「ファノン…。教えてくれないか?君の大好きだった母親…アストレイア様のことを……?」
エリオット・アルテミスが背後から彼女を抱き締めるように身体を預けさせて、優しい声で訊いた。ファノンの母・アストレイアのことを。
彼女は憂鬱そうにその緑色の瞳を輝かせて、そして語り出した。忌まわしい過去を。
「優しい人だったわ……。私なんかよりずっと……。穏やかで、私なんかよりも正反対の…暖かい人だった……」
『ファノン。あなたが私に似ないで健康で良かったわ…』
『女神の皇子のおかげよね。お父さんに感謝しなきゃ』
そして、ファノンの回想も始まった……。
あの日…コテージが焼けてしまった日……私が家に帰ってきたのは夜遅くだった……。
『何!?なんか、人がいつもより、集まっているけど!?アネットは上手く言い訳を言ってくれたかしら?』
何気なくダイニングルームのドアを開けたら、そこには真っ青な顔をしたアストレイア様がいたの…。前から顔色があんまり良くなかったのに、この日程真っ青な顔をしたのは初めてだった。
『ファノン!』
『ファノン様…!ご無事で…良かった!』
『どうしたの?一体、何が起こったの?』
『ファノン…。サリエルは?』
『え…!?』
『サリエルは一緒じゃなかったの!?』
『いつも通り、フェニキアの宮殿にいるんじゃないの…?残業じゃないの…?』
『宮殿には朝から欠勤するという連絡があったそうなの…。さっき…川の近くのコテージが全焼して、焼死体が二つ…出てきたの…。まだ、誰かはわからないみたいだけど…』
お母さんに抱きしめられながら、恐ろしい報告を私は受けた。コテージという単語で思いだしたのは、あそこだった。
『コテージって…あの…?』
その内警察も来て、そうしたら警察官の人はこう言っていた…。
『ご遺体とは対面なさらない方がいいです』…と。
しばらく経って……それでもものの三日ほどですべてがわかったの。その焼死体が、サリエルとシルフィードということが判明したのは…。
『歯型がすべて一致しました…。遺留品のご確認をお願いいたします…』
『サリエル…!シルフィード…!!そんな…なんでこんな…!』
あの人が…アストレイア様があんなに泣く姿…私は初めて見た。だけど…この時の私はそれに構う余裕も無くてただ…茫然としていたのを覚えている。
頭をまるで鈍器で殴られたような…そんな感じだった…。ただ、ただ、ぐるぐる同じことを考えていたの…。
『そ、そんな…!!…なぜ?あの二人が心中するわけがないじゃない…。まさか、事故…それとも…火の不始末?』
すると、しばらくして、女の警察官の人が来て、ある人物を連れてきた様子だった。
『すみません。お父さんの方が倒れてしまって、娘さんだけが確認に来ました』
連れられて来たのはアネットだった。だけど、あの子はずっと黙ったままで、彼女もただ、ただ茫然としていたのを覚えているわ…。
そして、小さな声で、何かを呟いていたの…。それは聞き取れない言葉だった。
『アネット。大丈夫?…アネット』
『こ……こ、んな…』
ようやく聞き取れた言葉はこれだった。
『ファノンさんというのはどちらの子ですか?』
『私です』
『部活の用事でフェニキア王国に行っていたというのは嘘だね?』
『えっ…!?』
『コテージの周囲に灯油を撒いた後があったんだ。少女用の運動靴の足跡も。ちょっと別の部屋に来てくれるかな?』
『待ってください。この子、疑われているのですか!?自分の父親が死んだのですよ!?』
『”自分の父親とその不倫相手”が、です』
『アネット。あなたが証言してよ!私は確かにフェニキア王国へ行っていたということを!』
『何をしに?』
『だから…それは…!』
『……知りません。私は何も知りません』
『アネット!どうして……!』
警察官の人が無理矢理、私を連行しようとしている。なのに…肝心のアネットがあの時、何で逃げるような発言をしたのか、私にはわからなかった。
そして、その場で……母は…。
『ファノン!ううっ……!』
『お母さん!大丈夫!?お母さん!』
フェニキア王国の宮殿にある”血の記録”を探しに行ったことは誰にも言えないことだった。絶対に。お母さんにこのことを知られたらショックでもっと具合が悪くなるに決まっているって。
それに、親戚中にも知られてしまう。こんななかでもし、その”血の記録”に私がお母さんの子供ではないって書かれていたことを知られたら……!
