プロローグ
一九九九年七の月。
「恐怖の大王」の代わりに地球に訪れたのは、大きな変革だった。
新生児を中心とする一部の人類に生じた超常的な力。
それはこれまでの科学の常識を塗り替え、社会の在り方にまで影響を与えた。
精神力をエネルギーに、通常ありえない現象を引き起こす能力。
進化の可能性とも、世界に生じたバグとも評されるその力を、人はこう名付けた。
『落とし物』――“lost article”と。
☆ ☆ ☆
ピピピピ……と、勉強机の上に置いた目覚ましが電子音を響かせる。
朝、か。起きたくないな……。
眠気は十分に取れていたが、精神的な要因による倦怠感が知尋をベッドに留まらせる。彼はしばし、そのままごろごろと無為な時を過ごし――。
ピピピピピピピピピ。
「っ!」
当然のごとく鳴り続ける目覚ましに辟易して身を起こした。
ベッドから降りて机に歩み寄り、目覚ましの頭を叩く。ようやく静かになった室内で知尋は深いため息を吐いた。
一度起きてしまえば二度寝する気にはなれない。
アラームを無視して眠れるほど図太くもない。
自分の性質を考えて机に目覚ましを置いているわけで、自業自得ではあるのだが、寝起きの気分は最悪だった。
これから登校ということを考えれば猶更のこと。
しかし、ズル休みができないのも性分で。
ままならない気持ちをため息で処理し、知尋はパジャマのボタンへ手をかけた。
ぷちぷちと、半ば無意識にボタンを外しながら、目覚ましの傍らに置かれた写真立てに目を向ける。
「……おはよう。姉さん、母さん」
写真立ての中では、幼いころの知尋と姉、そして母が揃って微笑んでいた。
☆ ☆ ☆
着替えに洗顔、シリアルとコーヒーだけの朝食を済ませて家を出る。
現在、知尋は一人暮らしをしている。彼の学校が寮生活を推奨していること、通学するには実家が微妙に遠いことがその理由だ。
幸い、寮は一人部屋なので精神的には気楽なのだが。
自分で何でもやらなければいけない生活は思っていたよりもずっと苦労が多く、入学から二か月が経つ今もまだ慣れるには至っていない。
なかなか慣れることができない理由の一端は、入学した学校の特殊性にもある。
寮から十五分ほど歩くと校門が見えてくる。
東京の多摩西部に位置する、国内有数の『落とし物』保持者養成学校「柴鳳学園」。それが知尋の入学した学校だ。
生徒数は二百名弱。その全員が『落とし物』――つまりは異能者で構成されている。
幼少期にちょっとした異能を発現していた知尋は、私立にしては学費が安いことや進学・就職に有利なこと、その他諸々の理由からこの学園に入学した。
まあ、不幸にも入学後の生活は、とても順風満帆とは言えなかったが。
学園の門をくぐった知尋は、並木道を真っすぐ進んで校舎へ向かった。昇降口で靴を履き替えたら、二階にある一年生の教室へ。
一学年は三クラス。一クラスは二十人前後なので、生徒数は普通の高校より少ないのだが、それでも階段や廊下には十分な活気に溢れている。
立ったまま談笑を続ける何人もの生徒達。
その中にはクラスメートの姿もあったが、知尋の姿に気づいても声をかけてくる者はいなかった。
いつものことだ。
「げ。和泉だ」
横手から声がしたのは、だいぶ教室に近づいた時だった。
冗談だとしてもあまりな内容と声色。声量も大きく、周囲の生徒が何人かつられて振り返る。
当然、知尋にもはっきり聞こえたが――。
敢えて無視し、黙ってその場を通り過ぎようとすると、再度の声。
「うわ、無視するんだ。気持ち悪い」
嘲るような口調に、知尋は仕方なく足を止めた。
振り返れば、想像通りの相手がそこにいる。
染色による金髪を軽く跳ねさせ、ブラウスのボタンを第二まで外した少女。
クラスメートの
