戦いは、轟き渡る金属音から始まった。
片方は朽ちて欠けた刃を用いて。
片方は完全なままのそれを用いて。
ぶつかり合った刃と刃が響かせた轟音は、内に秘めたる互いの意志を顕現させるように巨大であった。
灰が吹き飛び、宙を舞う。
少女と少女が踏み出し、過ぎ去った空間に線を描き、吹き荒れながら空を染める。
生きたいという欲望と。
終えたいという願いが。
ただ只管に、互いを滅ぼさんとし続けた。
――アッシュ=リィンとは何か。
それは、
アッシュ=リィンとは何か。
それは
アッシュ=リィンとは何か――。
それは
生き行く旅路の果ての果てに。
『自ら』を求め続けた、少女である。
アリスと呼ばれ、その身を食い荒らされようと。
グリムと呼ばれ、その身を磨り減らされようと。
自らを苛む
その身と、
その背と、
その心に。
――リィン・カーネイションは童話を広げる。
生きようとする想いの強さは、即ち彼女が持ちうる強さであり。
終えようとする願いは、ここで生まれた新たな意志であるために。
アッシュ=リィンが行使した、生きるための手段を持ち得ていなかった。
「『オズの魔法使い』ッッ!!!」
虚空に現れる琥珀の影が、杖を振るって
リィンが放ったその爆風を、切り裂くことで潜り抜け――届けようと放った月光は、
「『ジャンヌ・ダルク』――!! 『サンドリアの聖女』ッッ!!!」
曇天を裂き、降り注ぐ無数の車輪。
一手でも後手に回れば、後はない。放つ月光閃はいくつかの車輪とともに、リィンの体に傷を刻み付け――同時に、その代償として、アッシュの左腕が撃ち漏れた車輪に削り取られた。
その傷口から無数の茨が溢れ、結び付くことで骨を、筋繊維を、そして皮膚と成り変わる。アッシュの腕、リィンの腹部、その両方がともに茨によって塞がれた。
「『女王エリザベート』……!! 『マッチ売りの少女』ッ!!!」
間髪入れず撃ち出される、混沌の爆炎と黒の波動。
それは十字を描いて交差し、いびつな逆十字がアッシュの体目掛けて飛来した。
刃を振り下ろし、それを受け止めるが、勢いは死なず。
「『従者ヴィクトリア』――!! 『黄金のガチョウ』――!!」
浮かぶ二つの琥珀が、逆十字に力を与え。
「『断罪者ミランダ』ぁぁあああッッ!!!!」
叩き落される巨大な斧が、それを起爆させた。
吹き荒れる灰の嵐、その内側から、小さな少女の体が放り出される。
肌は焼け爛れ、四肢のいくつかは欠け、瞼と唇が剥がれ、瞳と歯がむき出しになっている。
その手には未だ剣が握られていたが、立ち上がることはままならなかった。
リィンはそれを見下ろした。
アッシュはそれを見上げた。
互いは互いに、心の内に何故を問う。
何故、戦っているのだろうと。
相対するそれは、自らではないのだろうか。
私/わたし達は如何様にして、反発し、そして刃をぶつけ合うに至ったのだろうかと。
先に問いかけたのはリィンだった。
湧き出す茨が欠けた部位を修復し、剣を杖に立ち上がるその者へ向け、叫ぶように問うた。
「あなたは――どうして」
「そんなになってまで、死にたいって言うの?」
剣を逆手に構え、アッシュは考える。
死にたい? 死にたいと言ったか、彼女は。
それは正しいのか。
私は、死にたいから、ここに居るのか?
「違う」
未だ形を持たぬ意志に、断言できるわずかな思いを乗せる。
それは違う。
私は。確かに、生きたい。
「私は――死にたいなんて思ったことは、一度たりともないよ。……リィン・カーネイション」
その姿が不愉快極まると言わんばかりに、リィンは顔を歪め。
アッシュは逆手に構えた灰のブレイス、その柄から、奔流する青白い光を迸らせた。
欠けた剣で、リィンはそれを斬り払う。
ならば何だ、と。
お前がわたしの前に立つ理由はどこにあるんだと。
(わからない)
かつて、誰かが得意としたようなその魔術。
溢れ続けるソウルの奔流、その内を共に流れるように、アッシュは走る。
(私にだって、まだ、わからないんだ)
(自分が、生きたいのか、そうでないのか)
(だって、この行いは――結局…………)
それでも、自らがした選択と、その歩みを止めるわけにはいかないと。
より接近すると踏まえたリィンの隙を突き、アッシュは灰のブレイスを伸縮させた。
薄くしなやかに伸びる二重螺旋の刃は、かつて誰かが愛した気がする剣によく似て。
かろうじて身を躱したリィンの首を、しなる剣先がわずかにかすめた。
迷いが敗北を招くと知って、それでも迷わずにいられない。
自分の行いに正否など存在しないと知って、それでも疑わずにいられない。
私とは何だ? 私が取るべき選択とは何だ?
