はっきりしない意識の中で、女性の声が聞こえる。
エリオット・アルテミスは、そのはっきりしない意識の中で誰かが自分を嘲笑っているようにも聞こえた。
今の彼は薬を盛られた影響で、その瞼も開けられない状態だ。
(頭が重い。瞼も開けられない。何なんだ。この感覚は…)
「まるで絹のような艶やかな乳白色の肌。艶のある銀色の短髪。整えられた眉毛と長いまつ毛。数百年もの間、エクレール家に守られし”生きた霊薬”…」
そして、彼の華奢な左腕から、注射針が刺され、その血液を採血する、艶やかな女性が、そこにいた。
彼は半分夢心地で、意識がはっきりしない。薬を盛られたせいで、瞼も開けられない。
容赦なく注射針が刺される感触が、彼に意識を取り戻す、きっかけとなった。
(霊薬…?)
そして、彼は見知らぬベッドの上で覚醒をした。
周りの景色が、歪んで見えて、めまいもする。そして、頭をまるで鈍器で殴られたような痛みを訴えた。思わず後頭部を抑える。
彼が起き上がると、そこには彼女の姿はなかった。彼女…ファノン・エクレールの姿は。
「ファノン?…というかここはどこだ!?」
彼は部屋を見渡す。そこはいつもの寝室ではない。それに流れている空気も違う。彼に匂う香りはいつものあの薔薇の香水ではなく、無機質な空気だった。
(まさかまた誘拐されたのか…?)
そこに、あの同じエクレール家の女性が部屋に入ってきた。不敵な笑みを浮かべ、自信ありげな赤い瞳を不敵に輝かせて、彼に質問を投げかける。
「手荒な真似をして悪かったわね…」
そこにいたのは、ファノンが目の敵にしている女性、スカーレット・エクレールだった。
相変わらず、金色に輝くロングヘアーを独特にまとめて結ってある姿が目立つ。唇の赤いルージュも艶があり十分魅惑的な唇だ。
「あそこでは、ファノンの監視が厳しくて、ろくにあなたと二人きりで話も出来ないのよね。気分はどうかしら?薬なんて使いたくなかったけど、ね」
「何故、あなたが、私を誘拐するんだ?」
「そんな、誘拐なんて」
「服はどこにあるんだ?帰らせてくれ」
「エリオットは優しい”女神の皇子”様ね。普通は自分を無理矢理犯した女を許したりなんかするわけがないもの」
「それは…」
そこにスカーレットの右手の人差し指が、彼の唇に触れた。そして、甘く囁く。
「その優しさで、私のことも許していただけるかしら?ファノンより、私の方が色々上手よ?そう…色々ね」
「んんっ…!」
(何だ…?この口の中を舐めまわすような…キスは…)
「あなたの口…甘い。今日はここまでにしておきますわ。でも、今に私が”欲しい”と懇願させてあげるから…ゆっくりと待っていてね?」
そうして、スカーレットは部屋から去っていった。
後に残されたエリオットは、先程のキスを交わした唇に触れ、そして、ベッドの中で、愛しい恋人を想った。
(ファノン…!)
