鳥の囀りに目を覚ました。
「……あ、え?」
周囲へ目をやり、そこが森の中であることに気付いてハッと意識を引き締める。自分は森へ薬草を採りに来ていた。だから森に居るのはおかしくは無い。けれど、どうしてここで一夜を明かす事にしたのだっただろう。
首をかしげると胸にかかる髪に素肌を擽られた。釣られる様に肉体を見下ろせば、目に入ってきたのは剥きだしの肌。
それと……赤い口付けの跡!
「あ、ぁ…………わた、わたしっ……」
肉体の芯に残るぞわりとしたナニカ。
――あッ、んっ…あん! イぁっ! あっ……あ、あぁっ!
記憶の自分が上げていたあられもない声に手の平で顔を覆う。迷宮で最後に起きた出来事を今まで忘れていたのが嘘のように、昨夜の事は鮮明に思い出せた。突然に襲いかかってきた男との、濃密な獣の時間。肉体の内側を繰り返し貫かれるあの蕩けるような感覚。力強く抱きしめてくる異性の肌。
――ふぁ、あっ……ふ、深っ……ぁ、いッ……
自分は、愉しんでいなかったか?
「違う…………そんなこと……」
そう口にしながらも、本当はわかっていた。その事がすとんと、心のどこかに理解できていた。記憶を辿るという、ただそれだけなのに胸の先が固くなり、下腹部がきゅうと疼いた。少しだけ、吐息が熱を帯びる。
もう、わたしは神官ではなくなってしまっていた。だから…………
聖域の森への道。さく、さく……小さく音を立てて下草を踏みしめながら足を進める。
森へ入った巫女殿が、昨晩は部屋へ戻っていなかったらしい。
朝の掃除の際にはいつも彼女と挨拶を交わすのだという見習いの娘達にそう聞かされても、普段であれば気にも留めなかっただろう。彼女は確かな実力を持つ一人前の神官であり、そして狩人の守り神でもある月の神の巫女として森で夜を過ごす事にも長けている。だから一日位であれば身一つであっても問題ない……問題ない、筈なのだ。けれど、しばらく前にした神官長様との会話が妙に心の中に残っていた。
あれは迷宮からただならぬ様子で戻ってきた彼女を、敷地内とは言え神殿の建物の外へ住ませると決まった時のこと。
『あの子は
私室にまで押しかけ説明を求めた私に対して、記憶の中の神官長様が不思議な笑みを浮かべて口を開く。
それは……そうなのだろう。迷宮で行動を共にしていた大切な仲間を失い、たった独りで脱出してきた彼女。その事を思えば、いくら修行を積んだ彼女と言えど心に傷を負うのも仕方がない。
『私には
『そんなっ、巫女殿の信仰を疑われるのですか!?』
神官長様のお言葉に、過去の私はそう喰ってかかっていた。巫女と神殿を守る神官戦士。立場は違えど歳の近い友人として親しくしている彼女を貶める発言のように聞こえたのだ。
『ううん、ステラ……そういう事ではないの。 でも、これは仕方のない事よ』
曖昧に内容を濁しておられたが、神官長様は力を失った原因について何らかの確信をお持ちの様子だった。そして実際に、その後何日が過ぎても……どれだけ天をゆく月に祈っても、彼女の神官としての力が戻る事は無かった。
『しばらく不安定になるかも知れないわ。 あの子の事だから大丈夫だとは思うけれど……』
窓辺に立つ神官長様は、彼女の住まいとなった神殿の横手にある護符の販売所からこちらへと目を向けて続けた。
『良かったら貴方からも気にかけてあげてね』
『それは……はい、勿論です』
心配げな様子の神官長様は、私の返事を聞き安心した様子で目じりの皺を深くしたのだった。
木々に遮られていた視界が開いたことで記憶を辿っていた意識が引き戻される。僅かにそよぐ風が前方から清浄な空気を運んできていた。
透明に澄んだ水を湛えた丸い円形の、家一つほどの広さの泉。岸辺にあるのはしかるべき時に跪けば水面に映る月を間近に感じられる石造りの祭壇。あとは広場の隅に簡素な東屋があるだけのここが、私たち月神殿の聖域。
神官長様との会話を思い出している間に目的地へ辿りついていたようだ。そうなる程度にはこの森の聖域は街から近く、余程の事情がなければ時間がなくて夜に神殿へ帰れないという事にはならない。ただ、その事情に心当たりが無い訳でもない。きっと彼女は夜の間ずっとここの祭壇で月への祈りを捧げていたのだろう。
害意のある者を弾く結界をくぐってその場に入り、彼女の姿を探す。
先ほどの予想は外れていた。東屋の前にある焚き火場には、少なくともここ一週間程度の間は使われた形跡がなかった。僅かに心臓の鼓動が早くなり、足早に進んで泉を覗き込む。
「はぁ……」
神聖な泉の底は二階建ての建物の高さよりもなお深い。しばらくの間、水底まで見通せる泉の中へ視線を送って、それから一つ息を吐いた。まさか、とは思ったが彼女も流石に泉へ身を投げるなんて事はしていなかった。
では一体どこへ?
