漆黒の少女、真里亜を案内したテーブルがちょうど五つ目、最後だった。
つまりは都合、五つのグループが利用中ということだ。とはいえ真里亜は単独だし、他の利用者もペアが多い。席数はかなり空いているので、次のお客さんが来たら相席をお願いすることになるだろう。
と、席についた真里亜に一礼しながら知尋は思った。
……しかし、こうして見ると真里亜にはこういう場面が良く似合う。
アキハバラ的なメイド喫茶の話ではなく、傅かれる姿に違和感がないという意味だ。本人の性癖としては真逆なのが皮肉ではあるが。
すっと背筋を伸ばして椅子に腰かけ、メニューを手に取る姿は凛としていて美しい。
「アイスティーと……そうね、クラッカーの盛り合わせをもらえるかしら」
「かしこまりました、お嬢様」
注文を受けた知尋はメモに書きつけ、一礼する。
できるだけ、目の前にいる少女の美しさを損なわないように優雅な動作を心がけた。
彼女より「お嬢様」という呼称が似合う少女などそうはいないのだ。
くすっ。
顔を上げたところで、笑みをこぼした真里亜と目が合う。
気品のある態度を崩さず、それでいてどこか悪戯っぽい表情を浮かべる彼女。同時に、知尋だけに伝わるレベルの目礼で主人に対する無礼を詫びてくれる。
その場限りのちょっとしたお遊び、ロールプレイだというのに律儀なことだ。
知尋も極力、さりげない仕草で微笑みを返した。
「少々お待ちくださいませ」
一歩、姿勢を正したまま後退し、軽くロングスカートを翻して反転。決して走らず、見栄えが悪くない程度の早足でキッチンへ移動。のれんをくぐって注文を伝える。
「アイスティーが一、それからクラッカーの盛り合わせが一。お願いします」
「あいよー」
「了解。ちさとちゃん」
飲食物を担当する二人の男子生徒がノリノリで返してくる。当たり前のように知尋をメイドネームで呼びながら、である。
「わざわざ名前呼ばなくてもいいんだけど」
「そんなこと言われてもな」
「和泉って呼んだら嫌がったのはお前だろ」
「……うん、まあ」
あまり本名で呼ばれると精神統一が崩れ、「ちさとモード」を維持しづらくなるからだ。そのために「ちさと」と呼ぶようお願いしたのは事実なので、あまり強くはお願いできない。
先程のは必要ないところで呼ばれた感が否めないが。
「っていうか本当に和泉なんだよな?」
「妹とかじゃなくて」
「僕に妹はいないよ。姉さんとは歳が離れてるし」
言いあううちにアイスティーの準備が完了する。
……まあ、紙コップにペットボトルの紅茶を注ぐだけだから当然なのだが。
ともあれ、それを持って先のテーブルに戻り、丁寧な手つきで置いた。
「お待たせしました。まずはアイスティーでございます」
「ありがとう」
真里亜はロールプレイを継続している模様。
彼女は紙コップにそっと手を添え、持ち上げると軽く口を付ける。殆ど音もなくコップをテーブルに戻し、微笑んだ。
「美味しい。飲みなれた味ね」
「……ありがとうございます」
突然の不意打ちに吹き出しかけた。
飲みなれた味なのは当然だ。いつも家で飲んでいる紅茶と同じ商品なのだから。
お嬢様然とした仕草のまま茶目っ気と庶民性を見せられれば、つい反応してしまうというものだ。
彼女と普段から親しくしている知尋なら尚のこと。
……軽く笑みを浮かべるだけで離れようとして。
振り返った知尋は新たな来客に気づいた。
会計に使っていない方の出入り口――店の入り口として扱っているそこから、二人の少女が顔を覗かせたのだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
反射的に笑顔を作り姿勢を正す。
……と、条件反射でここまで出来たのは僥倖だっただろうと思う。
もしも、入室してきた二人が誰なのかをしっかり確認していたら、出迎えの言葉が途中で詰まっていた可能性もあっただろうから。
「ふうん。中々いい店じゃない。出迎えご苦労様」
「こんにちは。……ええと、今は満席でしょうか?」
堂々としているのを通り越して偉そうにすら見える金髪の二年生と、物腰柔らかで上品な三年生。
ルシル・オーウェルと黒羽四葉の姿に、知尋は一瞬、思考を凍りつかせた。
☆ ☆ ☆
ルシルと四葉は相席を快く了承してくれた。
すると問題になるのはどこに座らせるかだ。これ以上混みあう可能性を考えればペア客と相席させるのが無難だが、生憎該当する客はカップルだった。気にし過ぎかもしれないが、恋人同士で仲良くしているところに美少女二人を放り込むのは嫌がらせめいてはこないか。
