白い、白い月が亮之佑を照らしている。
何もかも飲み込むような、あの世界よりも薄い闇夜を照らし出す冴えた月が無言で亮之佑を見下ろしている。だというのに、俺が見上げる先に月は見えない。
見る方向を間違えている訳ではない。
ただ、窓から見える丸い月と俺の間を阻む一輪の花が月光を隠しているからだ。
「――――」
細い指が俺の顎に触れている。
そっと持ち上げられた先に屈みこむ少女が一人。
月より美しく、金髪は月明りを受けて、白皙の肌が照らされる。
月光は隠されてなお、その薄光で彼女の金色の髪の毛を照らし、輝かせる。
亮之佑を見下ろす少女の背後から滲み出る月光は、彼女を神々しく映えさせる。
否、たとえ月明りが無くとも、彼女は、園子はいつだって――、
「その、ちゃん」
「――――」
琥珀色の瞳が俺を見る。
月を瞳に宿したような、穏やかで、静かな眼差しに俺を映し出す。
視線が交錯する。
何もかも見透かしたような眼差しで俺を見つめる園子は無言だ。
一秒にも、十秒にも、ただ見つめ合うだけの時間の中、少女は小さく唇を開く。
俺の呼び声には答えずに。
先に目を逸らしたのは、彼女の方だった。
「……わっしー、ゆーゆ」
「うん」
背中に圧し掛かったままであった少女二人に園子が呼び掛ける。
名前を呼び、反応する友奈と東郷は俺の腕を手に取る。特に縄や手錠で縛る事は無く、柔らかい布地に包まれたパン生地の如き双丘がふゆんと腕に触れる感触が伝わる。
当たり前だが東郷の方が大きく、友奈はふわふわだ。
それを悟られたのか、或いはわざとなのかチラリと此方を見る少女達。
「こっちだよ」
指を絡ませて腕と豊かな双丘を当ててくる二輪の花。
この手は振り解けないだろうとばかりにガッチリと掴まれながら、見慣れた自室を引き摺るようにして連行される。事前に打ち合わせでもしたような動きで俺は寝台に座らせられた。
どこか異様な雰囲気に対し、ふと頭に腕を伸ばそうとしたが、拘束を解くことは出来ない。
同じく正面に座り込み、此方を真正面から見つめる園子は僅かに眉を顰める。
「あー、今日って何かあったか? 誕生日とか、元旦とか」
「……違うよ」
冗談めいた口調の俺に、琥珀色の双眸を向ける園子。
時刻は既に真夜中と言っても良い時間帯だ。そんな時間に少女が三人、人の家でお泊り会をする可能性はあるとは思うが、それにしては家主に連絡の一つも無いのはおかしい。
「ねえ、かっきー」
「うん?」
「今日、どこ行ってたの?」
「どこって、まあ……ぶらぶらと、あっち行って、こっち行って」
「嘘」
「――――」
軽々しい言葉はバッサリと切り捨てられる。
微笑んだまま、少女はそっと腕を伸ばす。僅かに冷えた指先はひんやりと心地良く、頬を撫でられる度に少女からの優しさと親愛を感じた。
だというのに――、
「……」
「……何が?」
どこか冷え冷えとした眼差しが俺の居心地を悪くさせる。
テストで赤点を取ったのを隠した子供を、あとで全てを知った親が叱る直前のような、そんな眼差しが。小首を傾げ、長い髪の毛を揺らし、穏やかに微笑む少女。
一体、自分が何をしたのだろうか。
久方振りに、とは言っても数日振りに顔を合わせた園子は、以前と変わりない。
艶やかな髪の毛も、雪肌を思わす柔らかな肌も、長い睫毛も、琥珀色の瞳も――、
「――――」
どこか普段よりも陰を宿した瞳。
それはきっと月明りのみが照らす薄暗い深夜の自室だから。
そう俺は思っていて。
「かっきーの事なら、私なんだって分かるんだから……」
ポツリと呟く園子を見ながら、チラリと手を掴む少女を見やる。
ゆったりとした私服を着た彼女達は、黙り込んだままジッと俺を見やる。
普段の様子とは異なり、此方を見やる大きな瞳には光を見る事が出来ない。
気のせいだと思っていた。
自室に入ってから感じた悪寒を、気のせいだと、思いたかった。
