「ちさとちゃん、おめでとう!」
換気や掃除をして個室を出て、ついでに手早くシャワーを浴びてから――幸い他の利用者はいなかった――校舎に戻った。
実行委員会に顔を出すという真里亜と別れ、校舎を歩いていると、昨日も会った実行委員の二年生、ミスコン担当者に腕を掴まれる。
嫌な予感がした。
思えば時刻はちょうど十二時過ぎ。
きょろきょろと周囲を見回し、なんとか逃れる方法がないか考えて断念。ようやく彼女に向きなおる。
「……何位でした?」
「五位だよ。最終的に六位以降とは結構大差ついたね」
つかなくていいのに。
「一位から四位までも聞きたい? 聞きたいよね?」
「はい。そっちは素直に聞きたいです」
「お、素直だねー。まあ、聞かなくても大体想像つくかもしれないけど」
と、前置きしてから芝居がかった口調で始める彼女。
道行く人が何事かと視線を向けてくるのが微妙に辛いのだが、今更場所を移動するのも無理そうだ。
ため息をついて諦める。
……ミスコンの上位。セオリーからすると知名度が高い少女が入ることになるのだろうか。
「まずは四位。三年生、風紀委員長の白峰沙雪っ! 『あのストイックな感じがたまらない』『男装姿が見てみたい』『あの目で思いっきり睨みつけて欲しい』などなど、女子からの強い支持と、一部のマニアックな男子の票でランクインっ」
校内の風紀を守る役割上、下級生に声をかける機会も多い。短い会話でも話したことがあるのと無いのとでは印象への残り方も違ってくるので、そのあたりがランクインの秘訣だろう。
逆に、一年生が上級生の目に留まる機会はそうないだろうから、上位へのランクインは難しいだろうか。
「第三位、一年生の深海真里亜さん!」
「おお」
思った傍から、先程別れたばかりの少女の名が挙がった。
「一年生ながら堂々のランクイン。決め手になったのは、なんと言ってもあの美貌! 最近は表情も柔らかくなったと評判で、『可愛い』『いや、美人と言うべき』『むしろエロい』などなど、多数の男性票を獲得しました!」
「……あはは」
エロいとコメントした人物に微妙な怒りが湧いた。
心が狭いと言われようが、嫉妬するものはどうしようもない。あまり彼女をいやらしい目で見ないでほしい。
「残りは敢えてまとめて発表させていただきますっ! 第二位、二年生のルシル・オーウェル生徒会副会長。第一位、三年生、生徒会長の黒羽四葉!!」
壇上に上がる機会が多く、一年生でも幾度となく顔を見ているはずの四葉。
表舞台を四葉に任せきりにしつつも裏方をきっちりこなして二年生で副会長を務め、何と言ってもあの金髪が人目を惹くルシル。
しかも二人ともかなりの美人である。
ある意味では当然の結果と言っていいだろう。
「現生徒会のツートップが堂々の一位二位を獲得しましたっ」
ぱちぱちぱち、と周囲からも拍手が上がった。
すると、女生徒は恥ずかしがるどころか笑みを深めてぺこぺことお辞儀し、しっかり拍手が収まるのを待ってから知尋に向きなおった。
「と、こんな感じのスピーチをしようと思うんだけど、どう思う?」
「……ええと、まあ、いいんじゃないでしょうか」
十人以上の生徒が事前に聞いてしまった気はするが。
「ちなみに高槻さんは十一位で、ちさとちゃんの先輩の綾瀬葵さんは七位ね」
「へえ、そうなんですか。……って、今、あっちゃいけない名前があった気がしたんですけど」
「鏡見てから言えばいいんじゃないかな? ……まあ、そういう訳だから、ミスコンの本番には必ず来てね?」
「は、はい」
渋々頷くと、女生徒は登場時の勢いそのままにどこかへ去っていった。
彼女を見送った知尋は再び廊下を歩き出す。
少し早いが、そろそろ更衣室に移動しようかと考えていると、道の先に見知った顔を見つめた。
長身の少年と小柄な少女。
神代と、それから湯瀬朱香。風紀委員会にスカウトされた、一年生の戦闘能力ツートップだ。
「湯瀬さん?」
二人の歩幅は短く次第に追いつく。
何やら、朱香が神代の腰あたりに腕を回して歩いているのだ。
彼女達の性格的に考えて、愛し合っての行動ではないだろう。そうなると放っておくのも気分が悪い。
「ん? ああ……えっと、誰だっけ?」
振り返った朱香は知尋を見て眉を顰めた。
