第九十三話 意外な要求
十月も半ば以上が過ぎた。
十一月初めに学園祭を控えた私立柴鳳学園は、ここで中間試験の期間を迎え、空気をいったん別のものへと塗り替える。
今は各クラス、出し物のためスパートをかける時期。
しかしスケジュール上、試験結果の発表直後に学園祭本番がやってくる。試験一回くらい気にせず学園祭に打ち込むのもそれはそれで青春だが、成績の下がった直後に心から遊べるか、という話で。
多くの生徒が後ろ髪引かれつつ勉学に励む中、生徒会の面々は平常運転だった。
「却下。帰って」
試験初日の月曜、放課後。
三年の女子生徒を一人伴って生徒会室を訪れた学園祭実行委員長が、生徒会名物『鬼の副会長の洗礼』を受けていた。
天然の金髪を持つ美貌の少女、ルシル・オーウェル。
彼女に提出した書類をつい、と突っ返された委員長は「だよなぁ」と肩を落とす。
と、一緒に来た女子がむっとした顔で声を荒げた。
「ちょっと、一回却下されたくらいで諦めないでよ。委員長でしょ?」
「お、おう。そうだな。……なんで駄目なのか理由を聞かせて貰いたい」
「簡単よ」
上級生二人を立たせたまま――本人は入り口側からテーブルを隔てた向こうで椅子に腰かけ足を組んでいる――ルシルはふん、と鼻を鳴らした。
「必要性を感じない。今出してる予算で十分賄えるでしょ?」
実行委員長の用件は予算の追加申請だった。
学園祭の際、各クラスや部活動に分配される予算は実行委員会が決めている。そして、実行委員会に与えられる「大元の予算」を提供しているのが生徒会だ。
生徒会は年間の運営費用から「学園祭用の予算」を決定している。
つまり、分配の都合やその他諸々の都合で実行委員会の予算が足りなくなった場合、生徒会と交渉して追加のお金を貰うことが可能なのだが……交渉に成功しなければ無理な話である。
「そう言うと思って、これを持ってきた」
実行委員長が差し出したのは委員会の会計資料だ。
そこに、これまでの支出が全て纏められている。
「へえ。用意がいいのね」
「ああ。行くなら万全の用意をしていけ、ってそこの和泉がアドバイスをくれたからな」
「ふうん。へーえ」
ルシルが口の端を歪め、ちらりと視線を送ってくる。
「……あはは」
敵に塩を送られた、などとは思っていないだろうが……なんとなく居心地の悪い気分になり、知尋は苦笑した。
まあ、副会長様がこちらを見てきたのも本当に一瞬のこと。
彼女はすぐに会計資料に目を落とし、ぱらぱらとめくり始めた。すると、不遜な顔へ徐々に皺が寄っていくのがわかった。
「どう? これを見れば委員会の予算が心元ないのがわかるでしょ?」
三年生の女生徒――実行委員会の会計係が得意げな顔をする。
どうやら、彼女はその発言が地雷だと気づいていないらしい。
「そうね。確かに残り少ないみたい」
「なら」
「自業自得」
ばさっ。
無造作に資料を放ったルシルは、近くに引き寄せていたお菓子の皿へ手をやりいくつかを纏めて掴むと口に放り込む。
「な、なんでよ!?」
「知尋。あんたこれチェックしてないの?」
悲鳴を上げる会計の子を見もせず知尋に尋ねてくる。
「何度か見せてもらいましたけど……依頼されてないのにそれ以上はできません」
知尋はあくまで生徒会側の人間。お金が動くたびに会計をチェックしたり、実行委員会のやり方に大きく口を挟むのは越権行為になる。
……思うところがあったとしても、向こうから求められない限りは指摘できない。
「OK。それで間違ってないわ。無駄な揉め事はご免だしね」
「は、はい」
ご満悦で褒めてくれるのは嬉しいのだが、会計の子の顔が怖かったり。
一応、彼女が睨んでいるのはルシルの方だが。
「ちょっと、何の文句があるわけ? ちゃんと資料見てないの?」
「見たわよ。その上で無駄が多すぎるって言ってるの」
更に抗議しようとする彼女に、冷ややかな視線が突き刺さった。
「実行委員会直下の予算を見た時点でもう駄目。用途の割に購入数と金額が大きすぎる。画用紙とか紙テープとか折り紙とか、何? コンビニででも買ったわけ? それとも、足りなくなったらまた買えばいいと思って無駄使いでもしたの?」
