なんとか無事、女子生徒達から疑われずに済んだ知尋は、1-Cのメイド喫茶へお客として入り、李狐から接客を受けてから、ふらりと校舎を回った。
『クイズコーナー』なるものを行っているクラスで、幾つもの問題にチャレンジし、五割程度の正解率を記録したり。
一階の空き教室に設けられていたミスコンのブースに寄って、自分の女装写真に微妙な気分になった後、せっかくなので投票に参加したり。
いくつかより道をしてから医務室へ。
――なお、ミスコンの投票は男女二名ずつまでOKだったので、悩んだ末に愛華と真里亜に投票した。男子の方は文句なしに神代と、嫌がらせで舞阪に入れた。
「あ、知尋君」
午後もしばらく経って客足が落ち着き始めたのか、医務室内は割合、がらんとした雰囲気だった。校医の則子が一人のお客さんを治療しているだけで、お手伝いの愛華は手空きの様子で部屋の一角に立っている。
彼女は別れた時のジャージ姿ではなく、別の衣装に着替えていた。
漆黒のメイド服とは対照的な白いワンピース。全体的にふんわりとした印象で、衣装の前側は同色のエプロンと一体になっている。
「愛華、その服」
「うん。看護師さんっぽいかなって。どう?」
歩み寄って尋ねる知尋に、愛華はにっこり笑って一回転。
「可愛いと思うよ、すごく」
「良かった。これね、お客さんにも結構評判良いんだよ」
「お客さんって……男?」
「若い人もいたけど、多かったのは小さい子とお年寄りだよ」
「そっか」
それならあまり心配はないか、とほっとする。
と、そこへ治療を終えた則子からの声。
「高槻、少し席を外してきてもいいぞ。ついでに、何か食べ物を買ってきてくれると助かる」
「あ、わかりました。……ありがとうございます、先生」
気を遣ってくれたのだろう。
愛華がぺこりと頭を下げるのに、則子は軽く手を振るだけで答えた。白衣のポケットから煙草を取り出して口に咥え、窓に歩み寄っていく。
彼女の背中に、二人でもう一度頭を下げてから医務室を出た。
「お昼時は人が多かったから、結構ここも混んでてね。先生、ちゃんとしたご飯食べられてないんだよ」
「そっか。校医の人があんまり席を外すわけにもいかないし」
「いつもと違って、いつお客さんが来るかわからないからね」
そう考えると医務室の仕事も大変だ。
一応、軽食をお腹に入れてはいたし、当人達は「軽い怪我ばかりだからむしろ気楽だ」と言っていたらしいが。
知尋達は、外の出店にて、校医達が仕事の合間につまみやすい食べ物――たこ焼きやホットドッグなどを買い求めた。暖かいうちにと、寄り道せずに真っすぐ戻る。
道中、人混みの中で愛華がぽつりと。
「そういえば、生徒会長さんと一緒だったんだね」
「そうだけど……」
どうしてと尋ねるまでもなく、愛華は軽く首を傾げて答えてくれた。
「鈴さんがメールで教えてくれたの」
「アドレス、交換してたんだ」
「もう知り合って何日も経ってるもの。連絡先くらい交換するよ」
ここ数日は割とバタバタしていたのに、いつの間にやり取りをしていたのか。
そうやって何気なく、色んな人と仲良くなれるのは愛華の長所だろう。未だ鈴の電話番号すら知らない知尋は、彼女を少し見習った方がいいかもしれない。
「李狐ちゃんとも話したんでしょ?」
「……本当にメールしたんだ、西崎さん」
別に構わないと言えば構わないが。
忙しいんだね、と視線で不満を訴えてくる愛華に対し、何と声をかけるか迷う。
……ここは素直に思うままを伝えた方がいいか。
「愛華。先生に食べ物を渡してから、ちょっと静かなところに行かない?」
「ん……」
暗に行為へ誘うと、愛華は一瞬、嬉しそうな表情を浮かべた。
しかし彼女は首を横に振ってみせた。
「……学校の中じゃ恥ずかしいよ」
「そっか」
頷く。
少し残念な気もするが仕方ない。
恋人同士で無理強いするような事柄ではないのだから。
「愛華の格好見てたら、そういう気分になっちゃったんだけど」
「まだ、物足りないの?」
「愛華との時間は全然別物だよ」
「……もう。そういうこと簡単に言うの、ずるいよ」
ぷっくりと可愛らしく、愛華が頬を膨らませた。
話すうちに玄関から廊下に出る。更にしばらく進むと、だんだん人通りが少なくなっていく。
ちらり、と少女の視線が知尋に向けられる。
「ちょっと、止まって」
「? うん」