顔に見覚えはあるけど誰だかは覚えていないらしい。このところ顔を合わせていなかったうえ、今は女装姿なので無理もないが。
「金魚のアレじゃなくて、腰巾着でもなくて……」
「せめてオプションで留めて欲しいんだけど」
「ああ、そう。それそれ。神代悠希のオプション」
「いや、和泉君だよ。俺と同じクラスの。あの時は男の格好だったけど、湯瀬さんも会ったことあるだろ」
遅れて振り返った神代が苦笑気味に言った。
思ったよりも表情は悪くない。ただ、身体が痛むのか少々顔が引きつっており、左腕を垂れ下げた状態。また左足も引きずり気味になっている。
怪我をしているのだ。
「何があったの?」
「喧嘩よ、喧嘩」
神代より早く朱香が答えた。
「喧嘩? って、危ない人が暴れたとか?」
「違う違う。こいつが勝手に喧嘩吹っ掛けただけ」
「神代君が?」
彼が自分から他人に喧嘩を売るとは。
学園に危険人物が侵入したよりはずっと穏便だが、それはそれで事情が気になる。
驚きから目を見開いた知尋に、神代がやや気まずそうに頷いた。
「……まあ、ね。もちろん相手とは同意の上の勝負だけど」
「まったく。相手は大人で、絶対格上だったのにほいほい喧嘩売るから」
「はは、全くだ。……でも、湯瀬さんだって最初は戦いたそうにしてたじゃないか」
「神代悠希がこの状態で、私まで倒れてどうすんのよ!?」
「そ、そうだな。すまない」
さすがの神代も、朱香相手だとこの有様である。
ついでに言えば朱香が意外と献身的だ。
「そうしてると、二人とも恋人同士みたいだね」
「なっ」
思ったことをそのまま口にすると、朱香が顔を真っ赤にして挙動不審になる。
……なるほど、どうやら彼女の方は恋心に自覚がありそうだ。
「別にそういうのじゃないし! 第一、こいつは白峰先輩が好きなんだし」
「え、そうなんだ?」
神代を見る。と、彼は再び苦笑した。
「いや、湯瀬さんが勝手に言ってるだけだ。俺にそんなつもりはないし、俺とあの人じゃ釣り合わないよ」
「それ、本当?」
今度の問いは朱香のもの。
妙に真剣な目に、知尋としては苦笑するしかなかった。
「じゃあ、相手と険悪なムードだったわけじゃないんだ?」
「ああ。喧嘩っていうより、胸を貸して貰ったっていう方が近いかな」
「……そっか」
頷く。
神代は一年生のエース格。まだまだ成長途上とはいえ、その戦闘能力はかなりのものがある。二度も、完膚なきまで叩きのめされた知尋が言うのだから間違いない。
そんな彼が遙かに格上と認める、大人。
なんとなく想像がついた知尋は、二人に気づかれない程度の軽いため息をついた。
まさか、これが楓の用事の一つだったとは思いたくなかった。
「今、勝てなくても次に勝てばいいよ。それでも駄目ならその次に」
「和泉君?」
「……神代君はきっと諦めないんだろうと思って。違う?」
「……いや、違わない」
神代がふっと笑って答えた。
彼が、動く右手を拳に変えて軽く持ち上げる。知尋は慌てて彼の正面に回り込むと、こちらも右拳を打ち合わせた。
「いつか、あの人に勝ってみせる」
「うん。期待してる」
知尋には、姉に勝つ未来がまだ想像できない。
しかし神代なら。
真っすぐで力強く、努力家な彼ならきっとたゆまぬ訓練の末、あの楓にすら一矢報いるだろうと思えた。
医務室に行くという二人と別れ、知尋は今度こそ更衣室に戻った。
「あ、知尋君」
「愛華」
愛華ももう着替えに来ていた。
交代の時間がだんだん近づいてきているから無理もないが、神代達とは入れ違いになってしまったらしい。
まあ、治療なら則子がするだろうし、朱香がついている今は傍に愛華がいない方がうまくかもしれない。
神代達への心配を振り払い、知尋は着替えのためパーティションの奥へと移動した。
☆ ☆ ☆
「……疲れた」
都合三度目、最後のシフトもなかなかに激戦だった。
一緒のシフトだった神代が治療のため遅刻してきたのはまあ、大した影響はなかったのだが、やはり野次馬根性を見せた生徒や一般客がかなりの数詰めかけ、シフト終わりまで忙しく歩き回る羽目になったのだ。
少し仮眠を取りたい。
休息への欲求をなんとか振り払い、知尋はメイド服のまま着替えずに教室を出た。
この後は生徒会室で待機。
