翌日も鈴と二人で登校した。
一人で歩いていた通学路を誰かが一緒に歩いてくれる。それは新鮮で、幸せな感覚だった。
真里亜との校内関係は改善したものの、やはり彼女達と並んで歩くのは問題がある。愛華となら待ち合わせくらいしてもいいだろうが、それも色々詮索される危険はある。
その点『認識疎外』中の鈴なら誰に咎められることもなく一緒にいられる。
「鈴さんがいてくれて嬉しいです」
「……もう。誰彼構わず女の子みんなに言ってるんでしょ」
「言いませんよ。愛華達と鈴さんだけです」
それにしても五人は多いだろうが、彼女達の誰にも適当な気持ちで言っているつもりはない。
「うふふー。嬉しい」
ジト目で嘆息していた鈴も、実際は満更でもなかったらしい。
抱き着かれた知尋は豊満な胸の感触を背中と腕に感じた。
「……あの、抱き着かれると僕まで消えるんですけど」
もしも知尋に注目している人がいたら、彼が突然消えたように見えるのではないか。
「大丈夫だよ。見えなくなるんじゃなくて、気づかなくなるっていうのが正しいから。もしじっと見られてても、突然消えたんじゃなくて気づいたらいなかったって思われるはず」
「なるほど」
その代わり、監視カメラなどの無機物は誤魔化せない。
あくまでも、生物から気にされなくなる能力だからだ。
「……あれ? じゃあ学園内のカメラにも映ってるんですか?」
「……そういえばそうだね」
校門など、大事な場所にはいくつか設置されていたはず。その映像を録画なりライブなりで見る人が見れば、鈴の存在はバレバレだったらしい。
まあ、もしカメラ越しに鈴の存在に気付いても、それだけで鈴を捕まえられるわけではないのだが。
誰もいない(ように見える)空間に向かって「出てこい鈴!」とか叫ぶ鳳を想像したら少し和んだ。
☆ ☆ ☆
「いーずーみー」
「へ?」
妙に間延びした声が背後から聞こえたかと思うと、制服の袖に覆われた腕ががっしり首筋をホールドしてくる。椅子の背もたれからはみ出した頭に当たる胸板の感触は明らかに女子ではなく男子のもの。
……なんだか、逆に新鮮な感覚だ。
食べていたお弁当をいったん置き、振り返れば不敵な笑みを浮かべる舞阪の姿。
「どうしたの?」
尋ねると、舞阪は何故か不満そうな顔をした。
「いや、どうしたのってお前。もう少し気の利いたリアクションをしろよ。俺の後ろに立つなー、とかさ」
「ごめんごめん。それで?」
「ああ、これこれ」
ぱさり、と目の前に垂らされたのは一枚のルーズリーフ。表面にはボールペンで線を引いた簡単な表が書かれている。
紙を横に使い、縦の欄には午前九時から午後四時までの時間が二セット、一時間から一時間半刻みで記されている。横の欄には計十一個の名前。
「あ、シフト表か」
「そ」
学園祭で知尋達1-Cが行うメイド喫茶の、である。
もっと言えば、書かれた名前の数および種類から接客メンバー用のシフト表だとわかる。
「他の面子にはもう希望を聞いたんだけどさ、お前と深海さん、あと高槻はまだなんだよな。だから纏めて聞きに来た」
その声に、一緒にお弁当を食べていた愛華達が身を乗り出した。それを見た知尋はルーズリーフを舞阪から受け取って机の上に置く。
平然としているのは放課後、クラスの手伝いをしていた李狐だけだ。
なお、鈴は食事休憩のためいったん知尋の傍を離れている。学食や購買を利用するわけにはいかないはずなので、いったいどこでどう食事をしているかは謎だが。
「和泉は生徒会の手伝いがあるんだよな?」
「うん。二日とも、生徒会室に一時間くらいずつはいると思う」
先日ルシルから言い渡されたシフトを舞阪に伝える。
ついでに、開会式や閉会式の際はスタッフとして参加するので、できれば初日の朝イチと二日目のラストは避けた方がいいだろう。
「了解。で、高槻は……」
頷いた舞阪は次に愛華へちらりと目をやった。
「あ、私は」
「和泉と同じシフトな。了解」
「私、まだ何も言ってないよ!? それでいいけど」
いいんだ、と李狐が半眼になった。
最後に尋ねられた真里亜は実行委員会の都合を伝えていた。知尋と同じく開会式、閉会式周りと委員会主催イベントの際は出られない。
「ん、OK。和泉と同じシフトじゃなくていいんだな?」
「ええ。お客さんとして来るという手もあるもの」
「あ、それもいいかも」
愛華が呟くと、真里亜はどこか得意げに微笑んだ。この少女も以前に比べると大分、表情が豊かになったような気がする。