安い店でまとめ買いする程度の努力もせず、また書き損じを重ねたり使える物を処分したりしていれば当然出費も多くなる。
そうした出費は、言ってしまえば「無駄」だ。
一つ一つは小さくとも、纏めれば大きな額になる。
「そんなの難癖付けてるだけじゃ……」
「難癖ね。与えられた予算内でどうにかできずに泣きついてきておいて随分な言いぐさじゃない」
「なっ……このっ」
会計の子が、届かないのを承知でテーブルに乗り出そうとし――実行委員長と知尋が慌てて止めに入りかけて。
ぱん、と。
手を打ち鳴らす音が全員の意識を一点に集めた。
ルシルの隣、テーブル中央に腰かけた少女――ショートへアに琥珀色のカチューシャを着けた生徒会長、黒羽四葉が穏やかに微笑む。
「そこまでにしましょう。……和泉君、あなたから見て、残りの予算では学園祭の運営が厳しいと思いますか?」
「……いえ。今からでもやり方を見直せばなんとかなると思います」
「そう」
四葉は頷き、会話に口を挟んでいなかった二人の役員――綾瀬葵と葉月万里歌に視線を向けた。
「葵さん、万里歌さん」
「こちらで余っている画用紙その他を纏めてあります。葉月先輩からは、生徒会の出し物用に計上してある予算から五千円までなら融通できるそうです」
『それが、ぎりぎり』
綾瀬がすかさず答え、両手に抱えた荷物を会計の子に渡す。
「ありがとう。……では、生徒会から協力できるのはここまでです。それ以上は手持ちでなんとかするようにお願いします」
聖母の笑み。
人員をしっかり使い、副会長の厳格な発言を取りなしつつ可能な範囲で譲歩する。
これには頭に血が上っていた会計の子も呆気に取られ、素直にお礼を言うしかできなくなっていた。
「あ、ありがとうございますっ」
「いいえ。お互い大変でしょうけれど、協力して頑張りましょう」
柴鳳学園の現生徒会は、だいたいいつもこんな感じで回っている。
☆ ☆ ☆
訪問者が退室すると、生徒会室には静寂が戻る。
ふっと息を吐いたルシルが気を取り直して再びお菓子に手を伸ばす。
「全く暇よね。テスト期間だっていうのに面倒な話を持ち込んできて」
「今、ここにいる人間が言う台詞じゃない気もしますけど」
知尋も含めて。
学業を優先するなら、さっさと帰って教科書でも開くべきところ。生徒会や実行委員ともなるとそうも言っていられないのが実情だとしても、だ。
「っても私の場合、今更テスト勉強とか必要ないし」
「ルーは毎回、学年で総合一位だものね」
四葉が微笑みながら言う。
ルシル・オーウェルの能力『天才』は、ありとあらゆる分野において抜群の適性を発揮する。それを使えば定期テスト程度何でもないのだろう。
「四葉だって能力もなしに上位五位をキープしてる癖に」
「……あれ。そうすると、ひょっとして綾瀬先輩達も?」
四葉やルシルの対面、テーブルの前に座り直した会計、庶務の二人に目を向ける。
人形めいた小柄な三年生と、女子力の高いセミロングの二年生は、何故かあさっての方向を見て。
「ま、まあ、真ん中くらいの成績はなんとか」
『成績だけじゃ人生決まらない』
ごめんなさいと言いたくなった。
「そういう知尋は補習とか心配ないわけ?」
「はい。そうならないように勉強もしてます」
スケジュール的にあまり大した時間は取れないが、睡眠時間を多少削れるので何とかなっている。
成績が全く下がらずに済むかまでは定かでないが。
ならいいけど、とルシルは頷きマシュマロをいくつか口に放り込んで、更に知尋をじっと見つめてきた。
「どうかしましたか?」
「んー。こういうのを好きになる女が何人もいるのか、と思って」
「う」
その話題か、と呻いた。
教室で真里亜に告白されて以来、知尋の評価はあまり良くない方向に傾いている。
1-Cクラス委員の舞阪集などは軽く「よう女たらし」と不名誉な呼び方をしてくる始末である。ノリを重くしないことで深刻にならないようにしてくれているのだろうし、概ね事実なので怒れないが。
あの神代にまで白い目で見られるのは若干辛い物があったりする。
