「最近、お姉ちゃんの様子が変なんです」
そう告げる少女の名は犬吠埼樹。
短めな金髪を揺らし、眉を顰めて告げる少女がそう告げたのは、夏凜との行為から二日が経過した頃だった。
姉御肌でありながら名誉部長である樹の姉――風の様子がおかしい。
小動物を連想させながらも現勇者部部長として成長中の少女が告げる言葉。
人間誰にでも悩み事の一つや二つあるだろう。
それは当然、彼女の姉である風もしっかりと当て嵌まるだろう。
特に風の場合、一人で抱え込み、溜め込んで爆発するタイプだ。
意外と妹よりもメンタル面では心配だと思うのは、勇者の満開システムの代償の存在を知った時の風の行動が原因だろうか。仲間を想い家族を愛する少女は、闘いに巻き込んだ責任を一人で抱え込み、誰にも相談せずに爆発したのだ。
『大赦を……潰してやる……ッッ!!』
激情を隻眼に湛え、怒気を隠す事なく暴れまわる風。
あの光景は瞼の裏で鮮明に記憶している衝撃的な出来事の一つだ。
流石にそこまでの事には至らないだろうと俺は当時の思い出を振り返りながら樹に問い掛ける。珍しく勇者部の面々ではなく亮之佑に相談との事で、場所をハンバーガーショップに移していた。
うどんバーガーなる物があったが、本日は冒険をしないと決めた為に無視である。
それはさておき、初めて会った頃とは比べ物にならない成長を樹は見せつけてくる。
去年ならばきっとこうして二人だけで食事をする事など無かっただろうから。
その行為から樹の俺への信頼を感じ取って――、
「ご指名ありがとうございますってな」
「えっ?」
「いや。それよりも、どう、変なんだ?」
壁に耳あり障子に目あり、という言葉がある。
相談というならば、普段行くうどん屋よりは知り合いに遭遇する可能性も低いだろう。
包みを開くと茶色のバンズに挟まれたチーズやケチャップが覗く。
それはチーズバーガーと呼ばれる代物であり、ボリュームに対して値段は安価だ。食べ過ぎは毒となり得るが、たまに食べる分には美味しいと思える実に不思議な食べ物である。
乙女特有の心の準備が出来るまでは時間があるだろう。
まろやかなチーズとトマトケチャップの酸味が舌上に広がる味わいを楽しみながら、そっと樹の方を見やると購入した商品には手を付けず、ジッと俺の方を見ていた。
「えっと……」
「……まあ落ち着きなよ。ちゃんと聞くからさ」
「は、はい」
素直に頷き返す樹はポテトを手に取る。
リスを連想させる食事姿を見ながら、暫く無言のまま食事を楽しむ。
そうして互いに半分程食事を終えた頃に、ふと上目遣いをする樹は小さな唇を開いた。
「その、お姉ちゃんなんですけど、最近様子がおかしくて」
「ん」
相槌を打つ。
咀嚼しながらも、周囲の喧騒の中で、ただ一人の少女の声音に耳を傾ける。
「たまに遠い目をして、溜息をするんですよ、お姉ちゃん。はぁ……って」
「ん」
「どうしたの? って聞いてもなんでもないって……。御飯の量も普段より少ないし」
「――、でも二杯くらいでしょ」
「そうですけど……」
樹がわざわざ亮之佑単体に相談をしてきた時点である程度の予想はしていた。
そもそも相談事だというのならば、勇者部という自身が長となった部があるだろうと。
私的な事であれ、あの個性豊かで才色兼備な彼女達なら笑顔で聞いてくれるはずだ。
それがどうして亮之佑個人に相談なのか。
亮之佑は自身の事をそこまで優れた人格者だとは考えていない。
表面上は敵を作らないようにはしているが、それはあくまで保身の為だ。
