細い指と櫛が、灰色の髪を梳く。
旅路を往く中でくしゃくしゃになった髪の毛が、もとの艶やかさを取り戻していく。
撫でるように優しく髪に触れる、その手の感触を感じる度
私は…………少女、なのだと
心の内で、ふつふつと
喪っていた実感が取り戻されていくのを感じた。
*
「よし、とっ……こんな感じでよかったですかぁ、グリムさん……?」
年季の入った手鏡を渡されて、そこに映る自分の顔と髪を見る。
うん……充分だ。ありがとうビル、微笑みと一緒に礼を伝える。
「いえいえこのくらいっ!僕も身だしなみには特に気を使いますから……少しでもお力添えが出来たなら幸いです~」
大聖堂内の一区画、翼の生えた馬の像が目を引く小部屋。その中心に置かれたベッドに二人並んで腰を下ろし、他愛もない話を続け、体感的にそれなりの時間が過ぎた頃。
話の途中で妙におどおどとした様子になったビルが、退屈していないだろうかと私に問うてきた。私は、そんなことはない……と言ったものの、彼は何もしないということに落ち着かなさを感じる性格のようで、しきりに何かをさせてくださいと頼み込むものだから、それならば……と、暫く手入れを忘れていた髪を梳いて欲しいと頼み、今に至る。
「あ、ありがとうございました~。元の場所に返しておいてください、お願いします~」
そう言って、ビルは丁度部屋に足を運んできた蛇人に手鏡と櫛を手渡した。この道具は彼の私物だろうか。持ってくるときもあの蛇人に頼んでいたし、蛇人もあの下半身で器用に移動しながら持ってきてくれた。
下半身は蛇で、上半身が人。腹部は削り取れたように骨と内臓がむき出しになっているあの生き物は、蛇神の教えに従い蛇と己とを融合させて生まれた教徒なのだという。混沌とした狂気を感じる話であるが、無神教の狂信者である私にとってはさほど興味深いものでもなく、襲ってこなければそれでいい、そう考えながら蛇人の背中を見送った。
「大聖堂の信者さんたちはみんないい人なんですよ~。ああやって、ちょっとした手伝いならしてくれるんです~。毎日お祈りもしてくれますし……巫女として、嬉しい限りでして」
いい人……というか、巫女であるビルに従っているだけなんじゃないのか。
それに、そういえば……巫女、なのか?教祖ではなく?
「とんでもない!僕なんかが教祖だなんて、おこがましいです~。僕はただ、蛇神さまの声を聴いて、それを教徒の皆さんにお伝えする役割を担っているだけですから……巫女でいいんです!巫女がいいんですよ~」
最後に本音らしきものが漏れた。それが理由だろうか。
聖堂内部の信者たちの様子を見る限り、彼がどのような役職を名乗ろうが大差はなさそうだ。彼の意を尊重し、私もビルを巫女と呼ぶことにする。
皆が手伝いをしてくれるのは、ビルが巫女として立派にやってくれているからだろうね。
何の気なしにそう口にすると、ビルは顔を赤くして戸惑い、驚き……謙遜したのち、ふにゃりと照れ臭そうに微笑んだ。あんまりに情けのない顔に、つい私も笑ってしまう。
くすくすと互いに微笑み合う、気の抜けて暖かな時間。
前に、こんな時間を過ごしたのは……いつのことだろう。
「……グリムさん?」
口角をわずかに持ち上げたまま、ふと口を閉じて静かになる私の顔をビルが覗き込む。
なんでもない。咄嗟にそう伝えたが、ビルの顔は依然としてどこか憂いを帯びていた。
「…………。」
そっと目を閉じ、そして開く。
同時に笑顔を消しながら。
――そろそろ、行かなきゃね。
「ぁ……」
あまり長いこと、彼のお世話になるわけにもいかない。
休息はもう十分だろう。立ち上がって、こちらを見上げるビルに礼を言う。
「……グリム、さんは……これから」
たどたどしく話題を繋げようと試みる、ビルの言葉に耳を傾ける。
「その、これから……どこへ……向かわれるんですか?」
紅城フリッセル。
そこに、たぶん……探し人、あるいはその彼女の軌跡があると私は踏んでいる。
「大事な……ひと、なん、ですか?」
いいや。会ったこともない。だが彼女が何者なのかは、おおよそ見当がついている。
少なくとも――彼女を追うことが、私の旅に意味を生んでくれることに違いは無い。
「…………。」
わけはわからないだろう。でも、それでいい。
私が足を動かす理由なんて、そんなものだよ、ビル。
――暫しの沈黙を挟み、ビルは懐から一枚の紙を取り出した。
それをくるくると丸め、糸で縛り、私に差し出す。
「グリムさん、これを」
これは?
