……はぁ。
静かな居間にため息が響いた。
これで、今日、何度目だろう。
知尋はスマートフォンの操作を中断して顔を上げた。
すると、同じようにため息を気にしたのだろう――李狐や愛華と目が合う。何かあったのか、という無言の問いかけに首を傾げた。
思い至ることはない。
強いて言えば、ため息の主が今、している行動に理由がありそうだが。
「―――」
……ふぅ。
再びため息。
漆黒の髪と瞳、男好きする肉感的な肢体を持った少女。
深海真里亜は、先程からノートパソコンのディスプレイを見つめたまま、ずっとこの調子だった。
ある平日の夜。
夕食を終え、後は頃合いを見て『寝る』だけの時間のことだ。
いつもなら「勉強のため」と知尋にノートパソコンを預けることの多い真里亜だが、今日は珍しく自分で操作している。
……と、思ったらこの調子である。
何か悩み事なのだろうか。
眉根を寄せ、唇をきゅっと引き結んだ表情はただ事ではない。
このところ色々なことがあったから、派生する事件や新たな懸念が生まれるのは十分考えられる。もしそうなら皆で解決するべきだ。
しかし。
真里亜は一向に何も言わない。
知尋達には相談するつもりがない――ため息も無意識で、誰にも秘密にするつもりだとか。
そんなのはもどかしい。
「あのさ、真里亜。何かあるなら言ってよ。ずっと傍でため息つかれるのも色々心配になるんだけど」
「……え」
他の少女達も知尋と同じ思いだったのだろう。
痺れを切らして李狐が言い、真里亜が驚いた様子で顔を上げた。
「何を見てたの、真里亜ちゃん?」
今だとばかりに愛華が立ち上がり、ディスプレイを覗きに行く。画面の内容が気になっていた知尋もその後に続いた。
二人で真里亜の背後、左右から挟み込むように顔を近づけると――。
そこには、彼らが懸念していたのとだいぶ違う画面が表示されていた。
短い文章と小さな写真、それを一セットとしたブロックが複数。
写っているのはどれも品物で、黒と銀の色がよく目に付く。形状はどこか男性器を連想させる、少々卑猥なもの。
文章に記載された品物、商品の名称は……男性用貞操帯。
「えっと……」
「……これは?」
「見ての通り貞操帯です。四葉さんに依頼されているので良い物を思っているのですが、質の良い物はやはり高いのでどうしようかと」
ほう。
と、答えた真里亜が唇から再びため息を漏らした。
☆ ☆ ☆
四葉が求める貞操帯は、婚約者――学園理事長の鳳を調教するためのものだ。
彼を性奴隷に堕とし、ゆくゆくは意のままに操る。
その手始めに射精管理、丈夫で長持ちする貞操帯が必要と考えている。
『ええ。この際、お金に糸目はつけません。できるだけ良い品を買うことを優先していただきたいです』
再度、本人にメールで確かめると、そんな風に返信があった。
お嬢様である四葉は懐に余裕がある。
もちろん、貞操帯ひとつに六桁七桁をかけられても困るだろうが、常識的な範囲であれば値段は度外視していい。
ただ、四葉自身には伝手がないため、入手自体は真里亜を頼っている。
『あんまり拘らなくても、壊れたら新しい物を買えばいいんじゃ?』
『むしろ、安物買いの銭失いになる可能性が恐ろしいです。加えて言えば、一度使った品には愛着が湧くでしょうから』
身に着ける道具なのだから、それは猶更。
安価な量産品であれば確かに替えはききやすい。あらかじめ予備を購入しておけば、何かあった時、迅速に交換できる。
しかし、奴隷の貞操管理のためのアイテムが簡単に壊れるのも問題がある。
また、同じ製品でも、新品と肌に馴染んだ一品とでは別物。破損と交換のサイクルを繰り返す度に『慣れ』がリセットされるのも、主人としては避けたい。
と、いうわけで。
『いっそのこと限定品――職人や、拘りのメーカーが少数だけ生産しているような逸品を手に入れる方がいいと思うのです』
この手のことには造詣が深い、真里亜の意見を採用することになった。
「……それにしても、僕まで一緒にこんなところへ」
「知尋様。申し訳ございませんが、声をなるべく抑えてくださいませ。他の方のご迷惑になりますから」
「う、うん。ごめん」
……はぁ。
どうしてこうなった。
軽くため息をついた知尋は自問自答する。
