猫の恩返し-または、ある日突然に九人の美少女たちのご主人様になった話【短編】 作:ドン・ドナシアン
わたしの同級生だった
そして、とても変な子だった。
そんな四美ちゃんが、わたしはとても心配なのである。
そもそも、わたしが初めて四美ちゃんに注目したのは、高校一年のときの最初のクラスルームの時間だ。
その日は、自己紹介ということになっていて、わたしたちは順番に前に立って、決められたことを簡単に喋るということをしていた。
決められていたことのひとつは、“好きなもの“や“趣味”、“この学校に入ってやりたいこと”であり、将来の夢のためにこんなことをしたいとか、あるいは、こんな活動、それとも、こういう目標を持って部活動に励みたいといか、まあ、そういうことだ。
実は、この学校は入試のときに、学力審査だけでなく、面接試験もあり、志望動機などを訊ねられたりする。
だから、高校生活の目標といっても、受験のときに喋った、しっかりと夢を持って目標に進んでいる中学三年生の男女を演じるために準備したものであり、確かに立派なのだが、まあ、わたしにしてみれば、まるで受験前の面接練習の続きみたいで、みんなさしさわりのないことを言っているなあとしか思ってなかった。
そういう意味では、わたしはちょっと世間慣れして純真さが不足しているのかもしれない。
だが、幼いころから、高宮家の令嬢として過ごしてきたわたしにとっては、ああいう、とって繕ったような話というものに触れ過ぎていて、どうにも退屈を感じてしまうのだ。
しかし、四美ちゃんの挨拶だけは、度肝を抜いた。
四美ちゃんは、なんと、こう言ったのだ。
「お兄ちゃんが女子高生の恋人もひとりくらいいたらいいと言うので、近所であるこの学校に入学しました。好きなものはお兄ちゃんで、趣味はお兄ちゃんに甘えること、この高校に入ったのは、女子高生になってお兄ちゃんにかわいがってもらいたいからです。よろしくお願いします」
つっ込みどころ満載の彼女の言葉に、わたしたちは一瞬しんとなった。
わたしも疑念でいっぱいになった。
この学校は、そこそこ偏差値の高い学校だ。それを近所だから来たと言いのけたのは、まあいいだろう。
しかし、それよりも“お兄ちゃん”とは誰だろうと思った。
なんとなくだが、お兄ちゃんというのは、四美ちゃんが好きな男の人のことではないのかなとは思った。でも、“女子高生の恋人もひとりくらいいてもいい”とは?
ひとりくらい、いてもいいというのは、つまりは、恋人はひとりではないということだろう。
さらに、その女たらしの“お兄ちゃん”に、女子高生が恋人がいると喜ばせたいから、高校に入った?
それが、退屈をもて余した人生を送っていたわたしの青天の霹靂だった。
一瞬、呆気にとられたわたしたちだったが、すぐに平静を取り戻した。
彼女に対する質問の時間だ。
最初のクラス担任の取り決めで、自己紹介の後で必ず、男女ひとりずつが簡単な質問をすることになっていた。
誰が質問をするのかというのも、あらかじめ決まっていて、それで少しでもクラスの親睦を深めさせたいという狙いだろう。
まずは、順番だった女子生徒が質問した。
「お兄ちゃんって、誰ですか? 恋人ですか? それとも、本当のお兄さん?」
わたしもそれは疑念に思っていた。
四美ちゃんは、にこにこと笑って口すぐにを開いた。
「お兄ちゃんは、三朗さんです。ご主人様とは人前で呼ぶなと言われて、それで、みんなで話し合って、わたしよりも幼い組は、“お兄ちゃん”と呼ぶことになりました」
疑念が疑念を呼んだというものだろう。
“わたしよりも幼い組?”
