いつも感想や評価ありがとうございます!
──子供の頃は後先考えずに廊下を走っていた。
その先に何があるのか分からず、でも何とかなると適当で。
なぜば大抵なんとかなる。そう無邪気に思っていたあの頃。
前世の時代、勉強も将来も大学も会社も何とかなると信じていた時代。
思考放棄とも、そもそも自分で考えたり調べたりする、そんな発想の無かった当時の俺も無邪気に鬼ごっこをしたりすることがあった。
それでなんとかなる訳がない。
『なんとかなる』とはそれ相応に努力や本気を見せた者だけが掴めるものだから。
だから俺は何も考えずに走ったし、遊んだ。
職員室など学生が入れない場所を除いた学校という施設全てを使用した追いかけっこ。小学校の世界は脚が速い者が全てであって、速くもなく、上達する努力もしなかった俺は鬼になると絶望的な展開になるので必死に走った。
そんなことをしていれば、後先考えずに走って人にぶつかるのは当然だ。
人にぶつかり、自分も転んで。
それが問題視され俺がいた学校では鬼ごっこは出来なくなった。
後悔と苦みのある思い出だったが、それでもかつての人生の中で本気で、必死だった。
それからの人生は何となく手を抜いて、何となく生きて、怠惰に死んだ。
子供の頃の鬼ごっこが一番人生の中で本気だったかもしれない。
「待てッ! 止まれッ!!」
「こわ~」
何故、今になって思い出したのだろうか。
あの頃の必死さを思い出すのは似た状況だったからか。
あれから多少なり知識を蓄えた俺は、彼女に、若葉に追い掛け回されていた。
「一発殴らせろ!!」
「うへえ」
いったい、どうしてこんなことになったのか。
いったい、俺が何をしたというのだろうか。
脳裏を過る数多の言葉。
罵詈雑言、言い訳、それを口にするよりも走ることに力を向ける。
上里ひなたを抱いた。
サーチ&デストロイする気全開の顔真っ赤な風雲児に追いかけられるのはそれが原因だろう。ただ互いに同意の上であることは事実であり彼女もある程度は理解している。
つまり若葉の感情的な問題だ。
立ち止まって殴られるべきだろうか。否だ。
殺意すら向けてくる若葉に降伏したら殴られるどころではないだろう。
「クソ……脳筋め」
「なんだと!」
「スカートが捲れてはしたないですわよ!」
「散々見ているだろ!」
腕力に物を言わせて戦う勇者は多い。拳然り、大剣然り。
その筆頭格の存在、女武者は端正な顔を歪め暴力を振るう為に近づいてくる。
幸いにも、勇者服を纏って迫って来る暴挙はせず、素の状態で駆けてくる。
この年齢の男女の差はあまりない。
強いて言うならば普段の鍛錬の差で数秒先の未来が変わる。
「そんなに怒ったら美人が台無しだぞ」
「亮之佑──!!」
「オイオイ、俺と一緒にホニャホニャして園子を作ろうとした仲じゃないか。まだお風呂に入ってないんだろ? 汗だくじゃないか。一緒に入ろう」
「私が園子を産む訳じゃない!!」
「それはそうだろ。何言ってるんだ?」
「亮之佑ぇええええ──!!」
頭に血の上った人間には何を言っても駄目だ。
美少女に名前を呼ばれることに心が高鳴りを覚えなくも無いが、状況が悪い。
肺の痛みは疲労で、高鳴る鼓動は決して恋心によるものではない。
「ハァ……ハァ……」
美少女との鬼ごっこを止める者はいない。
勇者部の可憐な少女たちが帰って来るのは遅いのか、或いは外泊か。
誰かと衝突する心配は無いが、彼女との体力勝負はやや俺が不利なようだ。
角を曲がる時、人に当たる可能性を考慮してやや減速する俺。
激情に身を任せ、鍛えられた身体を駆使して壁すら駆ける若葉。
流石に友人とは言え不在の部屋に入ると後々面倒である以上、隠れる場所は限られる。
若葉のお仕置きを受けていない理由は、
「喰らえ! 最高級うどん玉(袋入り)!!」
「むっ! うどんを捨てるとは……裏切り者めッ!!」
「袋入りだから……」
「私は知っているぞ! 去年の年越しに貴様が蕎麦を食べたことを!!」
「何故それを!?」
「園子が教えてくれたのだ」
この世界の住人は殆どがうどん狂いだ。
火に油を注ぐ行為だったが、彼女たちは空を舞ううどん玉を放置は出来ない。
そんな風にして既に十分程度、若葉に対して走る、隠れるを繰り返している。