「ショックでその場にいることも出来ないって感じたんだね…?」
「ええ…」
「でも、ここからが地獄みたいなものだったのよ…」
『アネットは私がフェニキア王国に行ったことを知っていました…!』
『その子は”何にも知らない”って言っているよ?』
『フェニキア王国から伝書鳩でアネットに連絡をしています!』
『その伝書鳩はここには戻ってきていないよ?アネットさんも伝書鳩から君の手紙は受け取っていないって言っているし、現場の足跡も君の持っている靴と一致したんだよ。他に君がフェニキア王国にいたという証明が出来る人はいるのかな?いないなら、地検に送検されることになっちゃうよ』
世の中のすべてが突然、私の敵になったみたいに感じたの…。
お父さんはもういない。最初から私達を裏切っていた。お母さんは身体が弱くて動けない。アネットは何で何にも言ってくれないの…?怖い…。怖くてたまらなかった……!
そんな時だった。うちの顧問弁護士をしている、ユリシーズさんが来てくれてね。でも地獄だったのは変わらなかった。
『ファノン様。喜んでください。あなたがフェニキア王国にいた証拠が取れましたよ』
『え……?』
『あなたがフェニキア王国に入国する際に見せた通行証……それを受け取った兵士が確かに本人が出向いて、このフェニキア王国に入国手続きをしていたという証拠が取れました』
『しかし…今度はアネット様が捕まりました』
『そ、そんな……』
『確かに伝書鳩はアネット様の下へ戻っていました。しかし、その手紙は故意に燃やされていたのです。それから、運動靴も裏山で燃やされていました。あなたが持っているものと同型の物です。証拠隠滅しようとしたのかと。……はめられましたね』
その時、ユリシーズさんの大きなため息をついたのは脳裏に焼き付いて離れない光景だったの……。
だけど、問題なのはそれじゃない。アネットがそんなことをすることが問題だった。
『アネット!どこなの!?』
『アネット!』
無我夢中でアネットを捜し出してそしていつの間にか私は詰問をしていた。
『アネット!嘘でしょう!?あなたが殺したなんて…!!』
『君!出ていきなさい!』
『私のことを犯人に仕立て上げようとしたなんて、していないでしょう!?答えてよ!アネット!』
その時、アネットは…いたたまれない気持ちだったんだと思う。すぐに自供したわ…。
重過失致死罪…。エクレール家の力で、刑罰を軽くすることも出来たのに本人がそれを望まず、初等少年院に送致が決まって…。
母はあの日からずっと床に臥せったままで、私が中学を卒業する春に…。
『母さん、しっかりして、母さん!』
『ファノン…。あなたは私の大事な娘よ……。誰も恨んではいけない……の。わかる…わよね……』
『嫌よ!母さん、お願い!一人に…しないで…!』
その日に…母は…アストレイア様は…亡くなってしまったの……。
それから、しばらくの間、記憶が無くなっているわ…。
「記憶が…ない…?」
「ええ。自動的に、高校には進学できたけど、全然行かなかったわ…。記憶にあるのは…次期当主を決める親族会議の日から…」
『ファノン…。ファノン…?アネットを私にくれない…?』
『ス…スカーレット…さん。どうして、ここに…?』
『さあ?母がどうしても来なさいってうるさくて…』
あの当時からスカーレットは妖しい美貌で噂になっていたの。
『ね?考えておいてくれる?さっきの話?少年院からアネットが帰って来たら、私にくれる?あなたはもう顔も見たくもないでしょうし…ね?』
『スカーレット。席に戻りなさい。先代のお出ましよ』
