幸いにも鈴を引き入れることに成功した知尋達だが、未だ決定打はなし。
むしろ、鈴を取り戻そうとする鳳がいつ動き出すかわからない。そんな爆弾を抱える状況となっている。
極論、翌日学園へ登校すること自体が一種の賭けだが。
「登校しないわけにはいかないよ。何もしなければ状況は悪くなるだけだろうし」
「なら、わたしが知尋くんについていくよ」
いつも通りの生活を選んだ知尋に鈴が告げた。
認識疎外の力を持つ彼女なら教室でも生徒会室でも四六時中、知尋の傍にいられる。もし何か不測の事態があれば知尋に触れて一緒に逃げることもできる。
その申し出を、知尋はありがたく受けることにした。
「ありがとうございます。その、昼間は凄く暇だと思いますけど」
「気にしないで。知尋くんの顔見たり、久しぶりに授業聞いたりしてるから」
そう言って鈴は微笑み、能力を発動させる。
これで鈴と接触している対象以外は彼女を認識できなくなる――。
「あれ? 視えるけど?」
「……そうね。問題なく視えているわ」
どういうわけか李狐や真里亜、他全員が鈴の存在を感知できた。
「うーん。もしかしたら『これ』のせいかな」
「『刻印』、ですか」
「そう、『刻印』。前にもあったでしょ? 愛華ちゃんが私の能力を破ったこと」
あの時は、愛華が知尋との繋がりを元に事象を起こしたと仮定していた。
おそらく今回のこれも類似の現象――能力を使用している鈴が直接知尋と繋がったことで、よりはっきりと認識疎外が無効化されたものと思われる。
きちんと「消えて」いるか確証のないまま解散し、ついてきた鈴と通学路で検証したところ、やはり他の人間は鈴を認識できていなかった。
ここから推測できるのは『刻印』のネットワークが親(知尋)と子(鈴達)の間だけでなく子と子の間にも伸びているということだ。だからこそ、愛華達も鈴を視認することができる。
「これなら授業中も寂しくないね」
「僕達は反応できませんけど」
だとしても、視えている相手がいてくれれば気分が違うらしい。
知尋達としても鈴がそこにいるかいないか把握できるので安心する。
「これで、何事も起こらなければいいんだけど」
――結論から言えば、授業から帰りのHR、実行委員会までは平穏のまま終わった。
鈴も割合大人しくしてくれていた。といっても彼女の認識疎外は音声にも及ぶため、「眠い」だの「飽きた」だのと結構独り言を呟いていたが。
時々筆談で会話に応じてあげる程度で我慢してくれたから有り難かった。
「今度は生徒会のお仕事?」
「はい、そうです」
生徒会室に向かいながら小声で会話を交わした。放課後の廊下には人気がないため、大きな声で話さなければ問題ない。
と、鈴は気乗りしないような声で唸った。
「……うーん、そっか」
「やっぱり黒羽先輩のいるところは気まずいですか?」
「……ちょっとだけ。四葉でもわたしの力は破れないけど」
相手に見えないから何も思わない、とまで割り切れはしない。
「なんなら外で待っててもらっても……」
「でも、それじゃあボディガードの意味ないし」
女の子に守ってもらうというのも複雑な気分ではあるが。
何か折衷案はないか思案しているうちに生徒会室の入り口が見えてくる。きっちり閉じられ静かなのが常のそこには、珍しく人影があった。
すっと背筋を伸ばして立つショートへアの少女。
黒羽四葉。
たった今、知尋達の話題に上っていた人物がドア前で誰かを待っていた。
「黒羽先輩」
声をかけると四葉が振り返った。
交わった瞳から怒りの感情が伝わってくる。
――ここで、来るか。
知尋は、予感が現実になったことを感じながら足を止めた。
代わりに四葉が数歩、知尋達に近づいてくる。
「和泉君。お話があります」
「でも、仕事は……」
「ルー達に任せてあります。急ぎの仕事はありませんし、何かあれば万里歌さんが知らせてくれますから」
それよりも大事なことがある、と言外に告げる彼女。
どうやら冗談で言っているわけではないし、穏やかに話ができそうな様子でもない。
「わかりました」
諦観を覚えながら頷く。