そう考え頭を上げると、森の奥側から小さく足音が聞こえてきた。万が一に備えて腰に下げている月神殿のシンボルが入ったメイスを取り外す。
現れたのは探していた相手である彼女だった。
「あら? どうしたのステラ。 聖域に何か用事?」
茂みから出てこちらの顔を見るなりそんな事を言う普段と変わらない様子に、メイスを握る力が抜けた。
「あぁルミナ。 無事で良かった……」
メイスを腰に戻しながらこちらからも数歩進み、近くで彼女……ルミナの様子を確かめる。見る限りどこにも怪我をしていない。いつもどおりの、いやいつも以上に生命の力強さを感じさせるツヤのある肌。女神様の加護のある森で一夜を明かしたからか、ここ最近は塞ぎがちになっていた所へ良い影響があったようだ。
「部屋に戻っていないと聞いたから。 心配したよ」
広場の端にある平らな石に二人で腰を掛ける。ふと、微かに何かの花の匂いが鼻先を掠めた。足元に置かれた籠の薬草のものとは違う……森の奥にでも咲く何か知らない花の香りが彼女に移ったのだろうか。
「ごめんなさいね……ちょっと、薬草摘みに熱中して遅くなっちゃったの」
親しい者だけに見せる少しおどけた姿に安心して、些細な疑問はどうでも良くなる。
「それに火も焚かずに居たみたいじゃないか。 もう冬も近い、寒くなかった?」
「大丈夫よ。 ちゃんと
彼女の背中にある道具袋は防寒具をしまうには小さいように見えていたが、その中には何か身体を冷やさない為の道具が入ってでもいたようだ。返事を聞いてそう納得つつも、彼女の顔色が目に付いた。
「本当に大丈夫? 少し顔が赤いみたいだ」
「そ、そう? ……少し、暖かくしすぎたかもね」
こちらの指摘に彼女はそう返事をして、ふるりと身体を震わせる。
「まったく……しっかりしないと」
ルミナが信仰の力を失ってしまう前にいつもしていたような、歳が近い友人としての気安い会話。けれどどうしてか、彼女が不思議な笑みを……いつかの神官長様の笑みに似たものを浮かべていたのが、酷く印象に残った。
「っ……さ、帰りましょう」
「祭壇で祈っていかないのか?」
何かに気をとられたそぶりで立ち上がり、いそいそと森の外への道に向かう彼女の様子に違和感を抱き声を掛けた。また、ふわりと……彼女の動いたほうから先ほどよりも強く花の匂いが感じられた。そうだ、これは何か実の生る木の――
「ええ、早く着替えたいし。 それに、ここは……もう私が使っていい場所ではないわ」
返ってきた信じられない言葉に頭が真っ白になり、匂いの疑問などどこかへ飛んでいってしまう。
「……何を言っているんだ。 ルミナ以上に深く女神様を信仰している者なんてそうは居ないだろう」
急いで否定するが彼女は頑なに考えを変える様子は無い。一体どういう事だ? 何が起こっている?
