興奮さめやらぬ様子の綾瀬にとりあえず離れてもらい、テーブルに大学芋エトセトラを並べた。
「これ、たくさん買ってきたので良かったら食べてください」
「ありがとうございます。ちょうどお腹が空いていて……でも、どうしてお芋ばっかり?」
嬉しそうに手を合わせた綾瀬が、少し間を置いて首を傾げる。
知尋はいつもの自分の席――綾瀬の隣に腰かけると苦笑気味に答えた。
「……あはは。その、外に出たら恥ずかしくなってつい適当に」
「なるほど。最初はそうですよね……でも、そのうち慣れたらどんどん楽しくなりますよ」
言って、ポテトフライのパックに手を伸ばす綾瀬。
柔らかく女性的な印象を受ける横顔をじっと見つめていると、やはり自分とはモノが違うなと思わされる。
表情や仕草がとても自然で、付け焼刃の演技をしているだけの知尋との差は歴然。
容姿の向き、不向きを置いておいたとしても心根の部分から美しい。
綾瀬葵。
才媛揃いの生徒会メンバーの中にあっても遜色なく、むしろ女子力という面では最強を誇る二年生が――。
「男の人、なんですよね」
「? どうしたんですか、今更?」
性別を指摘されたというのに、綾瀬はにこにこと首を傾げるだけだ。
「私の裸なら、和泉君――ちさとちゃんもこの前見たじゃないですか」
「それは、まあ、見ましたけど……」
そして確実に男性だった。
胸は平らで肉付きも男性的、なのに細身かつ色白で肌はすべすべ、艶めかしい質感につい、わかっていても欲情しそうになった――という黒歴史もある。
……華とのデートのために女装を決めた知尋が、まず頼ったのが綾瀬だったのだ。
生徒会メンバーの誰も明言しなかった綾瀬の性別に、知尋は前から薄々気づいていた。複数の少女と関わってきた経験と、綾瀬の「女の子らしすぎる」部分にふと違和感を持ったのが切っ掛けだ。
あるいは女子ならもっと簡単に看破できるのかもしれないが。
『あの、綾瀬先輩。……実は、女装について知りたいことがあって』
初めて持ち掛けた時は物凄く勇気が必要だった。
……結果的には、目を輝かせた綾瀬に二つ返事で了承され、逆に困惑する羽目になったのだが。
「私、和泉君には素質があるって初めから思ってたんですよ?」
「嬉しいようで複雑です」
「和泉君は、別に趣味で女装してるわけではないですものね」
くすりと笑って綾瀬。
彼――というと違和感があるので、今後は敢えて彼女と呼ぶが――には女装の目的を話してある。学園祭のためと、とある知人を喜ばせるためだと。
それを伝えた時、多少がっかりしていた部分はあったと思う。
仲間ができた、とそう思ってくれたのだとしたら、知尋は彼女の期待を裏切ってしまったことになる。
「……すみません」
「いいんですよ。やっているうちにハマるケースも結構ありますから」
さらりと言われて言葉に詰まる。
……冗談、だとは思うのだが。確認したとして、もし本気だと言われると藪蛇なので何も言わずに流すことにする。
実は、似たような話は女装のレクチャーを受ける際にもしている。
試験休みの金曜日、午後の約半日を使い、知尋は綾瀬から女装についてのあれこれを教わっている。服の選び方や着こなし方、化粧する際の注意点といった実際的な事柄に加え、心構えの面についても。
あの時は一笑に伏した冗談が今はちょっと怖い。何しろ「定期的にちさとちゃんに会わせる」と華に約束しているからだ。
「……そういえば、綾瀬先輩は男性と女性、どっちが好きなんですか?」
二人で芋を突きながら、ふと尋ねてみる。
すると、綾瀬はぱくり、と芋を口に運び苦笑した。
「直球ですね。うーん、実は、それは私としても難しい問題なんです」
「難しい?」
「はい。私は多分、好きになった人ならどっちでも愛せるので」
「あ……なるほど」
こくりと頷いた。ある意味わかりやすい答えだった。
「驚かないんですね」
「ええと……だって、ある意味、当たり前のことじゃないですか」
好きな人のためなら自分を変えられるという想い。
好きになってしまった相手が好みのタイプだという心境。
