「あ。ちひ……和泉に愛華。お帰り」
1-Cの教室に戻ると、メイド喫茶はまずまずの客入りだった。
五つあるテーブルのうち三つをお客さんが利用している状態。本格的なピークはこれからだと考えれば十分すぎるだろう。
と、待機中だった李狐がいち早く二人に気づいて駆け寄ってくる。
「そろそろ交代だから着替えて来ちゃって」
「わかった。……端の教室が更衣室なんだよね?」
「そ。突き当りの教室ね。女子用の更衣室だから、和泉は目隠ししてから入ること」
言って彼女はポケットを探り、黒い鉢巻のような布を渡してきた。
それを受け取り、知尋は愛華と二人で廊下の突き当り――空き教室まで移動した。
中に入る前に愛華に目隠しをしてもらい、手を引かれる形で入室。
「あ、高槻さん」
「和泉君も一緒か。それ、見えてないんだよね?」
どうやら二人ほど女子生徒が着替えていたらしい。声だけしか判断材料がないものの、思ったよりも知尋への拒否反応は弱い。少しほっとした。
割と厚めの布地のため本当に何も見えない中、なんとなく女子からの視線を感じつつ愛華の導きで移動。
「お待たせ、知尋君」
目隠しが取られると、パーティションで仕切られた小部屋にいた。
仕切りの上部には衣装のかかったハンガー。足元にはあらかじめ女子に預けておいた知尋の荷物がある。
入り口となっているのは端に設けられた細めの隙間だ。
角度的に、そこからでは女子達の着替えは覗けないだろう。覗くつもりもないが。
「それじゃあ、何かあったら言ってね。……あんまり心配ないかもしれないけど」
「あはは……ありがとう」
女の子の服なんてよくわからないと言いたいところだが、華とデートするために女装したのはまだまだ最近の話だ。
あの時覚えた知識は生きているので、確かにあまり困らないかもしれない。
……男の子としてどうなのか、はひとまず置いておいて。
ふっと息を吐き気持ちを落ち着ける。
女装なんておかしいという理性的な思考を切り捨て、ほんの少しだけ久々の「ちさとモード」へ移行、とりあえず着ている制服を脱ぎ、空いているハンガーに掛ける。同じように下着まで脱ぎ捨てて全裸になった。
体毛の処理は昨夜のうちに済ませてある。
陰毛は前に李狐から「ちくちくする」と言われて以来定期的に剃っているし、知尋の体毛に特別拘る子もいないので特に抵抗はなかった。脇、腕、足……もともと濃い方ではない毛を剃った今、肌はつるつるの状態だ。
汗は……多少かいていた。
ハンカチで軽く拭ったあと制汗スプレーを使用。
女装の先達からもらったコロンをほんの軽く振りかけてから、黒のオーバーニーソックスを装着。それから下着を纏う。
レースのついた白の上下。
華とデートした時とは別の品である。白ばっかりなのはメイド服に合わせようとしたこと――見えようがないのはさておき、気分の問題として――と、何故か愛華や真里亜達が絶対白だと主張したからだ。
『和泉君が真里亜ちゃん達を男装させるとしたらどうするか、を考えると理由は分かりやすいんじゃないですか?』
『……なるほど』
女装なんていう非日常、空想の存在にこそ夢というか、ベタな「らしさ」を求める的なことなのか。
華の発言になんとなく納得したので文句は言わなかった。
ちなみに少女達の中で男装が一番似合うのは華だろう。どことは言わないがサイズ的な問題で。
勃起していないペニスをショーツでしっかり包み、平らな胸にブラを身につける。ブラの中には小さめのパッドを仕込んだ。これだけでも大分、見た目が女性的に見える――らしい。
市販品のペチコート――スカートの滑りを良くしたり型崩れ防止に使われるアイテムも身につけたら、ハンガーからメイド服を手に取る。
後ろファスナーを下げ、足から上に持っていく形で袖を通した。
「……うん」
やっぱり、いい出来だと思う。
基本的にデザインは試着した時と変わっていない。ふんわりした肩の膨らみや丸みを帯びた袖先、緩やかに広がるスカートの質感も、シンプルながらメイド服らしい可愛らしさを存分に演出している。
ファスナーを上げたらエプロンだ。
これも手製らしく、白い生地をシンプルな品になっている。大きめのポケットと必要最小限ながらしっかり付いたフリルが特徴だろう。
位置を調整しつつ身につけ、背中側でふんわりリボン結びにすれば衣装部分は完成。シックな黒に白が重ねられることでぐっと印象が引き立った。
……と、思ったらまだ残っているパーツがあった。
ワインレッドのリボンだ。
裏返すと、二本の安全ピンで胸に留める仕様なのがわかる。リボンをつけたいという野望を「外付け」という画期的な手法で解決したらしい。
「李狐は、つけてなかった気もするけど」