言われた通り素直に立ち止まると――。
ちゅ。
半ば不意打ちで、愛華の唇が触れた。
ほんの一瞬の出来事なのに鮮烈な印象が胸に残る。
「私には、これが限界」
「――っ」
はにかんだ愛華に手を伸ばし、抱き寄せたくなるのを必死に抑えた。
お互いに顔を赤らめながら視線を交わして歩き出す。
幸い、先程のキスをばっちり目撃した者はいなかったらしい。確証なさげに視線を向けてくる者はいたが、精一杯、何事もなかった顔を作った。
「お、早かったな。もう少しゆっくりしてくればいいのに」
「私もお腹空いちゃったので。それに、こういうのは冷めたら美味しくないですよ」
買ってきた品々は則子の机に置く。
「それじゃあ、僕はこれで」
「うん。またね、知尋君」
手を振りあって別れ、医務室を後にした。
背後から、則子が愛華をからかう声が聞こえてくるのは努めて聞かなかったことにして。
時刻は既に午後三時を回っていた。
学園祭は午後四時までだから、初日終了まであと一時間足らず。明日は二度シフトが入っているので、できるだけ今日のうちに用事を済ませておきたいが。
今からでもポイントを稼げそうな出し物はあるだろうか。
――思う知尋の耳に、スマートフォンの着信音が届いた。
メールではなく電話。
誰からだろう。生徒会メンバーの用事なら万里歌を通して連絡があるだろうし、クラスか実行委員会で問題でも起きたのか。
しかし、ディスプレイに表示されていた名前は完全に予想外のものだった。
「……っ」
冷水を浴びせかけられたような悪寒が全身を襲った。
無視したい、そんな衝動に駆られながら、震える指で通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『やあ、知尋。元気だったかな?』
スピーカーから聞こえてきたのは、どこか芝居がかった女性の声だった。
男性的な落ち着きと女性の柔らかさを併せ持ち、全体としては大人の風格を漂わせるその声に、知尋は内心でため息をつく。
……全く、以前と変わっていない。
当たり前と言えば当たり前なのだが。
重い諦観を感じながら口を開き、彼女に応えた。
「うん。……久しぶり、姉さん」
半年以上のブランクを置いた、姉との会話の始まりだった。
☆ ☆ ☆
姉と二、三、言葉を交わした知尋は、通話を切って昇降口へ向かった。
下駄箱で靴に履き替え、出店と人混みをスルーして校門前へ。
そうして、実行委員が数人がかかりで作り上げた入場ゲートに歩み寄ると、目的の人物を見つけた。
マニッシュ気味なショートヘア。
シンプルなすっきりしたデザインで、カジュアル兼用といった装いのパンツスーツを纏った二十代の女性だ。略式なのかタイの類は着けておらず、肩に小さめのバッグを提げている。
身長は、知尋より一、二センチだけ高い。高校に入ってから多少は伸びたはずだが、それでもまだ届いていない。
近づく間に向こうも気づいていたらしい。
突き刺さる視線を感じながら彼女を見つめる。無意識レベルの気後れが影響したのか目を見ることはできなかった。
「お待たせ」
「ああ。いや、思ったよりは待っていない。クラスの方は大丈夫か?」
「今はシフトに入っていないから大丈夫」
「そうか」
返答を聞いた彼女はふっと表情を緩めた。素の状態だと固く見えがちな表情が笑うと一転、華やいだ印象になる。
「では、行こう」
言って、返事を待たずに歩き出す彼女。といっても、歩くスピードは知尋が追いつけるように十分配慮されている。
小走りに追いつき、隣、半歩後ろの位置につく。
そうして彼女を見上げれば、先の微笑みを浮かべたままあちこち視線を巡らせているのがわかった。
「どうして、急に?」
特に振り返らずに返答がある。
「母校の学園祭を見に来るのに、理由はいらないだろう?」
「そうだけど」
程なく出店の密集地帯に差し掛かる。
姉は、手近な店から次々に声をかけ食べ物を買っていく。当然、知尋もそれを追いかける羽目になった。
すると、一件目の店員が、隣にいる知尋を見て律儀に生徒証の提示を求めてきた。
ふむ、と何かを感じたらしい姉は、以降の店でも会計の度に知尋を振り返ってきた。まあ、割引になるのだし特に遠慮する理由もないのだが、午前中から生徒証が無駄に大活躍である。
「忙しいのに、それだけのために休みを取るかなって」