「これを門兵さんに見せれば、通してくれると思います。頭のおかしい二人組なので、保証はできませんが……僕にできるのは、これくらいですから」
通行証……だろうか。
ありがとう。礼を言って深く頭を下げ、それを懐にしまう。
「いえいえ、そんなっ!……でも、ぁの……わ……渡すかわりに、なんてっ!おこがましいかもしれませんが、あの、その…………」
わたわたと口ごもりながら、それでもなんとか言葉を口に出そうとするビル。
……終始せわしないな、この子は。
「また……その。ここに……遊びに、来て、くれませんかぁ……?ぉ、お茶くらいなら出せますしっ、いつでも門は開けておきますからっ!」
……なんだ、そんなことか。
構わないよ。ここには篝火もあるし、来ようと思えばすぐ来れる。そう伝えると、ビルの顔はみるみるうちにぱあっと明るくなった。
「ほ、ほんとですかぁっ!?ぇへへ、よかったぁ……ぼく、こうやってグリムさんとお話するのが楽しくって……またぜひ話を聞かせて欲しいなぁって思ったんです~っ」
そっか。そう言って貰えるのは嬉しいな。……だから門の鍵は閉めておきなさい、危ないから。閉めてても私は来れるんだから。
しかし、私の話はそんなに面白いかな。大概は昔話だし、あとは知っている童話くらいしか話した記憶がないが……
「はい、そのお話が面白いんです~。聞いていて凄く落ち着いて……グリムさんって、なんだかおかあさんみたいだなぁって」
……ぉ、おかあさん……かぁ。
朗らかな笑顔から向けられるそれは紛れもない好意なのだろうけれど、考えようによっては老けていると言われたように感じなくもない。ぎこちない笑顔を見せて、そっかぁ……とだけ返しておいた。
そうして一息ついた後――右手に鋸を、左手に銃を握る。
「……それ………………」
「…………。……行かれるんですね」
スカートを抑えながらビルも立ち上がり、私の背からそう声をかけてくれた。
「旅の無事を、『祈って』います。グリムさん」
またね、ビル。
彼が振る手には微笑みで返し、私はリポン大聖堂を後にする。
「…………隠して、おいたのに………………」
呟きのような声が、後ろから聞こえた気がした。
*
墓石に刻まれた名前は相も変わらず、リデルばかりが眠るリデルの墓地を歩き、大聖堂の横――
フリッセルの庭園へと向かう道を目指す。
「…………ん……?」
狭い一本道を歩き進んでいく内、足に伝わる感触が段々と変わり始めるのに気付く。
死んだ土をくしゃりくしゃりと踏みしめながら歩いていた感覚が、ふわふわとした柔らかな土のものへと変わっている。ふと足下を見下ろすと、そこには死んだ土は無く、以前のリデル墓地のようにいくつかの花たちがてんてんと咲いていた。
石垣の壁にもいつのまにやら茨が纏わりついている。歩き進むほどに楽しげな笛の音まで聞こえてきた。淀んだ空気と微かな血の臭いさえ無視すれば――成程、確かに……アリスが迷い込んだ不思議の国を、この足で歩いているような錯覚に陥る。
腐っているが、腐っても不思議の国。王城の周辺くらいには、僅かばかりのメルヘンが残されているようだ。
暫く歩き続けると、やがて道の終わりが見えてきた。茨で形作られたアーチをくぐり抜け――ようとした、その時。
「待たれよ」
ざっ、ざっ、ざっ――と、足並みをそろえた二人の門兵が私の前に立ちはだかった。
「ん…………?おい……」
「これより先はハートの女王陛下の私有地である。通りたくば通行証を掲げてもらおうか!」
ああ、それならば――と、懐から丸まった通行証を取り出す。
だが門兵はそんな私の動作など気にも留めていないようで、どこか昂った様子で口を動かし続けている。
「待てって、なあおい、よく見ろ」
「あるいは、死ねっ!我々に魂を捧げてもらおうか!さすれば見なかった事にっ……」
「だから待てって!!よく見ろっ!!!」
「えっ………………」
紐をほどこうとして、予想外に固く結ばれていたそれに苦戦する最中、濁流のようにべらべらと喋っていた門兵の口がぴたりと止まった。
何事か?と思い、ふと門兵の顔を見上げる。門兵たちも私を見ている。
互いに互いの顔を見つめ合い――しばらくした、後。
「……………………じょ」
…………じょ?