まったく意味不明だ。
わたしは、次に質問する順番の男の子がその疑問を払ってくれることを期待した。
しかし、この年代の男の子というのは、やっぱり、まだまだ幼くて子供なのだ。
いつもの社交界のような場所であれば、そんなことはないが、ここはいわゆる庶民の人たちも集まる普通の学園だ。
そういう点では、彼はまったくの子供だった。
「じゃあ、そのお兄ちゃんって人と、もう性体験した?」
半分は受け狙いだったのかもしれない。
男たちの半分くらいは、どっと笑った。
黙って見守る態勢だったクラス担任の若い女教師は、ちょっと赤い顔をして、質問をした男の子をたしなめる言葉を告げた。
だが、その途中で、四美ちゃんが遮って、こう言ったのだ。
「もちろん、しました──。調教もしてもらってます」
四美ちゃんの顔には、幸せそうな満面の笑みが浮かんでいた。
全員が騒然となった。
とにかく、彼女の挨拶は、群を抜いて変わっていた。
この話は多少の尾ひれ背びれをつけて学校中に拡がり、あの自己紹介で彼女は学園でも知らぬ者のない有名人になってしまったのだ。
あの後、四美ちゃんは、早めに終わったクラスルームのあとで、担任に連れ出されて幾らかの小言を受けたみたいだ。
昼休み前には戻ってきたが、あっけらかんとしている四美ちゃんに、わたしはすぐに近づいた。
クラスの誰もが、彼女をどう扱うべきなのか迷ったみたいになっていたが、わたしに迷いはない。
こんな面白い素材を逃してなるものか。
「一条さん、食事一緒に食べない。お弁当? それとも学食? あっ、わたし
普段はお嬢様言葉が多いが、あまり、クラスのみんなと距離を置かれたくないので、こういう喋り方もできる。
呼び掛けたわたしに、四美ちゃんは、ちょっときょとんとしていたが、すぐにぱっと微笑んだ。
「ああ、一条って、わたしのことか。あまり、そう呼ばれないから、わかんなかった。わたしはお弁当。
「一美?」
「うん」
彼女はにこにこして頷いた。
よくわからないが、なんか表情も豊かで、可愛くってまるで猫みたいだ。
しかし、一美という名前で、なんとなく勘が働いた。“一”に“四”……。もしかして……。
「一美さんというのは、お姉さん?」
安易な名づけだが、一美に四美なら可能性はある。そして、もしも、そうなら、かなりの確率で、二美と三美というお姉さんもいるだろう。
「お姉さん?」
だが、四美ちゃんは首を傾げた。
「違うの?」
わたしは言った。
「ううん、まあ、そういうことになるのかな。わたしも、一美もお母さんの娘だし。同じ母親から産まれた娘は、姉妹でいいんだよね?」
どうして、確認されたのかわからないが、母親が一緒なら姉妹だろう。
「じゃあ、姉妹じゃないの……。ねえ、じゃあ、四美ちゃんでいい? あと、座っていい?」
彼女が大きく頷いたので、手に持っていたお弁当を一度四美ちゃんの机に置いて、自分の席から椅子を持ってきた。
ほかにも、興味津々で四美ちゃんを見ている子もいたけど、わたしは彼女たちにつけいる隙を与えなかったので、こっちには来ない。
まずは、四美ちゃんとふたりだけで話したかった。いや、こんな面白そうな子は、是非ともわたしが独占したかった。
結局、ほかの子たちは、それぞれに昼食をとり始める。
集まって食べる者もいるし、ひとりで食べる者もいる。
四分の一くらいは、学食に向かったみたいだ。
「うわっ、きれい」
わたしは思わず声をあげてしまった。
とりあえず、食事をしようと思って、お互いに自分のお弁当を開いたのだが、四美ちゃんのお弁当は、とてもきれいで可愛かったのだ。
もちろん、わたしのは、ハウスキーパーの作った、いわば、プロのものだから、見た目もそれなりなのだが、四美ちゃんのお弁当は色映えもしていて、美味しそうで、わたしのお弁当にまさるとも劣らないと思った。
「ほんとだ。最近は記憶を別々にするようにしているから、こんなに綺麗なお弁当を作ってくれているって知らなかった。まあ、お兄ちゃんのお弁当を作るついでだろうけどね」
四美ちゃんが嬉しそうに笑った。
相変わらずに、疑念が疑念を呼ぶ子だと思った。
「記憶を別々?」
わたしは首を傾げた。
「うん、みんなひとりひとり調教を受けることになったから、記憶も別々にしようって話し合って。そうじゃないと、新鮮さがなくなるでしょう。お兄ちゃんも、ちゃんと味を変えて愉しみたいでしょうし」
