『ちさとちゃん』
「ああ、ごめんなさい。起こしちゃいましたかぁ?」
「いえ」
わざとらしく言う少女に知尋は首を振り、彼女達の方へと身体を向けた。
訪問者の少女は華のある佇まいだった。
歳は知尋達と同じくらい。制服ではなく、可愛らしさの中にどこか毒々しさを感じるロリータファッション――パンクロリータなどと呼ばれる衣装。かなり独特なそれをきっちり着こなして自分のものにしている。
胸は小ぶりで、身長は百六十センチ弱。
髪はふわっとしたツインテールで、全体的にどこか別世界の住人というか、身に纏う衣装が私服ではなく舞台衣装か何かなのではないか、と思わせる雰囲気があった。
外見を見ても覚えはない。
おそらく学園の生徒ではない一般来場者なのだろう。
「お知り合い、ですか?」
とりあえず尋ねてみる。
と、少女がにっこり笑った。人を否応なしに惹きつける、明るくて印象的な笑顔。可愛い、と反射的に思う。
「ええ、そうなんですよぉ。昔、ちょっとした縁がありましてー。最近は『事情』があって会ってなかったんですけどぉ」
視線は合わなかった。
それでも彼女の表情は観察できる。
そこで、知尋はどこか恐ろしいものを見た。
笑顔は柔らかいのに目が違う。獲物を前に舌なめずりをするような嗜虐的な感情に満ちてギラギラ輝いている。
四葉のSっ気が女帝の優越感だとするのなら、彼女のそれは野生の肉食獣。
一瞬で、正面からではなく横目でそこまで察知できたのは知尋だからこそだ。他人の顔色を窺うのに長けた彼でなければ、下手をするといつまでも気づかない。
普通は彼女の笑顔に注目してしまい、目までを気にすることはないだろうから。
「でも」
少女がふっと笑顔を消して視線を落とし、また顔を上げてふっと微笑む。
「私は割と有名だったりするので、万里歌ちゃんの方は私のことよく見てたんじゃないですかぁ?」
「……有名?」
「はい。私の顔、見覚えありませんか?」
言われて再びまじまじと見つめる。
けれど何も思いつかない。
わかるのは、少女がただ可愛いということだけだ。
『指宿(いぶすき)かなめちゃん。今、人気のアイドルだよ』
「アイドル……ですか」
なるほど。
そういうことなら彼女から受けた印象も頷ける。幾度となく舞台に立ち、ファンからの歓声と熱狂を浴びることに慣れた人間。
知尋の見つめる先で少女――かなめが笑顔のまま右手を持ち上げ、拳の親指だけを立てると首の前で横に動かす。
可愛らしく味付けされた斬首のイメージ。
「札幌から全国区に上りつめた猟奇的残虐系アイドル、指宿かなめですぅ。……本当に、見たことないですかぁ?」
「すみません、テレビとか殆ど見ないので」
真里亜のマンションにテレビがないからだ。
その気になればノートパソコンやスマートフォンでも見られるが、別にそこまでして見る必要性も感じない。
実家では食事をしながらテレビを見たりしていたのだが、無ければ無いで特に困らないものだと思っている。
「がっかりですぅ。同世代にはかなりの知名度になってると思ってたのにぃ」
「本当にすみません」
がっくりと肩を落とすかなめに、なんだか申し訳ない気分になった。
はあ。
息を吐いたかなめは程なく姿勢を正した。
「まあいいです。今日、今ここであなた……『ちさとちゃん』とやらは私の名前を覚えましたから。これであなたも私の虜、犠牲者ですよぅ」
きゃるん。
と、今度はウインクしながら両手の握り拳を背中の方へと持ち上げる。一瞬、彼女の手の中に死神の鎌が見えたような気がした。
……恐ろしいアイドルだ。
猟奇要素と可愛らしさを融合した斬新なアイドルの姿に知尋は戦慄した。何が一番、恐ろしいかといえば、ちゃんと怖さと可愛らしさを同時に感じるところ。
背筋に立つ鳥肌はいったいどちらの感情によるものか。
彼女の『犠牲者』というのはおそらくファンの別称なのだろうが、犠牲って具体的にどう犠牲にさせられるのか。
突っ込みどころが多すぎるのでとりあえず指摘は諦めた。
「……でも、葉月先輩のお知り合いの方が、どうしてここに?」