なお、李狐は本人の希望でフロア(接客)だけでなく調理も兼任するらしい。
どちらかというと料理の方が性に合ってるから、ということである。
三人が希望を伝え終えると、舞阪は後で決定版を伝えると言って机から離れていった。
やはり彼も中々に大変そうだと知尋は思った。
「そういえば、愛華。学園祭中も医務室は開いてるんだよね?」
「うん。私もちょっとお手伝いするつもりだよ。そこまで忙しくはないはずだけど」
お祭り中に戦闘訓練をして怪我人する馬鹿はいないだろうが、調理中に火傷や切り傷を作る生徒、走って転ぶ子供などはいる。
学園に在籍する校医二人はそうした利用者の対応に追われることになる。
普段から校医を手伝っている愛華も、せっかくだからお手伝いをすることに決めたらしい。
メイドをしたりナース(?)になったり、彼女は彼女で忙しそうだ。
「じゃあ、余裕があったら顔を見に行ってもいいかな?」
「いいよ。あんまりお話はできないだろうし、怪我をして来るのは止めて欲しいけど」
自分の仕事が増えるから……ではなく、あくまで心配からそう言ってくれる。
と、李狐が笑った。
「あは。メイド喫茶で怪我したら愛華が即行で治すし、他でも大体一緒にいるでしょ」
「うん」
「それもそうだね」
「……え、ごめん。半分冗談のつもりだったんだけど」
☆ ☆ ☆
学園祭実行委員会では、もはや知尋がする仕事は殆どなかった。
会議は各作業の進捗確認だけで終わり、後は即座に作業開始。進捗もここまで期限が迫るともう「終わらせるしかない」ので、致命的な遅れや問題が出ない限り「頑張ってください」としか言えない。
というわけで、知尋は三十分にも満たない時間で実行委員会を後にした。
「生徒会室に行くの、ちょっと怖いね」
「そうですね……」
昨日、四葉は事の保留を約束してくれた。
しかし、彼女の報告を鳳がどう受け止めたかは別の話だ。知らないところで勝手に取り付けられた約束だと切って捨てられた可能性はある。
もしそうならもっと動きがあるはずだとは思うが、怖い物は怖い。
――鈴と二階の廊下を歩いていた知尋は、不意に立ち止まった。
大したことではない。
ただ、通りがかった壁の掲示板に剥がれかかったポスターがあっただけだ。
普段なら気づかず通り過ぎていたかもしれないが、この時はたまたま気づき、そしていつだったかの四葉とのやり取りを思い出した。
確か、あの時、彼女と会ったのもこの場所だった。
「知尋くん?」
「あ、いえ。ちょっとあれを直したくて」
自分が四葉のような高潔な人間でないのは百も承知。
それでも気づいてしまい、しかも思い出してしまった以上は放置もできず、知尋は掲示板に歩み寄った。
ポスターの剥がれの原因は、学園祭関連で貼られる枚数が多いせいだ。
利用者が別のポスターを貼る際にぶつかったか、スペースを作るため移動させようとして適当にピンを刺した……そんなところだろう。
思いつつポスターを伸ばしてピンを刺し直す。
「知尋くんって意外に几帳面?」
「意外ですか。……いや、ほら。生徒会のメンバーがこういうの無視したら格好悪いじゃないですか」
言いつつ遠目からバランスを確認し頷く。
そこでふと気づく。
……四葉はこの廊下を通らなかったのだろうか。
通ったのなら気づくはず。
ポスターが剥がれたのがついさっきだとか、たまたま用事で別の廊下を通った可能性はもちろんあるが。
なんとなくざわざわしたものを感じ、知尋は鈴を促した。
「鈴さん、お待たせしました。行きましょう」
「うん」
廊下を歩いて生徒会室へ。
今日は入り口前に誰もいなかった。一度深呼吸してからノックし、入室。
「お疲れ様です」
嗅ぎ慣れたコーヒーの匂い。
室内には生徒会のメンバーが勢ぞろいしていた。今日も今日とて作業中の彼女達が顔を上げ、知尋を見る。
『お疲れ様』
「こんにちは、和泉君」
「ああ、下僕。体調はもういいんだ?」
「はい、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
謝り頭を下げた知尋は、顔を上げたところで違和感に気づいた。
全員が反応してくれたと思った。しかし入り口正面に座る生徒会長――四葉だけは書類に顔を落としたまま反応しない。
無視されているのか。最初はそう思ったが、
『……四葉?』
「え?」
万里歌の呼びかけに四葉が弾かれたように顔を上げる。
少し熱っぽく見える顔に驚きが浮かび、慌てて微笑んでくれる。
「ああ、和泉君。いらっしゃい」
穏やかな笑み。
