黒山羊を殺し、箱庭という檻が砕け、わたしは自らという存在のすべてを知った。
わなわなと震える妖精もどきを他所に、生き残ったわたしを白い兎が招く。
其処は誰かが見たいつかの夢。延々と繰り返されるばかりの、荒唐無稽な見世物小屋。
『――かの支配者と交わり、子を成してください』
兎はわたしにそう告げた。
『あなたという存在を、無数に分け放ち』
『永劫を経た後に、再び集うのです』
『それが――』
『――この夢を覚ます、唯一の手段なのですから』
賭けと言えよ、と。
わたしはぶっきらぼうにそう答えた気がする。
ウサギ穴から扉を潜り、市街へと出た先で、一つの鏡を目にして。
ぼろぼろの友達がそこから這い出て来るのを確かに見た。
――アシュリィ。そこに居るの?
彼女の声に、声を張る。
――ああ、よかった。そこに居るのね。
――失敗作とはいえ、私も不死者だもの……あなたを追うことくらいは、出来たわ
それからは、積み木の街に彼女と隠れ住み、この世界の全貌を知ろうと果てしない旅を続けた。
散り散りになって気ままに存在していた神たちは、既に支配者グリムに喰らいつくされたという。
夢の中から夢を覚まそうとするなんて、雲をつかむより難しいことだとわかってはいるけれど。
それでも、わたしには足を止めるという選択は最初から存在しなかった。
ただ、歩み続けられることが。
わたしが持つ、唯一、絶対の強さだと、師に教えられたことだから。
*
「アシュリィ――本当に、行くの?」
屋根裏へ続く階段のふもと。
こつこつとそれを昇るわたしの背中から、レレケは問いかける。
「支配者グリムは、既に自分以外のあらゆる神を喰らったわ」
「いくらわたしに、いばら姫の権能があると言っても――あれは、たぶん、残らずなにもかも消え失せた無の中でですら生き続ける」
――けれど、と彼女は首を振る。
「それでも、あなたは――これから先、ずっと…………」
「癪だけれど、殺すにはこれしかないもの。……ううん。あれは殺すというより、そうね」
「――解き放ってあげるといったほうが、正しいのかもしれない」
わたしと同じ旅路を辿り、夢に囚われ、夢に耽溺することを選んだ彼。
正確には、わたしが彼の旅路を追ったのだろうけど。わたしには彼が、どうしても「悪」だとは思えなかった。
「だからってこれ以上、あなたが苦しむ必要なんてないでしょう……!? ロストエンパイアを何度繰り返して、戦い続けて――まだあなたが、戦わなくちゃいけないっていうの!?」
ぐっと胸元を握り締め、泣き出しそうな顔でわたしを見上げるレレケ。
わたしは、一歩ずつ階段を下りて、膝をついて彼女の手を握り締めた。
「――アシュリィ…………?」
「あなたの手は、こんなにも暖かい」
わたしと同じくらい小さな手に、小さな願いをそっと握る。
「グリムじゃない、私の本当の名前を呼んでくれたのは――あなたがはじめてだったの」
「……あなたが、わたしを呼び留めてくれた」
その手の内にある暖かみに、はっと感づいた様子を見せる彼女へ。
「わたしを繋ぎ留めてくれたのは、仲間たちみんな。……ここにいるあなたも、その一人。だからねレレケ、わたしは、だから」
「――あなたに、わたしを、託せるの」
そっと手を離した、そこにあるもの。
紅ずきん、ハインツ・レレケの手の内に託したもの。
「アシュリィ……これ」
「わたしの存在、その核が『外』にあるだなんて、とても思わないだろうし。……あなたがそれを護り続けてさえくれるなら、わたしは――」
その童話の名は、『名無し姫』。
誰の目にも留まることなく、灰となって消え失せて、そこからわたしを産み出したもの。
名無し姫から私が生まれ、いばら姫という役割が与えられて、わたしの存在は成った。
「――これから、どれだけばらばらにされたとしても、きっと……アッシュ・リィンであり続けられるから」
いつになるかはわからない。わからないけれど、それでも。
「大丈夫。きっと、取りに戻るから」
「…………約束。約束して、アシュリィ」
「もちろん。絶対に」
わたしは、あなたと、その童話を……迎えに行くから。
*
ざあ、ざあ、と。
