二学期中間試験の二日目が滞りなく終わった。
試験期間中は午前終わりで、昼食前には帰りのHRまで全て済む日程になっている。
「知尋くん、お弁当食べよ」
「うん」
試験期間中も生徒会の仕事がある知尋のため、愛華はお弁当を作ってきてくれていた。帰って料理するのも同じだと本人は言っているが、やはり手間をかけてくれているのだろうと思う。
クラスメートが続々と帰宅する中、机をくっつけて昼食をとり、二階の階段で別れた。
「じゃあ、気をつけてね」
「……ん」
誰かが聞いていたら訝しむだろう会話を交わして別れた。
気をつけるのは当然、鈴に対してだ。
……一応、彼女がすぐに強硬策で来る可能性は低い、とは考えている。
できるならあの場でやっているはず、というのが主な理由だ。
ゆーちゃんこと鳳を鬱陶しく思いつつも彼の庇護下にいるのは、そうしないといけない理由があるからだろう。
そして、おそらくネックになっているのは金銭面。
少なくとも知尋を拉致監禁する隠れ家なんて用意できないはずで、何か鳳から離れる算段を立てるにも時間がかかるはず。鳳に匹敵する他の協力者もいないだろう。
また、鈴の望みは緩慢で継続的な日常と思われる。駆け落ちや無理心中の線もほぼない。
だから現状は比較的安全。
しかし、念には念を入れて警戒はしておく。生徒会室までは鈴もそうそう乱入してこないだろうという計算もある。
そう考えるとこの廊下が最も危険だとも言えるが。
「黒羽先輩?」
生徒会室へ向かう道の途中、壁の小さな掲示板で四葉が何やら作業をしていた。
知尋の声に彼女は振り向きにこりと微笑んだ。
「こんにちは、和泉君」
「こんにちは。……掲示物の張り替えですか?」
ポスターやら四隅の画鋲を何やら弄っているように見えた。
「ああ、いえ。剥がれかけていたポスターがあったので直していたんです」
言って視線を送ったそれは生徒会以外の団体が掲示したポスターだった。
であればそれは校内美化の範疇で、どちらかといえば風紀委員会の仕事だが。
「こういうのは気づいた人間がやるのが正しいと思いますので」
「先輩はよく、こういうのを直すんですか?」
「ええ、そうですね。わざわざ通らない廊下まで見回ったりはしませんが」
逆に言えば通る廊下であれば目に付くということだろう。
そして、四葉が頻繁に気づくということは、それだけ他の人間が「気づいていない」ということだ。
……貧乏籤を引く人間が偏っている、とも。
呼びかけ等も行ってはいないのだろう。注意を呼び掛けてしまえば自主的な行動ではなくなり、四葉の理念とはかけ離れてしまうから。
「大変じゃないですか? 毎回毎回直すのは」
「いいえ。当然のことをしているだけですから」
四葉が掲示板から離れ、ゆっくりと歩き出した。
生徒会室に向かう彼女に知尋もついていく。
「余裕のある者は、その余裕を自分だけでなく余裕のない誰かのためにも使うべきでしょう?」
「ノブレス・オブ・リージュ……でしたっけ」
「ええ。良い言葉ですよね。小さい頃、父から聞かされて感心した覚えがあります」
持つ者は持たざる者のために尽力する。
お金持ちの家に生まれ育ったという彼女は、その理念に従うならば常に、他人のために心を配って生きているということか。
名家の生まれとして、才能ある『落とし物』として。
……だとしたら頭が下がる。
せめて生徒会長としての彼女に、知尋ができる協力はしなくてはならないか。
「……あ」
「どうしました、和泉君?」
急に立ち止まった知尋を四葉が振り返る。
生徒会室はもうすぐそこなのだが……四葉と出会っていた出来事を回想していたら、ふとある連想に行きついたのだ。
「あの、黒羽先輩。理事長にお話したいことがあるんですけど、理事長の都合のいい時間帯とかわかったりしませんか?」
「え?」
突然の依頼に、四葉が不思議そうに首を傾げた。
☆ ☆ ☆
「これはまた、不思議な取り合わせですね」
「申し訳ありません。和泉君が理事長にお話があるということでしたので」
「彼が、ですか」
四葉はすぐに知尋を理事長室へ連れて行ってくれた。
彼女の後から入室した知尋は、ドアを閉じて振り返ったところで鳳の視線を感じた。
