「これより第十三回、私立柴鳳学園――学園祭を開催いたします」
壇上で実行委員長が宣言した直後、体育館は生徒達の歓声で包まれた。
ある者は拍手し、ある者は友人と明るく言葉を交わす。その光景を、知尋は生徒会の面々と共にキャットウォークから見下ろしていた。
彼らの雑談は、葉月万里歌の『伝心』により周囲に伝わることなく完結する。
『まったく。一番いいとこを実行委員長が持ってくのが納得いかない』
『あはは……確かにそうですね』
『でも、それは仕方ないと思う』
『彼は学園祭の実行委員長、ですからね』
目立てないのが不満、という風なルシルに知尋は苦笑。
万里歌が表情を変えないまま頷き、綾瀬がのんびりと補足する。
そこへ彼らのトップ、生徒会長の四葉が、仲間達を微笑んで見つめながら思念の声で相槌を打った。
『構いません。私達生徒会は皆さんの代表ですが、同時にあくまでの裏方。学園祭が円満に、円滑に進むのならそれが一番です』
昨日の前日準備ではかなり酷かった目の隈も、今日は大分薄くなっている。化粧のお蔭もあって殆ど目立たない。
顔色もよく表情にも余裕が見られる彼女を見つめ、ルシルがふっとため息をついた。
『……もう。四葉は本当に欲がないわよね』
そう言いつつも口もとには笑顔が浮かんでいる。
昨日、メンバーの中で最も四葉を心配し「いいから早く帰れ」「せめて手が空いた時に仮眠しろ」「帰ったらすぐ寝ろ」と煩かったのが彼女だ。相棒にして友人である少女が本調子に戻ったのが誰より嬉しいのだろう。
そんなルシルに四葉は軽く首を傾げて、
『あら。私は凄く強欲なつもりだけど』
『へ? どういうこと?』
『だって、私はこの学園祭の大成功――それだけを願っているのよ? そんなの、強欲だと言わずに何と言うの?』
くすっ。
嘯く生徒会長に、メンバー一同は誰からともなく噴き出した。
四葉らしい、欲のない言葉だと。
『んじゃ、ま。学園祭がうまくいくように、せいぜい裏方仕事を頑張りますか』
☆ ☆ ☆
昨日、四葉は知尋の手に落ちた。
しかし、彼女があのあとマンションを訪れることはなかった。
『ご主人様のお家にお邪魔したいのは山々なのですが……』
これ以上はさすがに寝不足が続きすぎる。
お嬢様という立場上、簡単に外泊できる娘でもないため、そのまま自宅に帰ってもらったのだ。
知尋は鈴と共にマンションに帰り、真里亜達に顛末を報告。
事態が一応の決着を見せたことについて少女達から様々な反応を受けた。
『良かった、のかな』
『ま、良かったんじゃない? できれば会って話したかったけど』
『生徒会長、ですか。和泉君の節操のなさには困ったものですけど、カードとしては極上なんじゃないですか』
『ええ。……お疲れ様でした、知尋様。これは紛れもなく、あなたのお力が勝ち取った結果です』
鈴と四葉。
鳳が大切に思っている姉妹をどちらも手中に収めた。これは彼に対して十分すぎるアドバンテージ、牽制のための切り札として働く。
下手なことをすれば兄の想い人と自身の婚約者――両方と決定的に決裂してしまう。またそれだけでなく、二人の実家である黒羽家からの信頼も失いかねない。姉妹を誑かしたのは知尋でも、それを防げなかったのは鳳なのだから。
加えて、四葉が撮影した写真も駆け引きのための重要な武器だ。
出演者に撮影者、所持者が四葉である事実――それは「ただ所持しているだけ」では鳳には何もできないことを示す。婚約者同士の性行為である以上、それはただのプライベート画像であり、多少過激な内容であっても暴行の証拠にはなりえない。
本気で写真をばらまきでもしない限り、警察は動かない。
音声データ消失についても犯人特定、追及のしようはない。
そもそも、四葉が突然変貌した理由が鳳にはわからないはずだ。状況から知尋の仕業だと推測は成り立つだろうが、これも証拠はない。
この状況で知尋を糾弾したり退学処分にすれば、不審の目は鳳にも及ぶだろう。
……これ以上手を出すな、という無言のメッセージ。
やはり、まるっきり悪役のやり口だが、彼が知尋の領域を侵したのが悪いのだ。
強引な手で言うことを聞かせようとしてきた以上、反撃を受けて文句を言う権利など彼には存在しない。
それから、学園祭当日までに話がまとまって幸いだった。