血液が、滝のように流れ続けていた。
その血がどこから来たものなのかはわからない。
屠殺場で処分されたものの血液が、流れ流れてここに集うのだとメルに聞いた気もするが。
たくさんの人間が死んだ程度では、これだけの量の、そして新鮮な血は流れまい。
これらはいったい、誰の血なのだろうな、と。
私は、互いに傷だらけになって、互いにとめどなく血を流し合いながら、仰向けに倒れる友達を見つめていた。
その胸元には剣が突き立てられており。その持ち手は、私が握っている。
小さく、荒々しく、規則的な呼吸が自分の口から聞こえる。
彼女は息をしていなかった。たぶん、ずっと前から、彼女は生きてはいなかった。
「……メアリィ・スーも……私も」
息をしていない口で、紅ずきんは喋り始めた。
「ロストエンパイア……も。みんな、あなたを用意するための……舞台装置、だった」
「……」
分かっている。
いや。正しくは、その知識がふつふつと湧いてきている。
私という存在は最初から用意されたものであり、グリムになるために、グリムと同じ旅路を辿って来たのだと。
「気づいてたよ、レレケ。……この世界は、私のためにあるものじゃないって」
「たくさんの女の子たち――それを苛む物語――最後に立ちはだかった創造神、そいつの意思と言葉。全部、全部、私のために用意されたものじゃない。他の誰か――それを望む、誰かのための物語だった」
――ボクのグリムを、返せ。
あいつはそう言っていた。
「――私は……わたしは」
「誰かに望まれて、生まれてきたわけじゃない――」
じわじわと浮かび上がって、零れ落ちそうになる瞼の雫を、紅ずきんの手が拭った。
「私は――よかった。あなたが……私のとっての『グリム』が、あなたで、よかった」
「……レレケ?」
その手から、暖かな光がこぼれて。
それは、形を持って私の前に顕れた。
「全てが、牙を剥いて――全てが、あなたを拒んで……それでも前に進めたのは、あなたが、そういう子だったから。そういう『人物』だったから……あなたが、強かったから」
製本すらされていない、小さな原稿の束。彼女に託した、わたし。
その童話は、漸く帰る家を見つけたといわんばかりに、恋しそうに私の胸元へと吸い込まれていった。
そして、同時に。
凡そ数百にのぼり得る、彼女たちとの旅路のすべてが、私の脳裏に溢れ出て。
私が、私であるのだという――アッシュ・リィンであるという確信が、静かに根付いた。
「……約束」
「ちゃんと、守ってくれたわね」
そう言って、小さく彼女は微笑んで。
その笑顔のまま、彼女が動くことは二度となかった。
ざあ、ざあ、と。
血の滝が流れる音だけが、鳴り続けていた。
*
灰は私だ
生まれるはお前だ
焼き捨てられた数多の記憶、記録、妄想、物語の中
かき集めて拾い上げられたのは
ひとりの少女だった
誰からも愛されずに生きた私は
誰からも愛される少女を描く
誰を愛することも諦めた私は
誰を愛することもできる少女を描く
どこへ行くことも止めた私は
どこへでも赴ける足と心を持った少女のもと
彼女の足跡を刻み付ける砂になって
どこまでも続いていくだろう
たおやかな指先が描くのは、
どんな久遠にも満ち足りる星々の煌きにも似た物語
私には柔らかな肌がない
私には美しい乳房がない
私には艶やかな髪がない
私には甘い女性器がない
それでも私は少女を夢見た
堅苦しい腕と指で
熱苦しい胸を高鳴らせて
むさ苦しい頭と思いで
息苦しい男性器とともに
私は少女を星になぞらえた
愛しくも恨めしきアッシュ・リィン
どこへなりとも往くがいい
その指先で未知を裂き、夢を描いて久遠を殺せ
お前の行く先には道が満ちる
無と壁があるとすればそれは私の名だ
その縹渺は、我が名とともにばらまくがいい
我が名を遠く、どこまでも
地に撒かれた私の名も記憶もすべて
お前の道程を記し残す、足跡をつくるひとかけらになるのだから
*
どこまでも鬱蒼と茂るこの不気味な森は、迷い込んだ者の名前を喰らうという。
私の脳裏に蘇った『彼』には、そんなものははじめから無かった。
誰にも覚えられず、誰とも繋がること叶わず、誰からも愛されなかった『彼』。
