マンションの居間まで戻った直後、知尋はがくりと崩れ落ちた。
すぐに真里亜が抱き留めてくれたものの、全身がずっしりと重かった。立つ力も残っていないため椅子まで引きずってもらう。
「お疲れ様、和泉くん」
「……ありがとう、って言っていいのかな」
はあ、と自嘲のため息が漏れる。
知尋の疲労は、後の休息を当てにして無理をしすぎた結果だった。李狐を犯すことに夢中になってペース配分を忘れ、凌辱が終わった時点で体力は限界。
結局、後始末は合流した真里亜に殆ど任せてしまった。
正直、知尋だけでは後始末どころかマンションまで帰ることもできなかっただろう。
これでは「自分の力でやりきった」とはとても言えない。真里亜には感謝ではなく謝意を示すべきなのではないかと思ったが、そんな知尋に真里亜は微笑んだ。
「もちろん。……あなたは見事に西崎さんを凌辱しきったわ。誇っていいし、素直に喜んでいいの」
「そう、なのかな」
達成感はあるものの、今の知尋の胸中は空虚な気持ちが強い。
李狐を痛めつけている最中、犯している最中は恐ろしいほどの高揚感に包まれていた。考えるより先に身体が動き、普段なら言えないような言葉をすらすら口にでき、射精する端からペニスが元気を取り戻した。
これはその反動なのだろうか。
休んで、起きて。
明日、学園に登校して李狐が「どうなったか」直接確認すれば、きっともっと実感が湧いてくる。
もう、彼女に煩わされることはない。自分は自由になったのだと。
「……そうだね」
深呼吸をして気持ちを整える。ほんの少しだが気持ちが楽になった。
「さ。ベッドに行きましょう」
「え。でも、先にシャワーを浴びないと」
訓練場で軽く拭いはしたものの、本格的に洗ったわけではない。精液や汗などが相当服や身体にこびりついていると思うのだが。
「私が今更、嫌がると思う?」
有無を言わせずベッドに寝かされた。横になると疲労も多少マシになる。
真里亜は傍の床に座ると、そのまま知尋に尋ねてきた。
「新しい能力は役に立った?」
「うん。凄く」
昨日、あれから二人で検証した結果、知尋の新能力は実証された。
針で突いた際にできた傷、とりあえず絆創膏を貼っておいたその傷が起きた後、跡形もなくなっていることに気づいたからだ。
もともと小さな傷だったが、たった数時間で完治するのは違和感がある。
また、針の傷以外に全身の痛みもかなり和らいでいたし、疲労の回復も早かった。このことから二人は知尋の新能力を『睡眠効果の促進』だと結論づけた。
治癒ではなく自然回復を促進するもので、眠った時限定なうえ劇的な効果はない。代わりに真里亜の能力と違い疲労も回復できる。
地味ではあるが、かなり有用な能力だ。
……しかし、真里亜が言った「新しい能力」とは睡眠促進能力のことではない。
知尋が手に入れた能力は一つではなかった。実はもう一つ、正確には完全に新規のものではないが新たな力が備わっていた。
もともと知尋が持っていた力、読心に加わった機能だ。
それは相手の心を読んだ際、相手の感情がある一定のレベルを越えていた場合に限りそれを増幅するというもの。もともとの感情がかなり強くないと無意味だが、今回はこれが効果を発揮した。李狐の抱く恐怖を増幅することで容易に屈服へ導けたのだ。
ほんの少しだが他人の感情を弄れる。
使い方によっては恐ろしい力である。
「……そうだ」
知尋は制服のポケットからスマホを取り出し、ロックを解除して真里亜に渡した。受け取った真里亜は顔を綻ばせながら画像フォルダを開く。
そこには李狐の淫らな姿が何十枚も収められていた。年頃の少女であれば嫌悪を覚えてしかるべき写真だが……。
「ふふ、素敵ね。できるなら代わってあげたいくらい」
「真里亜には昨夜、似たようなことをしたと思うんだけど」
「あら。それはそれ、これはこれでしょう?」
確かに。知尋にしても「練習」と「本番」では全く興奮の質が違っていたから、あまり真里亜のことは偉そうに言えない。
「この画像、後でパソコンにもコピーして構わない?」
「どうぞ。……でも、セキュリティとかは注意してほしいな。特に拡散するつもりもないし」
「もちろん。勝手な真似はしないわ。厳重に管理して、保存しておくだけ」
微笑みながら指を動かし、写真を送り続ける真里亜。
彼女から視線を外し、知尋は天井を見上げてため息をついた。
……踏み出してしまった。
知尋は李狐に暴力を振るい、彼女に恐怖を植え付け、更には処女までも奪った。どうあがいたところで取り返しがつかない、人として許されざる行為だ。
この十字架は一生、知尋について回ることになる。
李狐にやったことが知れれば教師やクラスメートはもちろん、母や姉だって知尋のことを軽蔑するだろう。
変わらないのは――今、ここにいる彼女くらいか。
知尋の様子に気づいたのか、真里亜が顔を上げた。
