「……なんか、納得」
愛華が呟く。
昨夜、知尋の部屋を出て、楓に送られた時のことを思い出したらしい。
「あの時は何があったの?」
「楓さんに聞いたの。本当の気持ち、隠していたりしませんかって」
どこがどう、とは言いづらい。
ただ愛華は、楓の芝居がかった口調やぽんこつな態度に違和感を覚えたのだという。優秀な大人の女性、彼女に明らかな、微笑ましい欠点が存在するということに、どこか「できすぎ」な感を抱いた。
それを尋ねたところ、楓は愛華の推測を否定しなかった。
『……やりづらいな』
そんなことを呟いた後、愛華に向けて嘯いて見せたらしい。
人は誰しも「自分自身」を装っている。よりよい自分を他人に見せようと努力するのは当然のことだろう、などと。
『でも、楓さんの演技はなんとなく変です』
『そうか。……良く見ているのだな、君は』
だが、私の心は誰にも見透かせない。
楓はそう言って会話を打ち切った。楓本人が言っていた通りの短い会話だ。しかしそれで十分だった。
愛華は楓への違和感を確信に変え、楓はそんな愛華にある種の警戒心を抱いた。
「楓さんは、ずっと演技してるのかなって。誰に対しても自分を良く見せようとして、自分を見失ってる……ううん、本当の自分が無いみたいな」
「……そうだね。僕も、似たようなことを考えてたよ。ずっと」
楓には人の心の動きがわかる。
それはある意味、知尋の『読心』の究極系といえる。ベクトル操作による感情察知は目を合わせる必要もないし、相手に悟られる心配もない。表層の感情だけでなく内心や複雑な気持ちすらも的確に見抜く。
強すぎる感情に移入してしまう危険すらもない。
相手の気持ちがわかれば、それをうまくプラスに向けてやればいい。相手が欲しい言葉やして欲しい行動を導き出すのは常人よりも遙かに簡単。意図的に他者を誘導することすら可能となる。
しかし、だからこそ、楓は自分の気持ちを見失っているのではないか。
効率よく「自分を見せる」ことを追求するあまり、確固とした自分がない。さながら、臨機応変に対応するだけの装置のように。
「小さい頃は、姉さんに人の心がわかるなんて知らなかったんだけど」
時折、楓が見せる、冷たくて空っぽな瞳が妙に気にかかった。
何を考えているんだろう。
姉の心の中には、自分の知らない姉が潜んでいるのではないだろうか。
……姉がテストで高得点を取る度、体育で難しい技を成功させる度、通学路で困っている人を発見して的確に助ける度。
姉を称賛し「君もお姉さんみたいに」と言う人達は、自分にどんなことを求めているんだろう。
そんな思いが、いつしか知尋の内に芽生えていった。
「だから、姉さんが何を考えているのか知りたかったことが、僕が『読心』を手に入れた切っ掛けになるのかな」
「姉弟の、お二人の関係がルーツだったのですね……」
実際には、そうして得た『読心』すら楓はブロック可能だったわけだが。
「……一回だけ見た姉さんの心は空っぽだった。何も見えなかった。それ以来、姉さんはずっと僕の視線を逸らし続けてる」
警戒しているのだ。知尋と、その『読心』を。
真里亜が呟く。
「いくら対処のしようがあろうと、和泉楓にとって知尋様は天敵、なのですね」
「なの、かな」
以来、楓の知尋への接し方は変わった。それまでは今とは違う、まるで「出来る姉」の見本のようだったのが、だんだんと今のように無理矢理、知尋を動かすように変化していった。
知尋が彼女の心の一端を知ってしまったからだろう。
楓の命令や頼みを素直に聞くことへ疑問を感じるようになり、それを楓も敏感に察した。
だから、ベクトル操作による誘導を諦めて直接的なやり方に変えたのだ。
うーん、と、華が呻いた。
「なるほど。……じゃあ、その人の違和感に高槻さんが気づいたのは、和泉君の『読心』に慣れていたからでしょうね。心を察して窺ってくる相手を良く知っていたから、似た傾向の力に耐性があった」
楓にとってはやりづらい相手が増えた形。
真里亜達も、もし楓に会うことがあれば、同じように警戒されることだろう。
「まあ、ただの想像だけどね」
こんなこと楓本人に確かめられるわけがない。
他の人に聞くこともできない。
だから、真実はわからない。もしかしたら全て間違っていて、例えば楓の手のひらの上で転がされているのかもしれない。