そういったものに触れた経験が知尋にはある。だから、恋や愛にはそれだけの力があるのだと理解ではなく直感している。
綾瀬がふっと笑った。
「……ごめんなさい。ちょっと格好いいな、と思ってしまいました」
「? それなら謝らなくても……」
「いえ、その。和泉君のことは、正直、恋愛の対象として見てないので」
……ぶっちゃけて言われるとちょっと傷ついた。
「だって、和泉君に彼女さんがいるのはもう知っていますし。それに、私達がお付き合いすることになったら複雑すぎて良く分かりませんよ? ……そういうのも悪くないかな、って今ちょっと思いましたけど」
「ご、ごめんなさい。この話は止めましょう。そうしましょう!」
なんだか急に雲行きが怪しくなってきたので、慌てて綾瀬の言葉を遮る知尋だった。
☆ ☆ ☆
軽い昼食と雑談の後、綾瀬は生徒会室を出ていった。
「今度、ゆっくりお話しましょうね。ちさとちゃん」
「あはは……はい」
一人になると生徒会室は途端に静かになる。
外の廊下も似たようなものだ。教室から離れているため廊下にも人通りはあまりない。窓の外からは喧騒が聞こえてくるものの、それもやや遠い。
――学園祭当日に生徒会を訪ねてくる者は多くないだろう、とは事前に聞いていた。
生徒が来るとすれば十中八九問題発生、後は教員の誰かが様子見に来るかも……という程度だと。後者にしても、基本的には四葉とルシルが挨拶周りをするので向こうから来ることはあまりないらしい。
……平和だ。
不穏なのは知尋の服装くらいか。
食べ終えたごみを片づけた後はのんびりインスタントコーヒーを啜る。食後に温かい物を飲んでいるとなんだか眠くなってくる。
多分、寝てしまってもそんなに問題はないだろうが。
しかし与えられた役割を蔑ろにするのも、と思っていると。
こんこん。
生徒会室のドアがノックされ、返事を待たずに開かれた。
入ってきたのは二人の女性。
「やほー、知尋くん。凄く可愛い格好してるんだね」
「ごきげんよう、ご主人様」
「鈴さん。それに黒羽先輩……?」
現在進行形で微妙な関係だったはずの姉妹だった。
二人は入室するとすぐに入り口ドアを施錠し、知尋の両サイドを固めてきた。挨拶を口にする表情は穏やかで、これまでのような確執は感じられない。
しかし、女の子は笑顔の裏に本心を隠すのが得意だと知尋は知っている。
だから、尋ねずにはいられなかった。
「仲直り、したんですか?」
「………」
「………」
すると、鈴と四葉は途端に硬直してしまった。
笑顔のまま互いに顔を見合わせて首を傾げる。
「……んー、まあ」
「何と申し上げましょうか」
息の合ったやり取りはさすがだが、声には微妙にギスギスしたものが混じっていた。やはり昨日の今日でばっちり仲直りできたわけではないらしい。
ふう、と。
四葉がため息を吐き、目を逸らした。
「そう、ですね。仲直りをしたかと言えば、していないと答えるしかありません。形の上では何も変わっていないのですから」
そんな妹の呟きに鈴が苦笑する。
「何、そのわかりにくい言い方」
「あら。……面と向かって仲直りしたわけではない、という程度まで噛み砕かないと姉さんにはわかりませんでしたか」
独り言のような嫌味を四葉が拾い、皮肉で返す。
再び睨みあう二人を見て、知尋はようやくだいたいの事情を理解した。ごちゃごちゃ言っているものの、要するに。
「二人とも素直になれないんだね」
「どうして」
「そうなるのですか、ご主人様」
「どうしてって」
示し合わせたように言ってくるのが仲のいい証拠ではないか。
少なくとも完全に嫌いあってはいない。鈴も四葉も、以前、一緒に生活していた時の感覚が未だに残っているのだ。
ただ、指摘しても反発されるだろうから黙って微笑むだけにする。
四葉が僅かに眉を下げて小さく呟く。
「……まあ、姉さんもご主人様の奴隷ですから。私としても必要以上にいがみ合う気はありません。今なら少しは理解できる部分もありますし」
「四葉……」
おそらくは本心だろう。
妹の不本意そうな本音を聞いた鈴が目を丸くする。
「わたしは知尋くんの奴隷じゃないよ。セフレだから」