「ううん、そう言ってくれるのは嬉しいけれど、私はもう信仰の力は扱えない……ふさわしく、ないの」
言葉の途中でふっと背を向けて、聖域を見渡しながら彼女は続ける。
「だからここは、見習いの子達の誰か……新しい巫女の為の場所なのよ」
――
――――
「ッ!」
背後の扉が閉まる音で我に返った。見開いた瞳に映るのは神殿内の慣れ親しんだ自身の部屋の光景。
いつの間に戻ってきたのだろうか。
否……自分の行動を覚えている。呆然としたまま、急ぎ足で森の道を行く友人の背中を追いかけて街へと戻ったこと。神殿の入り口で護符の販売所へ戻る彼女と別れて、神官長様へ帰還の報告をしたこと。
しかし、どれだけ記憶を遡っても……ルミナが変わってしまった理由には、辿りつく事ができなかった。
木々の間から神官ちゃんと神官戦士ちゃん(推定)が草原へ出て行くのを見送った。
レベル的なものがかなり高いと思われる普段どおりの神官ちゃんならばこの行動は必要なかったと思う。たとえ神術が使えなくともその辺のゴロツキ程度には負けない筈。でも今は
迎えの人らしき人物が現れた時はちょっと驚いた。ただ、考えてみると年頃の娘さんが無断外泊した的な状況なので当然と言えば当然かもしれない。実際に心配するようなR18の事案が昨夜は森の深くでぬっぷぬぷあんあんと起こっていたので正しい対応だと言えるね!
現れた彼女の姿はメイスを腰に下げた鎧姿で、まさに神官戦士というイメージにぴったりだ。月神殿の印が描かれた金属製の胸当てと補助的な革の部分鎧、短めの神官服といった装備をしている。神官ちゃんのラインから知識を探ってみれば同じ月神殿で育った幼馴染らしい。若い女のコなので淫魔的にはグッとくるけれど……うーん、流石に見送りかなぁ。
まず処女信仰の側面もある月神殿という所属だけでも色々面倒事になりそうである。現に神官ちゃんは神殿内において微妙な立ち位置となっていて、元の暮らしには戻れないようであるし。そんな神官ちゃんの周囲でまた信仰の力を失う者が現れた、となると要らぬ疑いの目が向きかねない。まぁ彼女の容姿がなんと言うかヅカ系であんまり好みじゃないのが一番大きい理由だったりもする。見た目として整ってはいるけれど、無理して狙うほどでもないという感じかな。
おっと、彼女達の姿ももう見えなくなる位に遠くなってしまった。こんな森の端っこでつらつら考えていても仕方ない。明け方近くまでたっぷり神官ちゃんとナニした結果、色んなものも漲っている。
よーし、今日は人里デビューの日だ!
森から草原へ出ると、すぐに大きな街が見える。
今立っている北側から遠目に見た感じでは……うーん、尖っていないお城? 砦? 中央には上が凹型の壁で構成された一際目立った無骨なタイプの石の建築物が見える。でもって同じ構造の城壁がかなり広い範囲を取り巻いている。さらに東西の城壁の外側にも市街が広がっているようだ。
これまでに女のコ達から得られた知識によれば、おそらく見えている城壁と中心にそびえ建つ砦が最初に迷宮への備えとして作られた監視と防衛用の要塞であるやや小さい北円城壁と呼ばれている城壁とその本丸。そしてここからでは見えないけれど、その向こうには南円城壁と呼ばれる後背の支援地区として発展した大きな城壁に囲われた都市部がある。南北の城壁が形作る大小二つの円。それが8という数字のように繋がり、中心の接続部分から左右へと内部に納まりきらなくなった新しい市街地が広がる……やや頭の飛び出した⑧の字型を成した十数万人の人口を抱える大きな街、防壁都市ジスタール。
人間からは迷宮扱いの我らが構造体の近くにあるジスタールは、このファンタジーっぽい世界的にみて有力な国家の首都にも匹敵する大都市と言っていいレベルの街であるらしい。でもってその昔モンスターの大氾濫を起こした迷宮に対する人類の盾として複数の国家による共同運営が行われているのだとかいう話である。
などと、魂のラインから細かく情報を引き出して確認していれば街はもう目前だ。ある程度の間隔でいくつも外壁に作られている門は常に開いているようだから、さっそく行ってみよう。