さっぱり意味不明だが、とにかく、わたしはずっと聞きたかったことを単刀直入に訊ねることにした。
「ねえ、さっきから言っている“調教”ってなんなの……? まさか、あの調教……のことじゃないよね……」
わたしは、四美ちゃんに近づいて、ほんの聞こえるか聞こえないくらいの声でささやいた。
こっちに聞き耳をしている子がたくさんいることに気がついていたからだ。
しかも、男の子も……。
「あの調教? 調教って、いっぱいあるの? 縛ったり、くすぐられたり、意地悪されたりするやつだよ。その調教」
「こ、声が大きいよ──」
わたしは思わず声をあげた。
まあ、彼女との出会いはこんなものだった。
そして、彼女に根掘り葉掘りと好奇心に任せて訊ねたことでわかったのは、四美ちゃんには、九人も姉妹がいるという話だ。
名前も、
これは予想通りだった。
また、一美さんは料理や洗濯などの家事が得意で、家のことを一手に引き受けている。二美さんは語学に堪能で社交が得意、三美さんはとにかく頭がよくて、その二美さんと三美さんのふたりで、自己紹介のときに名前が出た三朗という人の仕事を手伝っているそうだ。
姉妹の中で社会人はその三人であり、四美ちゃんは四番目で高校生というわけだ。
また、ちょっと驚いたのは、その“三朗お兄ちゃん”というのは、石川三朗という名前であり、最近、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍をしている若手写真家であり、わたしでも名前を耳にしたことがある有名な新人の写真家だった。
『女の性』という題名の美女の不思議な裸体写真で大きな写真コンテストの最優秀賞に選ばれ、続いて出版された『九人の女』が写真集では珍しくベストセラーになった人だ。最近では、よくテレビなどでインタヴューを受けたりしているので、わたしでも顔は知っている。
しかし、謎の多い写真家ということにもなっていて、プライベートのことについては、ほとんど知られてなかったはずだ。
だから、四美ちゃんと、その石川三朗と繋がりがあるということには純粋に驚いた。
しかも、その石川三朗が四美の“お兄ちゃん”で、四美ちゃんを調教している──?
まあ、調教というのは、ちょっとあれだけど、彼女が石川三朗という写真家が大好きで、恋人というのは理解した。
その石川という男が複数の女を愛人にする遊び人というのも、なんとなくわかってきたが、写真家などというのは芸術家だ。
彼らに世間の常識は通用しないし、そういう世間の常識とかけ離れた部分が、彼らの芸術センスに影響も及ぼしているということも承知している。わたしの父母も、そういう若い芸術家を何人か支援したりしているので、わたしも彼らの感性がちょっと人と異なることもあるというのは理解はしている。
だから、忌避するるもりはないが、この可愛い子を複数の愛人のひとりとして扱っているようなのは、なんとなく気に入らないと思った。
ましては、高校一年生である。
いずれにしても、四美ちゃんの“お兄ちゃん”というのは、あの石川三朗なのだ。
四美ちゃんも、お兄ちゃんという人が最近、写真で賞をとって、とても忙しくなったと説明してくれたので、まず間違いないだろう。
出版したという写真集の名前も一緒だったし……。
ただ、実はわたしは、まだ、その写真集は見たことがなかった。
とても、扇情的な写真らしく、芸術作品ということになっているが、すっごくエロっぽいそうだ。
それで敬遠していたが、これで興味を持った。
いまは、お父さんに頼んで、芸術家繋がりで、いつか、会わせてもらおうと画策している。
すぐというわけにはいかなそうだが、高宮家の力を使えば、それくらいはできるはずだ。
わたしの親友をたくさんの愛人のひとりとして扱っている男が、どんな男なのか見極めてやろうと考えてたりしている。
もっとも、この時点では、そこまでの思い入れはなかった。
ただただ、好奇心で彼女に近づいただけだ。
しかし、彼女と話せば話すほど、わたしは四美ちゃんに興味を持った。とにかく可愛い。それに尽きる。
面白い──。
動物好きのわたしは、家で猫を三匹も飼っているが、なぜか、四美ちゃんは、家の飼い猫を連想させる。
わたしは、このときに、四美ちゃんに一目惚れをしたようだった。
とにかく、その三朗という人が写真家として、急に忙しくなり、仕事が増えたので、四美ちゃんのお姉さんふたりが、秘書のようなことをして手伝うことになったみたいだ。
