいたしません。それらすべては正しいことであり、だれかが描いた計画の内なのですから。無数に分かたれ、確固たる『個』となった彼女たちを集わせ、『一』へと還った彼女をぶつける――そんな黴の生えた計画の一端が、この四百と二十六の書を生みました」
ノーデは赤い瞳で私を見つめた。
ひどく、疲れ切った顔をしていた。
「それは正しいことであり、取られるべき本来のかたちです。ですが」
「それは、正しいだけのことであり」
「――何の意味も、もたらしません」
四百と二十六の『私』。
剥がれ落ちて欠けることで、新たなる『私』へと咲いた『私』達。
四百と二十六の書を見渡すと、殆どがぼろぼろで死んでいるような形をしていた。
ただ、数冊だけが、今もなお生きているかのように綺麗なままだった。
「グリム様」
一歩ずつ、ゆっくりとノーデが近づく。
「貴女が成そうとすることに、私は、何の介入もいたしません」
「ただ――それでも――どうか――我侭を……お許し下さい」
「正しいことを成そうとするのなら、それも好いでしょう。ですが、間違ったことをしてはならない理由も、この国には存在しないのです」
「貴女が世界のすべてを滅茶苦茶に破壊しつくしたとしても構いません。貴女が生きてさえくれるなら」
「貴女が定めのすべてを諦めて、揺り椅子に腰かけたまま眠ることを選んだとしても構いません。貴女がそこに居てさえくれるなら」
膝をつく、彼女の体が、迫り。
優しく、私の体を抱き締めた。
「――私には、もう」
「貴女しか、いないのです……」
涙を流せぬままに泣いているのかと、どうしてか私はそう思えた。
*
『かねて知を恐れたまえよ』
結びついた記憶の中でも、クライスはやはりそう言っていた。
チャーチに……自らの妹に向かい、ただその一言だけを。
世界を壊す方法を、夢を覚ます手段を、『知ろう』とし続けた彼女に向かい――ただ、ただ。
私を抱き締めるノーデを、質問攻めにすることも出来た。
計画とは何か、私が生まれた理由は何か、私とは何か、この国とは――。
だけど、ただ知ることに何の意味があるんだろうと、そう思って、何も聞けなかった。
だれかに想定された正しい行いをすることに意味は無いと、そう言われたばかりであったから。
「…………私は……」
雨の降りしきる砂浜に腰を下ろし、とくんとくんと高鳴る白いソウルたちを感じながら私は呟く。
誰へ向けるでもなく、頭を掻きながら、この華奢な体に何を課せられているのだろうと思いながら。
――足を止めることは、出来ないと。そう信じて、ここまで来た。
けれど、気付く必要もなく私は独りだった。
「私は……どこに……行けば」
向かう先も、旅の目的も、不明瞭だ。もとからそうであったはずなのに、腰を持ち上げることができなかった。
これから行くところ、これから成すこと、その全ては既に前の私がやったことなんじゃないかと、そう思う程に体は重たくなった。
意味がない。その言葉が、鎖になって私を縛り付けているようだった。
「ウーーミーーちゃーーーーんっ!! 私だよーーーーっっ!! 開けておくれーーーーっ!!!」
「…………!!?」
蹲って独りを過ごしていたところに、突如としてほゃくるるるっと声が轟く。
聞き覚えのある声だった。というかグリフィだった。グリフィはとんとんと砂浜に建てられた一軒の家屋の戸を叩き、その家主を呼んでいる様子だった。
…………何してるの、グリフィ? 近寄り、そう声をかけてみる。
「おやぁ!? 久しぶりだねぇグリム君っ、別れてそれほど経ってないはずだが……なんだかとっても長いこと顔を見てなかった気がするよ。具体的には一年と三ヶ月くらいっ! 感覚なのに具体的とはこれ如何にといった感じだけどねっ!」
相変わらず饒舌な舌だと感心はするが、いったい何をしているのかという疑問の答えは出ていない。
見るに鍵のかかった扉を家主に開けてもらおうとしているようだった。しかし留守なのか居留守なのか、家主が声を返す様子はない。
「そうなんだ、いつもは私が来れば直ぐに開けてくれるんだけどね……あ、でも中にはいると思うんだよ! なんだかどったんばったん大騒ぎって感じの音がかすかに聞こえて来たから、留守ではないと思うんだが……居留守だとしたら仕方ない、出直そうかなって思ってて!」