「あんた、こんな所で何をしていたんだ?」
とりあえず最初はそれっぽい雰囲気の賑やかな宿の酒場で一杯引っ掛けつつ噂を聞いてみたりしようかな。そんな事を夢見ていたのに、現実はむさい衛兵さんに囲まれての職務質問だった。
金属の鋲で補強された革鎧の上に何か所属を示すらしいマークの入った布をタスキ掛けにした衛兵さん達。二人が槍、二人が剣と盾、二人が小剣と弓、という対応力がありそうな装備をしている。
「その、道に迷ってしまいまして」
「道に迷った? 探索者ならこっちは防衛部隊が使う区画しかないと知ってるだろ」
うへー、面倒な事になったなぁ。昨日の今日で神官ちゃんに見つかるのも気不味いかなと、わざわざ街へ入った彼女達が向かった門からズラして別の北側の門へ向かった結果がこれだよ! どうもこっち側のあたりは兵隊さん用の施設しか無いらしく、一般人は近寄る事が無い場所みたいだ。
「ええと、私はですね――」
仕方ないのでこの街へは初めてやってきた事、今まで北の山で暮らしていて人里に慣れていない事を主張してみる。
自分は捨て子で、偏屈な魔法使いに拾われて山中で暮らしていた。僻地で経験を積み最近一人前の魔法使いになったとお墨付きを貰ったので街へ出てきた。
以上が人里へ出るにあたり簡単に作っておいた俺の人間としての設定である。
「山で隠棲した魔法使いの弟子ねぇ……とりあえず顔を見せてもらおうか」
「すみません。 私は体質に少し事情がありまして、あまり人目の多い場所では……」
これも設定の一つ。
構造体の中は基本的に攻撃や排除の対象となる相手しか居ない空間だった。だから魅了の力が垂れ流しになっていても特に問題にはならなかった。しかし街へ出入りするとなると、不特定多数の無関係な相手から目撃される事となる。で、そうやって道行く女性の視界に入った時に、淫魔の力がどう働くかちょっとわからない。自分では抑えているつもりでも、本能的に女性をムラムラさせる力が漏れてしまっている可能性もある。そうした結果『街で噂になる男性!』という感じで目立つのは遠慮したい。
また後になって力を隠していたのがバレて、何か企んでいたのかと疑われるのも危険だ。そんな訳で考えたのは特殊な血筋からくる体質で多少不思議な力がある、と予め公言しておく事である。これなら多少疑われても、あいつならそういう事もあるだろう、で済む……筈、たぶんきっとおそらく。
「体質? どういう事だ、詰め所でなら顔を見せられるのか?」
胡乱気な視線を向けてくる衛兵さん。なんだかんだでフードで顔を隠した怪しい人物である俺の話を聞いてくれるあたり、良い人だなぁ。
「ええ、女性の目が少ないのであれば問題ありません」
「そうか、ならこっちだな」
衛兵さんに促されて少し先に見えていた城壁の門へと向かう。
「へぇ……あの山の向こう側? お前さんの師匠ってのは随分と辺鄙な所に住んでたんだな」
「いえいえ、住んでみれば良い所ですよ」
横についた衛兵さんとでっちあげた設定を元に会話しながら頑丈そうな門をくぐった時のこと。
「どうした。 問題か?」
たまたまという感じで門の所に通りがかっていた、ぱりっとしつつも飾り気のある衣類に身を包み腰にレイピアを下げた凛々しい女性が衛兵さんに声をかけてきた。
「ハッ! こちらの旅人から事情を聞こうと移動している最中です!」
うわっ、びっくりした! 周りの衛兵さんはザッと音を立てて足を揃えると姿勢を正して大きな声で凛々しい女性へ報告を始めた。それまでの気安い感じの対応とはうって変わって別人のようにしっかりとした姿である。衛兵さん達の反応からしてこの女性は結構な身分の人なのだろうか、貴族とかそんな感じの。これは俺も口調に気をつけた方が良さそうだ。
「――という理由で詰め所へ向かっておりました!」
「なるほど……私も立ち会おう」
「は。 いや、しかし」
軽く事情を説明された貴族さんはこの場に立ち会うなんて言い出した。それを聞いた衛兵さんはちょっと困った様子である。丁寧な対応で上位者として扱ってはいるようだけれど、組織としては別系統なのかも知れない。
「えぇ……」