「和泉くん。今日のこと、後悔してる?」
「……いや。後悔はしてないよ」
そう。後悔はしていない。
あれは必要なこと、望んでやったことだと今でも思う。
ただ「後悔できないこと」が自分でも恐ろしく、悲しいだけだ。
しかし、それはもう今更か。
「……寝るよ。夕食は気にしなくてもいいから」
「わかったわ。冷めても大丈夫なものを作っておくから」
踏み出してしまった以上は進み続けるしかない。
この少女と、行けるところまで。
そう思いながら、知尋はゆっくりと目を閉じた。
☆ ☆ ☆
目を覚ましたのは深夜で、いつの間にか隣には真里亜が眠っていた。
治癒能力のお蔭で身体はだいぶマシになっている。熟睡している様子の真里亜をベッドに残し、知尋は起きて居間に向かった。
浅い皿にチャーハンが盛られ、ラップに包まれた状態で置かれていた。夜食としては食べやすくて良さそうだ。
知尋は先にシャワーを浴び、寝間着に着替えてからチャーハンを平らげた。
なんだかんだ、ここ数日でこの家にも慣れてきてしまっている。
「……ふう」
食器を持って台所に移動。こんな時くらいは洗い物をさせてもらおうかと思ったら、シンクの傍に「食器は置いておいてくれればいいから」と書かれたメモが置かれていた。やはり真里亜の方が一枚上手らしい。
メモを無視して洗い物をしたらどうなるか。
ご主人様としての自覚が足りないと、どっちがご主人様なのかわからない叱られ方をするのが容易に想像できたので、食器を軽くすすぐだけすすいでシンクに置いておいた。
歯磨きとうがい、トイレを済ませて再び布団にもぐる。
再び目を覚ますとすっかり朝になっていた。
「さすがに食材がもうなくなっちゃって……」
金曜日の朝食は残った食材を処分する形になった。
余り野菜の味噌汁に肉入り野菜炒め、それから白米にキャベツの千切り。野菜過多ではあるものの、味自体は決して悪くなかった。
「じゃあ、今日の放課後に買いに行こうか」
「手伝ってくれるの?」
「あ……あー、いや。お世話になってるし、それくらいは僕が」
「それは駄目」
結局、買い物には二人で行くことになった。
朝食を済ませたあと制服に着替え、マンションの入り口で別れてそれぞれに登校する。
李狐はどうなっているだろうか。
昨日のことを公表され既に騒ぎになっている……そんな可能性は殆どないと思うが、一晩経った今、彼女がどういう行動に出るか、はっきりとはわからない。
破れかぶれで知尋を殺しにくる、なんていう可能性だってなくはない。そうならないように写真を保険として用意したわけではあるが。
「おはよう、和泉くん」
「あ。……おはよう、高槻さん」
珍しく、通学路で愛華から声をかけられた。
同行者はいない。一人だ。だからか、彼女は何気ない動きで知尋に並ぶと、そのまま話しかけてくる。
「昨日は風邪? もう大丈夫なの?」
「……うん。ちょっと疲れが溜まってて。でも、もう大丈夫」
「そっか。良かった」
安心したようににっこりと微笑む。
愛華はついでとばかりに知尋へ色々と話しかけてくる。天気の話や授業の話、今朝の食事の話など。
他愛のない話を、楽しそうに話してくれる。それだけでなく知尋の話もしっかりと聞き、笑ってくれる。
学園へ近づくと友人らしき女生徒の方へ駆け寄って行ってしまったが、ほんのひと時、心安らぐ会話を交わすことができた。
教室に着く。李狐はまだ来ていなかった。
しばらくすると朝のHRが始まり、何事もなく終わる。担任が欠席を告げることもなかったが、HRが終わっても李狐が登校してくる気配はない。
もともと真面目そうなタイプではないせいか、クラスメート達もあまり気にした様子はない。
念のため、一限目の支度をしつつ喧騒に耳を澄ませていると、李狐と仲のいい女子生徒二人の会話が耳に入った。
「駄目、繋がんない」
「どうしたんだろうね? サボり?」
「そうかも。まー、きっついしね。ここの授業」
「ほんとだよねー。汗かくし、毎日運動だし」
友人達の連絡も無視しているらしい。
寝ているのか、それとも精神的に余裕がないのか。
……既に自殺している、なんて展開でなければいいが。
そうなったらもう、李狐を弄ぶことができなくなってしまうのだから。
☆ ☆ ☆
李狐は昼休みになっても登校してこなかった。座学を休んで午後の授業だけ出る生徒も時々見かけるが、そういうつもりでもないらしい。
ちらりと真里亜に目をやる。今日も女子と食事らしい。
ならばと知尋は席を立ち、
「和泉君」
長身の少年、神代から声をかけられた。
彼は人当たりのいい笑顔を浮かべて知尋に言う。
「もし用事が無ければ、一緒に食堂へ行かないか?」
断る理由もなかったので、知尋は彼の申し出を了承した。
連れ立って教室を出て、食堂へ向けて歩く。