ある分には構わないだろうと胸に留めた。落ち着いた色合いのためメイド服の雰囲気を壊さず、むしろ引き立ててくれそうだ。
後は、ウィッグ。
ややウェーブのかかったセミロングのそれを被る。
被る前に毛並みを整えた上で、念のため被ってからも櫛を通す。
そうしていると愛華が再び顔を出した。
「知尋君、どう?」
「うん。後は化粧くらいだけど、良ければお願いできる……と」
振り返った知尋は思わず言葉に詰まらせた。
完全武装を済ませた恋人、その立ち姿が目に入ったからだ。
「どうしたの?」
「……いや、その。凄く可愛いな、と思って」
「っ。そ、そう?」
愛華が頬を染め軽く身をよじらせる。
恥ずかしそうだが、同時に満更でもなさそうでもある。
実際、メイド姿にチェンジした彼女はとても可愛らしい。衣装はリボン付きで知尋と同じフォルムなのに、持ち前の雰囲気が相乗効果により魅力を更に引き出している。
清楚さと可愛らしさ。
二つの属性の両立という意味では彼女の独壇場だろう。
「李狐ちゃんよりも、可愛い?」
「り……西崎さんも可愛かったけど、愛華の可愛さはまた別かな」
「……ふふ。ありがとう、嬉しい」
李狐がハマっているメイド物の漫画風に例えるなら、愛華はお屋敷で働くことになった新人メイド。李狐は半年程度先輩のツンデレメイド、真里亜のメイド姿はまだ見ていないが――数年務めているミステリアスな先輩メイド、といったところか。
割とそのままな気もするが。
「それじゃあ、手早くお化粧しちゃうね」
「ありがとう」
愛華にお願いして薄めに化粧を施してもらう。
もともと女顔の知尋でも、化粧があると無いでは完成度がまるで違う。特にファンデーションで肌の色を調整したり、マスカラやビューラーで睫毛を整えたり、後は眉のラインを描いてやるとぐっと印象が変わるのだ。
「どう? 可愛くなったでしょ?」
「……うん。やっぱり自分じゃないみたいだよ」
前回女装した時もそうだったが完全に女の子にしか見えない。知尋に双子の妹がいればこんな感じかもしれない。
仕上げとして白いカチューシャと手袋、ネームプレートをつけたら完成だ。
「じゃ、行こ?」
「……ん」
愛華の呼びかけにこくんと頷き、パーティションの外へ。他の二人も既に準備を終えメイド姿で知尋達を待っていた。
彼女達の衣装も同じデザインだがリボンは無い。有無の基準が良く分からない。
「うわ」
「和泉君、だよね?」
無駄な思考に陥りかけていた知尋をクラスメート達の歓声が迎える。
異性からの無遠慮な視線にはなかなか慣れないもので、知らず頬が朱家で染まる。
そんな知尋を見た愛華がくすりと笑い、彼のネームプレートを指さす。
「今は知尋君じゃないよ。ね、『ちさとちゃん』」
「……う、うん」
おずおずと頷く。
彼女が言った通り、知尋がつけたプレートには「ちさと」と書かれている。なお、愛華の方はそのまま「愛華」で、他の二人も下の名前だ。
源氏名……だとアレなので、メイドネームとでも呼べばいいだろうか。
知尋にとっては意識を切り替える意味でも名前の違いは重要である。
「そっかそっか。ごめんね、ちさと」
「頑張ろうね、ちさとちゃん」
……と、口々に言われると、少々逃げ出したい気分になるが。
「まあ、ここまで来たらやるしかないか」
「そうそう。私達だって恥ずかしいんだから」
「ちさとちゃんだけじゃないって」
「大丈夫。私もついてるから」
交代時間を知らせるため、メイドが一人更衣室を訪れたのはその直後だった。
☆ ☆ ☆
「さ、どうぞどうぞ、お先に」
三人のメイドに背中を押されるようにして教室へ入る。
お客さんは顔ぶれが変わり二組に減っている。入り口で会計を務める男子生徒も先程とは変わっていた。
彼は顔を上げると爽やかな微笑みを浮かべて知尋達を見る。
「お疲れ様。……ん?」
挨拶を口にした後、何やら訝しげに瞬く彼。
真っすぐに視線が向けられたのは知尋の顔だった。直視するのが照れくさいのか、やや顔を赤らめながら観察してくる。
……なんだろう、これ。
困惑しつつ愛華達を振り返ると、彼女らは立ち止まったままにこにこしていた。
「高槻さん。その子は別のクラスの?」
違和感の答えは出なかったのか、男子生徒――神代が、落ち着かない表情をしたまま愛華に尋ねる。それを聞いた女子二人が笑って顔を見合わせた。
「……ふっ」
「勝った」
……なるほど。
なんとなく納得して知尋は苦笑した。
いつ示し合わせたのかはわからないが、男子二人をからかうチャンスだと判断されたらしい。もしかしたら舞阪あたりがシフト段階で仕組んでいたのかもしれない。
ふう。
ため息をつき、仕方なくこちらから話しかける。
「……神代君。風紀委員の仕事は休憩?」