貴族さんがそう言った時、隣に居た衛兵さんからも小さく声が漏れていた。表情や声のニュアンスはいかにも面倒な事になったという感じである。あの感じからすると一応顔だけ確認して後は適当に流して開放みたいな雰囲気だったからなぁ……こういう上の立場の人が居ると、細かく事情を確認したり書類なんかも作らなきゃいけなくなるのではなかろうか。
そんな流れで門から入ってすぐにある衛兵さんの詰め所にある一室へ。
当然のような顔でずかずかと上座へ、部屋の奥側へ入っていった貴族さん。受け答えを行っていたこの隊の隊長さんと思しき人が何か帳面と筆記具を持ってきて正面に座る。後は俺の横についている道中話していた衛兵さんの三人とで質疑応答が始められた。
といっても別に応える内容は変わらないので、先ほどと同じ事を言うばかりである。
「名前はインク、職業は魔法使いだな……よし。 なら後は顔を見せてもらおうか」
「わかりました」
証言をもくもくと記録していた隊長さんに応えて、フードを後ろへ避けて頭を外気に晒す。こちらの顔を見た隣の衛兵さんが軽く目を見張った。他の人も小さく声を漏らしている。
「見て解るように、私には異国の血が混じっているのですが」
人間を辞める前とそう変わらない現在の自分の外見はそれほど珍しい造形では無いらしいのだけれど、何故か異国感、余所者感を見た人に与えるものであるらしい。これは悪魔ボディになったからなのか、それとも異世界からやってきたからなのか、原因は不明である。
続けて奥に立ったまま胡散臭そうにこちらを見ていた貴族さんに真っ直ぐ目を向けてほんの少しだけ魅了の魔眼を意識して力を篭めると、びくりと動揺して視線が反らされた。うむ、凛々しい印象が先行するけれどこの貴族さん綺麗な人だなぁ。男性的な服を着ているせいか抑えられているように感じるけどスタイルも良いし、色んな意味でおいしそう。
「そのせいなのかわかりませんが、どうも異性に対して私の姿は妙な力があるようで」
「異性に働く妙な力だぁ? ええと……セリシーヌ様?」
疑うような衛兵さんの言葉が、隣の貴族さんを見たとたんに弱くなった。
「あっ、ああ。 ……確かに、なんだ……僅かにだが、妙な気分にさせられるな」
少し頬を染め、軽く言葉につまりながら、そう答える貴族さん。その挙動不審な様子を見て、衛兵さんは驚きながらもこちらの言葉を信用してくれたようである。貴族さんは見るからにお堅い感じの性格っぽいので、今のように落ち着き無く視線を彷徨わせている姿は見た事が無いのだろう。
「魔法の師匠は弱い魔眼のようなものだろうと言っていました。 ただ……」
いかにも困った風を装いながら言葉を続ける。
「そういった訳でまともに生活もできなくてですね……こうして師匠に拾われて、顔を隠していてもおかしく見られない魔法使いをやっているんです」
口を閉じて、フードを被る。さーて、衛兵さん達からはどう判断されるかな?
「その力を利用しようとは思っていないのか?」
「それは勿論、面倒事はこりごりですから。 魔法使いの稼ぎで十分生活できる筈ですし」
勿論どうするのか、とは言わずに濁す。まぁ勿論使う訳だけど、嘘は吐いてない。
「確かにそうだな。 灯り屋をやっているだけでも喰いっぱぐれる事はまず無いぜ」
隣の衛兵さんも同意してくれる。
「ならば、その効果を抑える事はできるのだな?」
「はい、魔法使いになったのはコレの制御を訓練する意味合いもありました。 今はもう、フードを被って力を抑えていれば生活に問題無いですよ」
「どうします?」
「ふーむ、種族の違う者などいくらでも居るし、別に罪を犯したわけではないしな……」
協力的で、手の内を晒している俺に対し、危ないので街から出ていけとも言う事ができない衛兵さん達。良い意味でも悪い意味でも俺の情報が無い為、これという判断が出来ないようである。
……コンコンコン
これは長くかかるかな、と思っている所にノックの音が響いた。
「隊長、司祭殿が来られました」
「司祭殿だと? どういうことだ?」
部屋の外から別の衛兵の声がかかり、それを聞いた貴族さんが疑問の声を上げる。