また、家事は一美さんが一手に支える。
そんな生活らしい。
そして、驚愕することに、四美ちゃんは、三朗さんに愛されているようだが、ほかの愛人というのは、どうやら、四美ちゃんのお姉さんの全員みたいだった。
わたしは、それを知って唖然とした。
さらに、四美ちゃんの下にも妹がいて──四美ちゃんは、なぜか“妹”とは言わないのだが、一緒に暮らしているイツミというお母さんの娘で彼女たちは年下なので、妹に間違いはないのだろうが──、四美ちゃんの次が
そして、
四美ちゃんは、年下の彼女たちもまた、三朗さんの愛人みたいなニュアンスのことを仄めかしたが、さすがに違うだろうとは思う。
ちょっと怖くて、追及して訊けないのだが……。
ただ、四美ちゃんの喋ることは、時折、とても要領を得ないところがある。
五美ちゃんや妹たちが、どこの学校なのかと訊ねたのだが、四美ちゃんが女子高生になることを決めたので、学校には行かないのだという。
四美ちゃんが高校に入学することと、妹たちが学校に行かないことに、なんの関係があるのかわからないし、そもそも、学校に行かないなんて許されるのだろうか。
また、四美ちゃんがする家族の話には、すごくエッチなことがときどき混じる。
一美さんは、三朗さんという人にいじめられるのが大好きで、大人の玩具を嵌めて家事をし、それを悪戯されるのがマイブームだとか、二美さんだけは縛られるのが嫌いで、みんなで説得をしているとか、三美ちゃんはとにかく感じやすくて、悪戯好きのお兄ちゃんはとても楽しそうだとかだ。
そういうことを嬉々として語るのだ。
わたしは、四美ちゃんが声を落とさないので、お弁当を食べながらやきもきしてしまった。
そして、四美ちゃんの姉妹や三朗さんが住んでいるのは、“
後で調べたら、アパートというよりは下宿屋であり、とても古い建物で一風変わった住民が集まっているという評判の場所だった。
そこに九人姉妹で住んでいるということには、ちょっとびっくりした。
先日、やっと一度訪ねられたのだが、とても小さなアパートだった。
しかし、四美ちゃんは、その“お兄ちゃん”も、“姉妹”の家族たちも同じ部屋で暮らしていると言った。
確かに断言した。
あんな場所で、四美ちゃんたちは、石川三朗という写真家と一緒に部屋に住み、四美ちゃんが語ったような淫らな生活をしている?
だったら、七美ちゃん、八美ちゃん、九美ちゃんという幼い女の子の前でも、そんなことをしていたということになる?
それについては、いまでも疑問だ。
しかも、あのとき、わたしが調べさせたところによれば、あのアパートには、ひとつの部屋に、一個の部屋しかなく、風呂も洗面所も共用くらいのようだ。
そして、石川三朗という人物が暮らしているのは、その中の九号室……。
わたしは、そのときには、一緒に暮らしているというのは言葉の綾であり、同じ下宿屋で暮らしているという意味だと考えた。
なにしろ、九人の姉妹である。
母親のイツミという人の部屋もある。
ただ、四美ちゃんたち姉妹だけが住んでいるという部屋は、調査させて限りではなかった。
調べることを指示した者の報告では、やっぱり、四美ちゃんたち九人姉妹は、石川三朗と同居しているというようだということだった。
だが、その狭い部屋では、十人の人間が一緒には寝ることは不可能そうではある。
少なくとも調査資料に接した限りではそう思った。
いまでは、もう一度訪ねることもできなくなってしまったので、今度こそ、四美ちゃんに、あの不思議な下宿屋の中に入れてもらいたい。
そんな出会いから一箇月経った。
わたしは、毎日、四美ちゃんと昼休みを過ごすようになり、四美ちゃんはとても変だけど、仕草や話し方、また、とにかく表情が可愛いので、あっという間に女の子たちの中で人気者になった。
昼休みにお弁当を一緒に食べるのは、わたしの独占だが、授業の中休みだとか、レクレーションの時間や体育など、話ができる時間は、だんだんと四美ちゃんに同級生の女子たちが集まるようにもなっていた。
それに、四美ちゃんは、とてもエッチなのだ。
高校一年生といえば、女の子だって性に興味津々にもなる頃だ。
そして、四美ちゃんは、誰が相手でも、訊ねられれば、お兄ちゃんにこんなことをされたとか、あんなことをしたということを愉しそうに赤裸々に語る。
しかも、その内容が赤面するほどの過激さだ。