それが終わればミスコンの関係でステージに上がらなければならない。『ちさと』としてパフォーマンスをするのならメイド服の方がいいだろうから、今、着替えてしまうと二度手間なのだ。
生徒会室のドアを軽くノックして入室。
『あ』
「え?」
一瞬遅れて届く思念。
知尋の視線の先に、どこか人形めいた容姿の小柄な少女――万里歌が立っていた。
彼女は下半身こそ完全装備だったものの、上は下着に軽くブラウスを羽織っただけの状態だった。薄いブルーのブラがブラウスの間から覗いていて、淫らな雰囲気こそあまり感じないものの、万里歌の愛らしさがいつにも増して溢れて――。
『ドア、閉めて欲しい』
「す、すみません。……いきなり開けちゃったことも」
『気にしなくていい』
淡々と、万里歌は思念で答えてくる。
彼女は視線を服の方に落としていて、知尋の方は見てもいなかった。表情もいつも通りで、どうやら本当に気にしていない様子。
『葵ちゃんに見られるのは慣れてるから、和泉君も別に平気』
「僕、綾瀬先輩と同じ扱いなんですか?」
『鏡を見てから言うといいと思う』
デジャヴ。
話すうちに万里歌は着替えを終えていた。
学園の制服姿に戻った彼女と、綾瀬の席を挟んで座り話を続ける。
「でも、どうして着替えを?」
『フランクにマスタードたっぷりでお願いしたら、辛くて汗をかいたから。いったん脱いで拭いてたの』
「それなら、着替えの間だけでも鍵を閉めた方が」
『どうせ誰も来ないと思ったから。実際誰も来なかった』
「僕以外は、ですね……」
苦笑する。
果たしてこの場合、より不注意だったのはどちらの側か。
と。
何やら万里歌がじっと知尋を見ていた。
どことなく心配そうな声が脳内に響く。
『和泉君、疲れてる?』
「あ、はい。ちょっと、クラスの仕事がハードだったので」
しっかり見られていた。
ここにも仕事で来た以上、もう少し気を張らないといけないか。
『私もいるから、しばらく寝ててもいいよ』
「え、でも」
『気にしないで』
彼女はにっこり微笑んで知尋の肩をぽんぽん叩いた。
『生徒会のメンバーにステージの上でみっともない真似されたらたまらないから……って、ルシルちゃんなら言うと思うし』
「……すみません。じゃあ、お言葉に甘えます」
『うん』
椅子に座ったままテーブルに突っ伏す。念のため、目覚ましとしてスマートフォンのアラームを設定しておいた。
疲労のせいか、目を閉じるとすぐ意識が落ちていく。
そうしてしばらく微睡んだ後――不意に意識が覚醒に向かった。
アラームはまだ鳴っていない。
眠っていた時間はせいぜい十五分程度だと回復の度合いから判断できた。では、どうして急に目が覚めたのかと言えば。
「もうびっくりですよぉ。まさか、こんなところで万里歌ちゃんに会えるなんてぇ」
背後から女の子の声。
聞き覚えはない。どこか間延びした、良く通る声音。
生徒会室への客――声の主である少女によって起こされたらしい。
「久しぶりですー。元気でしたぁ?」
多少の間を置いて再び声。
まるで少女が一人喋り続けているように聞こえるが、実際は万里歌も返事をしているだろう。
彼女の『伝心』は伝える相手を選ぶことができる。
眠っていた知尋を起こさないように、あるいはプライベートな相手との会話を聞かせないように気を配っているはず。
まあ、相手が普通に喋っているせいであまり意味がなかったが。
このまま、寝たふりをしていた方がいいだろうか。
プライベートな会話に知尋が割って入っても気まずいだけだろう。それならいっそ、ひとしきり会話が終わって相手の少女が出ていってから身を起こせばいい。
と、思ったものの、知尋は結局起きることにした。
理由は、声の主がどんな人物か気になったからだ。
万里歌の知人という推測が正しいなら『伝心』にも慣れているのが普通なはず。それなのに、わざわざ声に出して会話している。
声量も寝ている知尋に配慮したものとは思えない。
例えばあまり仲の良くない相手なのだとしたら、割って入っても問題ないだろう。
「……先輩?」
顔を上げる。
万里歌と、彼女に向かいあう一人の少女。一メートル程度の距離を置いて立つ二人が同時に振り返った。
どこか困ったような顔と、面白がるような表情が目に入った。