「……貞操帯か」
ある日の放課後。
深海真里亜のマンション、その居間でPCを弄っていた和泉知尋が、何の前触れもなく呟きを漏らした。
毛糸の束と編み棒を手に苦心していた真里亜、編み棒をすいすい動かしていた高槻愛華が反応し、顔を見合わせたまま首を傾げる。
そこで声を上げたのは、早々に編み棒を投げ出していた西崎李狐である。
「ちょっと、なんか意味深なこと突然言わないでよ」
「え? ああ……ごめんごめん」
じろりと睨まれた知尋が苦笑する。
……貞操帯か。
四葉は、そんな二人をじっと見つめて尋ねた。
「李狐は『貞操帯』が何なのか知っているのね?」
「うえ?」
水を向けられた李狐が呻く。
女の子が出すのに相応しくない声に思わず顔をしかめた。
「李狐、もう少し上品になさい。奴隷の身分とはいえ、礼儀作法は大事なものよ」
「あ、うん。ごめんなさい……って、そうじゃなくて! 先輩がいきなり変なこと聞くからでしょうが!」
「変なこと?」
貞操帯、というのはそんなに特殊な物なのか。
字面からすると何らかの形で身に着ける物、それも主人が奴隷に着けさせるようなものなのだろうが――帯、というのはどういうことか。
少ない情報から想像してみても、具体的な形はまったく思い浮かばない。
「良かったら教えてくれないかしら? 私は不勉強なもので、どんな物なのかよくわからないの」
「……ああ、もう! 先輩が言うと本気か冗談かわかりづらいんだけど!」
顔を真っ赤にした李狐がもう一度叫んだ。
先週の金曜。学園祭前日準備の朝。
四葉は、知尋の奴隷として生まれ変わった。
今までの価値観、常識を悉く打ち壊され、胸の奥底に秘めていた、四葉自身も気づいていなかった願望を呼び起こされた。その上で、普通なら誰もが忌避するような四葉の本性を全て肯定された。
『僕の物になって欲しい』
あの言葉を思い出すと胸が熱くなる。
彼になら全てを捧げてもいいと思った。姉が彼を選んだ理由が今ならわかる。
処女を捧げた。
婚約者である鳳ではなく彼を愛すると誓った。
愛華や李狐、真里亜、華とも顔を合わせた。初めてマンションを訪問した際はバタバタして碌に自己紹介もできなかったが、指宿かなめのお蔭で逆に結束を深めるのは簡単だったように思う。
以来、このマンションに来るのは今日が初めてだ。
そこまでしなくていい、と言われつつも知尋の傍に控え、彼の飲み物を注いだり肩を揉んだり、そんなことをしていた矢先に起こったのが先の出来事である。
「四葉さん。貞操帯というのは……」
「ちょ、真里亜!」
恥ずかしがって中々教えてくれない李狐に代わり、真里亜が説明してくれた。
貞操帯とは性器に装着する器具なのだという。材質は主に革や金属。秘部を金属板で覆う物が多く、装着中は挿入や、性器を使った自慰が行えなくなる。
古くは西洋の貴族などが妻の浮気防止に使っていたものらしく、装着したうえで鍵をかけて用いる。鋏で切るなどで破壊するのは容易でないため、鍵を持つ者――基本的には夫だろう――以外との性行為が禁じられる。
「なるほど。……でも、その。排泄はどうするのかしら?」
「妨げにならないように前の穴だけを覆い、その上で小窓を設けているのが普通です。あくまでも禁止されるのは性行為だけ、ということです」
「良くできているのね。ありがとう、真里亜」
「……もう、恥ずかしくないのかな。そういうこと話すの」
そう言いつつ、貞操帯がどんなものか知っていたわけで。実は、李狐も性知識が豊富な方なのではないかと四葉は思った。
と、真里亜が視線を知尋に向ける。
「知尋様。貞操帯にご興味がおありなのですか?」
吸い込まれそうな黒い瞳が、奥の方できらきらと輝いている。
わくわくしているのだ。
興味があるなら是非、自分に使って欲しい――そんな風に思っているのが手に取るようにわかる。話をした機会もまだ多くはないが、彼女のM性についてはもう、ある程度わかっている。
Sである四葉との相性がいいことも。
なんというか、真里亜を見ていると虐めたくなるのだ。