……となると、同性だけで座っている席。
短い思考時間で知尋はそう結論づけた。
別のお客さんを接客中の愛華がちらりと視線を送ってくるのに同じく視線で答え、ルシル達に向きなおる。
「申し訳ありません。ほんの少しだけお待ちくださいませ」
断った上で、目星を付けたテーブル――真里亜の元へ。
「お嬢様。恐れ入りますが、あちらのお嬢様方と相席をお願いできますでしょうか?」
「――ええ、喜んで」
水を向けられた真里亜がちらり、とルシル達を見て頷く。ありがとうございます、と一礼を返して知尋は再びルシル達の元へ。
「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」
……私情を挟まなければこれが最善、のはずなのだが。
「お邪魔するわ」
「こんにちは。確か、深海真里亜さん……だったかしら」
「はい。名前を憶えて頂いているなんて、光栄です」
奇しくも、知尋が知る限りでお嬢様らしく思える少女達が一堂に会するこの状況。
妙な不安に背筋が震えた。
「クラッカー盛り合わせ、持っていくね」
「おー、頼んだ」
市販のクラッカーを紙皿に並べ、やはり市販のチーズやチョコレートを乗せたもの。奇をてらっていないので味は保証されているが、原価を知っている身としては正直ぼったくりだと思わざるをえない。
皿を持ってテーブルに取って返すと、少女達の会話が聞こえた。
「あー、前にデータ見た子か。でも生徒会に誘うのは止めたんだっけ」
「ええ。……本人の前でする話もないけれど、生徒会よりは風紀委員向きの能力だと思ったから」
「お気になさらず。私は気にしませんので」
なんとなく興味を惹かれる話題だが、立ち止まって盗み聞きするわけにもいかず、割って入って紙皿を置く。
「失礼いたします。クラッカーの盛り合わせです」
「ありがとう」
「あ。可愛いメイドさん。私達も注文していい? コーラと、チョコレートの盛り合わせ。それからチーズの盛り合わせ。あとポテトチップスで」
「では、私は……ホットコーヒーと柿の種をお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
……ホットコーヒーも、四葉にとっては慣れ親しんだ味だろう。
インスタントの粉にお湯を注ぐだけ、な裏事情を思い複雑な気分になった。
そうして何度かキッチンとテーブルを往復。合間に他の客の相手もしつつ、一息ついた頃。
同じく手の空いた愛華が傍に寄ってきて知尋に囁く。
「ね、ちさとちゃん。あの人たちって」
「うん。生徒会長の黒羽先輩と、副会長のルシル先輩」
「……うわ。それに真里亜ちゃんって、なんか凄いね」
確かに凄い。
凄い、以上に形容しづらいのが困るが、生徒会のトップ2を相手に一年生が一人で席に着いているのだ。それも、特に怯んだ様子もなく。
事情通が見たら顔を引きつらせるか目を輝かせそうな光景である。
生憎、ぱっと顔が思い浮かぶ1-Cのクラス委員はこの場に不在なのだが。
加えて言えば。
つい先日、四葉は知尋の奴隷となったばかり。
真里亜にも愛華にも興味深い相手のはずだ。
四葉には今のところ詳しい話をしていないが、彼女の態度を見ていると何か察しているのではと思ってしまう。
「ちょうど、あなたとは一度話してみたいと思っていたんです」
「どうしてなのか、伺っても?」
「ええ。興味があったから、です。あなたの人柄にも、能力にも」
「……なるほど」
ただ聞けば何ということのないやりとり。
一年生の一学期に柴鳳学園へ転入してきた少女、しかもランクCとなれば四葉が気にするのも無理はない。生徒会への加入を検討していたという話も含めてだ。
しかし二人の「裏の顔」を思うと、いろいろ言葉の含みを考えたくなる。
「ふうん。もしかして四葉、後悔してる? 知尋よりこの子の方が使えたんじゃないかって」
「いえ、それは」
「ルーの考えすぎよ」
「へ、へえ?」
真里亜と四葉、重なった二人の声に、ルシルが珍しく上ずった声を漏らした。
☆ ☆ ☆
「それでは、また。……お二人とも、良くお似合いですよ」
「じゃね、知尋。生徒会の仕事も忘れないでよ」
ルシルと四葉の二人は、そのあともいくつか真里亜と言葉を交わしてから去っていった。おそらくそうだろうとは思っていたが、メイド「ちさと」が知尋なのはばっちりバレていたらしい。
……いつからかと言えば、まあ最初からか。