「……ううん、知尋くんと愛華ちゃんの考えで合ってるはずだよ」
そこで鈴が静かに言った。
「鈴さんは、姉さんと前から知り合いだったんですか?」
「知り合いっていうか、顔見知りかな。学年が違ったし、何回かちょっと話をしたくらい。お互い噂は色々聞いてただろうけど」
「ああ。姉さんはあの通りだし、鈴さんは生徒会長だったんですよね」
どちらも目立つ生徒だ。
相手のことを間接的に機会は多かったはずである。
「え、生徒会長? 誰が?」
「わたしだってば。……それで、まあ。私も、その子がどういう子なのかは見てればわかるタイプだから」
その時々の心を読んだり察知するのではなく、相手の性質そのものを推し量る能力。能力判定の二次調査でも活用される鈴の能力もまた、楓にとっては鬼門となるだろう。
能力が通れば、だが。
「捉えどころがない子だな、っていうのが第一印象。真っ白とか、名前で呼びづらい色をしてるとかじゃなくて、どんな色なのか物凄く見えづらかった。二回目に会った時からは、やっぱり『色』を見せても貰えなかったな」
「鈴さんも……」
「うん。あの子に警戒されて、避けられてたんだと思う。知尋くんと同じだね」
楓にとって厄介な相手が今、一緒にいる。
これはいったいどういう偶然なのか。
……それから、鳳が鈴の説得あるいは奪還を頼んだらしい件。
楓が依頼されたのは必然だったのだろう。楓ならばベクトルの流れから鈴の居場所を探すことができるし、学生時代から優秀な実績を残してきた彼女なら秘密を外部に漏らしたりもしないはず。
何より、当事者の一方である知尋の姉だ。これ以上の適任はいない。
「ですが、その和泉楓は鈴さんの説得に本腰を入れる気を見せていない」
「うん。多分、あまり会いたくなかったんだろうね……。僕にも、鈴さんにも」
知尋にとしては、会いたくないのはお互い様だ。
何でもできる姉。能力まで殆ど上位互換の彼女と比較され、同じだけの期待をかけられ、そして周囲の要求を満たせなかった彼にとって、姉はコンプレックスを抱く対象なのだから。
と、李狐が浮かない顔で言った。
「つまり、その女も知尋にはあんまり会いたくない。だからこれ以上、知尋にちょっかいかけてきたりは多分しない。無理にどうにかしようとしない方がいい……ってこと?」
「そうなるわね」
真里亜が頷いた。
「実際、彼女は忙しい身よ。今回は貴重なオフを使って学園を訪れただけで、普段は国内を飛び回っているはずだもの。潜在的な敵であっても、直近の敵にはなりえない」
敵とは物騒な話だが、概ねその通りだ。
味方か敵かでいえば敵寄りだと言わざるを得ない。そして、相手は積極的な態度を取ってきておらず、排除する方法がない。
ならば、わざわざこちらから刺激する意味がない。
「……なんか、納得いかないけど」
「私も。でも、それならそれでいいよ」
憮然とする李狐に対し、愛華は気持ちを切り替えたようだ。
にっこりと李狐に微笑みかけて軽く一言。
「今はどうにもできないなら、チャンスが来た時にひっぱたいてあげればいいよ。それも、思いっきり痛いのを」
「……あは。愛華にしては過激じゃん」
それで李狐も機嫌を直したらしい。
金髪の少女は微笑みを浮かべて頷いた。
残った鈴と華も静観する方針に賛成する。
「わたしも、放っておいていいと思う。できるだけ戦いとか陰謀とか面倒なことしたくないし」
「ま、そうですね。っていうか、正直今は学園祭で手一杯で、それどころじゃないですし」
いずれ事を構えるにしても今ではない。
そういうことで話は落ち着いた。
……もし楓を敵に回すことになったとして、本当に勝つ方法があるのかも含め、いったんは棚上げする。
話を纏めた一同は、ばたばたと慌ただしく撤収の準備を整えた。
さすがにもう殆ど時間は残っていない。
今の話について、四葉には鈴から伝えて貰えることになった。今後のことも考えれば、彼女にも詳細を知っておいてもらう必要がある。
「そういえば、御宿さん。できれば1-Cのメイド喫茶にも遊びに来てくれると嬉しいな」
「ああ、そうですね。『ちさとちゃん』に久しぶりに会えるチャンスですし」
知尋と『ちさと』を別人格として扱っている節がある華はそう答えた。