「はい、先ほど彼から神殿の方に面識があると聞いたので、人をやって身元を問い合わせていたのです。……しかし、司祭殿がじきじきに来られるとは……」
こちらが説明する前に隊長さんが貴族さんに答えてくれた。そういえば、この詰め所に入る前にこの街に知り合いが居ないか聞かれてたな。司祭さん以外にも
「とにかく入ってきてもらってくれ」
隊長さんからの指示で扉の向こうの衛兵さんが去っていく気配があった。
「失礼します」
そう間を置かずに再びノックがあり、開いたドアから数日前に別れたばかりの司祭さんが部屋へと入ってくる。
「エミリアさん」
こちらに視線を向けてきたので会釈しながら小さく名前を呼んでみると、司祭さんはにっこりと微笑みを浮かべた。
「司祭殿。 お越しいただき、ありがとうございます」
「いえお気になさらず。 恩人である彼のことなので当然です」
おっふ、適当に身元を保証してくれれば良かったのに……
「――なるほど、彼に命を助けられたと、そういう事でしたか」
「はい。 彼の人柄は規律神殿の司祭である私が保証しましょう」
どうしたものかと少し考えている内に、あれよあれよと話が進んでいく。司祭さんの堂々とした態度に隊長さんや今は一歩引いた位置で立ち会っている貴族さんも安心した様子である。流石は規律の神殿の関係者、余所者の怪しい魔法使いとは信用度が段違いだ。
そうして、トントン拍子に話は進み――
「アンタも長いことすまなかったな、もう行って良いぞ」
「いえ、こちらもお手数をおかけしました。 エミリアさんも、わざわざありがとうございます」
「ふふ……気にする事はありませんよ」
晴れて自由の身、シャバの空気が美味い! 薄く笑みを浮かべた司祭さんに付き添われたまま兵士の詰め所から出てきたのでホントそんな感じである。
主に駐留している軍隊や行政に携わる者の為の施設が並んでいるという北円城壁内の通りを北から南へ、中心にある無骨な城……というか城館かな? それを横目にしながら、石畳の道を司祭さんと連れ立ってトコトコ歩いていく。
市街地からつながる道路で通行は自由だとはいえ、このあたりは日本で言うのなら米軍基地のある一角というようなエリアのようだ。目に見える範囲にファンタジーの町と聞いて思い浮かべるような賑やかな雑踏は無かった。恐らくそういった場所は南円や周辺市街にあるのだろう。出会うのは非番の兵士や関連施設へと出入りしている業者と思しき人ばかりである。顔を知っているのか、巡回の兵士と挨拶を交わす司祭さんに合わせて会釈しながらそんな事を思う。
「そういえば聞いていませんでしたね。 ジスタールに来たという事は、ここで暮らすのですか?」
魔法使いの弟子となる前はまともな生活が出来ずゴロツキまがいの事をやっていた。かなり時系列が強引だけど、そんな認識を植えつけられている司祭さんがこちらの生活を心配する様子で声をかけてきた。与えた暗示の中にはゴロツキになった理由までは作っていなかった。それについては詰め所でのやり取りから魅了の力が原因であると思っているようだ。
「はい」
「困ったことがあったなら、力になりますよ」
軽く肯定の返事をすれば、身を乗り出すようにしつつ妙に熱っぽく言葉を重ねる司祭さん。魂のラインからある程度の好意を抱くよう暗示を与えてあるとはいえ、放っておいたら仕事に寝床、食事の準備から夜のお相手まであれこれ手配してくれそうな勢いである。でもってその場合に相手をしてくれるのは司祭さん自身だったりしそう。
うーん、どうしたものかな。身元保証人として呼んでいる時点でもう手遅れな気がしないでもないけれど、社会的地位のある人とあまり常日頃から表立って親しくしていても後々面倒な事になりそうだ。ここは断っておこう。
「ありがとうございます。 しかし先ずは自分で色々とやってみようかと思います」
手に入れた知識によれば、魔法使いは稀少と言うほどではないが数が少なく、反面需要は多い。実際に、適当な仕事をこなすだけでも生活する分には困ることはないだろう。
「魔法以外でも簡単なクスリを作れるので、そういった仕事をこなしながら小さな魔法道具店でも開こうかと」
「店を……なるほど、腰をすえるのは良い事です。 店舗の伝手はあるのですか?」
