中央にはホワイトソースをベースに、蟹など季節の具体をたっぷり使ったSサイズのピザ。その両サイドには小さなチキンが詰まった箱と、ナゲットとポテトがハーフ&ハーフで入った箱。
そして、三人の前にはそれぞれ一人前のパスタ。知尋がミートソースで愛華がカルボナーラ、楓がペペロンチーノ。
「私、宅配ピザ屋さんのパスタって初めてかも」
「私は何度も頼んでいる。ピザばかりでは飽きるし味もいい」
「姉さん、今も料理できないんだ」
「やってもうまくいかないからな」
ふっと笑った楓がさっそくフォークに手を伸ばす。
「では、いただこう。高槻君も遠慮なく食べてくれ」
「あ、はい。ありがとうございます」
いただきますと愛華、それから知尋もフォークを手に取る。その間に、楓はさっそくパスタを口に入れている。
「うん、美味い。食べなれた味だ」
もっともらしく頷くと更に二口、三口。
笑顔を浮かべているのもあって、どことなく子供のようだ。
愛華は、そんな楓をじっと見つめてくすりと笑う。
「お姉さんは、もっと怖い人かと思いましたけど、そんなことないんですね」
「顔と口調で誤解されやすい、とはよく言われるよ」
「昔からそうだったよね」
楓の能力は小さい頃から強力だった。
本人の学習能力、運動能力も優秀だったため、第一印象として近寄りがたさを感じる者は傍目からも少なくなかった。
学園に入学して戦闘技術を学び、能力を使いこなすようになったこと、それから単に年齢を重ねたことなどにより、その傾向はだんだん強くなっている。
犯罪者との戦闘もこなす警察の特殊チーム員、なんて近寄りづらくて当たり前だ。
しかし、身内の知尋から言わせれば、私生活での彼女はぽんこつだ。本人の言う通り料理は苦手だし裁縫も駄目、掃除は物を置かないことで極力必要性を減らして対応している。そんな彼女だから学園には家から通っていたし、大学進学を期に一人暮らしを始める際は母から猛烈に心配されていた。
食事の問題を金で解決しているこの姿を見れば、それが良く分かるだろう。
|だから(・・・)、彼女の懐に入り込んだ者は、大抵、彼女をいたく気に入る。実力を正当に評価する一方で、どうにも放っておきがたい普段の彼女の世話を焼く。
あるいは、秀才の意外な一面に見て親近感を覚え、憧れや尊敬を強くする。
「気をつけようとしたこともあったが、顔は生まれつきだし口調も変わらなかったな。……まあ、取り締まった犯罪者達からは『鬼』だの『悪魔』だの言われることもあるから、見た目の印象もそう間違っていないのかもしれない」
「また。そこまで怖くはないですよ」
愛華が微笑みながら言う。
もともと人懐っこい彼女だ。取っ掛かりさえ掴めればどうとでもなるようで、この短時間のうちにすっかり警戒心を解いている。
知尋はそんな彼女を複雑な気分で見守っていた。
「そうだ。知尋君の昔の話とかしてくれませんか?」
「え。あ、愛華?」
「ふむ。いいだろう。では、知尋が遊園地で迷子になった時の話だが……」
「………」
楓がノリノリで話始めた時点で止めるのは無理だと悟った。
食事の合間に語られる昔話――小さい頃の知尋が遊園地で迷った挙句、母と姉の名前を呼びながら泣き叫んでいたとか――と、それを興味深げに聞く愛華をなるべく意識に入れないように努めながら、知尋はただ食事に口に運び続けた。
愛華も尋ねられるまま知尋との話を楓に答え――ただし、さすがに話題は選んでくれていた――二人の会話は長い時間続いた。
全員、門限を気にしなくていい立場だというのも影響しただろう。
これが地獄か、と少しだけ本気で思った。
パスタにピザ、サイドメニューという構成はさすがに量が多かったが、話が長引くうちに少しずつ減っていき、遂に全て無くなった。
ふう、と息を吐いた愛華が思い出したように言う。
「そう言えば、楓さんはお酒、飲まないんですか?」
食卓に出ている飲み物はソフトドリンクだけで酒は一切ない。しかも、楓が飲んでいるのは黒烏龍茶。
物凄く、地味かつ堅実なチョイスである。
「酒か。必要があれば飲むが、自分から好んでは飲まないな。急な呼び出しが多い仕事だというのもあるが」