生涯を孤独という海の中で終えた、名を遺すことが出来なかった一人の男。
夢に潰えたその男こそ、私――『名無し姫』の作者だった。
名無し姫は、未完の物語である。
あるところに小さな国があった。綺麗なばらの花が咲き乱れるその国の王様は、御世継――子宝に恵まれず、はずれに住む魔女に相談をもちかけたところ、「国中のばらを集めて燃やしなさい、その灰からたまのような少女が生まれるでしょう」――と、そう答えを授かった。
王様はやがて姫となる彼女に、呪いをかけなくてはいけないと魔女に教わる。その国の誰もが持たぬ、「名前」という呪いを。
国中を駆けずり回り、あらゆる国民からばらの花を貰った王様は、巨大に積み上がったばらの花に火を放つと、ぶわりと舞った花の灰から一人の赤子を取り上げ――彼女に、名前を授けた。
国の誰もが王様のことを愛していた。そして、やがて生まれる姫のことも愛していた。
その、小さく、けれど途方もない愛の結晶から生まれ出でたのが『名無し姫』。名無しの民が住む、名無しの王が統べる、名無しの国のお姫様。
本来であれば名無し姫という物語は、その『名無し姫』が旅をして、何か大きなことを成して女王になるというところで終わる筈だった。しかし結果として、名無し姫が女王になるよりも早く、作者である名無しの彼の命が尽きることとなった。
終ぞ、その童話の中に名無し姫の名が顕れることは無かったが。
『名無し姫』である私だけが、唯一……その名を知ることが出来た。
『灰』とは、彼そのものを指し。
『花』とは、誰かに愛されたく、そして誰かを愛したかった、彼の渇望そのもので。
――『私』は、故に。
たったひとりで、夢と共に灰になるしかなかった、ひとりの男の愛から産まれたのだ。
ばらの花から産まれたという描写が、いばら姫とは相性が良かったのだろう。
からっぽだった私の器に、名無し姫という人格が埋め込まれ、いばら姫という役割が与えられた。
そうして生まれた『グリム』は何も知らぬままロストエンパイアをさ迷い続けて――
そして、ここに居る。
つぎはぎだらけで、矛盾まみれのおかしな女だ。
愛という願いから産まれておいて、本人はあらゆるものを呪ってばかりだ。
姫という清らかな存在として在り続ける筈が、さんざ犯され尽して穢れた。
だとしても、私は歩み、進み続けてここに居る。
幾度となく死を経て、その死にすら導きを見出して、戦い続け、狩り続けた。
「……ああ……」
その果てに、いったい何が待つというのだろう。
この旅路の果てに、黎明はあるのだろうか。
いつかすべてを忘れられる、目覚めが訪れるのだろうか――。
「……そこに居たんだね。……私の……宿敵」
私の足は、いつの間にかそこにたどり着いていた。
横たわり、朽ち果てた竜の亡骸。ぼろぼろに欠け落ちて、地面に融けて草花を生やしたその姿に、私は酷い憧憬を抱いた。
傍らに腰を下ろして、そっと撫でる。ざらざらと砂粒が零れ落ちて、私の掌に付着した。
私は、先の戦いで変質したばかりの剣を――祈願の聖剣を取り出して。
それを構え、静かに目を閉じて祈りを捧げた。
願わくば。いつかまた、お前と刃を交える時が来れば、と。
「…………ハノーヴァー駅は正反対だぜ、お客ぁん」
殺し切った気配とともにやって来る女性の存在を、感知しながら。
私はゆっくりと振り向いて、聖剣を下げ、空いた右手に大剣を取った。
「旧友とのあいさつを済ませたところだよ。……私を方向音痴みたいに言わないでくれるかな」
「そいつぁ悪ぁった。ぃぇな、俺の友人連中はみんな迷ンもんだから……ついな」
居たのは、カラスのそれに似たマスクを被った黒装束の女性だった。
鳥の羽――鴉の翼を模したように見える装束だ。見てくれの重量感から、内側に様々な暗器が仕込まれているように思えた。狩人のそれによく似ている。
……実際、彼女は狩人なのだろう。足音も気配も、一切を伴わないままここまで現れた。
内に秘めた真っ白いソウルの反応が無ければ、背後から致命を取られていただろうな。
「……ぉ前のその様子は…………初ぇて見るな」
「……まあ、そうだろうね」
彼女が何者なのかはわからない。