暗に用向きを尋ねてくる彼に頷きを返した。
「……では、ここからは彼と二人だけで結構です。先に戻ってください」
「わかりました。では、和泉君。また後で」
鳳の指示に四葉は素直に従った。
退室する彼女に知尋はぺこりと会釈した。
ドアが静かに閉じるのを確認してから向きなおる。
「まさか彼女を連れてくるとはな」
二人きりになった途端、鳳はラフな口調に戻して呟く。
やはり彼には相当嫌われているのだろう。
「すみません。理事長はお忙しいと思ったので」
「昨日の話を撤回するつもりなら聞く気はないが」
「いえ」
端的かつ拒絶的な反応に胸を痛めつつ、首を振る。
「……あの後すぐ、あの人に会ったことをご報告しようと」
「知っている。鈴に怒鳴りこまれたからな」
言ってじろりと睨んでくる。
思わず身を固くしてしまうが、鳳はすぐにため息を吐いて表情を緩めた。
「いや、君は約束を守っただけか。少々腹立たしいが」
「すみません」
「謝るな。謝られるとこの怒りをぶつけたくなる」
視線を合わせれば、確かに彼からは強い怒りが感じられた。
「それが読心か。……嫌な能力だ」
ずきりと胸が痛んだ。
かつて何度も言われた言葉。
この能力を求めてくれる人が傍にいること、最近はクラスメートも許容してくれるようになったことから忘れていた感覚が蘇った。
……どうしてこう、次から次へと。
幸福の揺り戻しのように現実を突き付けられる。
歪な方法で手に入れた幸せなど一時的なものにすぎないと言うかのように。
「彼女は諦めないと言っていました。何か無茶なことをするかもしれません」
「ああ、こちらで対処する。君は何もせず、鈴に会ったら昨日と同じように突き離せ。それで構わない」
「わかりました」
用件はそれだけだ。鈴との顛末さえ報告できればそれでいい。
頭を下げて退出しようとすると、そこを鳳に呼び止められた。
「これを持っていけ」
懐から取り出した名刺に何事かを書きつけたもの。
「プライベートのアドレスを書いておいた。次から何かあればそちらに送れ」
「ありがとうございます」
礼を言い、今度こそ入り口へ身を翻した。
ドアノブに手をかけ、ふと思う。
「理事長は、あの人の恋人なんですか?」
「……いや。鈴の恋人は別にいる」
答える声はどこか悲しい響きを含んでいた。
☆ ☆ ☆
鳳との会話は案外、多くの収穫をもたらした。
特に最後の言葉が大きい。
「恋人は別にいる……理事長はそう言ったのですね。自分はただの保護者だと言うのではなく」
「嘘言うつもりなら変な答え方だよね」
偽るなら「自分が恋人だ」と告げる方が効果的だ。
そうできない理由があるのか、真実をつい口にしてしまったか。
いずれにせよあの言葉は真実なのだと思えた。
「理事長先生が振り向いてくれないから知尋君を誘惑したとか?」
「……どうだろう。鈴さんなら自分から押し倒しそうな」
事情はもう少し複雑なのではないかという気もする。
現状では、得ている情報が断片的すぎて推測も難しい。
なんとかより多くの情報を得たい。
しかし知尋達が取れる手段は限られていた。
ひとまずWeb検索を実行してはみたものの、鈴に関する情報はなし。鳳についても簡単な経歴がわかる程度で、家族や恋人関係の情報は得られなかった。
鳳由司。
彼は『落とし物』ではない一般人だ。私立の進学校から美大に進み、卒業後しばらくしてから私立柴鳳学園の理事長に就任している。
「なんで美大出てて学校の理事長になったの?」
「血縁者からの推薦か何かのようね。前任者の苗字も『鳳』だわ」
「……夢は諦めちゃったのかな」
前任者の名前は鳳修介(おおとり しゅうすけ)。調べてみたところ、こちらの鳳氏が理事長に就任したのは三十歳の時だった。
年月日から逆算すると、現理事長の鳳とは七、八歳の年齢差。
「親戚か、それともお兄さんかな」
こちらの人物も家族関係や結婚歴は不明だった。まあ、電子百科事典に個別ページが作られるレベルの有名人でもないので仕方がないが。
……ほぼノーリスクで調べられるのはこの辺りまでが限界らしい。
学園の資料をあたるにせよ詳しい人物に尋ねるにせよ、今このタイミングで鈴や鳳について調べれば怪しまれるはず。できればあまり表立った動きはしたくない。