レズっ気は殆どないと思っていたのだが、この間かなめを責めてみて、こういうのも悪くないと思った。女の子が喘いだり泣き叫ぶ姿には、男を下に敷く優越感とはまだ違う興奮があるのだ。
「いや、四葉の件でさ。何かに使えないかなって」
「私の、ですか?」
四葉と鳳の関係をどうするか、という問題。
一応、今のところ「処女膜を再生して鳳と交わり、破瓜の記憶を残す」という方向になっている。鳳には四葉が知尋を愛している証拠を与えないまま、死ぬまで知尋と四葉の子を育てて貰おう、と。
膜も、近いうちに再生することになっている。
愛華が『治癒』の能力を持っているのは幸いだった。もし他の『落とし物』に頼むとしたら、理由付けと口止めに苦労しただろうから。
しかし知尋は、四葉が鳳と交わることを嫌だと言ってくれた。
たとえ必要なことでも、自分の物になった女が他人のペニスを受け入れるのは嫌だ、と。
彼の気持ちはとても嬉しい。四葉だってもし逆の立場なら、ほいほい他の女に身体を差し出すような雄奴隷はいらない。
だから、他の方法を考えることになっている。
念のため膜は再生するし、鳳から行為を求められて断れなくなったら諦める。しかしタイムリミットまではお互い足掻く、と。
「ですが、貞操帯というのは……着けるのは構いませんが、私が着けても逆効果なのでは?」
「え? ああ、違うよ」
「四葉さん。貞操帯は女性用の他に男性用もあるんです」
「男性用……」
硬度のある素材でペニスを覆う、ということか。
勃起していないペニスが金属製の筒に覆われるところ、それから勃起した時にどうなるかを想像し、四葉はくすっと笑みをこぼした。
「少し、痛そうですね」
「……すぐそういう発想にいくあたり、先輩は才能あると思う」
李狐が半眼で呟いた。
そこへ愛華が疑問の声を上げる。
「理事長先生が、他の女の人とできないようにするってこと?」
「うん。あと、男の場合は『射精できない』っていうこと自体が辛い責めになるから」
「自慰を封じられた理事長は、射精する権利すら奪われ、四葉さんに管理されることになるわけです」
射精管理。
そのイメージに四葉はぞくりと身を震わせた。
金属の器具をペニスに着けさせられる鳳。そのままの状態でスーツを着て日常生活を送る鳳。我慢できなくなり、射精させてくれと懇願してくる鳳。
……悪くない。
むしろ、いい。
「由司さんを私の奴隷にするのにも都合がいいですね」
「ええ。現代における貞操帯は、むしろSMプレイの一環として、Mに主従関係を教え込むために使われることが多いですから」
「お願いされてもお預けして、何日も我慢させてから射精させてあげて、だんだん我慢する日数を伸ばしていくんだよね。で、どんどん逆らえなくなっていくの」
「……李狐ちゃん」
「あ。や、ち、違くて! メイドがご主人様を逆調教する話とかで知っただけだから!」
李狐が勝手に自爆していた。
☆ ☆ ☆
ともあれ、四葉は貞操帯を試すことに決めた。
品定めや購入は真里亜に依頼する。四葉にそういった伝手はないし、自分で直接購入しようとすると目立つ。通販にしろ実店舗にしろ、両親に気取られる危険性はなるべく減らしたい。
「お嬢様は大変だよね」
「他人事みたいに言わないで下さい」
買い物に出かけていた鈴は、帰ってくるなりビールを開けている。知尋や真里亜達は既に慣れたのか、苦笑しつつも何も言わない。
姉は現在このマンションに住んでいる。生活費として幾らか入れているらしいが、それでも国から『落とし物』へ出されている援助金が幾らか余る。他の出費がほぼない現状、酒とつまみを好きなだけ勝っても大して懐は痛まないようだ。
相当額の貯金もあるはずなので、自堕落な生活が可能というわけだ。
「能力判定士の資質があるのに腐らせておくのは勿体ないと思いますけど」
「えー。四葉はまだ世のため人のためとか言うわけ? そういうのは卒業したんじゃないの?」
「別に、自己犠牲の精神が間違っているとは思っていませんよ。生涯を費やす程のものだとも思いませんが」
殊更、強気を装って答えた後で言葉を続けた。
「私が言いたいのは、お金は幾らあってもいいだろうということです。資金に余裕があるのはいいことでしょう」