「ただ、今日の『ちさとちゃん』は大忙しで、ゆっくり私に構っている暇はないかもしれませんけど」
「?」
彼女の言葉の意味がわからず、知尋は首を傾げたのだが――。
☆ ☆ ☆
果たして、華の言った通りになった。
この日は朝の一発目からシフトに入っていた知尋、もとい『ちさと』の元には何故か、昨日を大きく上回る人数が詰めかけた。
「お、あれがちさとちゃんか」
「確かに可愛いな」
「しかも見覚えがない」
「いや、どっかで見たような気もするけど」
それがミスコン効果だというのはすぐに知れた。
知尋は、女子側のミスコンに謎の女生徒『ちさと』として登録されている。その謎っぷりが見た者の印象に残り、口コミで噂が広がったようだ。
何割が舞阪他、1-C生徒の仕込みかは敢えて考えない。
何割が正体に気づいているのかも考えない。
ともあれ。
謎メイドの実物を見たい、と興味本位の生徒達(主に男子)に、愛華や真里亜等、他のメイドを目当てにした生徒が加わり、開店直後から大忙しだった。
「ね、どこに住んでるの?」
「今度、どこか遊びにいかない?」
「メアド教えて」
「申し訳ありません、ご主人様。そういうのはご遠慮ください」
色目を使ってくる男共には全て素っ気なく返す。何しろ中身は男なので、同性をあしらうことに躊躇はない。
ただし、写真撮影や普通の会話については仕事のうちなので応じる。
にっこり笑ってポーズを取ったり、大して面白くもない話にリアクションを取ったりする必要もあった。
「俺、昨日からここに来るの三回目なんだよ。毎回ジュースしか頼んでないけど」
「何度もご来店ありがとうございます。お食事のメニューもご注文いただけると、私達も嬉しいです」
宣言通り華も来てくれた。
あまり話をする余裕はなかったが、写真撮影にはきちんと応じる。
「ちさとちゃん。そこからキスを投げてください」
「え? い、いえ、お嬢様。それは……」
「駄目、ですか?」
逆らうに逆らえない空気だった。
華とは約束もあるので渋々、恥ずかしさを堪えて投げキッスをする。
ただし、恥ずかしすぎて動作が可愛かったかどうか気にする余裕もなかった。
それでも、とりあえず、居合わせた客達は大いに沸いた。
「ありがとうございます。ばっちり撮れました」
「……お気に召していただけましたら何よりです」
珍しく満面の笑みを浮かべた華に、魂の抜けかけた状態で答えた。
「はい。大事にしますね、この動画」
「動画!?」
静止画どころか動きまでついた状態で保存する暴挙に、知尋は格好悪いのを承知で「他の人には見せない」よう頼み込むしかなかった。
はたまた、一緒に働く愛華に付こうとする悪い虫にハラハラしたり。
「愛華ちゃんは彼氏いるの?」
「いないだろ、奥手っぽいし。ね?」
「彼氏ならいますよ。ずっと一緒にいられたらいいな、って思ってます」
あからさまにナンパしてくる男は、他ならない愛華自身があしらっていたので出番はなかったが。
「写真とかあるの?」
「写真は無いですけど……あ、このブレスレット、彼に買って貰ったんです。二人でお出かけして、何時間もかけて見つけたんですよ」
「あ……うん」
「本当にいるんだね、彼氏」
そんなこんなで。
シフトが終わる頃にはかなり疲労してしまっていた。
交代要員としてやってきた李狐達に店を任せて更衣室まで辿り着くと、知尋は思わず床に座り込んでしまう。
「……疲れた」
「お疲れー、和泉君」
「大人気だったもんね。本当にミスコン狙えるんじゃない?」
クラスメート達からそんな風に言われた。
なんと、彼女達にまでミスコンの話が伝わっているのか。
「あんまり狙いたくないんだけど……」
「そう言っても、人気投票だし。入賞するかどうかは人気次第だよ」
「ちょうどお昼の十二時に発表だったよね。次のシフトの時は予選結果が分かってるわけだ」
予選の投票締め切りが発表の三十分前、十一時半だったか。
この結果で上位五人に入った場合、午後三時頃から行われる本選に参加しなくてはいけない。幸か不幸か、メイド喫茶のシフトも、生徒会のシフトも入っていないので予定は問題ない。
「ふふ。一応パフォーマンスの準備、しておいた方がいいんじゃない?」
愛華が何だか楽しそうに知尋へ笑いかけてきた。