「なるほど。そういう人もいるんですね」
興味深げに頷く愛華。
彼女が誰のことを思い出しているかと言えば、真里亜のマンションに来て以来、欠かさず晩酌をしている自堕落な社会人のことだろう。
ようやく心落ち着ける話題になったこともあり、知尋はふっと笑った。
「あの人は特殊な例だよ。愛華の家族だって、毎日お酒飲んだりしないでしょ?」
「あはは、そういえばそうだね。鈴さんを基準にしたら駄目だよね」
「鈴?」
と、愛華が発した言葉の一部に楓が反応した。
「知尋。それは黒羽鈴のことか?」
「え。……ええ、と」
ちらり、と向けられた視線は鋭い。
それだけで真剣度を計れないのが彼女だが、今回に関しては、口調などからかなり真剣な話だと察する。
まさか、楓が鈴の名前に反応するとは。
いや。
考えてみれば、楓も鈴も同じく学園の卒業生。そして恐らく年齢もほぼ同じ。ならば二人に面識があってもおかしくはない。
加えて言えば、一度職員室前で別れた際に楓は言っていたではないか。「理事長室に行く」と。
理事長、すなわち鳳由司。
彼は知尋と楓の血縁を知っているはず。ならば、会いに来た楓に知尋の話をした可能性は高い。
だとしたら、どこまで話した?
頭が急速に冷えていく。
鈴の名前を出したのが失敗だったわけではないだろう。彼女が知尋の傍にいることは非公開情報ではないし、楓が鳳から話を聞いているなら隠しても無駄だ。
嘘をつくのも無意味だろう。どのみち、今の沈黙でほぼ答えているようなものだ。
「……そうだよ」
「ふむ。ということは、あの話は本当だったのか」
楓が呟く。
その表情からも感情は読めない。目を合わせて『読心』しようとしても視線が微妙に絡みあわない。
何度か試して諦め、知尋は答えた。
「あの話、だけじゃ何とも言えないけど」
「だろうな。私としても、お前に話の内容を明かして、それでお前が素直に頷くとも思っていない」
四葉のようにストレートにはいかない。
彼女は誠実で、かつ素直な少女だった。だから自分側の持つカードを惜しげもなく切ってくれた。
お蔭で相手の出方が分かりやすく対策も立てやすかったのだが、楓はそう簡単に話を進めてはくれないようだ。
知尋から視線を外して愛華に目を向ける。
「高槻さん。私は君に知尋と別れて欲しい」
「……っ」
矛先を変えてきた。
予想できなかったことではない。四葉だって似たような説得はしてきたのだ。しかし、積み重なった苦手意識から知尋は息を飲んでしまう。
愛華もまた空気の変化を察知し、その表情を硬くする。
「どうして、ですか?」
「私が聞いた話は知尋の交友関係についてだ。詳細は明かせないが、知尋はその黒羽鈴と極めて親しい付き合いをしている。それは、恋人である君にとってあまり面白いことではないだろう?」
「………」
愛華が無言で肯定を示す。
「このような状態が続けば誰も幸せになれない。かといって、知尋が鈴と別れたところで過去の事実は消えない。まともな神経ならば、一度手酷く裏切った相手を心から信じられはしないはず……と、まあ、そういう話だよ」
なら、傷の浅いうちに別れてしまった方がいい。
言い分自体はほぼ、鳳や四葉が言っていたものと同じだ。
ただし、世間体だの何だのをフォーカスしていた鳳達と違い、楓の発言は愛華の気持ち、知尋との関係にのみ絞っている。
建前ではなく本音の部分、気持ちの問題を突いている分だけわかりやすく納得しやすい。
彼女の説得に、愛華は。
「嫌です」
きっぱりと、断固とした主張を見せた。
「それは、何故かな?」
「私は、多分『まともな神経』をしてないんです。鈴さんとも仲良くなって、今はもうお友達のつもりです。きっとうまくやっていけると思っています」
それに、と言葉が続く。
「知尋君の彼女は私です。私だけです。誰にも渡しませんし、他の子が彼女になるのを認めるつもりはありません。それさえ大丈夫なら、私は知尋君が他の女の人と仲良くしていても許します」
「それは、酷く歪な在り方だよ」
楓が目を細めて愛華を見る。
数多くの修羅場を潜ってきた強者の視線は、高校一年生の少女に多大なプレッシャーを与えたはずだ。
