世界を創り直すことも、虚無に還すこともなく。
私が求めたのは、自らの安寧の地。
それさえあるのなら、それ以外など必要ない。
――支配者グリムを屠った後、私は。
この箱庭を継承し、その地で不死の生を送り続けることを決めた。
D END
reamin the thorn princess
【灰の姫君、アリミア】
*
最の都とは何か?
それを一言で説明するならば、アリス達の街である。
無論と言うべきか……最の都に関して、私はよく知らないというわけでもない。
そもそも最の都の起源は、概念として記録された無数のアリス達――即ち、私の周回によって生まれ落ちた無数の「私」の残滓達が暮らせるようにと、盤上世界の主の好意によって創造された混沌の一区画である。
私も暫くはそこで暮らしていた。広い広い街と、それを見下ろす形で建造された、巨大な中央階段の向こう側に鎮座するこれまた大きな屋敷が私の住まいだった。さながら城と城下町のような形だったが、私と彼女たちの間に格差は無く、来る日々を思い思いに過ごしていた。
――収束する私の未来、私の可能性が、この白く美しい街並みに集約されるというのは。
つまりはあの街こそが、私が抱える未来や可能性のすべて……限界点だったということなのだろう。
私が抱える可能性、私が至る未来。
それが最の都ということは、終ぞ私は、私という生き物は、夢より旅立って現実に赴くことはなかったのか。
街路を往き、並ぶ家屋の内を窓越しに見やれば、そこには暖かな家庭があった。
どこかで見覚えのある女性が、子供を抱えて幸せそうに笑っている。
道行く者たちの誰一人として、私を認識することはない。ぽつりぽつりと歩く人の波を縫いながら歩き進めば、やがて私の足は最の都の中心部へとたどり着いた。
丸い花壇を中心に広がった、四つの道に分岐する地点。
その花壇の縁に、茨の冠を被った女性が腰かけていた。
*
アッシュ=リィンという存在は、ひとつではない。
混沌の最後の娘として産まれ、白痴の権能すら我が物とした存在に、時間軸や並行世界といった隔たりは意味を為さない。しかし少女であるが故に、その時間軸や並行世界の影響を受けることで、単一でありながら複数の未来、複数の姿を持つ者として、完成した。
自らを返り見ることで見えたものがある。
自身の未来は、大きく分けて七つ。その内の三つが敗北により終わるもの。そして四つが、勝利により続くものだった。
四つのうちの一つが、私。即ち、残る三つが――
この可能性の世界、『最の都』において対峙する者たち。
白痴を継承し、世界を創り直した『私』……灰の母君、サンリエーロ。
世界ではなく、箱庭を継承した『私』……灰の姫君、アリミア。
手順の一切を無視し、ただ力のみで支配者グリムを屠った『私』……灰の暴君、クインウドル。
この都には、その三人が持つ未来の形が顕れていて。
私が居るこの区画、住民の誰もが笑顔で幸せそうに道を行き交う箱庭は、誰のものか。
目の前の、花壇に腰掛ける『私』は誰なのか。
――その私は。
何を望んで、ここに居るのか。
「狸寝入りとは、感心しないね」
私は、目を閉じたままこちらを見つめて来る彼女へ、そう声をかける。
「でも、解るよ。惰眠は心地いいもの。見ている夢がこれなら、尚のこと」
彼女は相も変わらず目を閉じたまま、自身の膝を撫で。
こう、と手を光らせ――杖を握った。
いや、あるいは鍵と呼ぶべきだろうか? ……その杖の名を、私は知っている。
「だからこそ――」
「おぞましい目覚めが必要なのでしょう?」
彼女は――。
私が口にするよりも早く、私の言葉を口にした。
*
「そう、そう。それはまるで、眩い明日を忘れるような」
すっくと立ちあがる彼女の体躯は、私よりも頭ひとつ大きかった。
二つに結んだ長い灰色の髪。誇りをかぶったよれたドレスは、彼女がここに座り続けた長い時間を表すに十分だった。
灰の姫君アリミア。やがて私が至る未来のひとつ。私が選び取る可能性のひとつ。
アリミアはゆっくりと瞼を開くと、エメラルドによく似た瞳の表面から、つう、と涙を流した。
涙は絶えず流れ出て、いくつもの筋となって彼女の頬を伝い続ける。
「……ああ、ああ。気にしないで、アッシュ。目を開けるとどうしてもね、まぶしくて涙が止まらないの」
「…………そう」
その素っ気ない返事以外、私にできることはなかった。