だが、それも無邪気そうな四美ちゃんが語ると、不思議にもにこやかになってしまう。
それが四美ちゃんだ。
一方で、男子にとっても四美ちゃんというのは、ある意味特殊な存在だった。
すでに性体験があり、しかも、それを公言している子など、高校一年生の同級生では彼女くらいのものだ。
しかも、とても可愛い。
性に好奇心旺盛の男子には、彼女に近づこうとする男の子も少なくはない。
だが、それをわたしたち女の子がガードをしているという状況だった。
もっとも、学校内はともかく、彼女のプライベートの全部まで守れるわけじゃない。
性体験があり、愛人に調教されているなどとあっけらかんと語る彼女は、そういうことをしたい男の子たちに狙われる存在でもある。
同級生の男の子ではないが、通学途中でこっそりと彼女をつけて、無理矢理にどこかに連れていこうとした三年生の男の子のグループがいたらしい。
あとで話を聞いて驚くとともに恐怖したが、四美ちゃんが説明するには、六美ちゃんが現われて、五、六人の男の子を病院送りにしたという。
ちょっと信じられなかったが、いつもつるんでいる三年生の男の子たちのグループの全員が学校を欠席しているというのは本当だったし、そのエピソードは事実なのではないかという専らの噂だ。
そして、先日──。
わたしは驚愕に打ちのめされた。
担任の女教師の説明によれば、四美ちゃんが学校を退学してしまったという。
わたしは、目が点になった。
ほかの女子生徒もびっくりしていた。
理由を訊ねたが、先生もよくわからないらしく、ただ同居の家族が依頼で外国に写真取材旅行に行くことになったので、一緒に行くことにしたということだった。
いつも通りの意味不明だが、おそらく、写真取材をすることになったのは、あの石川三朗だろう。
しかし、だからといって、それで四美ちゃんが学校をやめるのはなぜだ──。
百歩譲って、一緒に行くとしても、そのあいだ、休学すればいいことだ。
どうして、退学する必要がある──。
わたしは、その日の午後、いままで、訪ねる機会のなかった彼女の住む九猫荘というアパートに向かった。
彼女は、女子高生としては信じられないが、スマホも携帯電話も持っていなくて、家に電話もないのだ。家人に指示してやらせた調査でもそうだった。
連絡をとるには、直接に向かうしかなかったのだ。
住所だけは以前に調べさせた調査書にあったのでわかる。
わたしは、学校が終わると同時に、すぐに飛び出し、家人も同行させずに、ひとりだけで、四美ちゃんの暮らしているはずのアパートに向かった。
そこは、とても小さくて古い木造の建物だった。
しかし、結局、四美ちゃんには会えなかった。
でも、その下宿屋さんを訪問したとき、大家さん、つまりは、四美ちゃんのお母さんのイツミさんという人がたまたま玄関前を掃除していて、少し話すことだけはできた。
イツミさんはとても美しい人だった。
四美ちゃんに似ているとは思わなかったが、四美ちゃんはイツミという人がお母さんだと言っていたので、親娘なのだろう。
しかし、とてもミステリアスな雰囲気もある人で、とても不思議な気持ちになった。
また、そのときすぐにわかったが、石川三朗という写真家が賞をとった『女の性』という作品のモデルの女性でもあった。
『九人の女』という写真集は、まだ手に入れていないが、賞をとった作品は有名なので、ネットで簡単に検索できたのだ。
イツミさんは、四美ちゃんたちは、これまでに稼いだお金で外国に旅行に出かけて、しばらく戻って来ないと、にこやかに言われてしまった。
「四美ちゃんの友達の奈美さんね? 四美ちゃんから聞いているわ。とても仲のいい友達ができたって。短いあいだだけど、おかげで人間の学校というのが愉しかったって」
そのとき、イツミさんは、さらにそう言った。
“人間の学校”というのは、随分とおかしな言い回しだとは思ったが、それよりも、四美ちゃんのことだ。
わたしは、四美ちゃんは、どうして学校を退学したのかと訊ねた。
「もともと、四美ちゃんは、一箇月くらいしか学校に通わない予定だったのよ。それ以上は無理だもの。それは校長先生には、最初から伝えてあったんだけど、みんなには伝わってなかったのね」
イツミさんは言った。
わたしはびっくりした。
そして、四美ちゃんと石川三朗という写真家だけでなく、姉妹の全員が一緒に行ってしまったということだった。
世界中を回る予定らしく、戻るのは、早くても半年以上も先の話だという。