その頃、一夜明け、フェニキア城ではファノンの怒鳴り声が城中に響いている。
彼女も突然のエリオット・アルテミスの失踪に、動揺を抑えられないでいた。
「エリオットはまだ見つからないの!?」
「結婚式を目の前に随分と、うきうきしていたと思っていたが、それがまさかアネットと一緒に消えてしまうとはね。何か事件に巻き込まれたとしか思えないな」
アズラエルは左手を自分の顎に触れ、今起きている事件をそう推測した。
ファノンに仕える大臣の男性が弁明するように現状を報告する。
「一族郎党、総出で捜索をしているのですが…奴らが…フィオリナ家が何かを隠している様子で」
「フィオリナの分家が…?」
「じゃあ、やっぱり、スカーレットお姉さまじゃん。やったのは?」
「アリエル!」
「あそこは、スカーレットお姉さまの実家だし、そこが隠しているってことでしょう?全然連絡も付かないし。スカーレットお姉さまが彼を…エリオットおじさまを連れて行ったとしか説明がしようもないじゃない?」
「スカーレットお姉さま、このフェニキアの女王なんて、面倒くさいからなりたくないって言っていたのにな。じゃあ、エリオットもアネットもスカーレットに監禁されているってことかな?」
「そうじゃないわ」
その話にファノンは今まで一番恐れていた事態を言葉にした。
「アネットはスカーレットの側についた…」
「何故、そう言えるのですか?」
「アネットの父親の家ももぬけの殻なのよ。移転先も偽の情報を書き込んでいる。書類に」
「まさか、アネットがまたファノンお姉さまを裏切るなんて…!」
その頃、スカーレットがいる客間では、彼女が彼を連れてくるように命令を出したとある女性にこう声をかけている。
「あなたが一緒なら彼も安心するのに、顔くらい見せてあげたらどうなの?…アネット」
「今更、見せる顔なんて…」
そう言葉にする彼女の表情は、自分がしてしまったことへの後悔の念が浮かんでいる。
そう。実はエリオット・アルテミスをさらったのは、他でもない、このアネットの仕業だったのだ。
彼女は不機嫌そうに腕を組み、半ば投げやりな視線をどこに向ける訳でもなく向けている。
「何を気弱なことを言っているのかしら?彼が欲しいから、あなたは私の側についたのでしょう?」
「せめて、着る物くらいは渡してあげてください。あの人は実験動物(モルモット)じゃないのです」
「もう少し、身体を調べたいのよ?彼にはとても興味があるからね」
「それでは、実験動物(モルモット)と同じですよ。扱いが」
「そんな風に見えたかしら?ごめんなさいね」
だが、そんな謝罪の言葉は、とても謝罪しているとは思えないほど、冷淡な響きだった。真紅の瞳を不敵に輝かせて、スカーレットはアネットの顎に触れ囁く。
「もう少し、身体を調べさせてもらったら、約束通り、フェニキアから隣国のエウロペの新居に送り届けてあげるわ。そこで二人きりで仲良く暮らしなさい?まあ、彼には時々、私の”研究”に付き合ってもらうけど?」
「ただの”研究”じゃないのでしょう?」
「大丈夫よ。少なくても、ファノンよりマシのはずよ?…でも、彼が求めてきたらしてもいいと思っているわ。興味はあるから。その時はあなたも呼ぶわよ。三人で楽しみましょう?それくらいは許してくれるでしょう?」
そこでスカーレットはアネットに意味深な台詞を言う。
「あなたが生まれた時から、私はあなたが特別な存在だとわかっていたわ。あなたの瞳は境界線に立つ者の瞳。どこにも居場所がないアウトサイダーの瞳ね。私と同じ。そういう人間しか見えない視座というものがある。あなたのその綺麗な青い瞳はそういう輝きを宿しているの」
「私は、あなたとは違います。あなたはそれを心底楽しんでいる。…私には辛いだけです…」
「苦しむあなたの姿がいいのよ…」
そう囁いて、姉・スカーレットはアネットをそっと抱き締めた…。
その頃、誘拐されたエリオットはどうにかして脱出しようと、必死に”仮病”を使い、迫真の演技をしてドアを開けさせようとして、わざと大げさに騒いで部屋からの脱出を試みる。
「いたたたっ!!腹が痛い!死にそうだ!…誰か部屋を開けてくれ!!」
「どうしました!?」
「腹が痛い!!こ、これは盲腸かも知れないな…!医者に行かせてくれ!!頼む!!」
そこで部屋の見張りをしていた男性が、彼が幽閉されているドアを開ける。
彼はわざとらしくお腹を抱えて、必死に痛みと戦う、迫真の演技をする。その綺麗な紫水晶の瞳が、絶好のチャンスを見逃さない。
彼はそこで見張りの男性を突き飛ばし、下着のトランクスのみの姿で、一気に部屋から脱出して、外へ出るための出口を探す。
(出口は!?)