可能性の街、最の都。
そこに座す三人の私。
それを殺すことで、完全な自死と、完全な混沌の消滅が成る。
それは即ち私の終わりであり、彼の勝利であった。
だから私は――この身に代えてでも……彼女たちを、殺すつもりだった。
戦う、つもりだった。
けれど。
「あら、あら……どれくらい寝てたのかしら……。随分ほこりを被っちゃったわ。この街にいると……どうしても……誇らしくって、埃被ってしまうのね」
両肩に積もった灰色をしたそれを、ぱっぱと払う彼女の、あまりにも力の抜けた動きが。
絶えず彼女の目からあふれ出す涙が。
私の心に、ふつふつと困惑をあふれさせた。
「ねえ、アリミア」
「うん、うん。どうしたの、アッシュ」
「私は、あなたを殺しに来たの」
アリミアは小さく微笑んだ。
「ええ、ええ。知っているわ、アッシュ」
「なら――」
「でも、でも……直ぐでなくても、いいでしょう? 貴女が割り込んだのは一瞬の認識、その寸前。最の都に時間は流れていないわ。あるのは日常という結果だけ。流れているように見えるあれらは全部、そうなるであろうという結果だから。アリミアという可能性がある限り、映し出される影のようなもの。だからね、アッシュ」
そして彼女は、やせ細った手の先を私に向けた。
「歩きましょう? この街を」
*
これが。
これが、私の未来なのか?
「ふふ、ふふっ。元気ね、みんな。あそこの喫茶店は、子供がたくさん遊びに来るって評判なの」
「…………」
「そう、そう。あのお家のお姉さんね、妹が先に結婚してしまったのだって。家庭なんていらないって言っていたけれど、妹の子供を抱くと……やっぱり恋しくなるみたい」
「……アリミア」
「なあに?」
「どうして、泣くの?」
この、あまりにも暖かすぎる冷たさに満ちた街が。
この、絶えず涙を流すあまりにも矮小な少女が。
支配者を屠り、新たな箱庭の支配者となった私なのか。
「……まぶしいの。この街並みが、すごくね」
白い街だ。清潔という文字を地で行く世界だ。
大きな風車が回っている。向こうには大きな聖堂があって、大きな鐘がある。
時間が流れているわけじゃない。約束された平穏というものが、形を成しているだけだ。
ここには、過去も未来も何もない。
時間に置き去りにされた街だ。
生にも死にも見放された私が創る……街だ。
「私はね。もう、もう……箱庭の形を、思い出せないの。……すごく恐ろしかったと思う。すごくおぞましかったと思うの。けれど、けれどね。この街の明るさが、真っ白な家々が、私の記憶を塗りつぶしていく。もともと……そう……なんて、名前だったかしら……」
「……ワンダーランド、のこと?」
「そう、そう! ワンダーランド、そうだったわ。私が奪ったのよね……平和な街が欲しくて、平穏な時間が欲しくて、やさしい、明日が欲しくって……。その一心だった。だから私は、彼を殺した後、不死の生をここで送り続けることを決めた。街並みの復興に尽力した。結果として、この最の都が出来上がった」
しんしんと雪が降り積もるような、少しずつ積み重なる言葉でアリミアは意味を紡ぐ。
ワンダーランドの狂気のすべてを拭い去り、この平和な街を創り出した。
そうだ。
私は、思い出す。
彼女が、彼女に至る道を。私自身の可能性を――未来のひとつを思い出す。
道行く人々の誰もが、私を認識しない。
至極当然な帰結だ。創造者は被造物に認識されない。どこにあろうと、どこを行こうと。
創造者は創造者である限り、自らが創り出した創造物に触れることはできない。
「ええ、ええ……私は確かに求めたわ。私の平穏を。私の日常を。そうして得たものは、形作ったものは――『形作られたもの』でしかなかった。とてもきれいな街。とてもしずかな日常。そこに生きる人々はみんな幸せで、誰もが平和に暮らしてる。そう、そして」
彼女が花壇に腰掛けて、永い時を眠って過ごしていたのは。
「誰も、私を、知らないの」
――そうする以外に、なかったからだ。
「箱庭を継承して――永遠の平穏を得て――漸く、私は気付いたの。叫びたくなる孤独と、目を背けたくなる絶望と、はじめからそこにあった喪失に気が付いて――泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて」
アリミアはそこで私から手を放し、数歩先へと進んで、私に背中を見せる。