「そう? 生活できれば十分じゃない?」
「それも理解できますが、私達はもう自分だけの身体ではないのですから」
言って知尋を見る。
すると、彼は苦笑して首を振った。
「僕のためにお金を使うっていう話なら、気にしなくていいよ。そこまでしてもらうとダメになりそうだし」
「ご主人様のため、ではありません。ご主人様の周りの生活を充実させることが、私自身の満足に繋がるからそうするのです」
「確かに、そうですね」
真里亜が頷いた。
知尋やその他の少女達のため、自分の住居を提供している彼女には理解しやすい話だったのだろう。
更には愛華や李狐も頷いてみせる。
こうなると知尋と鈴の方が少数派になってしまう。
「本当に無理はしないで欲しいんだけど……」
なおも言いつつ、知尋は鈴の方を見た。
「なら、鈴さん。もう一度、学園で働きませんか?」
「え?」
「あら」
鈴がビールを傾ける手を止め、四葉もつい目を丸くした。
まさか、知尋が自分から鈴に「鳳の元へ戻れ」と言うとは思わなかった。
「わたし、やっぱりここに居たら邪魔?」
「違いますよ」
即座に瞳を潤ませる鈴に、首を振る知尋。
「理事長に恩を売っておいたら後々得かな、と思ったんです。きっとまだ契約は切れてないんじゃないかと思いますし――ログハウスに戻らなくても、ここから通えるように交渉すれば」
「ああ」
なるほど、と思った。
鈴が出ていってしばらく経った今なら、鳳も喧嘩の直後よりは冷静になれるだろう。加えて、自分でも言うのもなんだが――四葉の豹変によって色々混乱し、理解者を欲しているだろうとも思う。
知尋との関係は解消しない。
でも、仕事は仕事としてちゃんとやる。
そんな風に多少の歩み寄りを見せてやるだけでも、鳳へ与えるイメージは良くなるはず。ついでに、知尋から説得されたとでも付け加えておけばより効果的だ。
これなら嘘を言っていることにもならない。
「由司さんに貸しを作るのですね」
「そこまで大事じゃないけど……そんな感じかな。それで、僕と理事長が喧嘩する理由は一つ減ると思う」
もちろん、鈴さん次第だけど。
と、水を向けられた鈴は困った顔になった。
「ゆーちゃんとまた話すのはやだなあ……」
「姉さん。ただの幼馴染としての由司さんもお嫌いですか?」
「ん……それはまあ、口煩いこと言わないなら嫌いじゃないけど」
「ですよね。なら、少しは歩み寄ってもいいでしょう? 今ならきっと、姉さんが上の立場で交渉できますよ」
諭すように言いつつ、四葉はふと思った。
……口煩いことを言われなければ、か。
確かに、鳳は以前から鈴にあれこれ世話を焼いていた。これまでは鳳からの伝聞でしか知らなかったし、姉がだらしないのがいけないのだ、と特に気にも留めていなかったが――。
考えてみれば、婚約者がいる身でありながら、別の妙齢の女性と頻繁に会うというのはどういうことか。
恋人、婚約者の四葉が気にするとは思わなかったのか。
鳳自身にはやましい気持ちはなかったのかもしれない。それにしたってもう少しやりようがあったのではないか。
……なんて、今更気づくのは。
きっと四葉自身、鳳には碌な恋愛感情が無かったのだろうと今になって思う。
知尋への感情も『愛』ではあっても『恋』ではないかもしれないが、いずれにせよ、あの頃の四葉は恋を知らないお子様だったのだ。
「……わかった。明日にでもゆーちゃんに会ってくる。お給料が入ればビールたくさん飲めるし」
「ええ、それがいいと思います。姉さん自身と、ご主人様のために」
四葉は鈴に微笑んだ。
もし。
鈴が学園での仕事に戻り、鳳が再び鈴を気に掛けるようなら。
その時は一切の遠慮も必要ない。完全に彼から愛想を尽かして問題ないだろう。欲望の赴くままに全力で辱め、従属の雄奴隷へ堕としてやる。
ゆくゆくは、知尋に対しても心から隷属できる程に。
そうしたら、知尋と四葉の関係を彼に明かしてやろう。彼の目の前で知尋に抱かれ、屈辱と共に喜びを与えてやろう。
……なんだか、本当にそうなればいいのに、と思う自分がいた。