「久しぶりだね」
「アレス義姉さん、具合はどう?」
「相変わらず、血圧が高いわ。私がファノンにフェニキア王国から追い出されてからずっとよ。その上、親が当主に据えたいと思っているスカーレット本人は無頓着で、更に頭痛の種」
「女神の皇子を誘拐したらしいじゃないの?」
「それでも、当主になるつもりはないそうだ。我が娘ながら何を考えているのか、さっぱり」
「何だ、ただ味見してみたかっただけじゃないの?うちのアホ娘も手を出して、痛い目に遭ったらしいわよ。まあ、エクレールの女なら致し方ないけど」
「ねえ、ここ、涼しいね~」
「馬鹿!こんな所で食うな!」
続々と集まるエクレール家とフィオリナ家の者達。彼らはまだ直にはエリオット・アルテミスの姿は見ていないので、無責任な会話をする。
「しかも、サリエルとは違って今の”女神の皇子”は直系。まだそこそこの若さと聞く。私もお相手を願いたいものですわ」
「女神の皇子は既にファノンに懐柔されている。…これでは、彼女の一人勝ちだわ」
「おっと…。アネットも来たぞ」
アネットもその親族会議が行われる背徳の宮殿の大広間に姿を現した。両手首は荒縄で拘束されて見るも無残な姿だった。
その表情は生気を失っている。不意にスカーレットが、訊いてきた。
「どうだった?駆け落ち?」
「……どうやら、すべて、スカーレット様の掌の上に収まっていた様子ですね」
「そんなこと、ないわよ」
「エリオットはこの閉塞された家系に必要な破壊の遺伝子。固く定められた未来を不確定に揺るがす存在……。先代もそれを十分にご存知だったのでしょう…」
そして、にわかに騒がしくなってきていた。それは皆が注目するあの”女神の皇子”がその場に登場したからであった。
「来たわね……」
「皆さま……女神の皇子のお出ましです…」
「おおっ…!」
「彼が……女神の皇子」
ファノンに連れられて来たエリオット・アルテミスは、華美な衣装を着てその姿を現した。
美しい、まるで紫水晶のような髪の毛と瞳。その衣装は華美なシルバーの光沢が印象的な特別にあつらえたスーツだった。
首には黒い蝶ネクタイ。手には中指に純銀の指輪。その表情は非常に端正な顔立ちだ。
アレスは小声で感想を隣の妹に話した。
「これは…なかなかの男だ。サリエルとは似ていないが姪っ子たちが奪い合うのも良くわかる」
その少しざわめく者達の間を歩くエリオットは、その空気を敏感に感じ取る。
それは、自分に対する、侮蔑と羨望の両極端な感情だ。
(この視線は、まるで俺が全裸にされて舐めまわされている気分だな…。俺に対する侮蔑と憧れの両極端の矛盾した感情が渦巻いている…)
そうして、宮殿の大広間の一番奥に据えられた、まるで王が座る華美な椅子に着席するエリオット・アルテミス。
そして、親族会議が始まった。
「アネットとその父親の処分は一族を永久追放。未来永劫、関わりを絶ち、関連するすべての機関でも雇用も許さない。一同、それで異論はございませんね?」
「その話より、当主指名の方が先なんじゃないのか?」
イラつくアレスの言葉で、エクレール家の顧問弁護士、ユリシーズ弁護士が彼に促した。この未来のフェニキア王国の女王となるべき女性を指名するように。
「では、女神の皇子。世代の遺言通りに、次代の当主のご指名をお願いします」
沈黙で支配される空間……。彼は、心の中で呼びかける。
(ラファエル……ガブリエル……ミカエル……どうか、俺に勇気を…!)
「当主は……」
「アネット……。アネット・エクレールを指名します」
その名前が出た瞬間…その場は騒然とした…!!
