送って欲しい。
そう言っていた四葉だが、学園を出た彼女が知尋を導いたのは家でも駅でもない場所、学園近くにある公園だった。
まだ空が明るいため園内の照明は点灯していない。
――個室訓練場ではなく屋外を選んだのは揉め事を起こさないためか。更に言えば、ここなら万が一、生徒会の面々が通りかかっても「休憩していた」で通る。
近隣の住人であろう子供達が駆けまわるのを横目に見つつ、知尋は四葉と二人、隅のベンチに腰掛けた。
いや、二人というのは誤りだ。
「……姉さん、いるのでしょう?」
半ば確信したような四葉の声に、鈴が気だるげな声で答えた。
「私にも用があるんだ?」
姉妹の確執は続いている。むしろ昨日の言い争いで溝が深まったと言っていいだろう。それでもわざわざ姉に声をかける以上、大事な話なのだと想像がついた。
知尋が左、四葉が真ん中に腰かけたベンチの右に鈴が腰を下ろした。
ベンチの幅にあまり余裕はなく、隣と肩が触れ合うような格好。
「言っておくけど、周りの人には私が見えないからね」
「それでは和泉君に声が聞こえないのでは?」
「知尋くんは私が消えてても見えるし聞こえるんだよ。ま、でも、四葉の声は聞こえなくなるから触ってた方がいいけど」
鈴が誇らしげに胸を張りながら、四葉の膝の上に手のひらを乗せる。知尋はやや気後れしつつもその上に手を重ねた。
そんな二人を四葉は訝しげに見つめるが、結局何も言わずに息を吐いた。
「……追及は止めておきましょう。今は余計な話をしている時ではありません」
実際、四葉にはあまり余裕がないのだろう。
風邪でも引いているのかと思える頬の赤らみは今も変わらず。口を開くことさえ億劫そうな様子には痛々しさがある。
だからこそ生徒会の面々も素直に知尋を送り出してくれたのだろうが。
「風邪ではありません。寝不足ではありますが……いざとなれば家から人を呼びますから、一人で帰宅が難しいわけでもないのです」
言いづらそうに目を細めて彼女は告げた。
親しい相手に嘘をついた罪悪感。それが胸を痛めるのだろう。
彼女とて、つきたくてついた嘘ではないだろうに。
「……僕のせい、なんですね」
「ええ、そうです」
しっかりとした首肯。
四葉は申し訳なさそうにしつつも言葉は濁さずに話を続けた。
「昨日、和泉君が私にしたこと……それが今も尾を引いているのです」
ちらり、と。
横目で見てくる表情には棘があった。
『願望暴露』――『読心』とは比べものにならないレベルで他者の領域を侵す能力を受けさせられたのだ。彼女の反応は当然といっていい。
その上でわからないことがあるとすれば。
「イメージがまだ途切れない、ということですか?」
知尋はこれまで五人の少女、女性に『願望暴露』を用いた。
うまく願望を読み取れなかった一人を除いても四人。彼女達はいずれも、見せられたイメージをイメージとして分別をつけていた。
興奮して情緒不安定になる者はいたが、一日近く経ってもイメージが意識を侵食するような事態はなかったのだが。
四葉は知尋の問いにゆっくり首を振った。
「そうだ……と言いたいところですが、違います。イメージ自体は和泉君の言った通りきちんと消えました。ですが……」
言葉が途切れる。
横目で窺った彼女の頬は赤みがより増していた。
可憐な唇を開いては、何かを迷うように閉じるのを繰り返した後、ようやく告げられたのは。
「……あの経験が、脳裏に焼き付いたまま離れないのです」
……確かにそれは、話すのに覚悟が必要だろう。
同意の上で受け入れた淫らなイメージ。見せてきた相手は何の嘘偽りもしなかったのに、当の四葉がたった一度の性体験を忘れられなくなってしまった。
お嬢様と育てられ婚約者からも大事にされる、初心な彼女には酷な話だ。
加えて言えば、そんな性知識にも性体験にも乏しい彼女だからこそ、それだけ強烈なショックを受けたのだ。
幼少期の体験が後の性癖に大きな影響を与えるのと同じこと。
経験が少なく清らかな人間であればあるほど、性の興奮というのは強烈な印象となって心に刻まれる。
きっと悩んだだろう。
おそらくはあの時、知尋に送ってくれと頼む直前まで悩み、そうして決断したのだ。
「理事長に相談するわけには……」
四葉は目を伏せて首を振った。
「できるわけがありません。私の独断で決めたことにより、自分で勝手に苦しんでいるなどと――少なくとも理事長にだけは申し上げられません」
婚約者だからこそ性の相談は躊躇われる。
また、もし告げれば、過失の有無に関係なく鳳を激昂させてしまう可能性もある。
一度交わした約束を自分達の都合で反故にするのは本意ではないのだ、と四葉は語った。