「では、こちらに」
有無を言わせず歩き出す四葉を追って歩く。
廊下を歩いて階段を下り、一階に辿り着くと更に歩いて渡り廊下へ。校舎の別棟へと続く道の先にあるのは個室訓練場だ。
自主訓練の他、内緒話をするのにも持って来いの場所。
逆に言えばトラブルが発生しても自己責任になってしまう場所だが。
「私は万里歌さんと『伝心』で繋がっています。何かあればすぐに伝わりますので、そのつもりで」
予約した部屋へ知尋を先に通した四葉は、冷ややかな声でそう告げた。さっきから知尋の傍らをキープしている鈴がはっと息を飲む。
ばたん。
四葉にしては珍しく、やや乱暴な手つきで扉が閉じられる。
更にしっかりと施錠を行ってから、彼女は知尋を振り返った。
「用件が何かはわかりますか?」
「……想像はつきます。でも、教えてくれませんか?」
どこまで知られているのかを見極めるためにも不用意な発言はできない。
代わりに、四葉の瞳は更に冷たくなった。
「理事長から話を聞きました。あなたは恋人がいる身でありながら姉――鈴と不適切な交際をしていると」
情報の出所は、やはり理事長、鳳であるらしい。
鈴がつまらなそうに呟くのが聞こえた。
「……ふうん。プライベートでは由司さんとか呼んでる癖に格好つけちゃって」
しかし当然、彼女の声は四葉に届かない。
鈴の言葉に被さる形で更なる言葉が紡がれる。
「また、姉は現在自分の仕事を放棄して逃げ、あなたの元に匿われている。……間違いありませんね?」
「……はい」
単なる確認としての質問に首肯する。
ここで嘘を言ってもすぐに露見するだろう。ならば無暗に隠すメリットなどない。
むしろ、気持ちを向けるべきはその先にある。
「鈴さんが自分の意思で決めたことです。僕から逃げようと唆したり強制したことはありませんし、愛華――彼女も理解してくれています」
きっぱり答えると、四葉が一瞬、目を見開いた。
彼女はすぐに表情を戻して首を振る。
「だとしても、あなた達のやっていることは異常です。今の関係を世間に、堂々と公表することができますか?」
「……いいえ」
四葉の言っていることは正論だ。
知尋達の関係は公にできるものではなく、だからこそこうして、事が露見することを恐れている。
堂々と誇れないことだと、わかっているならしなければいいと、哀しみの籠もった視線が知尋を突きさす。
「でしたら、今からでも遅くありません。姉に戻ってくるよう伝えて関係を解消してください。問題が起これば、不幸になるのはあなたと姉だけではありません。あなたの恋人も友人も、家族にまで及びますよ」
皆から後ろ指さされ、見放されてボロボロになる。
母や姉にまで迷惑をかけた挙げ句――将来の道は閉ざされる。
「姉は既に成人していますし、家からもほぼ勘当されている身です。何があっても自分の責任だと言えるかもしれませんが……和泉君の未来は、まだまだこれからなんです」
諭すような言葉。
いや。ような、ではなく諭されているのだ。
年長者として、同じ学校に通う先輩として、生徒会長として正しい道を教え説いてくれている。
「理事長の説得は私も協力します。姉のことさえ無かったことにしていただければ、和泉君はこれまで通り生活できます。現状でこの件を知っているのは私一人ですから」
鳳はまず四葉一人だけに話したのだ。
ルシルも綾瀬も万里歌も、あるいは神代や舞阪も。皆、知尋達の事情を聞いてはいない。今なら何もなかったように日常に戻れる。
――鈴を見捨て、置き去りにして。
知尋は俯いた。
ほんの一瞬、自分だけ楽になることを考えたことが恥ずかしくて。
そんな彼の耳に遠慮がちな声が届く。
「いいよ、知尋くん。わたしを見捨てても」
顔を上げて横目で見れば、鈴は微笑んでいた。
「一晩だけだけど楽しかったし、嬉しかった。……わたしも実の妹にこんなこと言われたらさすがにへこむし。知尋くんに迷惑かけすぎかなって思う。だから、見捨ててくれていいし、そうなっても恨まない」
「……そんなこと、できるわけありません」
自然と、口から言葉が漏れていた。