ぱっちりした目がこちらを睨んでくるのを見た知尋は、すぐさま目を逸らした。するとリップに艶めく唇が開き、愉しげな声を上げる。
「なに? 立ち止まっちゃって、何か用?」
ぷっ、と周囲の女子たちが吹きだした。
無視したことを咎めてきたのは自分なのに。
知尋がどういう対応するかなんて、彼女には関係ないのだ。どうあろうと知尋を馬鹿にして楽しむと最初から決めている。
ずっとそうだ。
入学直後に目を付けられて以来、彼女とはこういう関係が続いている。口ごたえでもしようものなら、周りの女子も交えて猛烈な反抗を受けることも既に知っている。
だから、まともに向き合わないのが一番いい。
「……ごめん。なんでもない」
知尋は小さく言って踵を返した。
数歩進んだところで、再び背中側から声が聞こえた。
「HR前からあいつの顔見るとか、ほんとついてないなー」
関係ない。
言わせておけばいいのだと何度も唱えながら教室へ歩を進めた。
1-Cの教室へ後ろ側から入室する。既に半数近い生徒が教室にいた。
窓側最後尾の自席へと歩きながら、ちらりと教壇側を窺う。そこでは数人の男子生徒が集まって談笑していた。
賑わいの中心にいるのは背が高く、整った顔立ちをした少年。
男女問わず人気のある彼は、いつも通り元気そうだ。ぼんやりとそう思いながら、知尋はすぐに視線を戻した。
席へたどり着く。通学鞄を机に置いて椅子を引き――。
「おはよう、和泉くん」
前方からの明るい声に顔を上げた。
クラスメートの
分け隔てない彼女は、いい意味で知尋に声をかけてくれるほぼ唯一の生徒だ。
ふわふわしたセミロングの髪とやわらかい表情に、知れず顔が綻んだ。
「……おはよう、高槻さん」
知尋の返事を聞いた愛華は、もう一度微笑んでから友人との会話に戻っていく。たった一分足らずのやりとりだったが、それだけで気分はかなり弛緩していた。
心地よく席に着き、鞄の中身を机にしまおうとして。
「なに笑ってんのー? 気持ち悪い」
教室に戻ってきた李狐の声とくすくす笑いが気分を全てぶち壊した。
☆ ☆ ☆
数分後、教室を訪れた担任が朝のHRを開始する。
日直の号令と共に起立し着席。直後、一同が担任から告げられた言葉は平時とは異なるものだった。
「今日から、このクラスで勉強することになる転入生を紹介します」
すると、すぐに教室内がざわつき始めた。
転入生なんて滅多に来るものではないからだ。特に、この柴鳳学園ではそうだ。『落とし物』専門の教育機関であるここに転入できるのは『落とし物』だけ。そのため一般の高校からの転校はほぼ皆無だし、他の似たような学校からもあまり例がない。
しかも、入学から二か月しか経っていない時期となると異例中の異例だ。
「どうぞ、入ってきてください」
誰もが注目する中、前方の扉が開いて転入生が入室してくる。
瞬間、教室から声が消失した。
転入生の姿、雰囲気、物腰に、一瞬にして全員が飲まれた。それ程の存在感を転入生の少女は備えていた。
そう、少女である。
黒い少女だ。
黒髪に黒目。髪はショートで、なぜかサイドの一部だけを長く伸ばしている。身長は百五十センチ前後。にもかかわらず、身体の起伏は制服越しもはっきりわかるほどだった。
また、髪や目とは対照的に肌はくっきりと白く、少女の印象を際立たせる。
彼女が教壇の前に立ち、クラス内を見渡した。
全てを飲みこむような深い瞳が空気を撫でると、知尋の背筋がぞくりと震えた。
どこか妖艶な少女の雰囲気にあてられたのだ。
と、不意に少女と目が合った。
おそらくは偶然。
しかし、少女は何故かそのまま知尋をじっと見つめてくる。
ざわりと、心が揺らめいた。
「っ」
そのまま目を合わせていたい欲求が、湧いてくるのを必死で抑え、知尋は少女から目を逸らした。