その割には殆どからかわれなかった。むしろ褒められた気がするが……二人としてはあまり違和感がなかったということだろう。
果たして喜んでいいのか悪いのか。
ともあれ、以降は大きな問題もなくシフト時間を終えた。
途中から接客するメイドが一人増えたのとだんだん仕事に慣れたのもあって、むしろ後半の方が楽だったかもしれない。
交代要員――退店後、しばらくして戻ってきた真里亜を含む――にバトンタッチし、四人で更衣室に戻った。
「お疲れ様ー」
「ちさとちゃんも凄かったよー。お客さん、半分以上は気づいてなかったんじゃない?」
「……あはは、ありがとう。でも、頑張れたのは皆のお蔭だよ」
などと奮闘後の健闘を讃えあいつつ、パーティション内に戻ろうとして。
「勿体ない。せっかくだから女装のままでいればいいのに」
「いや、さすがにそれは……あ」
女子生徒からの何気ない冗談に笑って返そうとして止まる。それを見た愛華が不思議そうに首を傾げた。
「あ、って。どうしたの、知尋君?」
「あ、うん。ちょっと見せたい先輩がいるの思い出したんだけど……さすがにメイド服をずっと着てるのはな、って」
かといってメイド服以外の女装衣装なんてさすがに持ってきていない。
諦めるのが無難かと思った時、愛華が「見せたい先輩」に思い至った様子でこくこく頷いた。
「なるほど。じゃあ、私の制服着る?」
「え。……いいの?」
「うん。ほら、私はこれから医務室に行くから。実は、向こうにも衣装が用意してあって」
医務室まで移動するだけならジャージでも大丈夫、と愛華。
「いやいや高槻さん。さすがに制服貸すのはどうなの?」
「え。別に制服だけだよ? 下着まで貸すわけじゃないし」
「そうだけどさ。……まあいいか、和泉君だし」
「彼氏と彼女だし。和泉君だし」
何故「和泉君だし」だけ二回言ったのか。
知尋は二人に苦笑で答えて愛華の制服を借り受けた。
「匂いとか、あんまり嗅がないでね?」
……多少は嗅いでもいいのだろうか?
お言葉に甘えて鼻に寄せると、ほのかに愛華の匂いがした。
女装の上、更に倒錯的な行為を重ねていることを今更ながらに実感しながら、メイド服から女子制服に着替えた。ブラウスは愛華が替えを持ってきていたのでそれに袖を通した。
手鏡を使い、細部に問題がないことをざっと確認。
オーバーニーソックスはそのままなので足は殆ど露出していない。セミロングのウィッグもオーソドックスな品なので制服とも相性は良かった。
それでもおずおずとパーティションを出て。
「どう、かな?」
尋ねると三人がしばし絶句した。
「……うん」
「まあ、いいんじゃない? ていうか、それ以上はプライド的に褒めたくない」
「知尋君、男の子に声かけられないように気をつけてね」
逆に喜びづらかった。
愛華と手を繋ぎ、階段で一階まで下りた。
軽く手を振りあって別れたら昇降口まで歩く。この後は生徒会室で一時間ほど待機の予定だが、少しだけ時間があるので先に食料を仕入れる腹積もりだ。
「うう」
しかし、制服姿は思った以上に恥ずかしい。
この間は私服で街中を歩いたのだから校内くらい平気だと思ったのだが、普段自分が生活している空間に「いつもと違う服装」でいるのは全く別の体験であることに気づかされる。
一期一会の相手なら、多少変に思われても問題ない。
今後も出会う可能性がある相手に正体がバレたら気まずいどころか、妙な虐めを受ける可能性もある。
……少し調子に乗り過ぎたか。
弱気になり瞳に涙を浮かべつつ知尋は歩いた。
生徒と一般客が入り混じる中、人目を避けようとすると自然に歩幅は縮み内股気味になった。時折、視線を向けてくる人達が内心で何を思っていたのかはあまり深く考えたくなかった。
手早く大学芋とポテトフライ、コロッケと飲み物を買いこみ、学生証を出すのだけは忘れず校舎に戻る。
どうか、いてくれますように。
階段を上がり生徒会室に向かう廊下に出た頃には心にも少し余裕が出ていた。
買い込んだ品物を抱えてドアをノックすると、中から目当ての声が返ってくる。ほっとしながらドアを開けた。
「失礼します」
「お疲れ様です。どのようなご用です……か、って」
いつもの席に座り、書類を整理していた生徒――綾瀬が振り返って微笑む。彼女は知尋の姿をまじまじ見つめると目を丸くし、直後、先程よりも笑みを深くした。
「思った以上に素敵です、和泉君。私も張り切って伝授した甲斐がありました」
直後、知尋は立ち上がった綾瀬にぎゅっと抱きしめられ、持っていた食べ物やらを落としそうになった。