「女王陛下っ!!ぉ、お帰りになられていたのですかっ!!!」
……………………は?
「そらっ、だから言ったんだ待てって!!人の顔くらい見て話せ、スカポンタンっ!!」
「こ、これはとんだ無礼を……!!し、しし失礼いたしました女王陛下っ、どうか、どうかお許しをぉっ!!」
……。……どういう……ことだ?
門兵たちは取返しのつかないことをしたと言わんばかりに慌てふためき、片方は頭を地に擦りつけ、もう片方はその頭を両手で抑えつけながらこちらに向かって頭を下げている。
私の顔を見るなり、その女王陛下とやらと勘違いを起こすとは……私にとって、都合がよいことなのか悪いことなのか。とりあえず何か話さなければ疑いを持たれる、そう思って口を動かしかけたが――しかし、何を言えばいい?
下手なことを喋れば「女王陛下がそのようなことを言うはずが無い」だなどと言われて襲いかかられるだろう。兎にも角にも体験したことのない事態だが、何とか切り抜けようと知りもしない女王陛下の気持ちになって考えてみる。
ええと。何て言えば女王らしいだろう。私の知る女王なら、そうだな……あの人は血を見るのが好きっぽそうだったから…………
「どうか、どうかお情けをっ、処刑だけは、処刑だけはっっ」
…………。
ごんごんと地に頭をぶつける両名を見下ろしながら、私は命じた。
「首を刎ねろ」
「…………………………」
……………………。
静寂の後。
「仰せの通りにぃぃぃいいいッッがばっ!!!ごべっごぶぶっべべべべべべべごぼごぼごぼごぼごぼごぼごっっっ」
足並みそろえた二人の門兵は、全く同じタイミングで自らの首に刃を当てて掻っ切り、全く同じタイミングでどさりと倒れた。
……どうやら、正しい対応だったようだ。
まだびくびくと動いている二人の死体を踏みつけ乗り越えて、私は庭園へと足を踏み入れた。
*
「女王陛下っ!庭園内異常はありませんっ!」
「ご苦労。首を刎ねろ」
「承知致しましたぁあァアごぶぉっっっ」
「はっ、女王陛下!?どうでしょうかこの赤い薔薇は!正しく女王陛下に相応しい紅色に」
「良い仕事ぶりね。首を刎ねろ」
「申し訳ございませっっぶぇっがぺっっ」
「グリフィ殿は遠征と言っていたが、どこで油を売っているのやら」
「あの阿呆鳥のことだ、油より春を――はっ!?女王陛下、なにゆえこのような」
「黙れ。首を刎ねろ」
「失礼しましっぶがっごぶっこぷっぉぉおおおぇぇえええっっ」
……。
誰も彼もが口を揃えて私を女王陛下と呼ぶ。
そして首を刎ねろと命じれば、どんな兵も同じように自らの首を刎ねて死んでいく。
私を見て、私でないものの名を呼ばれるのは――そうか。アリス、と同じか。
私の顔を見るや否や恐れ慄き、命じられたならばそれ以外の行動を自ら許さず首を切る。
そんな彼らの行動を見届けて、そして死体を見下ろすと、胸の内に僅かばかりのどす黒い優越感が沸き立つようだった。
……ほんの少しだけ。
彼女の気持ちが、わかった気がする。
敵がいないとは言え、庭園は広い。すれ違う兵士たちに自害を命じつつ進んではいるが、いったい自分が今どこにいるのか見当もつかない。そうしてふらふら当てもなくさまよっていると、猫のニタニタ笑いが藪の上に見えた。
「ハートの気違いごっこは順調?アリスもどき」
……。そうでもない。
たった今、自分の家の庭をさまよっているところだからね。
「そいつは僥倖、まさしく兆候。あいつもおんなじ、自分がどこにいるのかまるでわかっちゃいないんだ。散歩のひとつもまともに出来やしない、やれることと言ったら首を刎ねろと口を動かすだけ。今のあんたがまさしくそれだにゃ?」
そいつはどうも。喜ばしいことで。
……しかし、本格的に不味いな。あまりに同じ景色が続き過ぎて、平衡感覚すら失いかけてきた。一度骨粉を撒いて、入り直すべきか……
「さて、追うも避けるも自由自在、といったら、アリスもどきはどんな選択を選ぶのかにゃ」
……?