私は――何を、目指しているのだろう?
思案にふける時など与えてたまるかと、リィンは一冊の童話を開く。
それが不味いものだと感づいたアッシュは月光を放つが、既に遅く。
「『灰の少女』」
放たれた明かりは、その少女たちの最後尾に立つ誰かに掻き消された。
乱れた息と、上下する肩をそのままに。
修復が間に合わないほどの消耗と傷を受けたままの彼女の前に、それは展開されていく。
はがれ落ちた魂から生まれた、自身が産み落とした残滓たち。
四百と、二十七の、少女の軍勢。
(これを)
互いの視線だけがそれを乗り越えて、結び合う。
(越えた先に、何が、待つんだ?)
答えてくれるものは、どこにも居ない。
それが歩みを止める理由にはならないと、アッシュは駆けた。
軍勢の中を泳ぐように駆けた。
自らに無数の刃と銃弾が突き刺さろうと駆けた。
溢れ出す血液のすべてを刃へと変え、それが少女たちを斬り裂いた。
かつて自身が、物語の結末を迎えるためにともに戦った少女たち。
生きるために行使した彼女たちの力。その全てが、自らを否定しようとも。
彼女の歩みは止まることなく。
燃え盛る血飛沫を纏った月光閃が、その軍勢を斬り裂き。
少女たちの壁がわずかに失われ、視線の先に目標を見定めた瞬間。
(……………………)
自身の血に塗れた、その目に映ったのは。
高く掲げられた、朽ちた二重螺旋の剣と。
その切っ先に纏われる、膨大な力の奔流。
リィン・カーネイションが放つ、決意の形。
「お前には、越えられない。越えさせない」
「これは、わたしの物語だ」
「――お前に終わらされて、たまるか」
それを見た次の瞬間には、体が叫んでいた。
灰のブレイスの螺旋にすべてを纏わせ、迎え撃たんとそれを構え。
全身に刻み付けられる銃創にも切創にも見向きすることなく。
けだもののように、アッシュは咆哮した。
「『
「ぅぅぅうううぁあああああああああああああああああああああッッ!!!!!!」
その叫びと、放たれた光が入り混じり。
世界は、静謐と純白に閉じ込められた。
*
……。
かり、かり、かり、かり
…………。
かり、かり、かり、かり
「ねえ」
「何を、しているの?」
そこは、いつか見た図書室の夢の中。
彼女はなにかを書いていた。
「もうずっと、物語を書いている」
「ずっと?」
「ずっと。起きることができないからね……」
話している間も、彼女の手は止まることなく、物語を紡ぎ続けていた。
私は、たぶん、それこそが彼女に許された、唯一の行いなのだと知った。
「ようし、出来たよ」
そう言うと、彼女の手には一冊の本が出来上がっていた。
彼女はそれを私に差し出すと、読んでみるかいと言った。
手に取り、ひろげてみると。
何のことはない、何の変哲もない、誰かの人生が綴られていた。
「これを、ずっとひとりで」
見渡せば、図書室には無数の本が並んでいた。
どこに目をやっても本があった。
「ひとりひとりの命を描いているんだ。夢を見るだけじゃ、くちゃくちゃになっちゃうからさ。ちゃんと形にして、それから産まれてくるように」
「…………」
物語の終わりは、決まって「死」で締めくくられていた。
目につく本を手にとって、どれだけ読み漁っても、「死」以外の結末で終わっているものは存在しなかった。
「あなたは」
「うん?」
「さみしく、ないの?」
彼女は、くしゃりと笑った。
「寂しいに決まっているだろう。何せ、その物語のどれかひとつにすら、僕は介入することができないんだから。書き手というのは、永遠にひとりきりなんだ」
この夢の中に、数多存在する無数の物語。
それらは皆、死という結末で終わっていた。
私には、ないものだと思っていた。
だから羨ましいのだと感じていると。
だから死にゆくものが、朽ちていくものが美しいと感じるのだと。
「なあ――アシュリィ」
「君は、死にたいのかい?」
彼女の言葉に、私は首を横に振る。
「違う。違う」
「ここにある物語たちと同じように、君も、君自身の物語を、さっさと終わらせてしまいたいのかい」
「――違う!!」
私は。
――私は!
