ぱちぱちと薪が焼ける音がして、その暖かさに包まれながら目を覚ました。
「おや……お目覚めかい? お嬢さん」
俺の頭は。
奇妙なマスクを被った老婆の膝の上に、寝転がっていた。
*
「道には死体が転がっているし、血と膿と汚物が混ざり合った悪臭が漂っている……」
その老婆は、頼んでもいないのに俺の世話を焼く、マスクに限らず奇妙な女だった。
「とても不思議の国とは言い難い劣悪な環境だが。私がいた場所と変わりはないな」
ラドウィッジの街はその日も変わらず濃汚く、むせ返るような鉄の臭いで満ちていた。
ぼさぼさに伸びた俺の髪を櫛で梳きながら、老婆は独り言ちる。
「君もここへ迷い込んだのかい?」
首を横に振る。
「ほう。ではここの生まれだと?」
首を縦に振る。
「路上で無防備に寝転がっていては、うろつくあれらに食われて殺されるばかりだ。今度からそうしないように、衛生的にも問題だ」
首を横に振る。
「そうか。それをするのを止めるつもりはないが、私も君を助けるのを止めるつもりはない」
本当に、奇妙なやつだった。
どうして、俺を助ける? 俺を助けて、何の得がある?
俺は死にたいんだ。こんな国で生きていて何になる。俺は、俺として産まれたことが、心底厭なんだ。
「何故、と問うかい?」
首を縦に振る。
「うーむ、難しいな。……理由なんてものはね、存在しないんだ。私は医師だからね。生きている命があるのなら、たとえ死んででも、殺してでも助けなくてはならない。誰に定められたわけでも課せられたわけでもない。ただ、我々が医師であるから」
……。
「強行しなくてはならないのさ。命を助けるという行いを。我々は、そういった概念そのものなんだ」
その、おぞましいほど崇高な、医師の心というものを。
俺は未だに、かけらでも理解できた気がしない。
*
大剣と竜剣が交錯し、ぶつかり合って轟音を放つ。
月面の砂が円形に削れて舞い散る衝撃は、挨拶と言うには些か乱暴に過ぎるか。
振るう武器は違えども、俺と彼女の戦い方は似通っている。どちらも相手の隙を伺い、針と糸で縫うように致命の一撃を突き刺す――それが俺の、狩人の戦い方だ。
だからこそ、と言うべきだろう。だからこそ、この一瞬は矛盾に満ちていた。
俺たちの戦いの始め方は、間合いをはかりながらゆっくりと歩いて近づくべきだった。
そうしなかったのは、お前も、俺と同じ気持ちだったからだろう?
「――ヴルゥゥウゥウウアァアアァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
竜剣と同調し、咆哮を放ってアシュリィの体を吹き飛ばす。
数メートルは後退させたが、奴はくるりと身を翻し、左手に握った聖剣で衝撃波そのものを斬り裂いた。開かれた活路から俺めがけ、月光の刃が飛来する。それを、竜剣に噴かせた炎で打ち消した。
炎が消えれば、そこに奴はいる。相反する性質を持つ双剣を構え、俺に向かって横一直線に振るい断つ。
半歩、踏み出して振り下ろした剣がそれを受け止めた。
大剣と聖剣の重さが両腕をきしませる。こんなものを振りやがって、化け物が。
――『器』ってだけで、これ程とはな。
箱庭戦争に乗じて、乗り込んでくる神や眷属連中をちまちまと斬り殺し続けたのが、馬鹿みたいだ。
『戦いとは何だろうな、ゲルマ』
繰り返し響き続ける剣戟の音に紛れて、ロリュウスの声が聞こえた気がした。
『身を護る行い――意志を押し通す行い――どちらにしろ、対話の体を成しながら、どちらか一方は確実に消え去る運命にある行いだ。矛盾している』
『わかってもらいたいと願いながら、その相手を殺すことなど――歪でしかない』
よくわかるぜ、ロリュウス。
あんたも、聖女の端くれだった。己というヒトを信仰し、神を否定し続けたあんたの在り方は、輝かしかった。愚かには違いないが、眩いほどの愚かさだった。憧れたよ。
『それでも思うんだ。ミコと殺し合っているとき』
『死んでほしくはないが、殺したいと強く思う。そういった歪な願いにこそ――いや……』
『その歪さこそ、紛れもないヒトの証左なのだろうな』
知ってるか、ロリュウス?