「アネット…!?そ、そんな馬鹿な!アネットには前科があります!」
「本人も当主候補を辞退して…!」
「前科がある人間を選んではならないとは聞いておりません。ただし、ファノン・エクレールと私の結婚はそのままにしてください」
「当主であり、女王であるアネットとは結婚はしないと?」
「昔は、女神の皇子は結婚しないのが普通と聞きましたが?」
「しかし、当主の遺言には”女神の皇子の血を取り戻せ”と」
「それは、”結婚をしろ”という意味ですか?単純に、女神の皇子の血筋の人間の男性に、この土地の神を定期的に祀らせろという意味ではないのでしょうか?」
「それに、今回のエクレール家のそもそもの原因は、あなた方の祖母が風習を破り、サリエルとアストレイアを政略結婚させたのが事の発端だと私には見えます」
「確かに…女神の皇子が本家に婿に入るなんてことがなければ、直系がわからないなんて話は…」
「とにかく、私は当主を選びました。これ以上、他人の遺産相続問題に巻き込まれるのは御免です。もし皆さんが私に不服ならば、遺産も女王家の名義も国へ返上してください」
「それは……!」
「神事はどうなるのです!神寝の儀式は?女神の皇子と当主が寝室に籠る儀式ですよ」
「しますよ。何だってね。その代わりに…私とファノン・エクレールにはもう関わらないで頂きたい」
「しかし、ファノンは…自分の夫とアネットが共に寝るのを許すのか……?」
その言葉に、緑色の瞳を見開くファノンは、思わず立ち上がる。そうして、親族会議が騒乱のうちに終わった…。
その終わった後、彼は廊下を早歩きするファノンを追う。
「ファノン…!話を聞いてくれ!これは…!」
「一人にして」
「ファノン…」
騒乱としている大広間。スカーレットは素早く、アネットの手首の荒縄を解くと促す。新しい当主の為に話を進める。
「何をしているのですか?新しい女王となる方の部屋をご用意しなさい。もちろん、この宮殿内にですよ?お父様にもご連絡してあげて」
「は、はい!」
「スカーレット様…!私には無理です!当主など…!!」
「辞退は無理よ」
そして、儀式の前夜のこと。彼はファノンの部屋に入った。そして、あの決断をした理由を語り出す。
「ファノン…失礼する…。すまない、君には申し訳ないことをした。だが、俺はこれしか思いつかなかった。でも、君はこの家から出ていった方がいいよ」
「随分と…簡単に言うわね?あなたに何がわかるの?」
そこで、彼女は激昂した。今まで待ち望んだ親族会議がこんな形でぶち壊しにされたことに。
「今までの苦しみをそんなことで帳消しにしろって言うの!当主になることが、私の生きる意味だったのに!女王になってアストレイアの娘であることを証明することが私のすべてだったのに!」
「このまま、君が女王になったら、君は俺が浮気をしないように監視をして、俺の身体を求める従姉妹達に怯え続けて、自分の出生を疑う親戚を恨み続ける…。サリエルも、実の母親であるシルフィードを憎み続けて、自分の中に流れる血も憎む。君が当主にこだわり続ける限り君は全てが許せないで苦しみ続ける」
「その苦しみは、不幸の種になって未来の俺達に子供たちや孫たちにも受け継がれて、芽吹いて育ってまた新しい不幸の種を撒いていくんだ…。アネットが罪を犯してしまったように…君が孤独になってしまったように…。キリがないじゃないか!どこかでその負の連鎖の鎖を断ち切らなければ!許さなくては先に進めないよ…!幸せな未来へ。それ以外でどうやって前に進めばいいのか。幸福になるというんだ?」
「それで……神寝でアネットと寝たあなたを許さなきゃいけないわけね」
「ファノン」
「気持ち悪い…!」
「あなたは耐えられるというの?私の為に他の女を抱くなんて…!私には生理的に受け付けられないわ。アネットを抱いたあなたを夫に迎えるなんてことはできないわ……!それとも…アネットとはもう…」
「ミカエルが…自分の息子を連れて…ここから逃げたことは今なら理解できる…。サリエルの気持ちも」
「何ですって……?」
「サリエルはエクレール家の女を嫌っていたのだよ」
「神事とかこつけて、女神の皇子のセックスは上手だから、やらせろと散々身体を求められ、でもしたらしたで、”女にルーズな男”と蔑まされる」
「女神の皇子の風習はそういうもので…」
「何を都合のいい解釈をしている!少なくとも、今のエクレールの女たちの俺を見る目はそういうもんだよ。いい加減にしてくれ!俺を、俺達を抱きたがるのはいつもいつも君たち女の方ではないじゃないか!気持ちが悪い?よく、そんなことが言えたものだな!」
そして、エリオット・アルテミスの怒りがここで明かされた。感情を剥きだしにして怒りの紫水晶の瞳を向ける。