成程、成程。普段は戸を開けて迎えてくれる――たぶん――友人が、今は開けないとなると何だか危ない予感もしなくもない。蹴破るのも気が引けるだろうし、ここは穏便に開けてみよう。
「穏便に……!? できるのかいグリム君っ!? ならぜひお願いしようかな!」
お願いされた。懐から銀の鍵を取り出し、かちゃりと扉の鍵穴にはめ込む。
魔術学院で開発された、どんな鍵も開ける万能鍵。一度使えば壊れてしまうのが難点だが、こういう時には非常に役に立つ。
その内にがちゃりと解錠。扉がキィと開くのを確認し、お礼を言いながらグリフィが突撃した。
「ありがとうグリム君んんんゥミちゃーーーーんっっっ!!! 無事かーーい!!? 襲われたりしてないかーーーーい!!!」
ばっさばっさと中に飛び込むグリフィに向かい、家主らしき少女の声が投げかけられた。
「ひゃぃぇぇえええっ!!?!? な、なんでっ、鍵、閉めてっ……待って待って待って待って今は駄目だよぉおっっグリちゃあああんっ!!! ちょっと待ってって言ったじゃんかあああっっ!!?」
甲高い声で叫び散らす家主。ウミちゃん、と呼ばれていたか。ウミちゃん……はカウンターの奥でカーテンを体にぐるぐると巻き、ボディラインをぴっちりと浮かべながら半泣きになっていた。
……あれは……湯浴みをしていたとか、そうわけではなく……。
「グリちゃん!? あ、グリちゃん! そう、おそらくは私のことなんだろうけど、今ここにグリちゃんは二人いるんだよウミちゃん! 紹介したいんだけど君はその独特なファッションの部屋着のままでいい…………よくない? かな?」
「グリ、グリ、え……?? なに、どういうこと……?? あれ……しらない子……いつのまに……?? えと、その、ええと……」
……水着を……着ていたんだろうか?
カーテンに浮かぶシルエットは素肌のそれだが、カウンターの上に無造作に水着らしき紐……紐らしき水着が散らされている。だが外は雨で海水浴には向いていない。つまりあの水着は誰かに見せるために着てみたはいいが、恥ずかしくなって脱いで、その矢先の訪問……というわけだろうか。
あ、ええと。グリムです。ごめんなさい。
グリフィとは友達で、彼女が訪問しようとしたら返事がなかったらしく……なにか、危ない目に合ってないかと、心配になって強硬手段にて侵入しました。はい。
「あ、ご丁寧にどうも……。こ、壊してないならいいです、よ……。……グリちゃんの友達の、グリム、ちゃん……?? グリちゃんの……わたし以外の……おともだち………………」
ウミちゃんさんはなにか、深い深い闇の伴った瞳で私を見ている。
うーーーん、これは私が来るべきではなかったかもだ、グリフィに助け舟を求めて視線を送ってみる。グリフィは鼻高々に胸に手を添え、私の紹介を続ける。
「そうっ! ウミちゃんの友達のグリちゃん、その友達のグリちゃんだよウミちゃん! 一緒に死線を潜った仲でもあるんだ、もはや心と心で繋がり合った戦友(とも)と言って差し支えないだろう! だからね、ウミちゃん」
ウミちゃんの視線がさらに鋭くなる。ちょっとまってグリフィ、これ以上私本人を差し置いての仲がいいアピールは……
「これからはこっちのグリちゃんも存分にファックしていいからね」
よくないが??
「……いいんだ…………」
よくないが!!!?!!!?!?
「あ、えっと、ごめんなさい。自己紹介が遅れちゃいました……わたし、ウミガメモドキって言います……ここで、その、レストランを、今はやってないけど、やってて……。その……よろしくね、グリム……ちゃん」
……うん、よろしく。ぺこりと頭を下げるウミガメモドキに、こちらも礼で答える。
「うんうん、これにて悲願の文殊の知恵というものだ! かしましさに満ちたお話をたっぷりとしようじゃないか、グリちゃんにウミちゃん! ……グリちゃん! いい響きだ、気にいっちゃったかも、私!」
「えと、ややこしいから、わたしはグリムちゃんって呼ぶね……。それで、グリムちゃん、グリちゃん……ご注文は?」
「ええとね、じゃあ3ぴ」
レストランのおすすめを。
「はいっ、ウミガメモドキのスープ、ふたつ、だね……♪」
グリフィの口をふさぎながら、カウンター席に腰掛ける。
――久方ぶりに口にしたまともな食事の味は、心がぽかぽかになるくらい美味しかった。