しかし愛華は怯まなかった。
「わかっています。でも、これが私です」
「……そうか」
深いため息。
「なら、私はそれに反対しよう」
「っ」
淡々とした言葉に愛華がびくりと震える。
楓の表情がきつくなったわけではない。むしろ多少柔らかい印象になったようにも見える。にもかかわらずプレッシャーは強まった。
「先程言った君の気持ち云々、というのは実は建前なんだよ」
「……え?」
「先方から聞かされた話を私なりに意訳しただけ。私の意見はもっと単純だ」
「……それは」
「今のような付き合い方を私自身が許せない。気に入らない。知尋が心配で仕方ない。家族として、知尋にはもっと真っ当な生き方をしてほしい――それだけのことだよ」
単なる我が儘だ、と楓。
確かに、彼女が口にした本音は聞こえのいい大義名分とは趣が違っていた。自分が気に入らないから認めない、止めさせたい。それを楓本人が我が儘だと認識している以上、知尋達に言えることは何もない。
ただ、実の姉という壁が一つ、立ちはだかったという事実だけが残る。
そして、彼女の明瞭な意志表示は人に大きな感銘を与える。
目を見開いた愛華が、言葉に溜めを作りながらゆっくり頷いた。
「お話はよくわかりました。簡単にわかってもらえないことも、簡単に通していい我が儘じゃないことも」
でも。
「やっぱり私の気持ちは変わりません」
「なら、私は反対し続けよう。君と知尋の交際に、そしてもし君達が結婚することになっても」
無粋な妨害をするつもりはないが。
楓は最後にそう付け加えた。
鳳がしたような脅し、知尋の社会的立場を人質に取るような真似はしない、と。
それでも、実の姉という『壁』は極めて高いが。
愛華が決然とした声でそれに答える。
「構いません。それでも絶対、いつかわかってもらいます」
彼女の瞳に迷いはなかった。
愛されている。
色々なしがらみを十分に受け止めてなお、それらを投げ捨てる程に思ってくれている。その事実をあらためて胸に抱いた。
そして楓を。
幼い頃、それこそ物心ついた頃から見知った姉。絶対に敵わないと今でも思う挫折の象徴を見つめる。
そうして、振り返る楓にしっかりと告げた。
「僕も同じ気持ちだよ。愛華と別れるつもりはないし、鈴さんとも続ける。これは、これだけは絶対に譲れない」
「どうしてだ?」
「大切な人だから。愛華も鈴さんも、みんな」
みんな、と答えた。
本当なら「どちらも」と言うべきだ。無暗に真里亜や李狐、他の少女の存在を匂わせるべきではない。
それでも、そう言わざるを得なかったのは、自分の気持ちを偽りたくなかったから。
「そうか」
楓の返事は素っ気なかった。
興味を失ったのかと勘違いしそうな程、あっさりと答えた彼女はおもむろに立ち上がる。
「姉さん?」
「高槻さん、家まで送ろう」
どうやら話は終わりらしい。
自らが口にした言葉通り、反対はするが余計な口出しはしないつもりなのだろう。
あまりにも極端なその態度に愛華も目を白黒させたが、結局は多くを問わず帰り支度を始めた。
「って、愛華を送るなら僕が」
「お前よりも私の方が強い。なら、私が送っていくべきだろう」
言ってスーツを身に着ける彼女。
宅配ピザを頼んだのも着替えが面倒だからだったはずなのだが、それとこれとは話が別らしい。
「愛華」
「大丈夫」
最愛の少女はにっこり微笑んで知尋の心配を和らげた。
二人はその後すぐに部屋を出ていき――三十分近く経って楓が戻ってきた。
「遅かったね」
「話をしてきただけだ。……私が彼女に危害を加える必要など、どこにもないだろう」
姉の発言を肯定するように、知尋のスマートフォンへメールが届いた。
『私、あの人のこと嫌いかもしれない』
愛華からだ。
明日、あらためて話をしようと返信してから端末を置く。
……それにしても、割と普通に話をしている様子だったのに。
「何かあったの?」
尋ねると楓は肩をすくめた。
「あの子は案外聡いな。お前の影響なのかもしれないが――私の能力があまり役に立っていない様子だったよ」
相変わらずの自然体。
しかしその声にはどこか不思議がるような、驚いているような響きが含まれていた。