わざわざアイドル、他校の生徒が柴鳳学園の生徒会室に来る理由とは何なのか。
先程の会話を聞く限りだと万里歌に会いに来たわけでもないようだし、もし学園祭関連で何かトラブルがあったなら実行委員会の方に行って貰うべきだ。
「あ、それはですねぇ、ちょっと人を探してまして」
「人、ですか?」
「はい。この生徒会に、和泉知尋っていう男の子が所属しているはずなんですけどぉ」
「……っ」
ぞわっ。
今度こそ、紛れもない悪寒が背中を走った。
何故。
どうしてここで知尋の名前が出てくる。それこそ意味がわからない。
彼女、指宿かなめは何のために知尋を探しているのか。
犠牲者という言葉が、重い意味となってのしかかってくる。
バレてはいない、と思っていいのだろうか。
幸い今、知尋は女装中。しかもメイド服姿である。これがまさか男だとは事前情報でも無いかぎりわからなくて普通である。
ごくり。
かなめに気づかれないように唾を飲みこんだ知尋は、ちらりと万里歌に視線をやる。
口数は少ないながら心優しい先輩はこくりと頷くと事もなげに言った。
『和泉君は確かに生徒会のメンバーだけど、今どこにいるかは知らない。ね、ちさとちゃん?』
「はい。お役に立てなくてすみません」
「……そうですかぁ」
残念そうに声を上げるかなめ。
彼女はしばらく何やら考え込んだあと、にっこり笑って頷いた。
「なら、それでいいです。お手数をおかけしてしまってごめんなさい」
『別にいい』
「お気になさらず。あの、ところで……」
「はい?」
「和泉君を見つけて、いったい何のご用事なんですか?」
尋ねない方が良かっただろうか。
口にした直後、知尋は自らの行動を後悔した。
かなめの顔にあの目、最初に見たのと同じ嗜虐的な色が浮かんだからだ。
「さぁ。ちょっとした野暮用ですよぅ」
返答はそれだけだった。
かなめはすぐに身を翻し、生徒会室の出入り口へと移動していく。ドアのノブに手をかけ、軽く開いたところで振り返った。
「そうそう。万里歌ちゃん」
『何?』
「残念でしたね。声、出なくなって。もう二度と歌えなくなっちゃうなんて」
何故だか。
かなめは目を伏せ、悲しそうに言っていたのだが、知尋にはそれが「いい気味だ」と言っているように聞こえた。
万里歌が知尋と同じように感じたのかどうかはわからないが。
『別に。もう気にしてない』
彼女は軽く一言だけでそう返答していた。
かなめが退室すると、生徒会室には静寂が戻る。万里歌は軽く息を吐いて自分の席に座り直した。
途端、『伝心』を利用した内緒話が投げかけられた。
これなら、たとえかなめが外で聞き耳を立てていたとしても絶対に盗み聞きすることはできない。
『和泉君、あの子に探される理由、わかる?』
『いいえ、全然わかりません。……そもそも、指宿さんのことも今知りましたし』
『そっか。一応、気をつけてね。変なことされたりはしないと思うけど』
『あはは……そうですね。ありがとうございます』
変なことはされない。
万里歌はそう言ってくれたものの、知尋は逆に、かなめへの警戒を強める必要があると感じた。何しろこの学園に入学してから半年、変なことに巻き込まれた回数は数回に上る。
李狐に手酷く痛めつけられたこと。
華に真里亜を奪われそうになったこと。
鈴を巡って鳳と対立することになったこと。
さすがにこれらよりも酷い事態にはならないと思いたいが、できれば学園祭が終わるまで、かなめから逃げ回れれば一番いいと思う。
『……そういえば』
ともあれ、あまり考えすぎても仕方ない。
考えを振り払った知尋はふと万里歌に尋ねた。
『葉月先輩は指宿さんとどういう経緯で知り合ったんですか?』
本当に聞きたかったのは別のこと。
かなめは、万里歌がまだ喋れた頃のことを知っているような口ぶりだった。そのあたりの事情を詳しく聞ければと思ったが、さすがにそれはプライベートなことだと考えて止めた。
『オーディションだよ』
万里歌はあっさりした口調で答えた。
『オーディション……って、劇か何かのですか?』
『似たようなものかも。芸能事務所のオーディションだったから』
つまり。