なお、男子に比べると女子の反応はまだマシ。割と普通というか、あの話はもう終わったこと扱いになっている。これは愛華の影響力によるところが大きいだろう。
「そうですか? 和泉君、いい子だと思いますけど」
『私も』
「じゃあ葵、万里歌。あんた達知尋と付き合える?」
「え? いや、それは……?」
『ノーコメント』
言葉を濁す綾瀬達。
なまじ、フォローされた後だけに、その反応は余計胸に刺さった。
……まあ、これが普通なのだろう。
家に帰れば複数の少女達が構ってくれる状況、そちらの方が異常なのだ。
なるべく表情に出さないようにしつつ言葉を探していると、知尋達のやりとりを聞いていた四葉がくすくす笑った。
「先輩?」
「ごめんなさい、気を悪くしないでね。恋愛の話ってなんだか新鮮だったから」
「そう、なんですか?」
首を傾げる。
これだけ華やかな面々だ、恋話の一つや二つありそうなものだと思ったのだ。
しかし、考えてみると、ルシルは人を見る目が厳しそうだし、綾瀬は女子力の割に恋人の気配はしない。万里歌もあまり積極的に恋人を作る方ではなさそうだ。
例外は当の四葉くらいだが。
「わたくしは決められた許嫁がいるので、そういった話には疎いんです」
「……許嫁」
もう少し平たく言えば婚約者。
あるところにはあるのだろうが、高校生のうちから結婚相手が決まっているというのは、知尋の感覚だと特別なことに思える。
四葉の物腰と併せて考えると、もしかして。
「黒羽先輩のお家は……」
「はい、お金持ちなんですよ。お家は大きなお屋敷なんです」
語尾を濁しつつ尋ねた知尋に、四葉ではなく綾瀬が答えてくれた。
続けて万里歌も、
『相手は大人の男性でお金持ちなんだって』
「も、もう二人とも。恥ずかしいからやめて」
頬を染めた四葉がやんわりと制止すると、くすっとルシルが笑う。
「許嫁って言っても、ドラマみたいに無理矢理って感じじゃないのよね。割と仲良さそうだから、狙っても無駄よ」
「狙うって」
本気なのか冗談なのかよくわからない台詞に知尋は苦笑してしまった。
☆ ☆ ☆
試験勉強も考え、四葉達よりも少し早めに生徒会室を後にした。
放課後、だいぶ時間が経った廊下は人気もなく静かだ。
……今日は、愛華もさすがに医務室を手伝っていない。試験期間中なので自主トレをする生徒も少ないため校医も比較的暇なはずだ。
廊下を歩き昇降口に近い階段へ到着。
そこを下ろうとして――。
「和泉君」
背中側からの男の声に足を止めた。
振り返れば、学園の理事長である鳳が立って知尋を見ていた。やや恰幅のいい体型としっかりしたスーツ姿が否応にも威厳を感じさせる。
知尋は階段の手前まで来ていた足を一歩戻し、ぺこりと会釈した。
「こんにちは」
何と言うか迷った挙句、普通に挨拶。
鳳は片手を挙げて答えると単刀直入に用件を告げてくる。
「今から少し時間を取ってくれないか。話したいことがあるんだ」
「……はい」
礼儀作法的な反射から目を合わせれば、相手からも緊張が伝わってくる。
大事な話なのだと直感した知尋は頷きを返しながら、何を言われてもいいように心の準備を整えた。
鳳に連れられて移動したのは理事長室。
これで来るのは二度目になるが、以前と違い一対一だ。
「適当に座ってくれ」
鳳を入り口のドアを開けたまま知尋を先に通し、そう告げてからゆっくりとドアを閉めた。そうして、ふかふかのソファに腰かけた知尋の正面に座る。
ふう。
重苦しいため息が彼の口から漏れた。
「失礼。……あまり時間を取らせるのも何だし、早速本題に入ろうか」
「はい」
身を乗り出し両手を組んだ鳳が知尋の喉元あたりを見つめる。
読心を警戒しているのだろう、そう理解した知尋は自身も鳳の手元へと視線を送り、彼と直接目を合わせないようにした。
考えられる話題はいくつかある。
生徒会入りのこと、知尋の持つ能力のこと、家族のこと。あるいは――。
「鈴、と名乗る女に覚えがあると思う」
静かな声が理事長室内に響いた。
飛び出したのはある意味、この場に最も似つかわしくない名前だった。
「簡単に言おう。彼女と金輪際、手を切ってくれ」