真里亜がマンションへ帰り着いたのは昼過ぎだった。
タクシーを使ったお蔭で意外と早く帰宅できた。しかしその反面、当初の目的は果たせていない。もしあの店で貞操帯が見つからなければ、もう一件別の店に寄るつもりもあったのだが。
それについては知尋に任せるべきか。
彼と七瀬を二人きりで残したことは特に心配していない。ほんの少し嫉妬しないでもないが、たくさんの女性を抱くのも主人の甲斐性。あの女性に、知尋を真の意味で骨抜きにできるとも思えない。
いささか出会い方が偶然に過ぎるものの――北海道から遠方に住んでいること、拠点を移しにくい職業であること、母校が柴鳳学園であることなどを考えれば、兄、灰人の関係者である可能性もほぼ無い。
おそらく本当にただの偶然だと、真里亜は結論付けている。
「ただいま」
部屋の鍵を開け、廊下を通って居間に向かえば、そこには李狐に愛華、華と鈴、四葉――つまり、知尋の関係者全員が揃っていた。
おそらく昼食、および片づけが終わったところなのだろう。
全員、席についてお茶を嗜んでいた。
四葉が来ているのは、他のメンバーと親睦を深めるためといったところか。
買い出しを真里亜に頼んでおいて……とは思わない。彼女が貞操帯の購入を真里亜に委ねたのは知識の問題と、それから購入時に人目につくことを恐れたからだ。日程の都合はほぼ関係ない以上、真里亜も咎めるつもりはない。
「お帰り、真里亜。お昼ご飯は?」
尋ねてくる李狐に、真里亜は手にしたコンビニ袋を示した。
「大丈夫。調達してきたから」
「それは、パン?」
テーブルに置かれた袋から出てきた品を見て、四葉が首を傾げる。
真里亜は昼食として頻繁に食べている、特に目新しくもない品だが。
ああ、と、華が声を上げて頷いた。
「黒羽先輩はあんまり食べたことなさそうですよね」
「ああ。ハンバーガーとか、こんなもの食べたことありませんわ、みたいなこと言いそう」
「失礼なこと言わないで。私だって、友人と買い食いすることくらいあるわ」
華に続けて李狐が言うと、四葉がつんと顔を逸らして言った。そういえば現生徒会の副会長、ルシル・オーウェルは大食いだったか。
生徒会室でも頻繁にお菓子が出るらしいし、そもそもコンビニが珍しいレベルの箱入り娘など今時そうそういないだろう。
妹と後輩たちのやり取りに、鈴がくすっと笑みをこぼした。
「どうせ、四葉は栄養のことでも言いたかったんでしょ?」
「っ。そうです。ですが、まあ、先程いただいた食事を見る限り、その心配はなさそうですね」
と、四葉。
実際、昼食はコンビニばかりの真里亜も、朝夕は栄養を気にしている。真里亜自身も料理はできるし、李狐は最近めきめき腕を上げている。愛華や華だって日常的に料理をしている。
また、彼女達の食事と同じものを知尋も食べるのだ。
適当な食生活になどなるはずがない。
「ところで、真里亜。知尋君は?」
「ええ。ちょっとした用事ができて……」
パンを口に運びつつ、アダルトショップおよび七瀬の家での顛末を話す。
おそらく今も性行為の真っ最中。連絡が無かったのは急な話だったためで、代わりに真里亜がこうして報告した。
そう、告げられた少女達はそれぞれ微妙な表情を浮かべた。
愛華が胸に手を置いて軽く息を吐く。
「……そうなんだ。でも、危なくないなら良かった」
「ま、知尋だしね」
「ふふ。もてるよね、知尋くん」
李狐や鈴もあっさりと――少なくとも表面上はそう見える態度で呟いた。華などは「なら今夜は私達だけですね」と喜色を浮かべている。
そこへ、四葉が口を挟んだ。
お嬢様らしく、清楚かつ上品に着飾った姿で眉を顰めて。
「待って。どうして、そんな簡単に流せるの?」
わからない、と小さく首を振った。
一瞬の沈黙。
水を差された愛華達はまず顔を見合わせた。
「どうして、って言われても」
「知尋だから、としか言えないかな」
それは、既存メンバーにとっての共通認識。
暗黙の了解のようなものなので、四葉には理解できないだろう。
「納得できないわ。……私も、皆のことは納得しているつもりだけれど」
物憂げな顔で首を振る。
四葉は、この中で最も新しいメンバーだ。別に恋人――婚約者がいるにもかかわらず知尋に心酔し、彼の奴隷となるに至った特殊な例である。