「……そこですか。別にどちらでも同じことでしょう」
「全然違うよ。奴隷だと、あんまりいちゃいちゃできないでしょ?」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
……正直、知尋としてはどっちでもいいが、気にしてないとは言いだしづらかった。
「ところで、二人はどうして一緒に?」
「うん。学校の中で偶然会ったから、一緒に知尋くんのところに来たの」
「……あんな格好でいられたら、無視もできないでしょう」
四葉によると、鈴は屋外で自慰をしていたらしい。
鈴は『認識疎外』の効果は発動していたと主張するが、誰にも気づかれないからOKというわけでもない。
あまりにも品が無さ過ぎると憤慨する四葉に、
「えー。でも、四葉だってオナニーしてるでしょう?」
「私は露出には興味ありませんから」
「そう? する方じゃなくて、させる方も?」
「露出を、させる? 由司さんに命令して、外で……」
ふっと、漏れた吐息を四葉が手で遮った。
彼女の宿す底知れないS性が「良い」と判断したようだ。恥ずかしそうに頬を染めつつ、つんと顔を背ける。
あの四葉が猥談に付き合っているというのも不思議な光景だ。
ただし、話の進まなさで言えば真里亜と李狐の漫才以上。今の四葉は突っ込みを務めるにはボケに偏り過ぎている。
「……ただ会いに来ただけなら鍵を閉めないと思うんだけど」
くすっ。
知尋が自分から水を向けると、姉妹が揃って笑った。
「さすがはご主人様」
「そうだよ。わたしたちは内緒のお話と、内緒の用事があって来たの」
「話と、用事?」
「話は四葉で、用事は二人ともね。まずは話から済ませちゃおうか?」
ちらりと、鈴が妹に目線を送る。
姉に促された四葉は頷き、生徒会長ではなく奴隷としての振る舞いを保ったまま知尋を振り返った。
「ご主人様。お話というのは他でもありません。由司さんの件で、少々ご相談が」
「……うん」
流れからすると意外なことに、真面目な話だった。
妙な拍子抜けをしつつも知尋はすぐに思考を切り替える。
――昨日、四葉は理事長室にて鳳を辱めた。
あの一件で鳳の動きはほぼ封じたつもりだが、あれはまだつい昨日のこと。しばらく経過観察は必要だと思っている。
加えて、今後の鳳へのスタンスもきちんと話しあったわけではない。
鳳の態度を見る限り、四葉との婚約関係は今後も続く。
敢えてスパイを放置し傍に置くような行為の理由は、未練だろうか。
……四葉が二重スパイで、知尋を監視している可能性は。
ありえない。
リスクに見返りが見合っていない。それに、そんなところまで疑い始めたらキリがなくなる。
一瞬の考えを即座に切り捨てたところで、四葉の声。
「その。膜を、どうしようかと思いまして」
「……膜?」
「はい。処女膜です」
四葉は己の処女を知尋に捧げた。
本気、忠誠を示すために必要だったからで、それについては後悔していない。しかし膜の有無は不貞の決定的証拠になりうる。
鳳も薄々気づいている、あるいはこれから気づくだろうが――それでも婚約者以外の誰かに抱かれた決定的な証拠を渡すべきではない。確証が得られれば、そこから知尋が追及されるのは避けられないだろうから。
「じゃあ、四葉は理事長に抱かれるつもりなんだね」
「ええ。そう考えています」
四葉はあっさりと頷いて答えた。
「するとしたら私が上でしょうから……抱かれるという表現は適切でないかもしれませんが。将来、ご主人様の子を身籠った時に彼の子だと偽るためにも、何度か挿れさせてやる必要性は感じています」
あくまでも仕える主人は知尋。
それは揺るぎない事実だが、鳳も、これまで婚約者として親しく接してきた相手だ。ある種の愛着はあるし、体面や権力的観点から考えても無理に婚約解消するのは得策ではない。
だから、鳳ともセックスする。
そしてその際、彼に処女膜の存在を印象付けたい。
「でも、四葉の膜はもう」
「はい、ありません。ですから……勝手なお願いなのを承知の上で申し上げます。一度、私の膜を再生する許可を頂けないでしょうか?」