ミコも同じようなことを言っていたんだ。ゲラゲラ笑いながら、お前のことを語っていた。
神を愛するようにお前を愛している。だから殺したいんだよ。誰をどれだけ愛したって、それを戒める神など僕は知らないよ。僕はロリュウスを愛しているんだ、だから殺したい。死んでほしくはないけどね。
本っ当――薄気味悪いくらいに、似た者同士だったな。
――奴の大剣が、血を纏い。
俺の剣を弾いて生じた隙を縫って、その刃が俺を斬り裂いた。
「……――――ッ…………」
俺の命が消え失せると同時に、竜剣が腐り果てて腐剣に成る。
腹部に刻まれた深い切創をそのままに、俺もまた、腐剣を振るってアシュリィの体を袈裟斬った。
互いに血液を垂れ流し、灰色の月面を赤く染めながら、息を切らして睨み合う。
腐剣に斬られた傷が腐敗していくが、奴は塞ごうとはしなかった。
かたや流血を刃に変える大剣。かたや命が危うければ危ういほど威力を増す聖剣。
もらった傷を癒すなど、勿体ないと思っているのだろう。俺もそうだ。
腐剣を逆手に持ち、ロリュウスの構えを模す。
あいつは身の丈と同じぐらいの車輪を武器としていた。見様見真似でも、今はそれをしたいと思った。
蒼白の光が一帯を照らす。その全て、アシュリィが放った月光の衝撃波。
それを駆けながら砕き、進み、奴の懐深くへと潜り込む。
――飛竜は、たとえ腐り果てようとも潰えず。
押し当てた刃ごと奴の体を組み伏せ、その胸元から喉仏にかけて斬り裂かんと試みて。
腹部に叩き込まれた銃弾の衝撃に、姿勢が崩れる。続けざまに叩き込まれた蹴撃が、俺の肉体を宙へと放り出した。
錐揉み、回転しながら奴を伺う。ああ、畜生、もう構えてやがる。交差して襲い掛かる月光の刃と血の刃を、空中から纏った炎で迎えたが――相殺には、至らなかった。
「かッッ――――!!!」
×字の切創を刻まれた体が、月面に叩きつけられる。
意識が朦朧とする。剣を握る手に力が籠らない。傷跡から蒸気のように抜け出ていくようだ。
二度目の死を迎えた俺の体は――腐剣は、朽ち果てて屍剣へと成り果てる。
今にも消え失せ、霧散しそうなソウルたちを、精神ひとつでつなぎ合わせた。
ゆっくりと歩み寄る奴に向け――立ち上がると同時に宙へ跳び、体ごと剣を縦一回転。未だ尽きぬ焔でアシュリィを斬り裂き、応える。
――飛竜は、たとえ屍を晒そうとも敗せず。
肉体を両断しかねない一撃はさすがにこたえたのか、ハーブ瓶を頭からかぶって治療していた。
致命は逃れても、重症には違いあるまい。だが――完治に時間をかけている場合ではないという判断は、賞賛すべきだろうな。
屍と化したことで、速度が増した。一撃の重みは失せたが、結ぶ連撃でお前を拘束できる。
満身創痍の手前に立つアシュリィの元へ、距離を詰め。
一閃、一閃、一閃、一閃――その肉体を、幾度となく斬り裂き。
最後に、噴出する焔をまっすぐに突き放ち――奴の体を、正面から穿ち抜いた。
*
生きれば生きるほど。
俺がここにいる意味を、考える。
箱庭戦争を共に生き抜いた姉妹たち。肩を並べ、背中を合わせて戦った彼女たち。
あいつらの中に、殺されてもいいと思ったやつは山ほど居た。
たとえ漁夫の利をクソ支配者にかすめ取られるとしても、俺たちは俺たちの居場所を守り続けるために戦い続けた。ひとり、またひとりと数を減らす姉妹たちの屍を受け止め、奴らに食われる前に、俺自らその魂を喰らい、受け止めた。
俺の中には。
四百を超える姉妹たちの魂が、今も息づいている。
「――アシュリィ」
切っ先を喉元に突き付け、俺は問いかける。
「支配者グリムを殺した後。お前は、どうするつもりだ?」
「…………」
「お前が持ついばら姫の権能を用いれば……空席になった白痴の座にお前が就き、世界を支える新たな白痴になることができる」
