夢か現実なのか。区別がつかなかった。
薄暗い闇の中に差す一筋の光がただ一人の少女を照らす。
白皙の肌に黒色の衣服。
シンプルな装いながらも少女の美しさが心を焼く。
絶世の美少女と語るに相応しい存在だ。出会った時から変わらない。老いることも、子供になる訳でもない、あの頃と変わらない姿で少女は佇んでいた。
ただ一つだけ違和感があるとすれば、
「あの世界以外でこんな風に顔を合わせるのは新鮮だね」
「……っ」
思うことは一緒だったのか肩を竦める少女。
俺と目の前の少女が出会う先は現実ではない。誰も知らない指輪の世界だ。
夜と月が支配する世界であって、この家の部屋ではなかった。
彼女からの願いを果たす為に力と知恵を貸して貰う関係は誰にも語らず悟らせなかった。共犯者と呼べる関係には取り繕う必要も神経を割く必要などなかった。
適当に皮肉を言って、格好つけて、揶揄われるような楽な関係だった。
いつまでたっても無言を貫く俺に彼女は小首を傾げる。
俺が呼び、彼女が名乗る『初代』という少女は一歩、此方に近づく。
一歩、一歩近づいてくる彼女の背丈は頭一つ分の差があった。
「……久しぶりだね。ああ、言っておくけど不法侵入という訳じゃないよ。この世界でボクがキミを認識できたり出来なかったりしてどうにもならなかったけど、ずっと──」
「────」
「ずっとキミの傍にいたよ」
「────」
「大変だったね」
色々なことがあった。本当にたくさんのことがあったのだ。
此方を気遣うような言葉もリップサービスかもしれない。真実なんて分からない。
分からないことだらけだ。子供になった頭では判断もあやふやだ。
「──初代」
夢か現実なのか。区別がつかなかった。
だから、勢いよく彼女の、細い、身体を抱き締める。
「……っ」
細くて柔らかくて熱い身体が僅かに身じろぎする。
抵抗することも突き飛ばされることもなく、背中に手を回される。
無言で頭を触れ合わせる少女と体温を分かち合う。
少し、落ち着いた。
「……俺は」
すうう、と息を吸う。
甘い香りだけではない、不思議な香りは心地よく脳に血を巡らせる。
夢か現実なのか。区別がつかなかったけれど。
抱きしめた柔らかさと鼓動が、俺に正解を教えてくれた。
すっと言葉が出た。
「お前に逢いたかった」
「それは嬉しいが……力が欲しいからだろ?」
「それも……ある」
否定はしなかった。
力が欲しかった。知恵も欲しかった。足りない物は全て欲しかった。
前世の経験や知識があって努力したからとて、ただの一般人と勇者では大きな隔たりがある。俺の浅知恵など神の前では何の影響も与えられない。
ただの一般人に不可能なことを、当たり前のように勇者たちは覆す。
だから、八つ当たりでもするかのように勇者を抱いてきた。
当然のように神が見初めた巫女も。麗しい少女たちを女に変えた。
そんな暗い感情で抱かれた少女たちは、それでも変わらず接してくれてるが。
「力が欲しかった。足りない知恵も欲しかった」
薄い生地越しに主張する豊かな双丘に埋めた顔を上げる。
どこか退廃的な色気を漂わせる魔貌の少女。
感情の見えない端正な小顔と髪の毛の隙間から覗く瞳に目を向ける。
血紅色の瞳には黒色の少年を映していた。
「キミにはどちらも足りないね」
「そうだな」
「ボクがいないとただの一般人だね」
「……ああ」
飾らない言葉に否定は出来ない。
立つ腹もなく笑みを浮かべる俺の首肯に、初代は瞬きを繰り返す。
無力な俺は誰かに縋って生きていくことしか出来ない。
力もない。知恵もない。散々行使してきておいて、いざ使えなくなった途端に無力感に苛まれて生きてきたのだ。
『かっきーが死んだら、私許さないから』
その言葉が楔となって命を繋ぎとめていた。
ただ生きているだけの屍のようだと、そう思い続けていた。
『どんなかっきーだってその時の私が、過去の私が、今も、明日もず~っと愛してるから』
でも、違った。
力がなくても、知恵がなくても、俺を求めてくれる存在がいた。
果てしない夜空に輝く星のように、今の俺を肯定し、照らしてくれる。