どこか普段と異なる異質な雰囲気。
可憐な少女達に囲まれながら、俺は辛うじて呼吸を続ける。
そうして正面を向くと、その行為の全てを観察でもしていたかのようにジッと俺を見つめる園子、その瞳に宿る感情を俺は読み取る事は出来なかった。
ただ、ここで適当な回答は己の身を殺すと本能が告げていた。
乾いた口内で舌を動かし、焦りを抑えて、正面に座り込む園子を見返す。
「私、知ってるよ」
「……何を?」
「かっきーから、他の女の匂いがする」
「――――」
そう告げる園子は僅かに眉を顰め、腕を広げて首元に抱き着く。そのまま身体を押し付けてくるので園子に逆らわず背中を倒し、寝台に倒れ込む。手を掴んだままの友奈と東郷はしっかりと握ったままで、視界には金髪と左右に二人の少女が映りこむ。
ぷわりと漂う甘い少女の香りが鼻腔をくすぐる中で、スンスンと鼻を鳴らす園子が見せる表情は虚無だった。東郷と友奈も何か言いたげながらも無言を保つ。
「浮気は駄目だよ」
そう言いながら抱き着くように俺の首筋に顔を埋めて囁きかける園子。
ここに至り、自らの状況を理解しながら俺は辛うじて頭を回し状況の打破を試みる。
浮気。浮気と言ったか。
浮気というのは、結婚後、妻以外の女性と性交渉を行う事であるが、この場合はどうなのだろうか。仮に全ての行いが目の前の少女にバレているとして何だというのだろうか。
……などと口に出したら三等分の奇術師にされるのは明白だろう。
目のハイライトが消えたように見える少女達を相手に、俺は静かに口火を切った。
「よく分からないけど、夜も遅いし寝たいんですが」
「駄目」
あくまで『知らない』というスタンスで対応する俺に対し、園子は首筋を舌で舐める。
ぺろ、ぺろりと唾液を塗りたくるように、幸せそうな顔で俺の首筋を舐め続ける。
全てを見透かしたように、否定を続ける俺に対し、薄い笑みを張り付けて園子は告げる。
カチャン、という音が響く。
金具が擦れた音と、手首に感じる僅かな異物感に俺は目を向ける。
いつか見た事のある鎖の付いた手錠が俺の手首と寝台の端とを繋げていた。
「今度のはもっとしっかりした物だよ~」
「――――」
たった今、俺は園子に監禁されたらしい。
手錠を付けた相手、東郷の方を見ると深緑色の瞳を輝かせて薄く微笑んだ。
「これで安心ね」
「いや、安心じゃないから。外してよ、東郷さん」
「そのっちだけじゃなくて、私も亮くんを満足させられるよ?」
どこか危うい光を宿し、園子と共に穏やかに微笑む少女に、俺は吐息する。
既にどこか深い所に堕ちていたらしい東郷は右手を胸に抱きながら俺にもたれかかる。
むにゅん、と腕を挟み込むパン生地のような柔らかさを感じながら、しかし今だけはその感触に感想を抱く暇は無い。
美しい深海の如き瞳を俺に向けながら、東郷は俺の頬に口付けをする。
柔らかくしっとりとした唇の柔らかさを頬に感じ、そこから伝わる確かな親愛に目を細めながら彼女の表情の変化に注目する。
どこまでも穏やかな表情を浮かべている様は、まるで聖母のようだ。
先ほどまでの無表情とは打って変わり、どこか安心したような優し気な笑みを浮かべて俺に笑い掛けてくる。――それは俺を捕らえる事に成功した余裕からか。
「一杯、すごい事、してあげられるから。だからもう、他の人と、こんな事しないで」
区切るように、脳裏に届くように東郷の言葉が響く。
ムニムニと服の上から主張する少女の双丘が腕に触れる度に形を変える。
「他の人……?」
「もう、亮くんったら。ふふっ」
困った人を見るように東郷が俺の鼻を指でつついた。それがあまりに場違いな行動に思えて、俺の頭上をいくつもの疑問符が飛び交う。
儚げに眦を下げて、慈しむように俺の頬にキスをする東郷は小さな声音で囁く。
「夏凜ちゃんや、風先輩の事よ」
「――――」
「わっしー、イッつんもだよ~」
「あら、そうね。流石そのっち」