チェシャ猫はそれだけ言い残すと、ふわりと霧になって消え――残った霧がふよふよとどこかへ漂い始めた。
空の向こうへ消えていくと思いきや、それは私の前に降りてきて、導のように進み出す。……追うも避けるも自由……とは、こういうことか?
もとより何を見て進めばいいとも定かではない。歩き続けてすっかり重たくなった足を今一度動かして、 私 はその霧のあとを追っていくこととした。
*
――人殺し城、という童話がある。
とある三姉妹のもとにひとりの男がやってきて、彼は三姉妹の末妹に一目惚れして求婚を申し出る。男が立派な城を持つ大金持ちということもあって、娘は喜んでこれを承諾。しかし城主の男は実は殺人鬼であり、城の地下で老婆に連れ込んだ娘のはらわたを掻き出させ、殺させていた。娘の二人の姉は既に人殺し城の犠牲となっており、ただひとり、末妹の娘だけが老婆の協力を得て助かり、娘は人殺し城の財と夫を得て、末永く幸せに暮らした――と、いうような話だ。
姉二人が死んでいるし、城主が捕らえられて城そのものはうち壊されたとはいえ、数多の娘が犠牲になったであろう人殺し城の財を受け継いだ上で幸せになるというのはいかがなものかと、物語そのものに思うところは多いのだが……絢爛豪華な城や財、そして玉の輿といった甘い誘惑に誘われた娘が毒牙にかけられるといった話は挙げればきりがない。
見上げるまでもなく、視界の隅から隅までを埋め尽くすほど巨大で広大なフリッセルの城を目の前にして――
私の頭の中でふつふつと浮かび上がったのが、その人殺し城だった。
大聖堂のそれとはまるで違う、なんとも分かりやすく、あからさまなまでに豪奢で豪華で華美な紅城。毒牙にかけられに足を運ぶのは――物語の中の娘ではなく、今は、私本人だ。
「長旅ご苦労さま、ハートの気違い陛下。外の空気は格別だったことだろう?」
道案内どうもありがと。
私の方向音痴を小馬鹿にするようなニタニタ笑いに、私はへの字口で応える。
「外の連中は見ての通り正気だけど、中まではそうもいかないにゃ。城内は陛下、君の押し付けがましい処女性で満ち溢れてるから――さて、どうなると思う?」
どうなる?……どうなる、だって?
いや、そもそもあれらが正気だと?冗談もいいところだ、あれらは――
「市街の紳士どもをもう忘れたのか」
――っ…………。
ぴしゃり、と。
チェシャ猫はいつになく鋭い眼差しを私に向け、そう言った。
……。城内は、私……いや
その女王の処女性にあてられた兵士たちが、彼女に対する強姦願望で体を突き動かしている、と。
そういう……ことなのか?
「君自身、君の体の性質を知らないわけでもないだろう?むやみやたらに屍を積み上げたくなければ慎重に、確実に――その手で殺し尽くすことにゃ。君とあの気違いを分け隔てるのは、結局はそれなんだから」
チェシャ猫はそう捲し立てると、目だけが笑っていないニタニタ笑いを浮かべ、ふわりと霧を放ち始める。
――待って。消えかける彼女に手を伸ばし、猫なしになる前に呼び止めた。
「なに」
ふしゃあと不機嫌そうな声をあげるチェシャ猫に、一言、問いかける。
――トランプの兵士たちは、どうして――私を、女王だと?