それは園子だけじゃない。
今まで、俺に言葉をかけた全員が、同じようなことを言ってくれた。
強いも、賢いも、関係ない。
加賀亮之佑が必要なのだと、彼女たちは態度で、言葉で、身体で、魂で示して。
「だからあとはお前なんだ。初代」
「……どうして?」
「力も、知恵もなくても良いんだってみんなに教えて貰った。頭のスッキリした俺がどうしたいのかを考えたら、単純にお前に逢いたいと思った」
「────」
「力も知恵も貸してくれなくても、ただ初代に逢いたかった」
俺の発言に瞑目する初代は腕に力をこめる。
ゆっくりと寝台に腰を下ろすと、初代は自身の髪に指を通す。
「……そう素直に言われると照れるね」
視線を逸らし、どこか照れ臭そうに囁く。
その姿に胸を高鳴りを覚えるも、茶化すような真似はしない。
彼女に抱かれたまま、続く言葉に耳を傾ける。
「この世界ではボクの望みは叶わない。無駄に力を使う訳にはいかない。仮に契約をし直してもキミはただの一般人として、この世界が滅ぶのを見続けるしかない」
「────」
「キミが傍観者で良いと言うなら、そういう選択もあるだろうね」
「──初代」
「それでキミは後悔するんじゃないか? 後悔しないという誓いに反するんじゃないかい?」
「後悔は……」
後悔ならしてきた。いっぱい、後悔した。
口にはしなかっただけで、後悔した時は多い。
それでも後悔した先で出会えた者もいる。
素晴らしい少女たちと時間と記憶を共にしてきたのだ。
「この世界で若葉や千景……ひなたや小さい頃の園ちゃん、防人の皆にも出会えた。色々あったけど仲良くはなれたと思う」
「肉体関係も結べたからね」
「茶化すなよ。だから、後悔することはあっても、それで後悔はしないと思う」
「……キミも少し変わっちゃったね。沢山の女性を抱いてきたからかな?」
片目を閉じてからかうような口調の初代は指を鳴らして見せた。
いつの間にか、少女の手の中には銃があった。
拳銃だ。柔らかな少女の手に似つかわしくない黒色の自動式は見たことがある。彼女の力を借りて行使できる武器の一つだ。
勇者たちの可憐さの欠片もない、無駄を削ぎ落した拳銃を俺の額に向ける。
「……本当ならこれでキミを救おうかと思った」
「殺して救うというのは哲学か何かで?」
「この世界では魂に戻るだけで実際に死ぬ訳じゃない」
「────」
「死ねば確実にこの世界から解放される。嫌ならボクが解放しようかと思ったが」
「────」
「優しさとボクからの温情で銃弾一発分だけの契約にしてあげよう」
「温情とは」
「どのみちこの世界も永くはない。いずれは終わる世界なのは間違いないから、残りの休暇も楽しむといい」
「……分かった。その契約でよろしく」
「即断即決してくれるキミは好きだよ」
「そうするようにいつも言っていたのは初代だろ」
ふっと拳銃を掌から消した少女に目を向ける。
話は終わったとばかりに菓子を手にする少女の色白の肌が月光に照らす姿を目にしながら、ふと思い出したことを呟く。
「そもそも……なんで今頃出てきたんだ?」
「ああ、それはキミが勇者や巫女を抱いて、その精神を僅かながら狂わせた事がきっかけかな」
「え」
ふんす、と鼻息荒く語り始める少女。
生前は優秀な頭脳で神学や呪術なども修めていたのだろう。ペラペラ、ペラペラと噛むことなく述べられる専門用語も含めた言葉の数々に幼くなった頭を回す。
「──つまり処女性も神聖性も損ねた勇者や巫女に反感を抱く神もいる。ボクはこういう力を研究して使ってきたから神に嫌われていたのだけど、神樹も周囲の神とのいざこざによって生まれた隙間からこうしてキミとの再接続に成功したということさ」
「なるほど」
「キミ自体の行動は小さいが、その影響が少しずつ他に影響を与え、そして神をも動かし、ボクを呼び出した。これは凄いことだよ」
そんな風に言われると心がくすぐられる気がした。
幼くなったことで精神まで変質してしまっているのか。
頭の中まで軽くなってしまったかもしれない。
「流石は俺ってところか」