頬を伝う汗を拭い、猟犬のように潜み隠れようとする俺を捕まえてお仕置きをする為に若葉も執念を見せる。寄宿舎という場所は彼女のホーム、更に言えば隠れる場所も少ない。
外に出るのは容易いが自宅に到着するまで延々と追い掛けてきそうだ。
シャツが背中に張り付き、全身から汗が噴き出るのが分かった。
そろそろ他の少女たちも戻ってくるだろう。俺は選択を迫られていた。
「ハァ……やるな……だが、あまり、私を舐めるなよ」
額に張り付いた前髪を上げる彼女はギラギラとした眼差しを見せる。
ブラウスは汗で張り付き、淡い水色の下着が覗くが気にしている余裕はない。
「ふざけるなよ。暴力系ヒロインなんか誰も求めてないんだよ! 理不尽な暴力もツンデレもそうだ。小説やアニメならともかく現実でやられても嬉しくないんだよ!!」
「何の話だ! そもそも誰が暴力系ヒロインだ!」
「素直が一番なんだよ!」
「さっきから何の話をしているんだ!?」
「それ以上俺に近づいてみろ。裸にひん剥いて恥ずかしい目に遭わせてやる」
「脅しかそれは? たとえ全裸になろうとも貴様を仕留めてみせるぞ、私は」
「若葉と杏がホニャホニャしていたことをひなたさんに言ってやるぅ!」
「そんなことはしていない!」
誰も助けてはくれない。
先ほど、杏が部屋から顔を覗かせたが俺と若葉を見て部屋に戻った。
状況を察したのか、どこか残念そうな顔をしていたのは忘れない。
「どうだろう、若葉。そろそろ落ち着いただろうか?」
放置しておけば延々と追い掛けて来る若葉に交渉の余地があるかを尋ねる。
この十数分の間、必要のない汗を流し合った仲なのだ。きっと分かり合えるだろう。
そんな俺の思考を嘲笑うように、頭を振る若葉の長い髪が揺れる。
「……いや? そろそろ本気を出させて貰おうか」
「……ッ」
そろそろ覚悟を決めるしかないだろう。
体術に持ち込めば、若葉相手でも勝つことが出来ると──、
「それよりも一つだけいいか?」
「どうした?」
「先ほど、ひなたの部屋から私の声が聞こえた気がしたのだが、……まさかと思うがあの時の動画をひなたに見せていたりしていないだろうな?」
「──、あの時のとは?」
「シただろう! 色々と、その……見せたのか?」
「いやあの時の声は若葉の真似を頼まれただけだから。本当だよ? 動画とか知らないんよ」
「何年もお前と過ごしていれば分かる。今、一瞬動揺しただろう」
「いや?」
「見せたんだな」
「違うって」
「……そうか」
「誤解だって。──俺を信じて」
「あの日に消しておくべきだったか」
完全に光の消えた瞳。
絶望、羞恥、諦観、屈辱、様々な感情を紫紺に見せる若葉。
薄い笑みを浮かべた姿は自らの痴態が巫女に見られたことへの絶望故か。
──少なくとも全て見せたことは言えない。二人で愉しんだとも。
これは流石に殴られた方が色々と解決するのではないのだろうか。
そんなことを暑さでボンヤリとする頭で考えていると、
「ぅ……ぅ、っ」
「いや、ちゃうねん。事故なんだよ」
「…………ぅぅぅっっ」
若葉は顔を伏せ、垂れた前髪で表情が隠される。
ガクリと膝から崩れ落ち両手を床に置いた彼女の珍しい姿は良心が痛む。
学校にいる若葉のファンが目を剥き俺に包丁を向けそうな姿の若葉に近づく。普段はどれだけ凛々しくともハメ撮りを見られたことにショックを隠せずに悲しむ姿は、若葉も一人の可憐な少女であると意識させる。
これは一時休戦。そのまま有耶無耶に出来そうだ。
そんなことを考えているとグルリと視界が回る。ズシリと腹に重い感触。
「へぶ!」
「ぅ……ふ、ふふ……捕まえた。練習した甲斐があったものだ」
床の感触を背中で味わい、見上げると獲物を捕食せんとする狩人の姿。
馬乗りになり、俺を見下ろす若葉は妖艶な笑みを浮かべる。
艶やかな太腿はガッチリと腰を挟み込み、勝利の確信に少女は頬を緩める。
「……あー、その、俺のあられもない姿も見られたから」
「お前の写真もひなたに見せてやる」
「男の姿よりも若葉の方が悦ぶよ」
「うるさい! 観念しろ!!」
暴力反対。そんなことも言ってはいられない。
何事にも報いをと言うのなら、この暴力は受けるのが当然なのか。声を上げながら羞恥と混乱にグルグルと感情を渦巻かせ、目尻に涙を浮かべる彼女が拳を振り下ろした時だった。