うおう、随分とまたぐいぐい来るね。この町を中心に暮らす事を聞いて、司祭さんはニコニコと笑顔を浮かべている。
なし崩し的に一夜を共にして、その際に諭されて悪事から足を洗う決心をして助けた相手、という暗示。そのような関係であると思わせてる筈なのに、その割には親しげというか親身な対応でちょっと反応に困る。妙に高い好感度は一応の設定上で互いに過去の経歴や出来事に傷を持つ者同士とされている親近感からだろうか。
「ありません。 まだ資金もありませんし、いつかその時にはよろしくお願いします」
結局、あまり断るのも角が立つかと思い支援を約束されてしまった。
なんだか輝かんばかりの笑顔になってしまった司祭さんとは神殿の前で別れた。
関係者用の入り口へと戻っていった司祭さんの後ろ姿を通行の邪魔にならない位置から見送る。あの尻はくぅっと引き締まる感じが良かった……なんて、ピンクな思い出が場違いにも浮かんだ。
軽く頭を振って妄想というか思い出を払い、フードの中から規律神殿を見上げる。教会とギリシャの遺跡を足して割ったような風味の建築物。神殿という事で種族悪魔な自分としては少し身構えていたけれど、敷地内である入り口前の広場に入っても特に問題は無かった。この分だと建物内に入ったとしても何らかの害を受けるわけでは無さそうだ。とはいえ人目のあるこの場でそれを試して、もし何か起こっても困るのでさっさと立ち去ってしまおう。
規律神殿は北円城壁内の南側、北円と南円の中心を結ぶ大きな通り沿いにあった。なのでこのまま南へ行くだけで一般の人々が多く暮らす南円の市街地へと出る事ができる。思ったよりも衛兵さんの詰め所で時間をとられてしまった為、早い所今夜の宿を確保しておきたい。
北円の真ん中に聳える城館に勤めている人達が家に帰るのだろうか。役人といった出で立ちの小奇麗な一団を乗せた馬車がかっぽ、かっぽと音を立てて、歩く俺を追い越していく。大通りの真ん中は馬車専用らしく、そこそこの速度を出して南円方向へ進んでいった。
夕日で赤くなりつつある町並みを眺めながら南へ足を進めると、左右の建物の向こうに城壁が見え始めていた。その城壁は前方で通りの左右にある二つの城門のような砦へと繋がる。あれが話に聞いていた北円城壁と南円城壁の接続部なのだろう。西にある砦は探索者支援の窓口となる役所であり、東の砦は町の治安を維持している警備部隊の本部であるとのこと。それぞれの砦は形どおり東西への城門としての機能を兼ね備えていて、この都市が造られた当初は締め切られていたという話である。しかし城壁の外側に市街地が広がった現在においては開けっ放しになっているのだそうな。
街の行政や軍事の中心は北円城壁、一般の人々の生活の中心は南円城壁。そして環状の城壁同士が接する地理的な中心がこの砦に挟まれた広場となる訳だ。
なんて事を思っていれば、地下でも目にした いかにも冒険者という風体の人達が西の門から現れて、健全なお店の多い南円方面やちょっぴり怪しいお店が多いと聞く東門の先の壁外市街へと流れていくのが目に付いた。
町の交通の中心の一つなだけあって、そこの施設へ用事がある人しか出歩いていなかった北円城壁内とはうって変わって多くの人々が仕事上がりという顔で行き来している。まだ日が落ちきるには早いのに、と思ってみたものの。この世界では既にもう一日を終えて酒でも飲みながら食事をとる頃合であるということかな。あるいは綺麗なねーちゃん付属のベッドを借りるとか。そういった事を考えはじめる時間帯なのかも知れない。
おっ、人ごみに混じって上品に足を進めているあの女性はエルフだろうか。地下でドワーフらしき人は見ていたけど、エルフも居るんだなぁ。何気にこの世界にやってきて初のエルフじゃないだろうか。飲み屋がある方面へ去ってゆく後姿を見送ってから、改めて周囲を