「わかるだろ。君が、純潔だからだ」
それだけ言って、チェシャ猫は今度こそ猫も笑いも残さず霧散した。
……。純潔でさえあれば……女王になれるのか?そうでなくなれば――市街をうろつく、娼婦か乞食にでもさせられるんだろうか。
崩れかけてぼろぼろの石橋を渡り、城門に手をかける。……今ならばわかるが、それはたぶん、近しいが正しくない。
ぐっ、と力を込めて、両の扉を押し広げながら私は思う。
――純潔であるから女王なのではない。
女王であるから――
……純潔でなくては、ならないのだ。
だから、兵士たちが私を女王と間違うのも……
あながち間違いでも、ないのだろう。
*
城内へと足を踏み入れたその瞬間、鮮血に似た赤色が私を包み込む。
赤、赤――赤……赤。どこを見渡しても赤。床の赤、壁の赤、天井の赤……赤。
それ以外の色と言えば赤の縁にひかれた金色か、甲冑の鉄色くらいのもの。不気味なまでの統一感に満ちた空間に、私という黒が入り混じる。
左右に目線を移してみるが、何者の気配も感じない。城というからには、従者のひとりやふたり、うろついていてもおかしくはない筈だが……おぞましいまでに静かだ。
レッドカーペットを踏みしめる高質な感触を感じながら、目の前の大階段を昇る。
「……っ」
途中、わずかな頭痛が走って顔をしかめた。
伏せた顔を持ち上げると、やはり赤色が目の前に広がっていた。規則正しく並べられたぶよぶよした赤色。床から生えているようにも見えるそれは、なんだかうれしそうに収縮を繰り返していた。
何の意があってこれらはこんなところにいるのだろう。手を触れて、確かめてみようとした時。
「繧「繝ェ繧ケ縺?」
アリスだ。
そう、呼びかける声が聞こえた。
声に反応し、左を向く。体中を血で濡らしたトランプの兵士が、ない指をこちらに向けていた。
トランプの兵はよろめきながら足をひきずり、こちらに近づいてくる。二歩か三歩ほど私が後退したあたりで兵士は倒れ、その死体を肉膨れた巨人が踏み潰した。
「繧「繝ェ繧ケ縺?――莉雁コヲこそ――逃がすな」
大槌を構えた巨人はぶつぶつと呟きながらこちらに歩み寄る。
不気味なまでにゆっくりな一歩だが歩幅は広く、ずしん、ずしんと床を揺らしながら私との距離を縮めて行く――真正面から飛び込むのは得策ではないと踵を返し
「逃すか、逃してなるものか二度とぉおおッッ!!!」
「――――ッ!!?」
駆け出すと同時に、背後からも襲撃を仕掛けていた兵の一人が振りかざした刃に体を袈裟斬られる。
「づぁッ!!?……っく――!!」
赤いカーペットの上を転がって追撃は免れたが、完全に不意を突かれた一撃は深く、溢れ出る血液が体の熱を奪い去っていく。駄目だ――不味い。
巨人の大槌が空を裂いて振りかぶられる――巨人の背後から大挙して駆けてくる狂った兵たちの慟哭が、朦朧とした意識を貫くようにつんざいた。
「かっはははははあははははっっ帰ってきれくれて嬉しいよおぉおおアリスアリスアリスアリスッ!!!」
「殺せるっっアリスを殺せるっっっ女王様に怒られずに済むぞおおおぉぉおおオオオオ」
「ちゃんと!!きちんと!!!今一度!!!!首を刎ねて献上しなくちゃぁぁあああぁぁアアッッ!!!」
「アリスアリスアリスアリス」「アリス」「アリスアリス」「ありりりいりりりりりりりりりィ」
「ぁぁぁぁぁあああああああああぁぁああああああああああああああッッ!!!!!」
――アリス。アリス、アリス、アリス――アリス
相も変わらず、この国に――求められて、いるものは
私じゃなく――
――――畜生
「――ふ……ざッ…………け……る――なッッ…………!!!」
振り下ろされる大槌を、睨み付けながら立ち上がる刹那