そして、特殊なのは彼女の性癖もそう。
程度の差、好むプレイの差こそあれ、他のメンバーは基本的にマゾ。例外は華だが、彼女も攻守両方をこなせるタイプ。
しかし四葉は生粋のS。
他人を虐めること、虐められた者が羞恥や苦痛、快楽に悶える姿を好む。
唯一の例外は、主人である知尋だ。
そんな彼女だから、性格的にも我が儘な部分がある。
上品で優等生的な仮面の裏に、女王様の気質を隠しているのだ。
「ご主人様に忠誠を誓ってもいない女に、ご主人様のお時間を取られるのは……嫌」
言って、彼女はきゅっと唇を結ぶ。
強い発言と裏腹に、顔には不安が浮かんでいる。
アンバランスな印象が、彼女の想いを一同に強く感じさせる。
「……四葉さんが、知尋様といられる時間は短いですものね」
親元を離れて寮生活をする真里亜達と違い、四葉は実家から通学している。
お嬢様という立場もあり、あまり頻繁にマンションへ来られない。
お泊まりとなれば余計に根回しが大変で、そうなると必然的に、知尋に抱かれる機会も少なくなる。
折角遊びに来たのに、関係無い女が知尋に抱かれているのでは面白くないだろう。
……まあ、真里亜と知尋の買い出しは四葉も知っていた。今日に関しては、もともと抱いてもらえるとは思っていなかっただろうが。
それとこれとは話が別、である。
「ん……。そういえば、あたしも気になってたんだよね」
と、李狐がやや遠慮がちに口を開いた。
無意識らしい仕草で首を傾げながら四葉を見る。
「先輩は、あたし達のことどう思ってるの? 知尋に愛されるのに邪魔だとか思わないの?」
直球の質問だった。
愛華が驚いた様子で李狐を見るも、起きた出来事が巻き戻ることはない。
――止めるべきだろうか。
食事の手を止め、真里亜は思った。
適当にインパクトの強いことを言って興味を引き、話を有耶無耶にすることはできなくもない。もし、知尋が不在のこの場で喧嘩が起きれば仲裁は難しく、話はどうしても大きくなる。
しかし、真里亜は一瞬のうちに「止めない」と判断した。
きっと、こういう本音の話し合いも必要だ。
特に、主人である知尋がいてはできない話、互いの心の内にあるドロドロとしたものを知ることは。
そうして数秒の間を置き、四葉が答えた。
「正直に言えば、邪魔だと思うわ。もちろん、ご主人様が決めたことで――私がご主人様の物になる前の話なのだから、文句を言うつもりはないけれど」
「それは、知尋の時間が減るから?」
「そうよ」
答える表情に悪びれる様子はなかった。
「当然でしょう? ……姉さんを含めた奴隷が、私以外誰もいなければ、私は今の何倍もご主人様に抱いていただける。愛華がご主人様の恋人でなければ、私はご主人様と正式に結ばれることもできる」
「……っ」
愛華がきゅっと拳を握る。
四葉から敵意を――おそらくは最も強いプレッシャーを向けられたせいだろう。
しかし、それでも彼女は俯かなかった。
顔を上げて真っすぐに四葉を見つめ返す。
「そうですね。……奴隷なんて、恋をするには邪魔ですよね」
誰も二人の言葉を否定しなかった。
いや、むしろ無言のまま肯定したと言っていい。
四葉が言った通り当然の話なのだ。相手との友情や信頼、連帯感、生活上の利便性などを度外視し、女としての欲望だけを考えれば――知尋の傍に他の女がいることなど、邪魔以外の何物でもない。
誰にとっても。
「でも」
愛華が首を振って。
「知尋君が選んだことだし、知尋君を選んだのは私達です。だから私は皆と仲良くしたいし、知尋君にとっていい彼女でいたいです」
「それで、ご主人様と自分の時間が減っても?」
「はい。もちろん、不満はどんどん言いますし、知尋君にも譲れるところは譲ってもらいますけど」
私は知尋君の彼女ですから。
と、愛華はきっぱり言い切った。
この中で唯一、知尋と対等以上――セフレである鈴は一応対等な立場だ――の可能性を持つ彼女らしい答えだと真里亜は思う。
もし、自分が彼女の立場だったとして、そこまで開き直れるだろうか。
そこに、はあ、とため息。
「……ま、そーだよね。あたしもどっちかっていうと愛華に賛成」
李狐が少々恥ずかしそうに頬をかきながら、ぶっきらぼうな口調で言う。