――限定品を手に入れるということに同意して。
となるとネットではなく店頭も巡るべきだということになり、真里亜が都会の店に赴くことになり。
一人では危険かもしれない、ということで知尋の同行が決まった。
ここまではいい。
問題は、行き先が「男性お断り」の、かなり特殊なアダルトショップだったことだ。
「……なんだか、凄いところだね」
「ええ。私も、実際に来るのは初めてですが」
都内某所、一見するとごく普通のビルの、地下に構えた秘密の店。
真里亜によると、この店の場所は知識と良識を備えた淑女にしか知りえないらしい。
確かに、外には看板も何も出ていなかったし、入り口のドアにも小さく英語の店名が書かれているだけだった。
店内の様子もある種、独特だ。
少なくとも、前に真里亜達と行った店とはだいぶ違う。
まず、明るい。
壁や床、照明は白系統で清潔感がある。一方、棚は艶消しのブラックで、そのお蔭か目がチカチカすることはない。
棚には商品がジャンル別に並ぶ。一部、ガラスケースに入っているのは高級な商品だろうか。また通路は広く取られており、荷物を持ったまま余裕ですれ違える。
店員は若い女性で、白と黒を基調としたごく普通の制服姿。
つまり、なんというかお洒落なのだ。
ざっと見たところ、入り口付近には見た目的に「それっぽっく」ないもの――書籍やピアス等が置かれている。
なので、ドアの外からでは雑貨屋か何かと勘違いするかもしれない。
さすがに中に入れば、奥にバイブや拘束具などが並ぶのが見えるが。
日曜の午前中だからか、店内には知尋達の他にも数人、客がいた。
もちろん全員女性で、そこそこ若く、身なりも整っている。これで商品が服や宝石なら何の違和感もない――むしろしっくりくる。
……この人達が全員、アダルトグッズを物色している。
そう考えると妙にそわそわする。きっと、そういう男性目線を妨げるための「女性限定」なのだろう。
となると、やはり知尋がここに居るべきでは。
「ね、真里亜。やっぱり僕――私は」
「堂々としていてくださいませ。何も悪いことをしているわけではないのですから」
いや、してるよ悪いこと!
ついつい大声で反論したくなった。
何しろ知尋は今、この店に入るために女装中。性別を偽って来店しているのだ。
せめて「ちさとモード」になりたかったが、真里亜は堂々と知尋呼び。しかし、もともと女の子の名前でもおかしくないので、周囲からは疑われていない。
『基本的には私が選ぶつもりですが、やはり男性の意見があった方がいいでしょうから』
と、いうことで連れて来られたのだ。
役得と言えば役得。
しかし、手放しで喜べるほど楽観的ではない。
「……でも、まあ。ここまで来ちゃったら言っても仕方ないよね」
「ええ。せっかくですから良い物を買って帰りましょう」
開き直った知尋に対し、真里亜が笑顔で答えた。
性のハウツー本や男性向け、女性向けの官能小説、乳首やクリトリス用のピアスコーナーを眺め、バイブやローターのコーナーに興味津々な真里亜を必死に宥めて、目的の拘束具コーナーへ。
一口に拘束具と言っても色々な種類がある。
首輪、手枷、足枷、口枷。更にはいわゆるボンテージなど。それらがいくつか、あるいは全て複合した品も含めるとバリエーションは無数と言っていい。
「どう思われますか? こういった品が私達(・・)の身体を飾るのは」
「……うん。いいと思う」
やはり、この店にあるのは全体的に高級品らしい。直接手に取れる物は少なかったが、見ただけでしっかりした造りなのがわかる。
そうした拘りは見た目にも反映される。
革の質感、金具の形状や輝き、ひとつひとつは大したことの無い差であっても、集まれば無視できない違いとなって現れるのだ。
他の客が割と裕福そうに見えるのも、扱う商品の価格帯の問題だろう。
「せっかくだから、首輪なんかも買い替える?」
前の時は、真里亜に言われるままという感覚が強かった。
拘束具の良し悪しなんてよくわからなかったし、真里亜や李狐と今後、ずっと一緒にいられるのかわからなかったからだ。
今は、彼女達ともっと長く、できるなら永く共に在りたいと思っている。
「いいえ。私は今、持っている物で構いません」
真里亜が微笑んで首を振った。