一見すればいつも通りに見える対応だが、それ以前が明らかに違う。
昨日の件で知尋を嫌悪しているのとも違う、重い身体を無理矢理動かしているような不自然さ。
「黒羽先輩、大丈夫ですか?」
思わず尋ねる。
すると、四葉は虚を突かれたように目を瞬いた。
何気なく向けた視線から顔を逸らして、小さく。
「誰のせいだと」
「ん?」
ごく小さな声だったが、やや離れた知尋にも聞こえたのだ。
隣にいたルシルが聞き逃すはずもなく、彼女は眉を吊り上げて知尋を見た。
「何? 四葉が調子悪いのは知尋が何かしたからなの?」
「いや、えっと……」
そう、なのだろうか。
これが昨日の『願望暴露』の影響なら明らかに知尋が悪いが、もしただの体調不良なら無関係だ。
いや、もちろんストレスや睡眠不足の要因ではあるのだが……。
「違うわ、ただの風邪。大したことはないから大丈夫」
迷ううちに当の四葉が答えた。
その答えにルシルだけでなく綾瀬、万里歌もほっと息を吐く。
「なんだ、そっか。四葉にしては珍しく声が怒ってたから何かと思ったじゃない」
「ふふ。でも、和泉君から風邪をうつされたのはあるかもしれないですね」
『今夜は薬を飲んで寝ること』
「ええ、そうするわ」
そうして一同の雰囲気はいつものそれに戻っていく。
……助かった。助けられた。
四葉は昨日交わした約束を守ってくれた。知尋の安堵の息を吐いて自分の席に着き、手伝える簡単な仕事に片っ端から手を付けた。
学園祭直前の今、生徒会の書類仕事はそう多くない。
各組織との相談や調整はほぼ済んでいるし、この段階で生徒会の承認が必要になるような予算申請・確認書類がゴロゴロあったら破綻する。
代わりに、このタイミングで持ち込まれる書類はタイムリミットに余裕のないものが殆どで、なんというか少数精鋭でヤバいのだ。もっと早く言えと言いたいのは山々だが、人が大勢いればミスも起こるし、作業過程での問題発生もままあること。
――尻拭いは生徒会の仕事。
綾瀬が案件ごとの緊急度や対応を切り分け、万里歌が猛烈な勢いで電卓を弾く。ルシルは生徒会主催ポイントレースの最終調整を進めながら、込み入った書類を優先度順に迅速・的確に処理。
四葉が来客の応対に追われる中、比較的穏便な案件は知尋に回された。
結局、忙しいんじゃないか。
などと文句を言う暇も無く、コーヒーとお菓子をエネルギー元に各自作業を進めた。メンバーの尽力の甲斐あってかタスクは順調に減っていき、無事に終わる目途が立ち始める。
生徒会室で小さな騒動が起こったのはそんな時だった。
「無理です。お引き取りください」
発端は四葉の声だった。
『仏の会長』が発したいつにない断言にメンバーが顔を上げ、状況を確認。
会話の相手はとある二年生のクラス委員。
用件は、お化け屋敷の予定だった出し物を「お化け屋敷 迷路スタンプラリー」に変更したい、ついては実施場所を視聴覚室から体育館に変更できないか、というものだった。
確かに、話を聞く限り無理難題に思えるが。
「四葉にしては珍しく、ちょっと厳しいんじゃない?」
「あ……」
ルシルの指摘に四葉が小さく声を上げた。
言われて自分でもそう思ったのか、黙って俯く彼女にルシルは微笑み、困惑気味のクラス委員を振り返った。
「ごめん。えっと、一応補足しとこうか。まず、今から場所の変更は無理ね。これは話になんない」
体育館は他の出し物で使われる予定がある上、開会式と閉会式にも用いられる。もし他の出し物全ての場所をどこかに移したとしても、大規模な仕掛けが必要なお化け屋敷には貸し出せない。
「でもま、場所が視聴覚室でいいって言うんなら何とかなるんじゃない? まず先に実行委員会に掛け合って、プログラムの変更ができるかどうか確認してきて。一時間以内に戻ってこられれば、元の申請書類はこっちで書き換えられるから」
ルシルにしてはかなり丁寧な説明を受けたクラス委員は、ありがとうございますと頭を下げて生徒会室を出ていった。
それを見送ったルシル、綾瀬、万里歌は揃って四葉を励ます。
『四葉、やっぱり疲れてる? もう帰ってもいいよ?』
「はい。黒羽先輩が明日いない方が困ります」
「そーね。まあ、別に今のもミスじゃないんだけど。このタイミングで言われたら誰だってイラっとするっての」
「……ありがとう、皆」
こうして騒動自体は事なきを得たが、この出来事は黒羽四葉の不調、そして変調を象徴していることを、おそらくその場の誰もが認識していた。
「……では、和泉君。良ければ私を送ってくれませんか?」