このまま問題が長引くのは四葉にとっても負担になっただろうし、そうなると割を食うのは生徒会の面々と一般生徒達なのだから。
「さあ、私達も戻りましょうか」
「そーね」
眼下では生徒達がぞろぞろと体育館を後にしている。
開会式の後、一般生徒は開場まで待機となる。その時間は各々、自分達の受け持つ出し物の最終チェックや調理の下ごしらえ、呼び込みの準備などに費やされる。
生徒会の出し物は既に準備ができているし人手が必要なものでもないが、まあそれはそれとして、交代で生徒会室に詰める必要はある。
また、用がないならないでクラスの出し物を手伝わなければならない。
ルシルを先頭に万里歌、綾瀬、知尋、四葉の順でキャットウォークを後にする。途中、四葉の手がそっと知尋の肩を押した。
驚いて振り返ると、穏やかな笑みがある。
「どうしたの、和泉君?」
「あ、いえ」
四葉の様子はすっかりいつも通りだ。公衆の面前で「ご主人様」と呼ばれたらどうしようと少し本気で心配していたのだが、そんな必要は全くなかった。
頭のいい彼女のことだ。その辺りはきちんと弁えてくれているのだろう。
逆にいつも通り過ぎて、昨日の出来事が夢だったのではないかと思ってしまいそうになるが。
「……大丈夫です。優等生の振る舞いも、もう苦ではありませんから。あなたのお蔭で」
不意に、甘い声音で囁かれて背筋が震えた。
知尋のオーバーアクションに、歩く綾瀬が振り返って首を傾げる。
「どうかしましたか? ……あれ、先輩その手は」
『仲良し?』
綾瀬の呟きに、万里歌が振り返りもせず追従。
四葉の様子に違和感を持っているというよりは、いつの間に親しくなったのかと言いたげな雰囲気ではあるが。
「ええ。一昨日、和泉君に送ってもらったでしょう? その時、色々とお話をして親しくなったの」
四葉は全く危なげのない回答をしてみせた。
一同のやり取りを背中側で聞いていたルシルが最後に振り返り、ふんと鼻を鳴らした。何が気に入らなかったのか、少し視線が鋭い。
「下僕。ちょっと四葉に気に入られたからって調子に乗らない方がいいわよ。間違って手でも出したらその子の男と揉めることになるんだから」
「あはは……肝に銘じます」
もう手を出した後だ、とは口が裂けても言えなかった。
☆ ☆ ☆
一度全員で生徒会室に戻り、簡単なミーティングを行ってから解散。
当日に生徒会役員が行う仕事は、実行委員会や風紀委員会に比べればそう多くない。知尋に命じられた仕事も、確実一時間程度、生徒会室で待機する……というだけ。
「本当にそれだけでいいんですか? イベントのお手伝いとか……」
「暇ならその分、ポイントラリーに参加しなさいよ。一年のデータは一つでも多い方がいいし、賑やかしも必要だって言ったでしょ?」
「あ、なるほど」
ついでに言えば、遊びながら校内を回るだけでも見回りのような役割は果たせる。万里歌の『伝心』を経由した生徒会ホットラインは期間中、常時繋いだ状態になっている予定なので、何かあればノータイムで連絡も可能だ。
「そういうことなら、遠慮なく学園祭を楽しみます」
『少年よ、楽しめ』
「時間を見つけて1-Cの教室にも行きますね」
「ありがとうございます。……それはちょっと複雑な気分ですけど」
生徒会室を後にして教室に戻ると、時刻は開場間近になっていた。
――見慣れた1-Cの教室は昨日、男子生徒を中心としたクラスメート達によって飾り付けられ、見事に変貌を遂げている。
内装は白と黒をベースとしたシックなものだ。
壁の二辺、教卓側とその反対には暗幕を張って重厚感と消音性能を確保。反対に残りの二辺、窓と入り口のある壁にはレースのカーテンを使用。光を遮らずうまく利用して高級感を出している。
暗くなりすぎないよう、暗幕を張った壁にカラーテープ等で装飾を施すことも忘れていない。もちろん逆に雰囲気が崩れないよう配慮もされている。
椅子とテーブルは普段使っている物を再利用だが、頭同士をくっつけた机にテーブルクロス――という名目の黒い布――をかけ、ファンシーなメニュー表を置くだけでも印象はがらっと変わる。
テーブル数は五で席数は二十。
調理場は入り口のある壁際。教室前後に存在する入り口の内側部分をパーティションと暖簾で仕切り、そこにクーラーボックスやホットプレート、まな板や包丁等を置いている。