もしかしたら、数年先かもと……。
「猫というのは、とても気まぐれだから。いつ戻って来るのか。まあ、三朗さんがいるので、戻って来ないということはないと思うけどねえ……。まあ、戻って来るまで、とりあえず、ここもしまおうかしら」
イツミさんは言った。
四美ちゃん同様に、イツミさんも不思議な人だった。
喋る内容の要領を得なくて、ときどき意味のわからないことを言う。
最初に思ったこととは反対に、やはり親娘なのだと感じた。
結局、それ以上のことは知ることができず、わたしは失望感とともも、そのアパートを後にした。
その翌日、わたしはもう一度、イツミさんを訪ねに行った。
あのときには、気が動転していて、満足に四美ちゃんのことを訊ねることができなかったけど、よく考えれば、連絡手段くらい教えてもらえばよかったと思い起こしたのだ。
あの話しぶりによれば、部屋はまだそのままみたいだし、親娘なんだから、連絡方法くらいはあるはずだ。
だが、前日に行ったはずの古アパートのあった場所には、まったく別の建物があり、あの古アパートは影も形もなくなっていた。
わたしは狐につままれた気分で、そこを立ち去った。
高宮家の調査員に調べ直してもらったが、以前に報告書が記してきた住所であり、わたしが一度だけ訪問した古アパートのあった場所には、以前から別の建物があったことになっていて、調査員もわけがわからないと呆気にとられていた。
また、四美ちゃんが語った姉妹というのも見つからなかった。
近隣の小学校にも、幼稚園にも、それらしい子供はいなかった。学校には行っていないと言っていたので、不登校なのかと考えたが、そもそも、彼女たちに該当する生徒は、どんな学校の名簿にもないそうだ。
唯一の四美ちゃんを探す手段は、石川三朗という写真家になった。
彼を知っている別の写真家に訊ねることできたが、外国に行っているというのは本当みたいだった。
でも、彼に取材依頼をしたという出版社や新聞社、あるいは、投資家のような存在は発見できず、もしかしたら、そう言っているだけで、実際には個人的な撮影旅行かもしれないと彼は語った。
そういえば、イツミさんも、これまでに稼いだお金で旅行という言い回しをしていたっけ……。
こうして、彼女はいなくなった。
わたしは、小学校のときに読んだ“風の又三郎”という話を思い出してしまった。
その四美ちゃんから、先日、絵葉書が届いた。
とてもきれいな南の海を背景にした四美ちゃんが映っている写真を絵葉書にしたものだ。
多分、異国で撮影したものを現地で絵葉書にしたのだろう。
そこには、突然に学校をやめてごめんなさい。そして、黙って別れるようなことになってごめんなさいとも書かれてあった。
別れるときには、ちゃんと挨拶をしないといけないということは知らなかった。イツミさんから連絡がきて、お兄ちゃんに事情を訊ねられて、とても叱られたと文章にあった。
ただ、自分としては、わたしと別れるつもりなどなく、日本に戻れば会いに行くし、お兄ちゃんにお説教もされたので、ときどき、こうやって葉書を送るとあった。
住所はない。
こっちからは送れないのか……。
わたしはがっかりした。
それからしばらくして、やっと石川三朗の出世作である『九人の女』という画集を手に入れた。
そこには、若い大人の女性から幼女までの九人の女が写っているのだが、四番目の女性として、四美ちゃんの姿がそこにあった。
学校で一緒にお弁当を食べたときみたいに、いや、あれ以上に屈託のない無邪気そうな彼女の姿がそこにあった。
しかも、九人とも裸の写真だ。
だから、四美ちゃんもヌードである。また、四美ちゃんが愉しそうに笑っている写真に混じって、棘のついた薔薇の蔓で縛られて、血を流している写真などもあった。
その写真は、あの四美ちゃんだと思えないくらいにとても色っぽくて、なによりも、四美ちゃんがぞくぞくするほどに美しかった。
あんな顔もできるなんて……。
やっぱり、四美ちゃんは、猫のように、いろんな顔を持った子だと感じた。
わたしが手に入れてからしばらくして、偶然にその写真集の中に、四美ちゃんを見つけた生徒がいたようであり、しばらくのあいだ、その話で学園はもちきりになった。
いなくなったらなったで、本当に話題を作る子だ。
いつ再会できるのだろうか……。
“猫はとても気まぐれだからね……”
なぜか、あのイツミさんの、そんな言葉が頭によぎった。