幻聴か、そうでないのか、聞き分ける余裕もないままに――
翼がはためく、その羽音が響くのを、聴いた。
「――彼女に手を出すなぁぁああああッッ!!!!」
ばた ばたッ ばたッッ
――――ばさっ……。
翻る両翼と、舞い散る羽根。赤色をしたそこらじゅうに撒き散らされる、新たな鮮血の赤。
一瞬の出来事だったが確かに見た。私の目の前に降り立つよりも速く、上空より飛来した騎士は巨人の腕を斬り飛ばし、流れるように兵の首を狩り――同時に放ったとしか思えない連撃で、巨人の体に貫いた。
首を無くした兵が倒れる。肉塊と化した巨人が弾け飛ぶ。はたはたと揺れる翼の向こう側、肩越しに私を見る目はつい先程見たばかりのものだった。
――鷲獅子の騎士、グリフィがそこに居た。
「大丈夫かいグリム君っ、怪我は――ぅわぉう!?ありまくりだね!?とっ、とりあえず使いなよ、ほらっ!」
言うが早いかグリフィは私の首に輸血薬を突き立て――痛った!?へたくそ!でもありがとう!!っ、殆ど同時に私も自らの傷口にハーブ瓶の中身を振りかけ、血を洗い流すとともに傷を塞いだ。新たに繋がった血管の中をグリフィに射された輸血薬が巡っていく。
――グリフィ……何故?ばさりと両翼を広げ、背後の私を覆い隠すように立つグリフィに問う。
「庭園で彷徨う君を見た、ほゃくるるるるッ。君を女王と呼ぶ仲間たちの姿もね。首を刎ねさせて回っていたのも妥当だ、あれらは本来首を飛ばすべき狂った血族、それを選べない君でもない。だからええと、つまりだね、あー…………っっ!!」
わしゃわしゃっと頭髪を掻くグリフィ。なんだか喋りたいことがうまくまとまっていない様子だった。
「私は君に死んでほしくないんだよっ!付け加えると君と一緒にいるとなんだか安心するし、君を殺そうとする連中が殺したいほど私は恨めしいっ!だから一時私は君を外の連中がやってたみたいに女王と見て騎士として守りたい、おーばー!あんだんすたん!?おっきぃ鈍器ぃ!!?」
的確に刃を振りかざし、襲い来る兵たちの誰をも薙ぎ払いながらやはり一息で彼女は言い切った。舌の構造が私とはまるで違うらしい。おっきぃ鈍器、そういうことならこの上ほど助かるっ――!
「この様子を見る限り、つい先程処刑を免れた少女のことを君と勘違いしているらしいね、みんなはッ!捕まったら最後、犯されて殺されるか殺されて犯されるかだッ!クロッケー場に逃げるよ、グリムッ!!こっち!!」
処刑を免れた少女――?っ、思考する間もなく私の手は彼女にひかれ、左方へと走り出す。その情報はいつでも引き出せるよう頭の片隅にしまい込み、彼女の足を引っ張ることのないようカーペットを引き剥がす勢いで私も駆けた。一声、放たれるグリフィの叫びが道を塞ぐ兵たちの精神を破壊し、泡を吹いてばたばたと倒れた兵の体を踏み越えて進む途中、グリフィが指を指して声をあげた。
「あそこっ!あそこから左に行けばクロッケー場だ、さあ急いでッ!」
突然、速度を殺したグリフィに背中を押される――急いで、って、あなたはッ――!?
「同僚ならまだしも数ばかりそろえた雑兵に遅れを取るものかっ!言ったろう、君を守るくらいなら出来るッ!どうしたんだい、止められるような足があるとは思えないが!?」
――ッ……!!
……スカートを翻し、その場でくるりと回転。布地の裏側で、落ちた機関銃がどすんと音を立てた。
蹴り飛ばして浮かせたそれを肩で受け止め、三脚を展開。半ば叩き付ける勢いで床に設置――依託射撃の体勢を整え、普段ならば考えられないような量の火薬をありったけ詰め込んでいく。
「え!?えっ!?一体どこからそんなものを取り出しっ――」
手伝ってグリフィ、二人で埒を明かすッ!!