敵となり得るならば弱みを握り、脅す事は躊躇わない。
家族、友人、財産。どんな人間でも生きている限り『弱み』という物はある。
そんな事を考える亮之佑は間違いなく神樹を崇める優しい世界には相応しくない異物だ。
だから――、
「どうして俺に?」
「あっ、えっと……」
知らないふりをして、分からない表情を浮かべて、無垢なふりで問いかける。
狼狽える樹の表情、視線、声の震えを観察し、自らの予想と一致するかを確かめる。
泳ぐ彼女の瞳、それは時折亮之佑を見ていて。
具体的には鼻の下付近をチラリと見る度に、姉譲りの瞳を揺らしていて。
「キス」
「――――」
「あー……」
呟いた一言にピクリと反応する少女の姿に小さく吐息する。
最近は忙しく忘れていたが、目の前の少女の姉とは少し『遊んだ』ことがある。
火遊びとも悪戯とも、気まぐれとも言える。
当時の『流れ』的に少し押した結果、思いもしない反応を示した少女もまた無垢な少女だったという事なのだろう。少し遊んだ結果、微毒が全身に広がるように、今頃になって『何か』が風に働きかけたのだろうか。
「そ、その……」
挙動不審に目を泳がせる樹の小さな唇は震えてばかりだ。
何かを思い出したのか頬を赤らめる様は、一輪の咲いた花を連想させる。
「樹」
「!」
「一度風先輩に会っていい? 多分解決できるよ」
「は、はい。勿論です」
「あ、でもその前に。買い物行っていい?」
+
「はー……」
溜息をする金髪の少女。
長い金髪を黒色のシュシュで二つに纏め、首には白いチョーカーを付けた姿。
窓辺に佇み、物憂げな表情を浮かべる姿は不思議な事に似合っていた。
「窓辺に佇むアタシって……、女子力高いわね……」
「――――」
「美少女、ここに極まれり」
ボソリと呟く言葉に鼻で笑う。
馬鹿にした訳ではない。ただ無性に笑いたくなっただけだ。
風も美少女である事は間違いない。
友奈とは異なる快活さと周囲を纏める力は確かな物である勇者部のリーダー。
責任感も強く、家庭的と、チアリーダー姿で男子の目を奪い告白された事を何度も自慢しなければ、間違いなく風は『良い人』だ。
「お姉ちゃん」
「……樹、と!?」
此方を見た瞬間、窓辺から床へと転げ落ちる風を見る樹。
どこか残念そうな顔をしているのは気のせいだろう。
風の部屋に入り込んだ樹と俺は出口であるドアを閉じる。
樹には何とかすると告げただけで、何をするかは伝えていない。
「りょ、亮之佑!」
「あ、どうも。あれ~、どうしたんですか、先輩? そんなに驚いて」
「い、いや、だってアンタ」
かぁぁっと顔を赤らめる風。
それは窓辺で一人黄昏れていた姿を見られた事への羞恥か、或いは別の事か。
私服らしきカジュアルな服装は、乙女を自称するだけあって非常に似合った装いだ。
短めのスカートとパーカーはどこか讃州中学校の制服を連想させる。
清楚感を漂わせる姿は遠目から見れば令嬢としても通じるのではないだろうか。
「ちょっ、やだ、もう……褒めすぎ」
風とは以前の口付け以来、キチンと顔を合わせた事は無い。
勇者部という接点が無ければ犬吠埼家との繋がりはたまに訪れる程度だ。
その訪問もあれ以来無かったので、驚愕の理由としては頷く事も出来るだろう。
「まあまあ、落ち着いて」
「まあまあって……」
「まあまあ。ほら、これでも飲んで」
ストレスの捌け口とは大事だ。
どんな時でも塞ぎ込むと後々面倒な事になる事を知っている。
その原因がどうであれ、対応方法は人生の中で磨いてきたのである。