フードで目線が悟られないのを良い事に周囲の女性をひとしきり物色しつつ、ふらふら~っと色街があるという東の壁外へ行きそうになる足をなんとか南へ進めて、南円城壁の広い市街を十字型に区切っている大通りから通りを何本か数えながら数度曲がる。店じまいをしている道端の屋台を眺めながら向かうのは司祭さんから部屋の空いている宿が多いと聞いたちょっと寂れた一角である。寂れたと言っても治安が悪い感じの街ではなく、単に地理的な利便性の問題であって商業の中心や東西への街道に繋がる通りのどちらからもやや距離がある為にここまで宿をとりに来る人が少ないだけだとか何とか。
そうして見えてきたのは賑やかな表通りとは異なる、疎らに数件の飲食店や雑貨屋がある落ち着いた街並み。片隅にあるのは食堂を兼ねているらしい宿。少しドキドキしながら開きっぱなしのがっしりとしたドアを抜けて宿の中へ。
――カロン
入ってすぐにあるスイングドアを押し開くと耳触りの良い丸みを帯びた音色のベルに迎えられた。
「いらっしゃい」
正面奥、カウンター内のくたびれた中年男性からかかる声にそちらへ向かいつつ、軽く建物の中を見回す。
中央から手前側は数人掛けられるテーブルが8つある程度の食堂スペースとなっていて、行商人や町人とおぼしき格好の人がちらほらと静かに食事をとっている。こちらへ視線を向ける人も居たけれど、すぐに皆さん食事に戻っていった。建物の奥側には厨房があるようだ。食堂スペースの半分ほどの面積が吹き抜けになっており、二階廊下の手すりの向こうにドアが並んでいるのが少し見える。カウンターの横手にある階段を上がれば宿の個室へ行けるのだろう。カウンターはあくまでも食事の注文や宿の受付を行う為の場所であるらしく、飲み屋のように酒瓶が並んでいるタイプではなかった。
「っと、迎えておいてなんだがアンタ魔法使いだよな。 灯り屋かい?」
「ああいえ、魔法使いですけど普通に泊まる部屋を探していまして、空きはありますか?」
「そいつは失礼した。 今は一人部屋が2つに二人用が一つ空いてるよ」
宿の親父が手元の何かを確認してそう返す。今後はどうなるか解らないけれど今日は残念ながら一人寝の予定だし、とりあえず一人部屋で良いかな。
「一人部屋でお願いします」
「なら朝晩の飯とお湯付きで銀5、飯お湯無しなら銀3の銅7になるぞ」
知識と照らし合わせてみても普通かやや安い位のお値段である。ちなみにお湯は桶一杯分のものでお風呂代わりに身体を清めるのに使うんだとか。まぁ魔法を使えば自前で準備できるというか桶すら要らないけど、はぢめての宿屋体験という事で一通りのサービスを利用してみよう。
「では全部という事で」
「ほい確かに、こいつが部屋の鍵だ。 二階の一番奥になる」
宿代として銀貨を5枚渡して、摘み部分からFの字が伸びたような、簡素な形の鍵を受け取る。
「……そうだ、魔法に余裕があるならウチの表に灯りをつけてくれないか。 飯分の代金を奢りにするぜ」
「良いですね、その依頼受けましょう」
宿の親父が受け取った銀貨を一枚差し出してそんな事を言ってきたので話に乗ってみた。構造体の中ではないので色んな力の急激な充填は無いけれど、自然に回復する分はある。元々悪魔は魔法的に優れた種族であるので余裕はありまくりだ。
そんなわけで、宿の親父と相談しながら魔法を使いひと仕事を終わらせた。
「こんなものでしょうか」
「おぉ、上に明りがあるとやっぱ違うな。 俺の宿が高級な宿みたいだ」
「おや、まるでそうじゃないみたいな物言いですね」
「おっとお客さん相手に失敗しちまったな」
軽口をこぼす宿の親父をからかってみれば、ノリ良く笑い混じりで返事が返ってくる。思ったよりもひょうきんなイイ性格の人物なのかも知れない。
「なぁに安心してくれ、ウチの見てくれはごらんの通りだがサービスは上々だぜ。 先ずはメシだな」
『月夜の家路亭』
魔法で照らされた看板をくぐり屋内へ戻っていく宿の親父の背中を追おうとして、ふと足をとめて振り返る。ぽつりぽつりと灯りの灯された店や家々。通りの向こうから小さく……でもしっかりと聞こえる街の喧騒。周囲をとりまく人々の生活の気配が、ほんの少しだけ日本のことを思い出させた。
ダンジョンから離れ……ついに街での暮らしが始まる。
明日からの生活への期待を胸に、これからあるだろう出会いに色んな所を膨らませながら宿の中へ戻っていった。