血反吐を噴き、燃え盛る風穴を腹に空けながら、アシュリィは答えた。
「……代償は……私の喪失……ってところ……?」
「白痴は、白痴だ。てめえ自身を認識することすら出来やしねえ。仮にそうなるとしたら、お前は自分のことすら二度と思い出すことはなく――世界を夢見続けることになるだろうな」
「はは……冗談。……私は、世界を救いたいわけじゃない……。……けど、救うのも悪くないかなって……思わないことも、ないよ」
「俺は」
「俺は、お前を殺して。お前の持つ権能を奪い去り、白痴になるつもりでいる」
「……ふぅん……?」
「俺は、全部覚えてる。今まで死んでいった、四百を超える姉妹のことを。誰ひとり欠かすことなく覚えてる」
「…………」
「白痴と化して、そして――その夢を見る。姉妹たちが……不思議の国の誰もが……平和に、穏やかに過ごす世界の夢だ。この先、決して有り得ない、終わることない幸せなエンディングを。俺が――創る」
アシュリィは笑うでも嘲るでもなく、静かに微笑んだ。
「そこに――私は、居るの?」
俺は、首を、縦に振る。
「あんたも一緒だ。みんなと同じように、ひとりの少女として生きる。だから頼む」
「俺に――あんたを、殺させてくれ……」
「――――母さん」
自分が発する言葉を、自分で聞いて。
馬鹿みたいな夢物語だと、自分でも笑えた。
けれど俺は、それこそを、ずっと求めてきた。
狩装束を纏い、顔を覆い隠し、意味も甲斐も求めずそうあれと生きてきた。
師が、そうしたように。
器になるには脆すぎる、ただの残滓が。ただの小娘が。
――最後のアリスとして、あんたの前に立つまで来たんだ。
「それも、いいかもね」
アシュリィは目を伏せ、くすりと笑い。
剣を手放し、その手を、スカートの内側へと忍ばせて。
「…………――ッッ」
勘づき、後退しようとした瞬間には既に遅く。
俺の腹には、冷たい機関銃の銃口が押し当てられていた。
砲身が回る。銃身が赤熱する。撃ち出される無数の銃弾が、俺の体を幾度となく貫いていく。
「ぐ――ぁッッ…………が――ぁぁああぁあああああああああッッ!!!!!!」
わずかに残った血液が、口腔から吐き散らされていく。
後退しようにも、足に力が入らない。上体を起こした奴が次に抜き放ったのは――螺旋を描く、風を束ねる剣。
つい先ほど俺がしたように、奴はそれの刀身に暴風を纏わせ――俺に向け、まっすぐに突き穿った。
「――――ッ!!!!」
吹き飛ばされ、砕け散った瓦礫のように月面を転がる。
どうにか立ち上がろうと仰向けに転がり、見上げた先に見えたのは。
「けれど――」
「――けれどね、ゲルマ」
白い、白い煙に似た聖気を纏った。
巨大な、巨大な――。
「私は、それでも」
「たとえ、この先、無限、永劫――死に続けることになったとしても」
「諦めて、立ち止まって、足を折ることだけは、しないッッ――!!!」
――車輪、だった。
「私を殺したいのなら――!! 私を殺してみろッ――!! 私を、止めてみせろッッ!!! ゲルマァァアアァァアアアッッ!!!!」
「――『サンドリアの聖女』ぉぉおおおぉおぉおぉぉおおおおおおおおッッッ!!!!!」
車輪が、迫る。
神が壊し、聖女を救った車輪が。
俺を、殺す為に。
伝話を広げ、それを構えるアシュリィと共に、落下する。
俺は。
俺は――
俺は――……………………
*
肉が、
飛び散った。
月面に叩きつけられた車輪は、巨大なクレーターを形成させると同時に砕け散り。
そこに横たわっていた女ごと、消し飛んだ。
――反動で舞い上がった、一本の剣が。
宙を舞って、回転を繰り返して――
ざん、と
月面に、突き立てられた。
「…………ッ、…………」
……飛竜の剣。
幾度となく刃を交わした、宿敵から生まれ出でた剣。