「俺は誰も救えなかった。だがな、お前たち、エクレールの女たちが俺を巻き込んだんだ。女神の皇子のセックスは気持ちがいいからって散々身体を求められて、したらしたで”女にルーズな男”という烙印を押される。俺の身体は汚れているんじゃない!君たちが勝手にそうしているだけだ。全部君たちの勝手な都合。俺はその都合の生贄にされたんだ」
「ぞっとするよ!自分の息子が、娘がそんな目に遭うなんて。ミカエルは逃げて当然だ。サリエルは逃げられなかったから、誰か一人を愛することをやめたのさ」
ファノンは思いだした。あのサリエルの小さな、消え入るような言葉を…。
『男の子だったら良かったのに。…お前がエクレールの女でなければ…よかったのに…』
エリオットはこらえていた涙を流した…。両方の目に涙が溢れている。止まることなく泣いている…。
「好きな人がいるのに、別の女性を抱かなければならない…。俺だって耐えられることじゃない……。でも、この勝手な都合も……神事と称したセックスを後三日すれば…それも終わる……」
「ただ……君が楽になって……俺と共に歩いてくれたら……それでいいんだ」
「三日間……我慢すればそれも終わる……俺もファノン、君も自由になれる…。この家から、出ていって、二人でやり直そう……お願いだから」
そこで、ファノンは机の引き出しから、ある書類を出した。離婚届だった。
「最初から用意しておいたの」
「最初は、あなたを拉致して、女王に指名されたら、さっさと離婚しようと思っていたの。こんなに…あなたに…心を揺さぶられるなんて。私は、ここから出ていく。あなたは好きにしなさい。アネットはあなたを夫として迎えるでしょう。望外の望みだったから、アネットにとってあなたは」
「私は当主に、女王になれない人生に価値なんて見いだせないわ」
ファノンは背中を向けて…去っていった…。彼をおいて…。
(間違えた…か。奢りがあったのかも知れない。ファノンが俺の言うことを理解して受け入れてもらえると。そのくらいに俺を愛してくれている…と。馬鹿だな、俺は。皇子だのなんだのおだてられて舞い上がって…)
「……俺も、やっぱり、ただの遺伝子学の研究員だったんだなあ……」
彼もまた涙を流して、膝をついているしかなかった。
「もう後戻りはできない…取り返しのつかない判断ミスか…」
彼らの夜は明けて、朝が来た。朝から使用人たちはファノンの荷物をまとめ始めている様子だ。それを眺めるスカーレット、アリエル、アズラエルの三人。
「使用人たちがファノンの荷物をまとめているわね」
「首都から、別の街へ引っ越すんだって。ショックでしょうね。ファノンお姉さま。今まで奴隷扱いをしていたアネットが女王だなんて」
「神寝の前に本家を出るつもりね。まあ、その気持ちもわからないではないけど。ファノンがこんな状態で私達に顔を見せられるわけないし」
「スカーレット姉さま、ひどい言い方ですね」
「あら?アズラエル?何を言っているの?今が攻め時でしょう?今なら、ファノンを…」
「そうだよ。だけど!今は、ファノンお姉さまにこんな仕打ちをしたエリオットが許せないな!何故、エリオットは、女神の皇子はファノンお姉さまを当主として選ばなかったんだ?!ファノンお姉さまを好きではなかったのか?俺には、俺にはわからないよ!スカーレット姉さま」
「……」
スカーレットは黙ったまま、沈黙を守ったまま、ただ彼らを見守る。
ややあって、スカーレットはアネットに与えられた個室に、姿を見せる。
彼女は祝い酒のつもりか、数時間後には儀式があるにもかかわらず、酒を一人で楽しんでいた。とても、むなしそうに。
思わず彼女は訊いてしまった。
「これは珍しいわね。一人で祝い酒のつもり?」
「使用人たちの表情がおかしくて。すごく困っている様子です。今までずっと、腫れもののように私に触れていましたから。そうですよね~。それが…急に彼女達の主だ、なんて…」
ひと口ごとに酒を飲んでいる彼女を、またひと口飲もうとしたところで、スカーレットは杯を取り上げた。
「身体に障るわ。これでおしまいにしておきなさい…。大事な神事が待っているから」
「…ファノンはどうしました?」
「もう家を出たわ。彼とは離婚するみたい。エリオットはどう答えたか知らないけど」
「ふふっ…。じゃあ…私がプロポーズしてもいいわけなんですね…。本当に棚からぼたもちです。当主の座だけではなく、エリオット様まで。自分にこんな幸運なことが…」
半分、可笑し笑いをしていた彼女だが、やはり大きな傷痕が彼女を苛む。エリオットが自分の男性になっても嬉しさも湧いてこない…。
「ファノンは……馬鹿よ…!エリオット様が……人生の伴侶にって…選んだのが……ファノンなのに、なぜ彼女はそれをわかってあげられないの……?」
「可哀相に……。あなたも、他の者達のように、何も見えなければ、幸運に酔えただろうに。今は数時間だけ、眠りなさい…」
「あなたの継ぐ闇は、深くて重い」
そして、儀式の時間が来た…。