その時、当時の名目上のフェニキア王国の女王だった祖母が姿を現したの。既に病を患って、生命のともしびも消えつつあったけど。
白髪頭のお婆さんがそこにいたわ。そして黙って、会議に出席していた。
顧問弁護士のユリシーズさんが代理で次期当主の発表をした。
『僭越ながら、顧問弁護士であるわたくしから、先代の決定を発表させていただきます。エクレール家の当主は直系の娘…本来はファノン・エクレールが継ぐべきではありますが…今だ学生の身で』
『お待ちください』
そこに、あのフィオリナ家のアレスがいたのよ。アレスはよりにもよってここで、あのフェニキア王国に伝わる書物…「血の記録」を引っ張り出してきたの。
『ここに、フェニキア王国に伝わる、由緒ある書物がございますわ。”血の記録”…』
『何故、エウロペ王国のフィオリナ家がそれを持ちだすことが出来たのですか?』
『それは、ホホ。かつて、ファノンがそれを見せて欲しいとの”依頼”をしたのを当の本人はすっかり忘れている様子でしたので、私が代理で受け取りを』
『なんて、勝手なことを……!』
『誰が受け取ろうとも、瑣末なことですわ。いいえ。お粗末な内容かしら?結果は変わりませんもの。結果から申し上げると…ファノン・エクレールの母はアストレイア様ではありません。その妹のシルフィード・エクレールです。そして、父親はサリエル・アルテミス。ファノンはアストレイア様の娘ではありません。したがってエクレール家の直系ではありません』
その瞬間、場の雰囲気がざわめきだしたのは今でも憶えているわ。はっきりと。
『やはり、あの噂は…』
『なるほど。このせいね』
『お義母さま。ファノンが直系ではないとわかれば、三女であるわたくしか、あるいは従姉妹の中で長姉のスカーレットが当主候補ではありませんか?』
『嘘よ!そんなの、ババアのでっちあげに決まっているわ!』
『ババアって……!あなたが自分で”血の記録”の閲覧を希望したのでしょう!?それに、解読結果はきちんとフェニキア王国の考古学者の正式な鑑定に基づくものと、正式な朱印まであるのよ?わたくし達でさえ手を出せない朱印ですわ』
『私はアストレイアの娘よ!母さんの子よ!』
『…おやめなさい』
『お祖母さま!』
『当主はしばらく、私が預かる。今日はこれでおひらきじゃ…』
『お祖母さままで、私を疑っているのですか!?』
『やめなさい。ファノン。先代はお疲れよ。やれやれ…相変わらず、アレスは野心家だな。シルフィード姉さんが死んでから空席だったフェニキア王国の女王の座を、エクレール家の当主の座ごと奪い去るつもりで、裏から手を回していたとは。あなたも運が悪かった。もう少し早く生まれていれば、身ぐるみ剥されることもなかったろうに…』
『何で…こんな突然に…?』
『突然ではないわよ。みんな薄々感づいて、準備をしていたのよ。あなたがアストレイア姉さまの子供ではないとわかる日が来ることを。いいえ…むしろ、ここにいる女や男、ほとんどの子供の可能性があったのよ。それは先代もよく理解していらっしゃる』
『それって…どういう意味…?』
『シルフィードは、神聖娼婦と呼ばれる人物だったのよ。シルフィード姉さんはエクレール家の神聖娼婦。彼女は男に女陰で霊力を分け与える巫女……だから請われれば誰とでも寝る女だ。それがたまたま、女神の皇子の家系だった者だった』
『アストレイア様と結婚してからは、我々は遠慮していたのだけど、シルフィードとは続いていたのね。サリエルは。あなたの父親はいい男だった。顔も…身体も…。そしてシルフィードもいい女だった。顔も…身体もね』
『あの……娼夫!!』