「――っ……!!ほゃくるるるるぅうっ!!」
恐らくは城内にいる全ての兵がこちらに向かっているのだろう、足をくじいて転げた者もろとも踏み潰しながら押し寄せる兵の波に銃口を向ける。その私の背に回り込み、射撃の反動を抑えるためにグリフィが私を抱きしめ、両翼をばさりと広げた。
波が寄せる。弾帯の接続が完了する。先頭を走っていた兵の手が伸び、指先が銃口に触れかける瞬間
――ハンスの機関銃が、灼熱を噴き上げた。
「ほゃぁあわぁわゎゎわわぁゎゎわあぁああぁあっっっ!!!?」
衝撃、震動、熱波、閃光――突如として押し寄せるそれらに思わず目を閉じかけるが、一匹たりとも撃ち漏らしてはならない、僅かに銃身を動かして床も壁も柱も天井も何もかもに銃弾を叩き込み続ける。薬莢が飛び回って床を埋め尽くし、弾帯が空になるまで撃ち尽くしたあたりで、ようやくまともに目を開けられた。
「っ……はぁ……はぁ、はぁ…………っ……」
――血と肉の海が出来ていた。
ばらばらになったトランプの兵と、巨人であったであろう肉の塊が放射線を描き、床に壁にへばりついている。硝煙をくすぶらせるそれらを確認し、赤熱してからっぽになった機関銃の銃口を床に向けた。
「すっ……ごぃ、なあ、グリム君っ……!?わー、滅茶苦茶だー……とても女の子がしていい所業じゃないよ、こんなの。今度からか弱い少女に襲い掛かるときは機関銃でバラバラにされる覚悟をしておかないとね……」
私が機関銃を手放すと同時にグリフィも私から離れ、目をきらきらさせながら踊るように肉片たちの上で足踏みした。……。
グリフィ。妙に楽し気な彼女に向け、声を投げる。
「なあに?どうしたんだい、グリム君」
……良かったの?
仲間たちを殺してまで、私を……助けて。
「仲間と友達は別さ。仲間は、狂ってしまったのなら介錯しなくてはならないし、友達は何に代えてでも助けるべきだろう」
そう答える彼女の目は、先ほどの楽し気な姿とは裏腹に――硬い意志のようなものが見え隠れていた。
友達……友達……か。……。
なんだかひどく疲れたような気がして、ずるずると滑り落ちるように床に両膝をついてしまった。
「ほゃう……?っ、大丈夫かい?私は、また、そのー……なにか、早とちりのようなことを……」
いいや。……そっか。友達、か。
あなたは……私を、そう呼んでくれるんだね。
「……ほゃくるる……君が……いいって言ってくれるなら。っとはいえ全部私のわがままだ、君を助けたいっていうのも、君に死んでほしくないっていうのも、友達でいたいっていうのも。だからぃー……嫌だというなら、それでも……って」
……ああ。
なんだか、ひどく脱力して、そのまま、ぐらりと倒れる体を……グリフィに、受け止められる。
「グリム君っ?グリムっ?大丈夫かい――――グリ――――――」
――――。
この世界に来て。――はじめて
心から、安心できる場所で――眠ることができた、気が――する
……………………。
*
この世に生まれ落ちた人間たちの内、どれほどの者が己という物語で己を主役と出来るのだろう?
夢想うことは常だった。見聞し、開きっぱなしの目と耳に流れ込んでくる名に興味などないと言い訳しながら憧れる毎日。
彼らは劇的な変化と改革を経て劇的な人生を生きた。平凡や安寧こそが最善だなどと口ではどうとでも言える。
しかし心の内でそんな生き方を望んでいる自分が居た。地べたを這いずり地獄の底から天を踏破するような革命、そんな物語を夢見たし、いつだろうと世界を廻す主役は己であってほしいと願い続けた。
「あなたには名前はないの?」
「なまえ?なまえとは何だい?僕は生まれてこのかたずっと僕だ」
物語の中で少女が笑い、少年はそれに首をかしげる。
絵心など無い私が書くは、挿絵の一枚も存在しない、己のための物語。
「だったらわたしが名前をあげる!」
「あげる……?くれるのかい?しかし、困ったな、僕から君に送れるものなんて何もない」
「いいのよそんなこと。あなたがわたしのあげた名前を気に入って、ずっと名乗ってくれたなら、それ以上に嬉しいことはないわ」
――見たことも聞いたこともない者たちが、いやに懐かしく思える声色で話をする夢だった。
――目を開けるころには、言の葉のひとつに至るまで、なにもかもさっぱりと忘れていた。
『グリムちゃんのスカート』
入手した武装と紐付けがされており
どこにいてもどこにあっても取り寄せられる。
戦闘中でも武器の交換ができるぞ。