「羨ましいよ……憧れるよ……そんな輝きに! 一瞬の閃光に! 幾度も心惹かれたよ!! だけど――それは違う!! 私は!!」
「……君は?」
胸に手をあてれば、鼓動が聞こえる。
不死の体でありながら、活動を行っている。
それは確かに生きていると、思えた。
「――『女の子になりたかった女の子』に会った! 『自由でありたかった自由な王様』に会った! そして今……『幸せでありたかった、幸せな作家』に会った! それらは、みんな私だ……私の結末だ!!」
不死でありながら、神でありながら、人ならざる何かでありながら。
それでも私は、私として生き抜いた。
私は、どこまでも、私であり続けた。
「求める必要なんて、最初から無かった……!! 羨む必要も、憧れる必要もなかったんだ……!! だって、私は……私は!!」
私は。
私は!!
「――そうなろうとするまでもなく……!!」
「誰よりも自由で、誰よりも幸せな――女の子なんだから!!!」
私は――アッシュ=リィンだ。
誰でもない、ただひとりのアッシュ=リィン。
アシュリィと呼ばれた、命のひとつだ。
ここに並ぶ、無数の生命たちと同じ。
産まれ。
生きて。
そして、死ぬ。
容易く壊れ、容易く喪われ、容易く終わる。
だからこそ、その歩みには至上の価値がある。
そんな命の、ひとつなんだ。
――そうだ、だから。
「自由で、幸せな女の子のまま、終わるのなら」
「君は君のまま、背負った定めにも屈しないまま」
「――君という命として、完成する」
だから。
終わりを見失い、生き続けようとする自分自身が、許せなかった。
私は命で、私は少女なのだから。
命のまま、少女のまま、終わることが必然なのだから。
そして、それを成すことが。
私という存在が、『終わる』ことができると示すことが。
停滞し、死んだ未来へと至った――三人の私を、唯一救い得ると、信じた。
――サンリエーロは、静かに微笑む。
「君は君だ。君は僕じゃない。僕は僕であることを選んだが――君は、君であり続けた」
「ならば、往く道はひとつだろう?」
答える代わりに、私は歩く。
篝火のもとへと、ひとり、歩く。
「さようなら、僕の光。僕が選べなかった道の果てを往くもの」
「――愛しくも恨めしき……アッシュ=リィン」
そこに突き立てられた、篝火を創るものに。
私と、ずっと共にあり続けてくれた剣に。
手を差し伸べて、それを握る。
「終えるとは、果たすことだ。そして、果たすことと、成すことに――違いはない。生きるとは死ぬことだ。死するとは、生き切るということだ」
「君は、アッシュでも、リィンでもない」
その激励を、背に受けて。
「さようなら。アシュリィ」
「またいつの日か。サンリエーロ」
私たちは。
互いに、互いの道へと、還る。
*
目を、覚まし。
意識を、取り戻し。
灰の中で、眠っていたことを思い出す。
「…………」
背中に乗っかった、灰たちの重さを感じながら。
ゆっくりと、立ち上がる。
「……もういい」
そして。
眼前の、遠方に立つ、その人影を見る。
「――もういいでしょう……!!!」
叫び、私を拒む、彼女の姿を。
「何度立ち上がるの――どうして倒れないの――!? そんなにも、そんなにも自分の命が恨めしいというの、あなたは!!?」
この瀬戸に来て。
サンリエーロの言葉を受けて、漸く理解できた。
生きようとする欲望。その意志。
それの正体が、リィン・カーネイションが何であるかを。
「そうまでして死んで――いったい何になるのッッ!!? わたしはただの贋作で!! 失せたところで何かが変わるわけでもない!! だから生きなくちゃ……!! 生き続けて、生き続けて、そうしてはじめて何かを果たせるんだから!!!」
――彼女は、私が持つ、『不死性』そのものだ。
私が死んだとき、篝火から私を蘇らせるもの。
生きようとする意志、というよりも。
生きさせようとする執着、そのもの。
ああ。故に。
故に、最後の遺児……『リィン・カーネイション』と――。
「贋作なんだよ、贋作なんだよわたしは!!! 貴女はッッ!!! だから、だから何かを残さなくちゃ――!! はじめから意味を持たないで生まれてきた命なんだから……いつまでも、いつまでも生き続けて、生き続けて!! ――せめて夢のひとつでも叶えなくちゃ、生まれてきた意味を得られないじゃないッッ!!!」
夢とは、なんだろう。
素敵な男性に出会い、手を繋ぐことか?