だが、そこで運悪く、スカーレットに鉢合わせてしまい彼は、スカーレットの手から取り出された鎖で首を繋がれてしまった。
「くっ!お…お前は!?」
「裸にしても、何にも効果がないのね」
冷たい冷酷な真紅の瞳が見下して、侮辱するように輝いて、彼女はそこで見張りをする男性たちを叱咤した。
「何をやっているのよ。この男は演技派の男性よ?こんな、あからさまな迫真の演技に騙されてはダメでしょう?それに”女神の皇子”は逃げやすい生き物なのよ?」
「も、申し訳ございません!」
「ス、スカーレット…!今の”逃げやすい生き物”というのは聞き捨てならないな…!!」
「いいから。来なさい?」
そうして、元の無機質な部屋へ引き戻されるエリオット。
彼女は彼を強引にベッドに投げ捨て、まるで嘲笑うように邪悪な微笑みを浮かべる。唇の真紅のルージュが危険な輝きを宿している。
「俺に触るな!」
「本当に意外ね。あんな女のどこが気に入ったの?姿は確かに美女だが、堅物で、不愛想で、おまけに乱暴者。それに…あなたを強引に犯した女性よ?」
「本当は、あいつの身体が気持ち良すぎてセックスの虜になってしまったんじゃないのかしら?」
「違うよ」
「?」
「ファノンは、俺に感情移入してくれている」
「感情移入?」
「自分自身はとても弱い人間であることを彼女自身が一番知っている。だからこそ、常に強くありたいと願って行動している。だからこそ、孤独な人間だった俺にも心を寄せてくれる。不器用なりにな。なかなかあれで、懐が深い女性だと思うよ…」
「それが”女神の皇子”が選ぶフェニキアの女王の適性なの?」
「適性ね。どうだろうか、俺も判断は出来ないが」
そこで、スカーレットは彼に本心を明かす。何故、自分が女王になろうとしないのか、その心の内側を見せた。
「ふうっ。私ね…本当に、女王って地位は興味がないのよね。まったく、お婆様も厄介な遺言を遺してくれたわ」
そして、その部屋に何気なく置いてあるリンゴに手を伸ばし、右手で掴んだ。
そして、彼女が長年”研究”している内容を彼に説明する。
「私が興味があるのは、あなたの遺伝子なの」
「遺伝子だと?…つまりフェニキアの王立大学で教授をしていた私と同じテーマを君も研究しているということかな?」
「”女神の皇子”は近親婚が多いあの土地にあって、”完全な健康”を保っている。実際、”女神の皇子”の血が入ると子供が健康に生まれるという伝承もあるのは、あなたが一番知っているでしょう?」
「ああ。知っている。実はその研究をあのフェニキアの王立大学でしていたんだ。確かに”迷信”という一言では片づけられない事実だ」
リンゴを片手に話す彼女に背中を向けて、彼自身も自分の一族についてのこれまでの調査をしてきた理由を明かす。
「人間の遺伝子は、この段階でも未だに10パーセントしか解明されていない。その他の90パーセントは”ジャンクヤード”と呼ばれる、ただそこにあるだけの”ガラクタ置き場”だ。そのガラクタ置き場から有用なものを発見するのが自分の研究テーマでもあった」
「そうね。だけど、ヘスティアのある王立大学でこんな論文が発表されたのは知っているわよね?」
彼女はそこでとある論文が書かれた書類を彼に手渡し、リンゴを食べ始める。
「ああ。この論文か。”ある長命な部族を遺伝子的に調査をしたら、その土地の習俗として近親婚が繰り返されていた”というやつだな」
「実はその”長命な部族”の参考データは実はあなたの家だったのよ。それは知っていた?」
「あのデータはアルテミス家のデータか」
本来、父方由来の遺伝子と母方由来の遺伝子が全く同じという組み合わせ…ホモ接合型は、劣性遺伝子の組み合わせで、致死率が高い病気や重い障害を抱えて生まれることが多い。
だから、どこの国でも文化でも、実の父や母と結婚できないようにルールで決められている。それは重い禁忌とされてきたことだから。