だが、その圧倒的なまでの力量と魂の濃度を鑑みるに、アリスであることに間違いはないだろう。
生き残り続けているアリスなら――今までの私と相まみえる経験もあった筈だ。
私は……今の私は、何百も周回を重ねて、ようやく友との約束を果たした。
『名無し姫』の回収に成功した私は、今ここに居る私だけだ。
「終わるせるつもりか? このまま、全部」
黒い彼女は戦友の亡骸にゆっくりと歩み寄り、その傍らに腰を下ろした。
「……もう、充分だよ。これ以上夢を見続けて、惰眠に溺れることは無いと思う」
「惰眠、くぁ」
「私も、彼も、貴女も。――みんなも」
私たちは、互いに背中を向け合ったまま、想いを交わす。
「……俺も、そう思う」
拒否されると思っていたが、意外にも肯定された。
黒い彼女は、ふっと息をついて笑い。
「少し前まで、ここぁ国をやってた」
「……元からじゃないの?」
「冗談だろ? 不思議の国が国のわけぬぇだろ。――俺達、アリスの国だよ」
「――信じぬぇと思うが。お前が旅してる間、俺達ぁ平和に暮らしてたんだぜ。エミリー、ガスト、コイン、クライス、オパール。ロミア、ミコ、メル、ロリュウス、エイヴル、エイテュス。みんな自分の家や場所を持って、思い思いの生活をしぇた。何周目か――チャーチが、皆殺しにするまではな」
「…………」
「……間違いだとは、思っちゃいない。寧ろあいつぁ、正しすぎることをした。俺達は産まれることは出来ても、生きることぁ出来ねえ命だ。……ぃや……命ですらねぇ、夢の一部でしかぬぇ。どから、正直――チャーチには、感謝してる」
彼女が何を言わんとしているのか、私にはなんとなく理解できた。
「いつか終わる――いつか覚める夢だ。それでも……だから……なぁ」
「忘れないよ、貴女たちのことは」
「…………。……――――お前」
「私はこれからクイーンランドに行って、グリフィに別れを言う。それから、貴女たちアリスを皆殺しにする。殺された貴女たちの魂は私という器を満たして――ひとつに戻る。そして、私は……この夢を覚ます。最後に残った彼を、討ち滅ぼす」
そもそも、彼女たちがこの夢の中でしか生きられない者だとしても。
それは私も同じことだ。私も、私が持つ記憶に当てはまるような、真っ当な生命じゃない。
この夢が消える時、私も消える。その確信だけは、確かにあった。
「だから貴女たちも――私に全部、差し出して。ブチかまして。それを私は、全部受け止める。受け止めて、それから」
そして私は、くるりと振り向き。
「まとめて一緒に、地獄に持って行ってあげる」
歯を見せて、にっこりと彼女に笑ってみせてやった。
彼女もまた、こちらに振り向いていた。
「……はっ。上等だ、馬鹿野郎。俺だって――てめぇをブチ殺してやる。そのつもりでずっといた。てめぇがあんまり不甲斐ぬぇもんだから――俺が器になってやろぉと思ってたところだ」
成程。白い魂を詰め込んでいる理由はそれか。
レベルに換算していくつになるのやら……受け止めるのに骨が折れそうだな。
「なあ、あんた」
「うん?」
「名前。思い出したんだろ? 聞かぇてくれぬぇか」
何を言い出すと思えば。名無しの森で名前を問うとは。
ここは創造主さまが定めたルールにのっとって、固有名詞は全部消え去るんだ。
口にしたところで意味は無いし、仮に発声できたなら、それは。
「アッシュ・リィン。アシュリィだよ。貴女は?」
――創造主のそれを無視できるほど、強い魂を持っていることの証左だろう。
「ゲルマ。
ゲルマは最後に、空を見上げながら私に伝えた。
「全部が済んだら――月に来てくれ。学院から、覗けば解る」
*
がたん、ごとん、がたん、ごとん
ハノーヴァー駅は無人駅だった。
長い間、誰かが入り浸っていたような痕跡はあったけれど、あたりに散らばった白くべたつく何かと、それに紛れるように無造作に置かれていた白いヘッドドレス以外、私が見つけられたものはなかった。
ただ、それでも無賃乗車はできないようで、四角い箱からスッと細くて黒い腕が伸びてきて、ぱちん、と切られた切符が返ってきた。
……あれが、車掌の行き着く姿なんだろうか?