「どうよ和泉、この出来栄え」
「うん、凄いよ。……って、昨日も言ったけど」
胸を張る舞阪に苦笑で答える。
しかし、生徒会の仕事であまり手伝えなかった身としては、二度や三度くらいの賛辞では足りないくらいか。
特に、知尋や愛華、真里亜の分まで張り切ってくれた金髪の少女には。
「西崎さんはスタートからのシフトなんだ」
「そ。やっぱ最初が肝心だし。特に料理の方が心配」
メイド服を身に纏った李狐が片目を瞑って見せる。メイド服の制作やデザイン面では例の女生徒に一歩も二歩も譲ったものの、現場においては譲らないという気迫がその姿から見て取れた。
責任感のせいか、あるいは生地代の関係でメイド服はフリフリ感を抑えているせいか、案外、羞恥の感情は薄そうだ。
……むしろ嬉しそう、とか言ったら後で怒られそうなので止めて。
金の髪にメイド服の組み合わせ技は思った以上に見栄えがした。
首のチョーカーもいい具合にワンポイントになり「それらしさ」を増している。
以前『願望暴露』の能力で見た黒髪の李狐も可愛らしかったが、それとはまた違った意味で、
「似合ってる」
「そ、そうかな?」
湧き上がる思いを口から零すと、李狐が口元を綻ばせる。
えへへ、と締まりのない笑みが浮かんだところで、ぎゅっ、っと知尋の右手首が握られた。
ふわふわの髪が視界の端をかすめる。
朗らかなのに目だけが笑っていない笑顔で、恋人が背後から唇を寄せてきていた。
「知尋君、李狐ちゃんと何のお話?」
「愛華」
嫉妬心は本物だが、言動の大半はクラスメート達へのパフォーマンス。
やや複雑な役柄をどうということなく演じる彼女は、李狐と違い制服姿だ。開場直後のシフトには入っていないのだろう。知尋とほぼ同シフトのはずだから当然といえば当然だが。
人目を気にしているようで実質気にせずじゃれ合う二人を見て、李狐がくすりと笑う。「ごゆっくり」とその場を離れ、同じくメイド服を着た数人の元へ歩いていった。
……これがマンションならもう少し粘ってくるところだが、今は学園内。あくまで友人のスタンスならこのくらいが限度か。
思いつつ、知尋は付かず離れずの位置を保つ愛華を振り返った。
「始まったらどこか回ってみる?」
「え、いいの?」
「うん。忙しくならないうちにのんびりしておこう」
本人から聞いた通り李狐はこれからシフト。また、真里亜は実行委員の仕事で受付を手伝うため既に校門へ移動している。
開場から時間が経てばお客さんも増えて医務室も忙しくなるだろうから、今のうちに時間を作っておいた方がいい。
「もちろん愛華が良ければだけど」
「うんっ。もちろん行くよ」
愛華が声を弾ませつつ頷いた。
これが付き合い始めてから三回目のデートということになる。学園内ではあるけれど、このシチュエーションならデートと呼んでも文句は言われないだろう。
どこがいいかな、と、にこにこしながらパンフレットを開き出す愛華を見守っていると、近くから深いため息が聞こえた。
「リア充爆発しろ」
「……あ、ごめん舞阪君。まだ話の途中だった?」
気づけば舞阪が傍で置き去り状態だった。
微妙に残念なイケメンは知尋の言葉に苦笑し、首を横に振った。
「いや、話って程の話でもないけどな。昼前の交代時間には高槻さんと戻って来いよ。着替えもあるからなるべく早めに」
「了解。……って、いきなりお昼時かあ」
メイド喫茶(・・)なのでフードメニューは充実という程でもないが、しかしお昼前後はやはりお客さんが増える時間帯のはず。
そんなタイミングで、愛華はともかく知尋を投入するとは。
「ふ。そりゃあ売り上げが狙えるタイミングで切り札を使うのは当然だろ」
「切り札って」
「女装メイドとか話題性凄いだろうが。しかも、昼過ぎからは深海さんを投入する二段構えだ」
「……ほ、本気だ」
舞阪の野心に若干引いたりしているうちに校内アナウンスが。
『これより開場といたします。生徒の皆さんは活動を開始してください。ご来場の皆さまはどうぞごゆっくりお楽しみください』
おお、と教室内、それから廊下からも歓声が上がる。
舞阪はにっと笑い、ひらひら手を振りながら去っていき、傍には愛華だけが残る形となった。
「じゃあ、行こう?」
「そうだね」
手を取る愛華に微笑みを返し、知尋はゆっくりと歩き出した。