「ん? そうだけど、どこかで会ったかな? ……そういえば、声に聞き覚えがあるような」
なおも気づかない様子の神代。
くすっ。
愛華が笑みをこぼして知尋の肩を抱く。
「神代君、この子は知尋君だよ」
「……和泉君?」
「う、うん」
知尋は頷き、視線を神代に合わせた。
華の時がそうだったように、正体を明かすのにこれ以上の方法はない。
視線を通して神代の気持ち、照れくささが知尋に伝わる。同時に神代も「心を読まれた」ことを認識したはず。
「……本当に、和泉君なんだな」
どちらからともなく目を逸らした後、神代が小さく呟いた。
怒っているような、拗ねたような彼に言うべき言葉が見つからず、知尋は黙ったまま立ち尽くす。
すると横目で睨まれ、続けてぶっきらぼうな言葉が飛んできた。
「君は、何でそんな格好をしているんだ」
「何で……って、クラスでそう決まったからだけど」
「クラスで? ……なるほど、舞阪の仕業か。見たことない綺麗な子だから不思議だったが」
その呟きを聞いて知尋も理解した。
……最後の一言はともかく。
クラスの出し物を決めた際、神代は風紀委員会に行っていて不在だった。それ以降も放課後はすぐ教室を後にすることが殆どだったので、知尋の女装という些末までは伝わっていなかったのだろう。
「……シフト表の女子の欄に名前があったのは間違いじゃなかったのか」
「いや、それは気づいてもいいんじゃ」
思わず突っ込むと再び睨まれた。
「君はどうしてそう、妙なことをしでかすんだ」
「……そんなに変かな?」
「いや、見た目自体は似合って……駄目だ、調子が狂う」
息を吐いて首を振る神代。
……まあ、気持ちはわからなくもない。
彼からすれば、知尋の行動には一貫性がないように見えるだろう。実際、この女装に関しては進んでやっているわけではないので、その理解も決して間違いではない。
「一応、僕も頑張ってるんだよ」
「………」
神代からの返答は遅れた。
彼は迷うように言葉を詰まらせ、それからゆっくりと口を開いて。
「あー、ごめん。そこで話されるとお客さんが会計できないし、今のうちに交代しちゃいたいんだけど」
遠慮がちな李狐の声に割り込まれ、結局何も言わずに口を噤んだ。
と、まあ出だしこそバタついたものの、引き継ぎは滞りなく済んだ。
1-Cのメイド喫茶は基本的に、女子三人男子三人の計六人で回す構成になっている。男子の仕事は二人が調理で一人が会計、女子は主に接客と呼び込みを担当する。
なお、知尋達の担当回に女子が四人いるのは繁盛が見込める時間帯だからだ。増やした一人はしばらく呼び込みをし、本格的なピークタイムに差し掛かったら戻って接客に加わる手はず。
「じゃ、二人とも」
「接客頑張ってね」
ということで、二人の女子生徒は呼び込みに出かけていき、知尋は愛華と二人で接客に残された。
「が、頑張ろうね」
「う、うん」
まあ、接客と言っても注文を取って調理班に伝え、出来上がった料理や飲み物を運び、注文メモを会計に伝えるだけの作業なのだが……。
四人だと思っていたのが二人になれば不安はあるわけで、二人は顔を見合わせる。
そこにひょっこり、先程出ていった李狐が顔を出して。
「あ、そうそう。和泉と高槻さん」
「ん?」
「え?」
「二人とも似合ってる。頑張ってね」
邪気なく微笑みかけられると、今度こそ「頑張らないと」と気が引き締まった。
☆ ☆ ☆
出だしは快調、ながらも接客の仕事は大忙しだった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「失礼いたします。ご注文をお伺いいたします」
「オレンジジュース二つにチーズケーキとクッキーですね。かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
「神代君、これをお願いします」
来客の度に丁寧に出迎え、注文の際は一礼してメモに書きつけ、調理班に間違いなく伝えたら帰りがけに品物を運び、退店前には会計にメモを渡す。
交代した当初は余裕があったものの、客数と回転率が上がり始めると二人では案外ギリギリだった。
要因としては慣れない女装や高い声で知尋がパフォーマンスを発揮しきれないことなどもあっただろうが……。
「あ、ここだ」
「可愛いメイドさんが接客して、格好いい子が会計してくれるんだよね」
逆恨みだと理解しつつも、舞阪の集客戦術に殺意を覚えた。
と、そんな時。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「……ふふ。こんにちは、愛華さん」
美しい黒髪と漆黒の瞳を持つ少女、深海真里亜が悠然とした態度でメイドカフェを訪れた。