……根本的に彼女は善良すぎるのだ。
そんな彼女の善意に付け込んでいる知尋には何も言う資格はないのだが。
「すみません、黒羽先輩。能力が続いているならともかく、もう消えているなら僕にも何もできません」
「……そう、ですよね」
知尋の答えは予期していたのだろう、生徒会長である少女は弱々しく俯いてしまう。
それほど今の状態が辛いのか。
「寝不足なのもオナニーのしすぎだったりするのかな」
「鈴さん!」
あまりにも直球、かつ嫌味っぽい台詞につい声が荒くなった。鈴は悪びれない様子でぺろっと舌を出す。
「ごめんごめん。でも、聞いておいた方がいいでしょ? でないとアドバイスも何もできないし」
「だからって……」
「……いえ、構いません」
知尋の言葉を四葉が遮り、首をゆっくりと横に振った。
「姉の言う通りです。実際、私ははしたない行為を抑えられませんでした。……昨日の経験共々、このようなことは初めてですから」
☆ ☆ ☆
昨日、個室訓練場で暴いた四葉の『願望』は極めて特殊なものだった。
だからこそ、知尋は真里亜達への説明を躊躇った。直接見た知尋ですら半信半疑だというのに、話して信じて貰えるとは到底思えない。
……ただし、姉であり当事者である鈴にだけは伝え、納得してもらったが。
四葉のイメージを元にしたビジョン。
まず見えたのは学園の理事長室だった。照明の光に照らされた内装は現実のそれと差異は見られない。
カーテンのかかっていない窓の外は暗く、空には星々が浮かんでいる。
感覚的には、四葉の無意識下が指定した「豪華な部屋」という条件から知尋が理事長室を連想した、といったあたりが経緯と思われる。
室内には二つの人影。
一つは四葉。学園の制服を何の瑕疵もなく纏った彼女は、理事長用の椅子に腰かけて足を組んでいる。悠然と、さながら女王――いや、女帝のごとく。
この場にいるもう一人を|見下ろす(・・・・)瞳は笑みを湛えているが、その笑みは酷く冷たく、どこか近寄りがたい気配を放っていた。
常にない、現実の四葉なら決してしない態度。
そんな彼女の足元、絨毯の敷かれた床に正座して控えるのは知尋ではなく、高級そうなスーツを纏った鳳だった。
自分が全く登場しないビジョンを見るのはこれが初めてだが、おそらくは指定された条件と知尋のパーソナリティが一致しなかったのだろう。
ともあれ。
やや大人びた雰囲気があるとはいえ、まだ高校生に過ぎない少女に立派な大人が傅く姿は一目で「尋常な情景ではない」と理解できた。
「いい格好ですね、由司さん?」
「………」
嘲るように四葉が言った。
声は確かに生徒会長、黒羽四葉のものに違いないのに、普段とは完全に印象が違う。まるで、そっくりな誰かが喋っているような錯覚すら覚える。
話しかけられた鳳も同じなのか、彼は呆然と四葉を見上げるだけだった。
すると、冷厳な声が鳳の耳朶を打った。
「返事はどうしたのですか?」
くい。
上履きのつま先が鳳の顎を持ち上げる。
鳳の唇が恐る恐るといった風に震えた。
「やめるんだ、四葉」
「……あら」
四葉の目がすっと細くなる。
予想外の返事に動作を止めた彼女は、軽く息を吐きながら足を離した。
解放の感覚に鳳が安堵の笑みを浮かべる。
そこへ。
上履きが軽い音を響かせながら鳳の顎を蹴り上げる。
決して強い力ではない。体勢からしてもさほど勢いはつかなかったはずだ。
しかし、受けた当人のショックは計り知れないものだったらしい。
「なっ……」
「誰がそんな口の利き方を許したのかしら」
目を見開いた鳳を四葉が見下ろす。足が今度は頭に乗せられる。
「私に、何か言うことは?」
ぎりっ。
鳳が奥歯を噛みしめるのがわかった。
彼は屈辱を堪えながらゆっくりと口を開く。
「すまなかった」
「『申し訳ありませんでした』でしょう?」
ぐりぐりと上履きの踵が後頭部を嬲る。
「……申し訳ありませんでした、四葉」
「『四葉様』」
「……っ。申し訳、ありませんでした、四葉様」
年下の少女に。自身の婚約者に。学園の生徒に。
見下され、馬鹿にされ、命令されて跪かされる気分はきっと最悪だっただろう。
これまでの人生そのものを呪ったかもしれない。
くすくす。
そんな鳳を眺めながら、四葉は楽しそうに笑った。
「いいわ、その顔が見たかったの」
完全にパワーバランスが逆転している。
いや、鳳はまかり間違っても四葉を足蹴になどしなかっただろうから、逆転以上のことが起こっていると言うべきか。
不意に、頭に乗っていた上履きが下ろされる。
次いで行われたのは新たな命令だ。
四葉は無言のまま、右足を鳳の眼前に差し出すと彼に告げる。