いったい、何百万、何千万の敵を斬り殺し続けたのだろう。
鮮血のように美しかったその刀身は赤黒く染まっており、ぼろぼろに欠けていた。
屍剣――そう呼ぶのがふさわしいと、思えるほどに。
「……」
肩で息をしながら、輸血薬をありったけ自分に叩き込み。
腹部に空いた風穴に、ハーブ瓶をありったけ振りかける。
血液が通い、肉が形成され、全身が癒えていくのを感じながら。
私は。
私のものではない鼓動が脈打つのを、感じていた。
――どくん。どくん。どくん。どくん
右手に、魔神狩りのノコギリ大剣を。
左手に、祈願の聖剣を。
構え、それを望む。
肉片ごと散らばった無数の白いソウルたちが、突き立てられた剣に集っていくのを。
そして集ったソウルたちが、ヒトの形を創り出す様を。
「……解っでる」
「解っでんだょ、ぞんぬごどぁ」
生来、言葉を話すことが酷く苦手だったその者が。
長い長い生を重ねて、強い想いとともに、明瞭な言葉を話せるようになった、彼女が。
ありのまま――口にする、言葉を聞きながら。
それに手をかけ、屍剣が、屍を乗り越えていく様を見届けながら。
「でも」
「生ぎぅごとも、ままぬらぬぇ俺が、何もがも、下手糞でじがぬがっだ、俺が」
――霊が……いや。
神が、覚醒める様を。
屍竜が、霊竜を超えて、神竜に成る様を見つめながら。
「はぜむで」
「守りてゐ夢ぎ、だきだんだよ――――ッッ!!!!」
私は。
「ヴゥウゥウゥウゥウゥゥゥウウァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!!!!」
その咆哮を。
その魂を。
その全てを。
受け止める、覚悟を決めた。
*
誰も皆。
生まれたばかりは、非力で、矮小で、脆弱な赤子から始まる。
ヒトは善なる生命でも、強い生命でもない。
その有様が、命にすら見捨てられた不死ならば、尚のこと。
灰の少女は、生まれながらにして死に見限られていた。
幾度死を経ようと、自らに終わりが来ることは無く。
ただ続き続ける『先』だけが、彼女にもたらされたものだった。
ただの少女でありながら。
生まれながらにして、その生のすべてが報われないことを、約束されながら。
少女は、歩みを止めないことこそが、お前の持つ唯一絶対の力であると。
『師』に習い。
『死』に導きを見出し。
生きる力と、
活きる力を、そこに顕した。
矛盾の体現である。
今尚、剣戟を結び合いながら戦い続けている、神竜と成った竜狩人ですら死を恐れる。
魂さえ残っていれば蘇る、同じ不死の存在でありながら。
死を恐れるが故に生き続け、戦い続け、ここに在り続けた。
――灰の少女は、それを『導き』とする。
来る死の確信。死の定め。それは導きであり、それを経た後に、自らは一秒後の生存を勝ち取る。
幾度となく死に続けては蘇る、生命への冒涜、そのものが。
誰よりも強く、誰よりも眩い生の輝きを内に秘めている。
不死でありながら、
生命を抱き続ける、
矛盾することのない、矛盾。
故に彼女は、灰の少女。
その両者を結び束ねて存在する、彼女の両手に握られる相反する剣は、必然に。
神竜ゲルマとの死闘の最中――二重の螺旋を描いて結びつく。
幾度となく命を奪い続け、幾度となく命を助け続けた彼女の元。
その滾り尽きぬ闘志と、息吹を顕す、その剣は。
神を両断せしめる、
死闘に決着をもたらす、
紅と白の二重螺旋を描く――その剣の名は
「ゲルマ――ううん」
「――宿敵よ」
「地獄で――また、逢おう…………ッッ!!!」
『灰のブレイス』
脈動する二重螺旋を描く紅黒と蒼白の剣
誓約、あるいは殺害数を重ねるほど力を増す
穢れなき祈りに穢れに満ちた血が通うそれは、
まさしく少女の息吹であり、滾り尽きぬ覚悟であった