舞阪に協力を頼むのも躊躇われる。何かしらの情報は得られるだろうが、彼は決して味方というわけではない。知尋が調べている、という情報を鳳に流さないという保証はない。
こういう時、コネクションに頼れればいいのだが。
真っ先に思いつくのは真里亜の家――バックにいる『あの人』だが、彼(?)には頼れない。心情的な意味でもそうだし、先の一件から安易に頼るのは危険に思える。
となると、考えられるのは。
「華に頼めないかな」
彼女の両親はそれなりの資産家か何かだったはず。
具体的にどの程度のお金持ちで、どういう伝手があって、華とどの程度親密なのかは殆ど知らないが、知尋自身や李狐、愛華に比べればかなり可能性がある。
「でも、あの子が協力してくれるかな?」
「私がお願いすれば反応も違うとは思いますが……」
李狐の懸念と、真里亜の提案を受けて知尋は考え、首を振った。
「……いや、今回は僕が頼むよ。後々も考えたらその方がいいと思う」
「知尋君、それって?」
「今のうちに、華も『こっち側』に引き入れておくべきじゃないかってこと、かな」
できるかどうかは全く定かではないのだが。
☆ ☆ ☆
「はい、嫌です」
「……だよね」
翌日の放課後、華を個室訓練場に呼び出し――念のため愛華も一緒だ――昼食がてら話をすれば、きっぱり即答で断られた。
購買部で買ったサンドイッチを咀嚼しつつ、華はふんと鼻を鳴らす。
なお、話を聞いてもらうお礼に華の昼食代は知尋の奢りである。
「協力するメリットがないです。むしろデメリットだらけです。自分から危険なところに足を踏み込むわけないでしょう」
知尋の目論見は「本格的な騒動の前に味方を増やす」こと。
華からすれば、危機が迫っているとわかっていて知尋に近づき、彼の仲間と見做されるのは大きな損失だ。
むしろ、現状の一歩引いた立場を貫いていれば、将来鳳が知尋を処分したとしても巻き添えを免れることができるだろう。
「このままだと真里亜まで危険な可能性があるんだけど」
伝家の宝刀を抜いてみるが。
「その手には乗りません。理事長も無暗に退学者を増やすとは思えませんし。もし、本当に取り返しがつかないところまで和泉君が真里亜ちゃんを道連れにするつもりなら、そんな男は今ここで殺します」
「き、嫌われてるね。知尋君」
愛華がやや引きつった笑みを浮かべる。
「もし華ちゃんが本気なら、絶対そんなことさせないけど」
「しませんよ。今のところは」
言って華は息を吐いた。
食べ終えたサンドイッチの袋をくしゃくしゃに丸めると、苺牛乳の紙パックに挿したストローを咥える。
ちゅうう、と中の液体を飲みこんでから再び口を開く。
「そもそも、この件って和泉君の自業自得じゃないですか。頭おかしい痴女に引っ掛かった挙げ句、関係者から文句言われてるんですよね?」
「う」
もっともな指摘だった。
いくら興味があったからといって、初対面の高校生に性行為を求める大人はやっぱり普通じゃない。素性まで隠していたあたり鈴もかなりいい性格をしているし、そんな怪しい女に引っ掛かる知尋も迂闊すぎる。
「……でも、鈴さんのことはあまり悪く言わないで欲しいな。きっと、あの人にも事情があったんだと思うから」
最後に会った時の思いつめた様子。
自分の全てを受け入れて欲しいと言っていた彼女からは、どこか真里亜と重なるものを感じてしまう。
「お人よしですね、相変わらず」
「厳しいなあ」
「私が和泉君に甘いはずないでしょう。それに、私はあなたに借りどころか貸しがあるんです。頼み事なら最低限、そっちを終わらせてからにしません?」
そう来るか。
華があの時の貸しに拘っているのはわかっていたので、こういう話題が出るのはある意味予想の範疇だった。
おそらく借りを返すまで言われるだろうし、早めに片づけてしまうことは確かに必要だ。
……仕方ないと、知尋はかねてより考えていた計画を実行することにした。
「そのことなんだけどさ、華」
「なんですか?」
「良かったら、華にデートして欲しい女の子がいるんだ。それで貸し借りはチャラ、ってことでどうかな?」
「……へ?」
さすがにそれは予想外だったらしい。
華が間の抜けた声を上げてぽかんと口を開けた。