「そして流石はボクというところだ」
ゆっくりとしなだれかかる彼女の重さに、俺は倒れ込む。
柔らかな寝台、広がるシーツの上に寝転がる幼気な子供を見下ろす魔女。
「それでずっと見ていたんだが……キミ調子に乗ってないか?」
「ほう?」
「あれだけの少女を抱いて従えてハーレム気取り。見ている側としては思うところがあるな」
確かにハーレムは男の夢である。
両手に女を侍らせ、股に女の顔を突っ込ませることを夢見ていた身としては、実際に味わってみると苦労もある。
調整をミスすると複数人に抵抗も出来ずに襲われるのだ。
そして、女性というのは色々と察する力が強く、誰が誰と関係を結んだのか、それを踏まえて関係性の再構築や機嫌を取ったりと、勇者部内で男一人の身としては色々と心苦しくなる。
夢と現実は違った。
そんなことを声高に主張しようとするも、言葉を喉に詰まらせた。
クツクツと笑う彼女は自らの衣類に触れていた。
瞬く間に消失した黒いワンピースから覗くのは純白の肌だ。
黒い布地の下には何も身に着けてはいなかった。
鎖骨も、豊満な双丘も、色素の薄い先端も、臍から細い腰肉と薄い恥毛が隠せぬ秘所も、月光だけが静かに白い女体を照らし出す。
柔らかく、滑らかな肌を隠すこともせずに俺を見下ろす。
俺もまたその裸体を目を逸らすことなく見続ける。
眼球に焼き付けつつも、しかし赤面などはせず、俺の反応に初代は目を細める。
「思うところって?」
「……とぼけるなよ。どれだけ器用さを磨いても最初から女を喘がせられる訳じゃない。そんな技術を誰に教えて貰ったのか。ちょっと離れただけで忘れたのかな?」
「誰だっけ?」
「そうか……残念だ。精神的にキミを男にしたのは誰だったのか思い出させてあげよう」
一人で本を見て出来ることならともかく、相手がいないと出来ない事はどうにもならない。
「童貞を捨てたいと言っていたのは誰だったのか……女を喘がせたいと……」
「ああ……ああ、思い出した! この身体になってから物忘れが酷くてさ」
健全な身体には健全な精神も、性欲も宿る。
そして常日頃から一緒にいる相手には何もかもを知られている。
いつそんな関係になったかは思い出したくはない。
揶揄われて、誘いに乗って、色々あって、精神的に大人になった。
肉体に反映される訳ではないので、最初は慣れるのに時間がかかったけど。
にじり寄る少女が動く度にベッドが僅かに軋む。
迫り来る黒い少女の近くで、僅かに金髪の少女が身じろぐ。
「ほら、園ちゃんもいるし……」
「声くらい我慢出来るだろ? ……思うんだ。ボクが授けた技術で他の少女が喘いでいる姿を見ていると」
「興奮した?」
「なんとなく苛立つ」
小柄な身体では逃げることなど叶わない。
否、眼前の一糸まとわぬ美少女を前にして逃れる必要があるだろうか。
柔らかな寝台に背中を預け、眠りこけている金髪の少女の近くで黒髪の少女に覆い被さられる。
腹部が、脚が重なる。初代と目が合う。
しっとりとした柔らかい肉果が俺の手の上でこぼれる。
狩人は誰なのか。少女らしからぬ艶美な舌なめずり。
「──少し眩しいね」
僅かな月明りすらカーテンが閉められ、本当の闇夜が広がった。
ぴくりと俺は瞼を震わせて目を開く。
ドアが開いた音、客人が入ってきた気配に身体を起こした。
「むにゃむにゃ……」
寝言を漏らす園子は変わらず可愛らしい寝顔を見せていた。
倦怠感を感じながらも、俺は彼女の耳元に囁く。
「園ちゃん。昨日も今日も明日の俺も園ちゃんのことを愛してるよ」
「むふ~……」
ちゅっと頬に口づけをして寝台から立ち上がる。
サンチョ枕と毛布に包み込まれた園子を置いて、周囲を見渡す。
初代はいなかった。影も形もなかった。
夢か現実か。その事について考えるよりも身体が動いた。
客人は合鍵を持っているにも関わらず、律儀にも玄関で待っていた。
「りょーちゃん!」
「おはよ~だぜ」
「おはよう亮くん」
可憐な笑顔を見せる少女たち。
親愛と友愛を感じさせる笑みを見せる彼女たちはこの家によく来る。手土産というよりも朝ご飯を一緒に食べようというのか、手荷物が多い。