それでも少女は知尋を見つめたままで。
およそ三十秒、生徒たちが疑念のざわめきを発し始めた頃、ようやく顔を正面へと戻す。
「
そして、笑みを崩さぬまま彼女が発した言葉はいともあっさりと、先のざわめきを圧倒した。
先程までとは別の意味で静まり返った室内で、ただ少女――真里亜は悠然と佇んでいた。
☆ ☆ ☆
『落とし物』の能力は個人によって威力や範囲等が全く異なる。そのため一律の基準による分類や評価も難しいのだが、それでも一応、便宜的な基準あるいは指標として「ランク」が設けられている。
これは、SからEまでの全六段階。
効果や応用性、燃費等から総合的に評価され、Sに近いほど有用となる。年四回更新が行われ、訓練による成長やこれまでの実績も加味して決定される。
そういう事情から、訓練期間≒『落とし物』の年齢や学年と平均的なランクとはある程度の相関関係があるのだが、深海真里亜のランクであるCは、高校一年生に与えられる評価としてはかなり高い。
現在、柴鳳の一年生でランクC以上を持つのはほんの数名。
つまり真里亜はたった一言で、自分が「一年生で指折りの実力者」であることを証明した形になる。
当然、ランクCを持つ転校生の噂はあっという間に広がった。
「ね、深海さんの『報復』って、具体的にはどんな感じなの?」
柴鳳学園では一年生の午前中は座学となっており、休み時間は比較的余裕がある。そのため、真里亜は休み時間の度に生徒達から囲まれていた。
わいわい騒ぐ生徒達の声を、知尋は自分の席に座ったままぼんやりと聞く。
盗み聞きするつもりではなく、単に距離が近いからだ。真里亜に割り当てられた席は知尋の隣だったため、否応なしに声が届いてしまう。
お蔭で騒々しくてたまらない。
「うーん……口で説明するのは結構難しいの」
当人は余計に大変だろうに、真里亜は全ての質問にひとつひとつ答えている。例の微笑を浮かべたままで、だ。
ちらりと横目で見れば、人垣の間から真里亜の姿が見える。
彼女はペンケースを手に取ると、中からボールペンを一本取り出した。
「実際にやってみてみせるわ」
カチ、とボールペンの尖端を出し、手のひらで握ると無造作に振り上げる。
「えっ」
誰かが小さな悲鳴を上げた。
真里亜が、振り上げたボールペンをそのまま、机に置いたもう一方の手へと振り下ろしたからだ。
当然ペン先は手の甲にしっかりと突き刺さり、傷口からは血が溢れ出す。
しかし。
「うわ、何これ」
「すげえ」
ギャラリーの動揺はすぐに歓声に変わった。
真里亜の手のひらから引き抜かれたボールペンへ、縦に深い亀裂が入っていた。
そう、まるで――先端を細く鋭いもので貫かれたように。
「これが『報復』。私が受けたダメージを返す能力よ」
ボールペンで貫かれた手のひらから溢れた血は、最初はそこそこ量があったものの、すぐに量を減らし、一分もすると完全に止まった。
僅かな傷跡も程なく完全に消えてなくなる。
「そして、これが自己治癒能力」
治癒というより再生に近い、と知尋は思った。
患部に手を当てる等、治癒部分を指定する動作が必要なく、半自動的に血管の損傷まで修復している。治癒できる限界値がどの程度かは不明だが――。
報復の能力と併せれば、それは恐ろしい力を発揮する。
一撃で戦闘不能に陥らなければ、おそらく対人戦ではほぼ無敵。
Cランクは決して伊達ではない。
「………」
思わず視線を固定したまま感嘆していると、真里亜がちらりと知尋の方を振り返る。
くすり。
彼女は小さく笑みを漏らすと、すぐにクラスメート達へと視線を戻した。
小説家になろう(ノクターン)で連載中の作品です。
改行等細かいところを修正する程度で内容に違いはありません。
既存投稿分を毎日一話ずつ投稿予定。