「えへへー」
「――――」
嬉しそうに笑みを浮かべる園子と褒める東郷の瞳はどこか濁っていた。
少女三人と家主が占領する寝台の上では、話し合いではなく裁判が行われていた。
弁護士はおらず、ただ裁判官と被告人がいる、あとは刑の内容を考えるだけの裁判だ。
「突然、なんてことは無いよ~」
「――――」
「かっきーは恰好良いし、優しいからね……」
「――――」
「多分、亮くんは火遊びだーって言うんだろうけど、駄目。浮気は男の甲斐性なんて言うけど、やっぱり駄目。……許さない」
もう三人もいるんだから。
そう告げる二人から目を逸らし、俺の左腕を抱きしめ続ける無言の一人に目を向ける。
赤い髪の毛を揺らす少女は、薄紅色の瞳を輝かせて此方を見続ける。
視線を合わせて数秒、にこにこと笑みを浮かべる友奈は俺の唇に触れる程度にキスをした。
「友奈……、お前もか」
「うん。夏凜ちゃんや樹ちゃん、風先輩にはちょっと悪戯しただけだもんね! 大丈夫だよ?」
「――――」
「でも、何回したの?」
「――――」
「ねえ」
主語を省いた質問でありながら、友奈は自首を促してくる。
ここまで来れば年貢の納め時だと、薄紅色の瞳を見つめながら俺は告げた。
可能な限り最小の被害で済むように。
「……三回かな」
「……そっか。じゃあ、六回しないとね~」
「えっ」
「私と~、ゆーゆと~、わっしー。一人六回ずつエッチしないとね」
「――――」
瞬間、園子の言葉にバーテックスの一撃を受けた時よりも俺は呆けた。
胸元に縋りつき、熱い吐息と雫の感触を感じて、園子との触れ合いで自分が必要とされているのだと実感した。だからこそ、目の前の少女の発言が本気だと感じられて――、
「あ、大丈夫だよ。乃木さんち特製ドリンクもあるから」
「楽しみね」
「――――」
どうやら目の前の少女達は、頭のネジがどこかに行ってしまったのだろう。
俺の衣服を脱がせ、自らの衣服を脱ぎ、下着姿になる少女達は改めて抱き着いてくる。
右半身に東郷が。
左半身に友奈が。
胸板に園子が圧し掛かり、抱きしめてくる。
「亮くん。これから先も、貴方の為に心を尽くします」
右耳に薄青色の下着のみを身に着けた東郷が囁きかける。
「かっきー。私を不安にさせないで」
正面から紫の下着を身に着けた園子が囁きかける。
「亮ちゃん。ずっとずっと一緒だよ!」
そして左耳に甘やかな声音で、ピンクの下着を身に着けた友奈が幸せそうな笑みで囁いたのだった。
+
「はっ」
瞼を開く。
全身を包み込む倦怠感。
滝のように流れる汗が頬を伝うのを気にせず、視界が鮮明となるのを少し待つ。
ぼんやりとした意識の覚醒を促し、大きく呼吸をすると夜の匂いが鼻腔を擽る。
「――――」
亮之佑が見上げる空は、闇夜が広がっている。
この世全ての夜を混ぜ合わせた夜が、果てなき夜が広がっている。
星々も、雲も、その夜の前には存在を赦されず、唯一大きな月が世界に色を与える。
周囲を見渡すと広がる草原。
頭上から時折降り注ぐ桜は枯れる事を知らない。
亮之佑が伏せていたテーブルは白色で、隅には皿が置かれている。
皿の上にはクッキーが、そしてひらひらと小さな桜の花が視界を舞う。
ふと、中空を漂う花弁の舞に目を奪われて――、
「やっと起きたかい」
その声音を知っている。
恐らく、亮之佑が生きる世界で、彼だけがその存在を知っている。
この世界の不条理に抗う為に契約した悪魔を、少女の事を忘れるはずがない。
その名を、
「初、代」
「まだ血の巡りが悪いようだね」
クツクツ、と嗤う少女は小首を傾げる。
艶のある黒髪は肩付近で切り揃えられ、特徴的な血紅色の瞳をしている。
亮之佑が突っ伏していたテーブル、その反対側の椅子に座っていた少女。
彼女は言った。
「キミは腹上死しました」
「――――」
「なんてね」
「――――」
「まあ、座れよ。六股野郎」