「はいはい、お客さん。飲み物とお菓子はありますね~。ではこれより、出張版☆奇術、始まるよ~! これから二人を虜にしちゃうぜぇ」
「えっ、えっ? 何この展開」
「ほら、お姉ちゃん座って」
「う、うん」
「――イッツ、カガワ☆イリュージョン」
+
「うおぉぉぉぉぉぉんんんんっっっ……!!」
「あははははは……っっ!!」
部屋には笑い声と泣き声が響いていた。
この世界で地位の高い乃木家、その令嬢である園子を本気で感動させるレベルに昇華した奇術を目の当たりにした二人。たった二人の客なれども手を抜く事はせず、結果大盛況であった。
「凄すぎてよく分かんない、あっはっは……!!」
小さな手でしかと甘酒の缶を手に持つ樹。此方が行う芸に関心を示しながら爆笑する姿は、普段の小動物然とした姿からは程遠い物である。
甘酒で酔える少女は爆笑しながらも、しっかりと此方の芸に驚きを示す。
「今の、どこから水を出したんですか〜?」
「ヒミツ」
「……凄いわね、亮之佑」
「いえいえ」
「アタシなんて鳩の一羽も出せないから……ひっく」
「風先輩だって、やれば出来ますよ」
犬吠埼姉妹の酒癖は驚くほどに対照的だ。
泣き上戸と笑い上戸という姉と妹の興味関心を引く事に成功した為、奇術は終了とする。
およそ三十分程の簡単な物だったが、姉妹の満足気な表情を見る限り大成功であるようだ。
あくまで奇術は前座でしかない。
前菜の前菜。僅かに生まれた溝を埋める為の切っ掛け。
「いや、そんな訳ないでしょ。無理だよぉぉ……っ」
「よしよし」
獣の雄たけびを彷彿させる鳴き声で喚く風の隣に座る。
何を思ったのか抱き着いてくる風の頭を撫でながら、ふと問い掛ける。
「最近どうです?」
「……何がよ」
「……」
「アンタの所為で、ちょっと寝つきが悪くなったわね。あと……」
チラリと此方を見つめる風の吐息は熱い。
どこか虚ろな瞳が見つめる先は俺の鼻先よりも僅かに下、唇だろうか。
「寝つきが悪い? 夜な夜な、何かしてるんですか?」
「し、してないわよ。変な事言うんじゃないわよ」
「そうですか……」
どこか狼狽えた表情をする風は、俺から視線を外す。
元々甘酒などに大したアルコールは入っていない。時間が経過すれば酔いは醒め、如何なる上戸も素面に戻るのは当然の摂理だ。
姉が向ける視線は、寝台に寝転がる樹に向けられている。
「あの様子なら、そうそう起きないだろうな」
「……っ」
「ねえ、先輩。あの時の質問の答えが聞きたいのですけど」
つるりとした太腿を撫でると、程良い脂と肉が乗った両脚が僅かに震える。
小さな絨毯の上で二人。既に酔いは醒めたのか、しかし逃げる事の無い風に問い掛ける。
「あれよりもっと凄い事、しますか?」
「――――」
空き缶が二つ転がる床には小さな麻袋がある。
軽い袋にはナッツが一粒だけ残っており、静かに指で摘まみ、無言のまま差し出す。
「……」
差し出されたナッツを唇で挟み、ぽりぽりと咀嚼する風。
「お酒の所為にも、出来ますよ。酔ったからって」
「……」
ちゅく、と口に含んだ仕草は僅かに扇情的で、底知れぬ熱を感じさせる。
差し出した指先は宙を漂い、何となしに少女の柔らかく厚い唇をなぞる。
恋人と触れ合うかのように親愛を籠めた指先に、風は目を細める。
そうして顔を背けようとする少女の動きを封じ込めるように頬に手を宛がう。
「……!」
「……しますか?」
二度目の質問。
ただ、その言葉は大幅に言葉が抜かれ、端的に少女の脳裏を駆け抜ける。
徐々に狭まる互いの距離を邪魔する者は無く、やがて――、
「…………する」