ゆっくりと顔を上げる。
「え?」
聞き返してくる四葉の目を見つめてもう一度告げる。
「できません。それじゃ、鈴さんを見捨てることになる」
「見捨てる……?」
穏やかで誠実な生徒会長の顔に怪訝の色が浮かぶ。
目を瞬き、かすかに非難を含む口調で言い返してくる。
「そんな事は絶対にしません。理事長は姉を大切に思っています。だからこそ姉が一人ぼっちにならないよう傍に居てくださっていたのですし、生活のお世話だって――」
「……それは、鈴さんの望みですか?」
四葉の声が止んだ。
知尋は構わず、湧き上がってくる憤りに任せて言葉を紡いだ。
「自分勝手に『良かれと思って』やっていただけじゃないんですか? 理事長は、鈴さんが本当にしたいこと、したいと言ったことを叶えてあげていましたか?」
「したい、こと?」
知尋の言葉を四葉が反復する。
ショートヘアの少女は、はっきりとした困惑を表していた。
もしかすると本当に思い至らないのだろうか。
鈴が望んでいたことが何なのか――知ろうとしてこなかったか、知る機会を与えられなかったか、何らかの理由で。
「和泉君、いったい何の話を……」
「抱いて欲しかったの」
静かな声が室内に響いた。
それを聞いた四葉が目を丸くしたところを見ると、どうやら認識疎外の効果は止まっているらしい。
「鈴、姉さん?」
「他のものなんてどうでもいい。好きな人に愛して欲しかった。抱いて、いっぱい気持ちよくしてほしかった。あの人も、ゆーちゃんも叶えてくれなかったわたしの望み」
静寂。
一分近くも続いたそれを四葉が破った。
「そんなこと……」
余程、姉の出現に意表を突かれたのか、彼女の表情からは余裕が消えている。むしろ切迫した顔で右の手のひらを胸に当てた。
「そんなことのために由司さんを困らせたの? 我が儘ばかり言って、皆を困らせて、いつもいつも姉さんは……っ!」
「我が儘!?」
絶叫だった。
防音の部屋にいてなお外が気になるような大声が四葉の言葉を遮る。
ほわほわした雰囲気の似合う女性が、それとは似ても似つかない顔で妹に訴える。
「好きな人に愛してもらえない。子供も作れない。それなら、わたしに生きてる価値なんてないでしょう!?」
直後、四葉の顔にある感情が浮かんだ。
猛烈な怒り。
それを見た知尋は、この姉妹の間にある断絶の深さを理解する。
同じ家に生まれ育ったはずの二人。
しかし、彼女達は全く異なる種類の人間だ。
辿ってきた道のりの違い、負っている責任の違いだけでは説明しきれない。
根本にある価値観。
人格を形作るベースそのものが違い過ぎている。
「人の価値は性行為では決まりません。お兄さんや由司さんがあなたを抱かなかったのは、あなたの価値が低かったからではありません」
「そんなの知らない! わたしはわたしとセックスして欲しかったの! それだけあれば何もいらなかったの!」
「……っ。甘えないでよ、このわからず屋!」
いつもの口調すら捨て去った四葉の怒声が空気を震わせる。
しかし、鈴も妹の大声に怯えてはいなかった。
「背負うものも何もない癖に」
「一度も自分のしたいようにしたことない癖に」
血の繋がった姉妹は言い合い、お互いを憎々しげに睨みあった。
どうして、ここまで感情をぶつけ合えるのか。
愛華と真里亜の喧嘩よりも生々しい感情のぶつけ合いに、知尋は背筋が寒くなるのを感じた。
何度体験しても女の子の怒りは恐ろしい。
論理的な手順を踏めば解決するとは限らないやり取りなんて、どうやって解決すればいいというのか。
「二人とも、止めてください」
何も具体的な方法が思いつかないまま、知尋は鈴達を制止する。
振り返った二人から同時に睨まれるのを必死に受け止めながら、思いつくままにある提案を投げかけた。
「……だったら、黒羽先輩。一度だけで構いません。鈴さんが間違っていることを自分で証明してくれませんか?」
拒否されてもともと。
成功する確率も低い賭けを提示する。
かつて手に入れ、半ば封印状態となっている力。
『願望暴露』を再び用いる覚悟を決めながら。