実際にそれが繰り返されたら、人間はやがて死に絶えてしまうこともあり得る。
「だけど…その病気や障害を乗り越えてしまえば、逆に百歳以上の健康寿命が得られるという説が出てきたわけね」
「つまりは、こう言いたいのか?”女神の皇子”の遺伝子のジャンクヤードの中には、健康に害をなす劣性遺伝子を発現を抑え、完全な健康と長寿をもたらす遺伝子があるのではないか…?ということか」
「話がわかる人間で良かったわ。そう。その通りよ?つまりはあなたは健康と長寿をもたらす”霊薬”というわけね」
「古来より、我々エクレール家は、”女神の皇子”の遠縁の男性を婿として迎えながら、その血族を守ってきた。多分、ご先祖様たちは知っていたのでしょうね。”女神の皇子”がもたらす”完全な健康”を。だからこそ、今までこのエクレール家は”女神の皇子”の一族を吸収せず保存を続けてきたのよ。その仮説が本当ならそれは世界を揺るがす大発見となる。それだけではないわ。巨大な遺伝子ビジネスの源泉になるわ…!!」
彼女の表情がそこで目に見える野心家の表情に変わった。その真紅の瞳が欲望で輝いている。
「なら、こんな楽しい話に乗らない手はないじゃない?」
「…」
「だけど、”女神の皇子”の遺伝子の発現は不安定でまだまだ謎が多いのよね。あなただって、あの土地に来てから体質が変化したと言っていたじゃない。調べることは山積みね。そんなこと、ファノンの夫になったらさせてくれないわ」
「俺の意志はどうなるのだ?」
「あなたの意志なんてどうでもいいわ。女に争われ、奪われるのがあなたの宿命よ?素直に諦めなさい」
そこで、またあの鎖が彼女の手に握られ、彼の両方の手が縛り上げられる。彼が抵抗する。
「やめろ。君とまで身体を許すなんて」
「今まで、幻の幻獣みたいな存在だった”女神の皇子”がこうして目の前にいるなんて夢のようだわ。それもこんなにダンディーで色気のある男性だもの。セックスも上手らしいじゃない?」
彼が両方の手を上に挙げさせられ、ついにはベッドに固定されてしまった。これでは逃げることはできない。
抵抗をするこの”女神の皇子”に彼女はまるで異に返さない様子でつぶやいた。
「ファノンへの貞操は気にしないでいいわよ?”女神の皇子”は常に多数の女を相手にしてきたのだから…」
「そうだとしても…やめてくれ…!ううっ!!」
スカーレットはおもむろに彼が穿いていたトランクスを強引に脱がせると、何の躊躇もなく彼を咥える。そして自らの舌で愛撫を始めた。
エリオットはそれを苦痛に感じて、今は犯されている気分だ。独特の舌の感触が直接、彼の脳に届く。得も言われぬ”快感”となって彼を苛める。
みるみるうちに彼自身が臨戦態勢になってしまった。それを冷淡な言葉で感想を漏らすスカーレット。
「ほら、すぐに臨戦態勢になったわ。どんなに嫌いな女性でも、相手がエクレールの女なら、無条件にしたくなるのねえ?」
「ほら…突っ込みたいでしょう?私の中へ」
女神の皇子を鎖と言葉で弄びながら、目の前の危険な女性は無理矢理迫る。彼とのセックスを。
だが、彼は一途にそれを拒否をする。例え自分が弄ばれたとしても、ファノンを裏切るなんて彼には出来ない所業だ。
「嫌だ。こんなの強姦じゃないか」
「こんなに大きくしておいて…?」
「ダメだ。彼女を…ファノンを裏切りたくはない…!」
ずっと、肉体関係を拒否し続ける彼に愛想を尽かせた、スカーレットは吐き捨てるように言葉を吐いてそのまま自室へ戻ることにした。
「強情な男ね。まあ、いいわ。無理矢理犯すと後で色々面倒なことになりそうだから…今夜は苦しんでいなさいな?」
(ファノン…!)
そうして固定されていた鎖が外され、彼の手首には無残な痕がついて、そのままほぼ全裸でベッドに倒れていた…。