『私も昔はアイドル目指してたの。かなめちゃんとは、あの頃はライバルみたいに扱われてた』
「えええ!?」
似合わないとか、そういうことが言いたいのでは決してないのだが。
あまりにも意外な過去を明かされた知尋は、思わず口を開いて声を上げてしまった。
目覚ましとしてセットしていた、スマホのアラームが室内に鳴り響いたのは直後のことである。
☆ ☆ ☆
生徒会室を出た知尋はミスコン本選の会場、校舎脇にあるちょっとした広場へ向かった。予選で一位から五位までに入賞したメンバーは事前の打ち合わせのため早めに来るよう言われていたのだ。
『私も応援に行くから』
別れ際、万里歌はそんな風に言ってくれていた。とはいえ生徒会からは全部で三人も出場する。自分よりも四葉やルシルを応援するようにお願いしておいた。
なお、本選には愛華や李狐、華といった面々も来るはずである。鈴はもう、放っておいても見に来るだろう。
「わ」
メイド服のせいか全力で目立ちつつ廊下、それから屋外へと移動して広場に到着。
そこには簡単な仮設ステージが組まれ、その前方には整然とパイプ椅子が並べられていた。
ステージの裏、植樹の影になって周囲からは見えにくいあたりに実行委員他、四葉達参加者の姿があった。
神代他、男子の参加者もやや遠くに見える。
「和泉君、お疲れ様」
「ああ、下僕。また凄い格好してるわね」
真里亜と四葉が声をハモらせ、ルシルが知尋の姿を見て目を丸くする。彼女達三人、それから隅の方で腕組みをしている沙雪もごく普通の制服姿だ。
「ぼく……いえ、私は『謎のメイド』扱いでしたから。普通に制服着てたら皆がっかりするじゃないですか」
「そりゃそうだけど。何、割と本気で勝つ気なわけ?」
「そういうわけじゃ……」
勝ちたいかと言われればむしろ負けたい。
しかし、だからといって手を抜いてしまったら、投票してくれた人達に申し訳ない。最低限、やるからにはきちんとやるつもりではあった。
するとルシルがにっと笑った。
「なるほどね。ま、頑張ればいいんじゃない?」
「ルー。あなただって本気で狙っているわけではないでしょうに」
「そりゃそうでしょ。四葉は違うわけ?」
先輩達はそんな風に二人で会話を始め、目線だけで知尋に意思を伝えながら遠ざかっていった。ぺこりと頭を下げて送り出せば、残されたのは知尋と真里亜だけになる。
もちろん、周りには人がいるので表向きの関係でしか話せないのだが。
「……そうだ。深海さん、聞きたいことがあるんだけど……」
駄目もとで、先の出来事について口に出してみる。
「指宿かなめ……って子、知ってる?」
「指宿、かなめ?」
その名前を口にした直後、真里亜は何度か目を瞬いた。
思ってもいない話題だったという風に理解に間を置き、やがて頭に名前を浸透させた彼女は弾かれたように声を上げた。
「その名前を、どこで聞いたんですか!?」
「ふ、深海さん?」
それは、知尋にとっても思いもよらない反応だった。
「心当たり、あるの?」
「あります。それよりも、どこでその名を聞いたのですか!? まさか、彼女がここに……っ」
劇的なまでに反応した真里亜だったが、そこではっと口を噤んだ。
突然の大声に驚いた者達が注目しているのに気づいたからだ。慌てて平静を装い、彼女は声を潜めて再度尋ねてくる。
しかし、動揺を完全には隠しきれていなかった。
「彼女に、会ったのですか?」
「……うん。僕を探してるって言ってた」
「そう、ですか。……そんなことを」
切なげな呟き。
真里亜が両手を持ち上げて胸に抱く。
まるで何かを堪えるように。
数十秒後。
決然と顔を上げた彼女は知尋に向けて口を開いた。
「和泉君、彼女は私の――」
「皆さーん、打ち合わせをするので集まってくださーい!」
真里亜の声を、実行委員の声が遮った。
タイミングを逸した真里亜は何度か迷うように視線を彷徨わせた後、仕方なく口を噤んだ。
「話は、後にしましょう」
「……うん、そうだね」
こういう時は、本当に『伝心』の能力が欲しい。
とりあえず、このミスコンが終わるまで何事も起きないといいのだが。