「脱がせなさい。上履きと靴下を脱がせた後、足を舐めるの」
「……本気か?」
がっ。
再び上履きが顎にめり込む。
「脱がせなさい」
「……わかった」
鳳の言葉遣いに四葉は目を細めつつも、今回は何も言わなかった。
スーツ姿の学園理事長は絨毯に正座したまま、両手を四葉の右足へと伸ばした。そうして彼女の上履きを手に取ると足から脱がせる。
ころん。
彼の手元から上履きが無造作に離れ、絨毯の上に転がった。
「……ふうん。主人の履き物を捨てるのね、お前は」
濃紺のソックスが鳳の口元にあてられる。
無理矢理ねじ込むようにして唇をこじ開け、つま先から口内へと侵入。
「駄犬への罰よ。このまま舐めなさい。舐めて、しゃぶって、私の味をしっかり舌と脳に刻み付けるの」
「ふざけるな。そんなこと、できるわけが」
「やれって言ってるの」
ぐいっと、更に押し込まれる足。
鳳が否応なく舌を靴下に触れさせると、四葉はほぅ、と恍惚の笑みを漏らした。
「そうよ。それでいいの。ほら、続けなさい。もっともっと私を楽しませなさい」
その表情、その声は明らかに、男を支配する優越感と恍惚により、四葉が絶頂しそうなほど興奮していることを表していた。
☆ ☆ ☆
「びっくりだよね。あの四葉がSM趣味、しかもS側なんて」
「やめて」
「清い交際がどうの、持つ者の務めがどうのって言っておいて、男に足舐めさせてイっちゃいそうになるんだよ? お友達が見たらどう思うか――」
「やめて!」
絶叫が公園に木霊した。
……しかし、声を上げた瞬間も四葉は鈴に触れていた。『認識疎外』の効力によって彼女の存在は周囲に認められず、また声も鈴と知尋以外には届かない。
四葉は震えていた。
それだけでなく、ぽたりと涙が膝の上に落ちる。
「信じません。信じられません。あれが、私の『願望』だなんて」
嗚咽と共に否定の言葉を吐く彼女。
否定し、認めなければ。
何かの間違い――例えば、知尋が出任せのイメージを植え付けたとか、そういうことにしてしまえる。
そうしなければ自分を保てないのだと言うように。
「和泉君が、あなたが私を狂わせたから、私は」
怨嗟の声を上げながら、それでも四葉は知尋の方を振り返らない。
目が合うこと、もう一度『あれ』を見せられることを恐れているのだ。
当然だ。
知尋の能力が具体的にどんなものか、彼女は伝聞でしか知らないのだから。本人からの言葉など、今この状況において信じられるわけがない。
……ただし、それは同時に血の繋がった姉をも疑うということ。
事実を確かめもせず他人に責を負わせるという、四葉の矜持に反する行いなのだが。
「黒羽先輩」
「っ」
だから四葉は、知尋の声にびくりと身を震わせる。
「逃げないでください」
「私は、逃げてなんか」
「逃げてます。……だって、僕の能力が本当に言った通りのものでももそうでなくても、『先輩が自分の意思で受けて』『それを忘れられなくなっている』ことは変わらないんです」
もしも、知尋の能力が洗脳だったとしても。
その程度、意志の力で跳ねのけられると挑戦を受けたのは四葉。結果、意志の力が足りずに惑わされているのも四葉。
「先輩が今、あのビジョンを実現したくて仕方ないのは事実です」
「……っ!」
ぱん。
乾いた音が鳴る。
手加減はしてくれなかったらしい。知尋はじんじんという頬の痛みを堪えながら言葉を続けた。
彼女の自尊心を敢えて逆撫でするように。
「否定したいならしても構いません。能力の効果はもう消えているんですから、何日かすれば記憶も薄れていくはずです」
時が経てば経つほど曖昧になるのは当たり前のこと。
……何度も何度も思い返し、都度記憶を強化したりしなければ、の話だが。
四葉が身を震わせる。
「……そんな。学園祭はもう明後日で」
「認めるんですか? 大事な学園祭に向かっている中でも我慢できないくらい、先輩の性欲が強いってことを」
「そんなの!」
もう、殆ど絶叫だった。
「認められるわけない。絶対に認められない」
認めれば全て変わってしまう。
鈴のことを咎める資格を失い、鳳の信頼も損なう。何より四葉自身の自尊心が傷ついてしまう。
……彼女はきっと、自分が生徒会長でいることが許せなくなる。
「だったら、きっぱり否定しましょう。もう一度『あれ』を見て、今度こそ吹っ切るんです」
「……ぁ」
優しく、けれど四葉の意思を無視して頬を押さえる。
彼女の顔を自分側へ向けるのにさしたる抵抗は感じなかった。
「大丈夫。先輩ならきっとできます」
心にもない励ましの言葉を告げながら、知尋は気丈で清廉な生徒会長を堕とすため、再び『願望暴露』の力を起動した。