「きっと、李狐や華さんもそう言うと思います」
「そう?」
「ええ。私達にとっては、今のあれが知尋様にいただいた大切な、思い出の品ですから」
いつか壊れて使えなくなるとしても、その日までは使い続けたい――と。
貞操帯について四葉が言っていたのと同じことを真里亜は口にした。
「……そっか。そうだね」
まだまだだ、と思う。
あれから、自分の気持ちに正直になれるようにはなった。
プレイの知識と経験も増えたし、ある程度のテクニックだって身に着けた。それでも全然、足りていない。
深く頷いた知尋は、目的の物を見ようと真里亜を促した。
――肝心の、男性用貞操帯。
女性専用の店なので品揃えが心配だったが、意外にもかなりの数がガラスケースに展示されていた。
考えてみればそれも当然。
訪れる客が皆、自分で着用するために買い求めるとは限らない。中には雄奴隷に着けさせるためのアイテムを買う女性だっているだろう。
それこそ、四葉と同じように。
「ええと、どれがいいのかな」
目の前には幾つもの商品はそれぞれ構造やデザインに違いがある。
果たして選ぶポイントをどこに置くべきか。四葉からは丈夫なものと聞いているので、主に金具に注目すればいいだろうか。
男性を調教するための用具となると、逆に感覚を掴みにくい。
「知尋様。あの人の非勃起時のサイズはどれくらいですか?」
「え? ……あ、そっか」
貞操帯の中核、竿を収納する筒の部分。
何はなくとも、その部分のサイズが合わなければ意味がない。このくらい、と、知尋は一度、自分の目で見た鳳のサイズを手で示した。
それを見た真里亜は目を細めて一言。
「小さいですね」
「……ごめん、真里亜。さすがに今のはあの人に同情する」
同じ男として、この屈辱は強く理解できる。
まあ、真里亜が誰と比較して小さいと言ったかを考えると、ちょっとした優越感もあるのだが。
ともあれ、これでサイズは伝わった。
知尋の情報を元に、真里亜が品定めを開始。
そうすると、知尋は少々手持無沙汰になる。
「……ふむ。少し難しいですね。間違いなく品揃えはいいのですが、その分、目移りしてしまいます」
「そうだね」
と、相槌を打つのが精いっぱい。
具体的なところは詳しい真里亜にお任せだ。
代わりに、せめて他のアイテムでも見てみよう――ピンと来る物があれば少女達にプレゼントしてもいい――と思い、ふらりとその場を離れる。
――とん。
「……ん」
「あ。す、すみません」
つい、近くにいた他の客にぶつかってしまった。
彼女は知尋達の側を向いていたらしく、ぽふっと柔らかな感触が身体に触れる。
サイズは四葉と同等。
いや、少し小さいか。
と、これではセクハラと言われても仕方ない。
「んーん。気にしなくていいよ」
慌てて深く頭を下げると、幸い相手は笑ってそう言ってくれた。
おずおずと顔を上げて彼女を見る。
歳は二十代後半くらい。
ブラウスにジャケット、パンツ――タイトなデザインの服を身に着けており、美しいボディラインをはっきり見せている。
個々のデザインはいったいシンプル。それでいて女性的な可愛らしさは忘れていない。髪の毛は後ろで編んだ、いわゆるハーフアップの装い。
すっと息を吸うと、嫌味のないさわやかな花の香りがした。
目線は、知尋と同じくらい。
ほんのり垂れ目で、そのせいか柔和な印象が強い。割とフォーマルな出で立ちと対照的な雰囲気は、身近な社会人女性――鈴とも楓とも違うタイプを感じさせる。
「……ね、それよりさ」
期せずして至近で向かい合う形となった知尋に、彼女が手を伸ばしてくる。
悪意は感じなかったためそのままに――ゴミでも付いていたかと呑気に思えば、しなやかな指が頬に触れた。
五指が左頬から顎にかけて押さえ、くいっと持ち上げる。
「え――?」
反応する間もなく。
女性の唇が知尋のそれに触れた。
ちゅる、ちゅく……。
ほんの十数秒、周囲の客が反応する間がないような早業。しかし、彼女はその間に舌を割り入れ口内を弄び、不意に離れる。
甘い。
無理矢理されたはずなのに、頭がぽうっと心地よさに包まれている。
驚きに瞬く知尋に、彼女は。
「やっぱり。君、男の子でしょ? 味が女の子じゃないよ」
この場においては致命的な指摘を、囁くように告げた。