しかし、急に知尋へ声をかけてきたのはどういうわけだろう。
入学から二か月、神代が知尋を昼食に誘うなんてことは一度もなかった。しかも他のクラスメートのお供なしで、だ。
歩きながら意図を尋ねると、神代は「ちょっと話したいことがあって」と答えた。
「話したいこと?」
「それは着いてから話すよ」
食堂は多くの生徒で混雑していた。親元を離れて一人暮らししている生徒が多いため、柴鳳学園は食堂や購買の利用率が高いのだ。
そういう理由もあって、知尋は食堂を殆ど利用したことがない。購買でパンやおにぎりを買う程度ならともかく、食堂内で食事をするとなるとどうしても他人と目が合ってしまうからだ。
今は前に比べれば読心能力への忌避感も薄くなったが。
「それで、話って?」
券売機で食券を買い、スタッフに渡して料理を受け取る。無難にカレーライスを選択し、そこにコロッケをトッピングした。
知尋のオーダーを見た神代は「それで足りるのか?」と首を傾げていたが、そう言う彼のオーダーはきつねうどんと牛丼。むしろ食べ過ぎなんじゃないのかと思ったが、なんでも彼は能力の関係でカロリーの消費が激しいらしい。
「ああ、うん。この後の訓練のことなんだけど」
「訓練?」
問い返して首を傾げる。
このタイミングで持ちかけられる話といえば李狐関連だろうと思っていた。……まあ、その場合も事の経緯がいろいろ謎ではある。
神代が、うどんの麺をかきまぜながら頷く。
「多分、今日の訓練で僕と当たるだろ?」
「……そうだったかな」
訓練の組み合わせはある程度ローテーションになっている。
だから、サイクルを覚えれば誰といつ当たるか予想できるのだが、知尋の場合、誰と当たっても大して変わらないので気にしていなかった。
知尋と逆の意味で「大して変わらない」はずの神代が覚えているのも意外だと思いつつ、カレーをすくって口に入れる。やや甘口のオーソドックスなチキンカレーだ。具材が少なめなのが気になるが、それはコロッケが補ってくれる。
神代は、会話の合間にうどんを啜り、牛丼をかきこみ、うどんの汁を飲むというサイクルを繰り返していた。うどんは汁物の代わりということか。
「それでお願いなんだけど。俺の心を読んで、全力で止めに来てほしいんだ」
「へ?」
「駄目かな?」
「いや、構わないけど」
というか、頼まれなくてもそうしていたと思う。
読心によって行動を読み、初撃を防いだ上で一矢報いられるかどうか。知尋と神代の実力差ではその程度しかできることがない。
「そうか、ありがとう。……いや、実は深海さんと戦う前に、できることはしておきたくてさ」
「まり……深海さんと?」
危うく人前で下の名前を呼びそうになった。誤魔化すようにカレーをぱくりと口にする。知尋の皿はまだ半分しか減っていないが、神代はいつの間にかもう殆ど食べ終わっている。
「ああ。多分、彼女とも今日当たると思う。……そして、きっと彼女との戦いはかなり厳しい。だから、その前に変則的な相手との経験を積んでおきたいんだ。君にはフェイントが通用しないから」
確かに、知尋にはフェイントは通用しづらい。相手の本命を事前に察知して対応できるからだ。ただ、うまく戦闘方針が読めればの話だし、フェイントに関しても「心を読まれた後で方針を変更する」という抜け道がある。
加えて言えば、真里亜自身は読心能力者ではないので、直接的な対策になるとは思えないのだが。
色々なタイプの相手との戦いが経験になる、と彼が考えるのなら、それはそれで彼にとって重要なことなのだろう。
「いいよ。僕も、やるからにはできることをするつもりだし」
そう言うと、神代は意外そうな顔で知尋を見た。
「どうかした?」
「いや。……君はそういうタイプじゃないと思っていたから。少し驚いただけだよ」
彼は残りの牛丼とうどんを食べ終えると、つゆまでしっかり飲んでから立ち上がった。
爽やかな笑みと、短い言葉を残して去っていく。
「試合、お互い恨みっこなしでやろう」
クラス内の最強格は見た目通り、気持ちのいい男のようだった。
☆ ☆ ☆
昼休みが終わるとすぐに実践訓練の時間だ。
あの神代の台詞があったからというわけでもないが、知尋はその日の試合へ積極的に臨むことを決めていた。
クラス内には李狐を中心として読心能力を忌避する向きがあるものの、考えてみれば日常生活はともかく訓練でまで能力を避難されるいわれはない。
そう開き直り、一戦目から正面から相手の顔を見据えて戦い……あえなく負ける。
新しい能力――睡眠促進も読心時の感情増幅も、戦闘においてはほぼ効果がない。昨日李狐に勝てたのは一か八かの覚悟のおかげで、知尋の地力は何も変わっていない。そううまいこと勝利を手にすることはできなかった。
そしてしばしの休憩の後、対戦相手の入れ替えが行われ――二戦目。
予告通り、神代が知尋の前に立った。