「私がお世話になったからね~。お礼をしないとだ」
園子(小)へのお礼だと園子(中)が呟く。
不思議な発言だが意味は理解できるので首肯だけ返す。
「おっきくなってる!」
心に不純物を抱えてそうな人なら勘違いしそうな発言をする友奈はグルグルと俺の回りを歩いては、最終的に抱擁と共にくんくんと匂いを嗅ぐ。
まるで犬のような挙動をする友奈に慈母の笑みを見せる東郷が口を開く。
「元に戻ったのね、亮くん」
「ん? 本当だ……」
言われて気づいた。
身体の大きさが元に戻っていた。
最悪ずっと小さい状態という可能性も考えていたが、そこまで世界は冷たくはなかったらしい。概ね他の少女たちが小さくなっていた期間より多少長かった程度か。
もしくは昨夜の出来事が原因なのだろうかと頭を回す俺に、
「今気づいたの? もしかして寝ぼけてる?」
喜びと共にどこか残念そうな顔を東郷は見せる。
東郷は唇を湿らせ、深緑の瞳で俺の頭から爪先まで見ながら──、
「それで、後ろの方について説明して貰える?」
「────」
背後を振り返ると、黒髪を濡らした少女がいた。
シャワーでも浴びていたのか、浴室のドアを閉める彼女は貸した覚えのないワイシャツを身に着けていた。男の欲望を理解しているような恰好で、シャツから伸ばした白い脚を動かす。
「ん?」
「わわっ、美人さんだ」
「……誰?」
「ふーん。私分かっちゃったかも……」
背後に向けていた視線を元に戻す。
女特有の嗅覚なのか瞳からハイライトを消した少女たちがいた。
「かっきーのそっちの評価は高いと思う?」
「確かにあんなことやこんなこと、あること無いこと噂されたりするが、それでも普段からちゃんと紳士をしているから浮気とかそういうアレじゃないから」
そうしている間にも背後から少女が無言でやってくる。
思わず身構える少女たちに対して余裕のある言動を見せる黒い少女。
「やあ」
「あ、……おはようございます」
「失礼ですが亮くんとはどんな関係ですか?」
親し気な挨拶に思わず敬語を返す友奈に代わり、東郷が攻め込む。
躊躇うことも空気を読むこともせず、果敢に進む姿は眩しい。
寝起きであったからか頭が回らない。
昨夜の出来事が現実ならば、搾られてしまったのは脳味噌もではないのかと現実逃避を始めようとする俺を他所に、東郷からの問い掛けに初代は深紅色の瞳で見つめ返す。
「関係か……」
顎に指をおき、可愛らしく小首を傾げる初代。
その聡明な頭脳は既に現状を理解しているのだろう、チラリと目を俺に向ける。
今更ながら彼女との身長の差が無くなったことで元の大きさに戻れたことを実感しながら、彼女が現状を変えてくれることを祈って、
「ボクと彼の関係は……」
共犯者だと彼女は口にしなかった。
言葉ではなく、行動で少女は関係を示した。
唇が重なった。
一瞬の出来事に誰も動くことは出来なかった。
硬直する少女たちの前で、柔らかな唇を俺は味わう。
「こういう関係だ。──ボクが一番彼のことを知っている」
やがて、触れた唇を離して彼女はそう宣言した。
不敵な笑みと共に、首からチェーンで下げた指輪が微かに熱を帯びた。
「────」
いつか彼女たちが出会う日がきたらどうなるのだろうかと空想したことがある。
友奈や園子が初代に出会ったらどんな反応をするだろうかと。
現実的に会うことなど無いと思っていたが、この世界なら可能らしい。
それにしても、もう少し良い出会い方というのはなかったのか。
玄関に置かれた小さな鏡。
それに目を向ける少年の血紅色の瞳が窓越しに空を見上げる。
──心地の良い晴天がどこまでも広がって見えた。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
一区切りつきましたので花結い 終わらぬ空編 おわりです。
合計100話突破しましたのは読者の皆様のお陰です。
気が向いたら今後は蛇足番外編として書くかリクエストなど書いてみたいと思います
あとで話と関係あったりなかったりするあとがき書くかもです