「まあ、な」
買い物の合間に会話を続けると、いともあっさり頷かれる。
「他にも理由があるのは確かだよ」
「それって?」
「先生方に挨拶をしたり、ちょっとした相談をしたり。後はもちろん、知尋の顔を見に来たというのもある」
「………」
最後に付け加えられた理由を聞いて言葉に詰まった。
「別に、家族が恋しい歳でもないと思うけど」
「何歳になろうと家族は家族だろう」
何の気負いもなく、彼女はそう言ってのける。
立ち姿も堂々としていて、しっかりとした風格のようなものを感じる。
柴鳳学園で三年間、そしてそれ以降も訓練を続けている彼女は、実際に誇れるだけの実力を持っている。
「……さて、そろそろいいかな」
姉がそう呟く頃には、知尋の両手は紙皿やらプラスチックパックやらで一杯になっていた。弟とはいえ一応、男手ということで荷物持ちを引き受けたのだが、いくら何でも買い過ぎではなかろうか。
「どこへ行くの?」
「職員室だ」
校内の配置は姉が現役だった頃とほぼ変わっていないはず。
迷いなく進む彼女について知尋も職員室に入った。
年に一度の学園祭に校内が湧く中、ここに限っては普段とあまり様子が変わらない。多少、教員達がリラックスした様子に見える程度か。
「すみません」
入り口付近で姉が声を上げると、中にいた教員が何人も振り返る。
物怖じしない態度に知尋は戦々恐々とするものの、教員達の反応は極めて友好的なものだった。
「……楓(かえで)さん?」
「楓? ああ、和泉楓(いずみ かえで)か」
顔を見ただけで複数人が彼女に気づく。
そんなところに立っていないでこっちに来い、とデスクまで招かれ、荷物持ちの知尋まで同行させられる。
彼女――楓が卒業してからは既に数年が経っているが、当時から務めている教師もそれなりにいるらしい。
わいわいと賑やかになる中、近くにいるのに蚊帳の外の気分を味わった。
「綺麗になったなあ」
「ありがとうございます」
「ランクは今、幾つなの?」
「Aです。流石にSランクは望めないでしょうから、これで打ち止めでしょうね」
姉の人気と知名度を、あらためて強く思い知らされる。
「そっちの子は?」
「弟です。今、ここの一年生なんですよ」
「へえ。君の弟が入学しているなんて知らなかったな」
「君はランク幾つなの?」
知尋は、飛び火してくる話題に答えるので精一杯だった。
楓は会話の合間に、買いこんできた食べ物を知尋の腕から取り上げ教師達に差し出していく。もともとこの為に買ったのだろう、二人で食べきれないだけの量があっという間に消費された。
結局、職員室を出たのは十五分ほど後のことである。
……姉と再会してから一時間も経っていないのに、既に疲労が凄い。
「姉さん、僕はそろそろクラスに戻らないといけないんだけど」
「……ああ、そうか」
店じまいの手伝いがある。
加えて言えば、その後は実行委員会と生徒会に顔を出す必要があるのだが、そこまで口にする前に楓は左手を差し出してきた。
「なら、今のうちに寮の鍵を貸してくれ」
「……何で?」
「今日はこちらに泊まっていくつもりだからだが」
軽く見下ろすようにして楓が首を傾げる。
「何か都合の悪いことでもあるか?」
「……いや」
首を振り、ポケットを探って寮の鍵を差し出す。
……ホテルでも取ればいいと言いたいが、言っても費用などを理由に却下されるのが容易に想像できた。
それに、自分に会いに来たと言う家族を無下に追い返すのはさすがに気が引ける。
長らく使っていない鍵だが、きちんと携帯していて正解だった。
理事長室に行くと言う楓と別れて教室に戻ると、ちょうど最後の客が出ていくところだった。
そういえば今日初めて顔を見る気がする舞阪が、ラストスタッフおよび戻ってきたクラスメートに向けて声を上げる。
「っし。一応、閉店まで後何分かあるから、それまで大きく動くのは止めといてな。ただし、厨房とか、片づけられるところは片づけて始めてくれ」
おう、と、主に男子が声を上げて動き始めた。
手伝おうかと思ったが、何人もが厨房に押し掛けるのを見て待機する。と、メイドから制服に戻っている李狐がそっと近づいてくる。
「……ね。夜、続きする?」
「あー……ごめん。多分、今日は無理だと思う。ちょっと外せない用ができちゃって」
「用?」
知尋の返答に、李狐が不思議そうに首を傾げた。