真里亜達には言ったかもしれないけど、と前置きして。
「あたしは知尋が好き。愛してる。でも、知尋の彼女になる気はない。今のあたし――知尋を愛してるあたしは知尋が作ったから。知尋があたしに奴隷になれって言ったから、あたしは奴隷がいい。奴隷じゃなきゃ嫌」
李狐は知尋に痛めつけられ、プライドを折られた上で存在意義を与えられた。
だから、知尋を第一に考える。
自分の立ち位置が揺るがないのなら、大抵のことはどうでもいい。
「抱いてほしいなら、自分からお願いすれば? 忙しい時じゃなければ知尋は抱いてくれるよ?」
「李狐ちゃんは最近、知尋君にデレデレだもんね」
「デ……え、あたし、そんなことしてる?」
「してるしてる」
愕然と呟く李狐を見て、鈴がくすくすと笑った。
「わたしと知尋くんはセフレだから、緩い関係でいいの。他に恋人とか奴隷とかセフレがいても関係ない。わたしが知尋くんに甘えられればいい」
人が増えれば、甘える時間は減るわけだが――。
「皆と仲良くするのも楽しいし。ここの皆は、わたしに口うるさく言ったりしないもん」
「いや、あたし結構言ってるつもりだけど」
「李狐ちゃんのお説教には愛があるんだよ。大好き」
「って、わざわざ席立って抱きつかないでよ!」
相変わらず、鈴は隙があれば軽いノリに持っていく。
そんな彼女が妙に頼もしいと真里亜は感じながら、四葉の方を振り返った。
「いかがですか、四葉さん?」
「……真里亜と華は? どうして、こんな不安定な関係を続けていられるの?」
なおも悩む様子で言葉を絞り出してくる四葉に、真里亜はゆっくりと答えた。
「私にとって、奴隷であることと生きることは同じ。生きるため、知尋様には主人でいてもらわなければなりません。ですから、知尋様が主人として強く振る舞ってくださるのは、むしろ喜ぶべきことです」
狂っている、と自分でも思う。
しかし他にどうしようもない。そして、こんな狂った人間を受け入れ、認めてくれるのが知尋なのだ。
そんな真里亜をちらりと見た華が続いて言った。
「私は別に、和泉君を独り占めしたいとか思ってません。和泉君は男の中ではマシですけど、私が奴隷でいるのは真里亜ちゃんと、ちさとちゃんのためです。だから、和泉君がどこで遊び歩こうが、大して気になりません」
――少しは気になるのか。
本人も気づいていないだろう言葉の端を捉えた真里亜は思った。華もだいぶ、素直になってきたものだ。
と。
四葉が深いため息を漏らし、小さく呟いた。
「……全く。変人ばかりですね」
「あは。先輩も含めてね」
「ええ、そうですね。やはり、こうして腹を割って話す時間も必要かもしれません。でなければ皆とも、本当の意味で仲良くすることができませんから」
「……先輩」
四葉がにっこり微笑んだ。
「私はご主人様の奴隷です。自分のプライドが高いことに気づいたからこそ――それを気づかせてくださり、認めてくださったご主人様に忠誠を誓いました。ご主人様以外の人間に屈するつもりはありませんが、家族や友人、そして『仲間』には敬意を払いたいと思っています」
その後、一同はこの機を逃すまいと様々な話に華を咲かせた。
結局、この日は知尋が帰ってこなかったので、四葉は名残惜しそうにしつつも夕食前に帰っていった。
☆ ☆ ☆
なお、知尋からは、四葉の疑問が解けた直後に連絡があった。
ちょうど一回戦が終わり、軽い食事の後で二回戦を始める――お手製の道具も使うつもりだと、後ろから明るい声がした――という知尋は、真里亜に驚くべき報告をしてきた。
「皆、もう一人、ご主人様のセフレが増えるそうよ」
淫蕩なクリエイター、皆方七瀬は既に『支配』を受け入れたらしい。
基本的には今まで通り、アトリエで生活して仕事を続ける。知尋とは連絡を取り合い、お互いの予定が合った時だけセックスをする。
お互いに性処理の相手を確保し、知尋は淫具その他を発注できる貴重なコネを、七瀬はお得意様を得る――そんな、ウィンウィンの関係を構築したらしい。
これで、貞操帯はオーダーメイドできる目途が立った。
代わりにまた、真里亜達には面倒が増えるわけだが。
「今更、だよね」
このくらいは笑って流そうと、少女達はざっくばらんに言いあった。