小さな背中だった。
「あまりのまぶしさに、涙が止まらなくなって――やっと、知った」
そして彼女は、後ろ手に手を組み、くるりと振り返り。
にっこりと、笑って見せた。
「私は、創造者じゃなくて――」
「――『女の子』になりたかったんだ」
その笑顔のあまりの眩しさに。
目がくらんで、涙が溢れた。
*
やがて、二人の足は大きな神殿に辿り着く。
大きな大きな城へと繋がる、巨大な中央階段の入り口に建てられた神殿。
その中は、ステンドグラスから差し込む光で照らされていて。
敷かれた長く赤いカーペットの先に、巨大な扉があった。
「アッシュ」
「……うん」
「最の都の最奥部。あなたの家があったところ。クインウドルはそこであなたを待っている。そして、その頂上で――サンリエーロは、この街を孕み続けてる」
灰の暴君。灰の母君。
単身で支配者グリムを屠った私と、白痴を継承した私――。
「サンリエーロにとっての終焉は、自らの目覚め。そのお腹を大きく膨らませて、あらゆる未来、あらゆる可能性を孕みながら、眠り続けることで保っている。その目覚めを防ぐために、クインウドルはあなたの前に立ちふさがるわ」
「……」
「全く、全く……可笑しな話よね……。ただの少女が白痴になるのよ。そうして目が覚めれば、自分自身の目覚めで自分を滅ぼしてしまうんだもの。本当……可笑しな話」
扉の前にアリミアは立つ。
わずかな闘志を宿らせて。
けれどその闘志は、吹けば消え失せるような灯火に等しくて。
「アリミア」
「なあに」
「最後にひとつ、聞かせてくれる?」
スカートの内から落下する剣の持ち手を、踵で蹴り上げて。
くるりと宙に舞ったそれを、左手でつかみ取る。
「ええ、ええ。構わないわ」
「……どうして私を、『
私の名は、アッシュ=リィン。
灰より生まれるが私の名だ。
そして、あなたの名前でもあった。
アリミアはこくりと頷き、問いに答える。
「あなたが望むのは自らの死。自らの終焉であり終演。故にあなたはアッシュなの。それはあなたの半分の意志。もう半分の意志を、あなたも知っているでしょう?」
……私の、意志?
「それは――」
「さあ、さあ。お喋りはここまでよ、アッシュ。行くというなら行きなさい。逝くというなら逝きなさい。生くというなら――生きなさい。あなたが未来を選ぶというなら、選び取りなさい。けれど、忘れないでね」
「その選択をするということは、それ以外の選択をしないということ。その道を選ぶというのは、それ以外の道を滅ぼすこと。さあ――お手を拝借、アッシュ。私を、あなたの足跡を刻む砂のひとかけらに」
「……」
ずっと――。
ずっと、待っていたのだろう。
この選択をした、自分自身を否定してくれる、自分自身の存在を。
間違いだったとは思わない。事実箱庭はこの上ないほど綺麗で平穏な世界に生まれ変わった。
それでも、それでもと思うことを辞められなかった。
自らが本当に選びたかった道の存在が、頭の片隅にこびりついて離れなかった。
だから彼女は目を閉じた。
世界の眩さに、顕れる事実の残酷さに目を背けるために。
――そのエンディングを、見続けることを拒んだ。
灰のブレイスを、その切っ先を天に向け。
ルルイエの杖を振りかざさんとする彼女に向かい、返答をする。
「アッシュ。あなたが行く道の果ては――きっと、
「どうか、迷わないで」
「まっすぐに――生きて」
「アリミア」
「有難う」
それを、振り下ろしたその瞬間。
扉はゆっくりと開かれて。
その前に立つ少女の体もまた、真っ二つに裂け落ちた。
*
最の都が、崩れ落ちる。
永遠の平穏と安寧を紡ぎ続けた白い街は、灰塵となって吹き飛んだ。
最の王城の正門に立ち、ゆっくりと後ろを振り向けば。
眼下にはただ、夢のあとだけが残っていた。
――私の否定。私の殺害。私の、終演。
私はこの箱庭に、在るべきものではありえない。
そんなこと、生まれる前から知っていた。
向こう側に至った灰たちは、故に。
幸せなどでは、ありえない。
(だから)
そうだ、だから。
時間を止める以外に、幸せになれる術などないのだから。
私は、突き進む。
(だから私は、私を終える)
ゆっくりと開かれる正門の向こうへと、足を運ぶ。
この選択をし続ける。
(円環が無限に昇華してしまう前に、その流れを断ち切るの)
終わらない物語に、終わりをもたらす為に。