「──あれれ、若葉ちゃん。りょーくん。何してるの?」
拳が止まる、ことは無かった。
一秒遅かった。若葉の一撃を俺は喰らってしまった。
「たかしぶ──ッ!」
「む? 友奈か」
これに関しては仕方ないところはある。
報いは受ける物。若葉とのホニャホニャ動画流出の件の代償としては安い物だ。
一撃を受けることで丸く収まることもあるのだ。
しかし、あろうことか若葉はそのまま二撃目を振り下ろそうとしてくるではないか。
「はあっ!!」
気合の入った嚇怒の拳。それを受け止めたのは俺の顔面ではない。
薄紅色の瞳と髪、ふわりと揺れる短いスカート。角度的に見えるピンクの下着。
明朗快活。その場にいるだけで心が和む隣人と同じ顔と身体。双子疑惑のある少女。
肉と肉がぶつかる音は若葉の拳を高嶋が掴んだから。
「待って待って若葉ちゃん! 暴力は駄目だよ」
「離せ友奈。この男は一度しっかりと言い聞かせなくては!」
「仲が良いのはいいけど、こんな場所でイチャイチャしたら皆に見られちゃうよ?」
「は? イチャイチャだと……? かくかくしかじかでもか!」
「うーん、よく分からないけれど……そんな汗だくになるまで一緒にいるのは仲が良い証拠だよ!」
「そんなことは……つめたっ!?」
高嶋の笑顔に噛みつくように若葉は眉をひそめる。
続けて反論するように口を開くも、高嶋が何かを首に宛がう。
どこかで買ってきたのか、清涼飲料水らしきペットボトルは俺の頬にも宛がわれる。
ひんやりとした感触に思わず吐息して、上に乗ったままの若葉を見上げる。
やや残った怒りを瞳に映す彼女が何かを告げる前に、高嶋が更なる行動に出る。
「喧嘩りょーせーばい……勇者パンチ!」
コツンと高嶋の両拳が俺と若葉の頭に置かれる。
そのまま俺の上体を起こさせ、若葉を近づけさせて、高嶋自身も近づく。
「そして仲直りの勇者自撮り! ほら、若葉ちゃん。りょーくんもピースして」
パシャリと一枚、彼女のスマホに撮られる。
唖然とする若葉を他所に、高嶋はニコニコと笑みを浮かべたまま、
「ヒナちゃんに送信っと」
「なっ!?」
「これで仲直りで良いよね?」
「え、いや」
「良いよね?」
「…………分かった」
フンスフンスと鼻息を荒くして顔を近づける高嶋に、遂に若葉は頷く。
頷いて肯定したからか、小さく笑みをこぼした彼女は呟く。
「友奈は凄いな」
「え? 私? 私は何もしてないよー?」
「いや。そんなことは無いよ。流石だよ高嶋さん」
「えへへ……そうかな? 照れちゃう。ほら、二人ともシャワー浴びてきたら? そのままだったら風邪引いちゃうよ? いくらこんなに暑くてもね?」
「そうだな」
「若葉、悪かったよ。お詫びに背中を洗わせてくれ」
「いやこちらこそだ。背中は……なんか色々あって性的なことになりそうだから遠慮しよう」
「そういうなよ。反省したんだ。この気持ちを受け取って欲しい」
「いやいや、気持ちだけで──」
ウフフアハハ。高嶋の介入により笑い合う俺と若葉は少し仲良くなった。
額を伝う汗が目に入り、片目を閉じると嗅覚が少しだけ鋭くなった気がした。
高嶋の薄紅色の柔らかい髪からはふわりと漂う甘酒の香り。
艶やかな瞳は俺と若葉を映し、僅かに首筋に浮かぶ汗が彼女の香りと混ざる。
「高嶋さん。何か食べた?」
「え? うん! ヒナちゃんがすごーくおすすめしていたジュースとお菓子ね。皆で食べようと思ったんだけど、店員さんから試食を貰っちゃって……ヒック」
「まったく友奈は……夕ご飯もあるから食べ過ぎるなよ」
「はーい。あっ、そうだ! この後ね、ぐんちゃんと食べたりマッサージしたりするから、二人もシャワー浴びたらぐんちゃんの部屋に来て一緒に食べよ? モミモミしちゃうよー……ヒック」
「それは良いな! では、後で」
「うん! ……ヒック」
俺と若葉は、妙に顔の赤らんだ高嶋を置いてその場を後にした。
日差しが照り付けて暑かったのだろう。そう思った。
「高嶋さん」
「ん? なにー?」
「終わったら必ず行くから」
「うん! 待ってるよ、りょーくん」
ひたすら走り続けてどこか意識を朦朧とさせながら。
ただ隣の少女に謝罪の意味を込めた奉仕を行ってやろうと、仕返しの意味を込めて。