お腹を痛めて産んだ我が子に、指を握ってもらうことか?
リィンは、何故と叫ぶ。
何故、死のうとするのか。
何故、何も残そうとせぬまま終えようとするのか。
何故――終わらぬ命を、終わらぬままにしないのか。
決まっている。
……私は、知っている。
「その夢は、叶わないの」
「……――――」
「私が生きている限り。私が生きる限り。私が幸せになることは、あり得ない」
「やがて私は神になる。得られない幸せを得ようとして。その夢を追いかけ続けて。叶えるために箱庭を創り――」
「『アリス』となって、『グリム』を求め続ける」
「だから、終えるの」
「私が、私であれる最後の時間に。私であり続けながら、幸せに終わるために。自由で、幸せな女の子のまま――私は、私を終える。私を果たす」
「それが……その最期こそが」
「私という、命にふさわしい」
――知ってるよ。
私が贋作だということは、いやと言うほど知っている。
慟哭とともに飛来する剣を受け止め、弾き飛ばして斬り返し。再度、斬り結び合いをはじめて答える。
私は何も残せない。私は何も創れない。
私のすべては後追いだ。この世界の基となったその場所に、私の居場所はどこにもない。
だけど、それでいい。
「私は」
何も残せなくていい。
何も創れなくていい。
私は、どこにもいなくていい。
「私の名は――アッシュ=リィンだッッ!!」
それでも私は、ここにいるから。
居場所なんて必要ない。
だって私は、ここにいるから。
私が歩んだ道はここにある。
私が描いた物語は、ここにある。
私は、今。
ここに、生きている。
「……嫌だ、嫌だ」
私は私を信じている。
私が私という命だと信じている。
誰に求められなくても。
誰に赦されなくても。
誰に受け入れられなかったとしても。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッッッ!!!! 生きたい、生きたい、生きたい生きたい生きたい生きたい生きたいぃいああああぁぁあぁぁあああああ!!!!!!」
私が私を信じる限り。
私は私であり続ける。
誰のためでもなく、ただそこにあり続ける。
そこに、贋作も原作も存在しない。
アッシュ=リィンは、ここにいる。
「だって、だって、わたしは、わたしは、まだ!!! まだ、何も――――!!!」
私が、私を信じる限り。
私は。
唯一孤高の、アシュリィという少女で在り続けられる。
「何も――果たして、いな――――!!!!」
灰に拭われて消えていく、その涙、めがけ。
私は、私の決意を形にする。
あざやかな彩に満ちた、その想いを。
灰から生まれ、光と至ったその魂を。
「ぁ――――――」
さよなら、私の未来。
私の命。私のすべて。
神となり、無限に続いていく、私の可能性。
――ああ、でも。
ひとつだけ。
もうひとつだけ、願いを重ねるなら。
もしもどこかに、私を見ている者が居るのなら。
私の想いを、私の心を、私の物語を知るものが居るのなら。
そこに――居るのなら。
私のすべてが。
「あなた」にとって。
贋作ではない、本当の輝きに、満ちたものであれば――嬉しい、な。
灰のブレイスに纏わせた、その全てを。
下方より、上方へ向けて振りかざす、逆袈裟によって放つ。
「――――『
その輝きは、悲劇を塗りつぶす。
可笑しなだけの、悪趣味な夢たちを消し飛ばす。
それらは、私を形作る、確かな私の一部であることを、知りながら。
ここに終わる、そのすべてが。
私が築き、紡ぎあげた物語が――永久に朽ちぬ魂が。
”BLACKSOULS”であることを、知りながら。
それでも、私が迎える終演は。