果てしない未来でも列車が用いられているのなら、改札口はあんな形になっているのかな。
ひとりきりの車内で規則的に揺られながら、そんなことをぼうっと考えた。
思えば――随分長く旅をしてきたように、思う。
自覚のある限り古く遡れば、最初は墜落部屋で兎に苦戦していたっけな。
それ以前にも私は四百二十六たびの周回をしているから、実際はもっと永く旅してきたのだろうけど。
四百二十七回目の「私」にとっては、この一周の記憶こそが、私の旅の記憶だ。
ラドウィッジ市街で鴉と紳士に追っかけ回され、精神病棟で再会と別れを経験し。
霧の公園でグリフィに出会い、憂さ晴らしの獣を倒し、パンプキン・オー氏に出会い。
リデル墓地で無意識にいばら姫の権能を行使して、改竄を受けたこともあった。
薔薇園をさ迷った。トランプの血族を根絶やしにした。ロリーナは元気にしているだろうか。
それから――。
「……そうだ」
クライスとコインに出会った。明確に『本筋』を離れたのは、そこからだ。
無意識に覚えている幾度も辿った旅路とは、まったく違う道筋を辿った。
ジャックを殺し、学院を通り、お茶会に参列し、くたびれたジャブジャブを殺し――。
…………。それから?
それから――本当は……そこで終わるかもしれなかった。記憶がぶれているのは、選択肢の存在からだろう。
あれの呼びかけに応えていたら、その時点で四百二十七周目は終わっていた。幾度となく、そうやって終わった周回があったんだ。
結果として私は、それを拒んで――メルに会い、チャーチに会い、アリス達の存在と、誰かが遺した『計画』の存在を知ることとなった。
『次はーー……クィーン・ランドぉー……クィーン・ランドぉ』
長い回想を断つようにして、運転手の声が聞こえてくる。そろそろ到着らしい。
…………。いや。
なんか聞き覚えがあるぞ、この声。
『お手荷物ゥー、お忘れ物ございませんよォー……運転手はハインがお勤めしましたァー、ケケッ』
……。
出世したんだなあ。
*
夜鬼の崖にて迎えが来るという旨の説明書きが掲示板にあったが、来る気配がなかったので自分の脚で直接跳んで向かうこととした。
夜の空を斬り裂きながら自分の身体が宙に舞う。ばたばたと服とスカートがはためいて、眼下にクイーン・ランドが近づいてくるのが見えて、その入り口目掛けて、だんッッと着地した。
門をくぐったその瞬間、ぱんっっ、ぱんっっ――!! と無数の花火が打ちあがる。
夜空に色めく、鮮やかなファイアーワークス。均等に絵具を散らしたような、星空のキャンバスに描かれる数秒の芸術たち。その華々しさに目を奪われていた私の手を、ぐっと誰かが引き寄せた。
「――――?」
「待ちくたびれたわ、お姫様。漸く帰ってきてくれたのね?」
その顔に。
その顔に――見覚えは――なかった。
しかし何故か、狂おしいほど懐かしく感じた。
くすりと浮かべた悪戯な笑顔。深い青色をした長い髪。
私のそれによく似た黒いエプロンドレス。星辰を刻み、輝かせる両の瞳。
「さあ――何なりと。ここにはアナタが望むもの、すべてが在るわ。魔人を迎える手間もなく、一言口にするだけでするりと手のひらにこぼれ落ちる。三つまで、なんてけちな制約も存在しない。さあ」
「アナタの望みを、聞かせてくださる? 愛しい、愛しい――愛娘、さん♪」
彼女の、名を。そうだ。彼女を。
虚無の少女、メイベルと言った。
『紅狼のソウル』
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―――――――――行きましょう。