華は、ちさとの傍まで歩み寄ると彼女に微笑みかける。
瞳に涙を浮かべたままなのもあり、その表情はどこまでも純真で、清純な乙女のようだった。
「まさか、ちさとちゃんに会えるなんて思いませんでした」
「はい。華さんが望んでくれたから、私は今、こうしてここにいるんですよ」
至近距離で見つめあう少女達。
「で、御宿さん? 認めたくないとかいう話はどうしたの?」
「そんなの、直接ちさとちゃんとお話できるなら話は別です」
「ふふ。華さん、今日は素直なのね」
「……だって、もうこのメンバー相手に猫被っても仕方ないじゃないですか」
言って、華はぷくっと頬を膨らませた。
余程嬉しかったのか、表情に硬さというか遠慮がない。
と、そこで知尋の視線に気づいたらしい。
彼女はバツが悪そうに目を逸らした。
「……仕方ないですね」
はあ、とため息ひとつの後、ちさとを振り返って。
「ちさとちゃんは、どこかに行ったりしないんですよね?」
「大丈夫。兄さんが死んだり、華さんが兄さんから離れない限りは、ずっといられると思います」
ちさとの答えは、おそらくパーフェクトだっただろう。
華の表情がぱっと輝いたのを、知尋は見逃さなかった。
恥ずかしそうに頬を染めた華が、ちらりと真里亜を振り返った。
彼女はそれから知尋に視線を向け、何でもない風を装って言う。
「認めます」
「え、っと。何を?」
意地悪だと思いつつも尋ねると、大きめの声が返ってきた。
「ああ、もう! だから、和泉君のことをご主人様だって、完全に認めます! ……か、勘違いしないで下さいね。真里亜ちゃんとちさとちゃんが傍にいるなら、それが私にとって一番だっていうだけなんですから!」
顔を真っ赤にした彼女は、正直とても可愛らしかった。
☆ ☆ ☆
自分が何を言ったのか、後から我に返った華が悶絶するのを生温かく見守った後。
一同は再び会話に戻った。
「……そういえば、ちさとちゃんの目を見ても心を読まれませんでしたけど」
「そうなんだ?」
「うん。心は読んでないよ」
幻影――立体映像のちさとに『読心』の能力は備わっていないらしい。
「私は兄さんの別人格だけど、兄さんじゃないからかな。ちなみに、兄さんの身体にいる時は普通に発動すると思うよ」
と、ちさと。
わかったようなわからないような説明だ、と思ったら、鈴がその発言について補足してくれた。
「『落とし物』の能力はそれぞれの心を表したものでしょ? だから、元が同じ知尋くんでも、別人のちさとちゃんは『読心』を使えないんだと思う。でも、知尋君の中にいる時は知尋君の『読心』が発動する」
「なるほど」
確かに。
先程の真里亜達への反応を見ても、知尋とちさとは性格に多少の違いがある。
男と女の違い、兄と妹というスタンスの違い、厳密にはちさとは愛華達の恋人でも主人でもないこと等々、いくつもの要素が影響しているのだろう。
また、加えて言えば、実際に現れたちさとの性格には、女装時に知尋が仮に設定した『御角ちさと』のパーソナリティが大きく影響しているように思えた。大人しく、少々引っ込み思案な女の子。
兄である知尋を別とすれば、愛華達にも敬語なのが根拠のひとつ。
多重人格については碌に知識がないので、ただの想像だが。
「ちさとちゃんは、知尋くんの能力で作られた人格だから、普通の場合とは違うかも。でも、知尋くんと違う能力を使ってるのを見ると、わたしの仮説でたぶん合ってるんじゃないかな」
「へえ。なんだか専門家みたいですね」
「いちおう専門家だってば! そりゃ、研究者さんじゃないけど」
混ぜっ返す華に、鈴が反論。
くすっと、すぐ傍から笑い声がする。
「ここは賑やかだよね、いつも」
「そうだね」
優しい声に微笑んで頷いた。
いつも――自我が芽生え始めて以降、ちさとはいつも、知尋達のこうしたやり取りを見ていたのだ。
おそらく、彼女の意思が形になったのは学園祭前後。
まだ、たったの数日に過ぎない歴史だが、それでも十分にわかるほど、少女達は生き生きとやり取りをしている。
彼女はそれをどんな気持ちで見ていたのだろう。
微笑ましい?
それとも、羨ましい?
「ちさとちゃんも、これからは一緒だよ」
投げかけられた声は、愛華。
弾かれたように顔を向けたちさとが、噛みしめるようにゆっくり頷いた。
「はい、愛華姉様」
こうして、この部屋に新たなメンバーが加わった。
☆ ☆ ☆
愛華をはじめ、マンションに出入りするメンバー達も、皆、快くちさとを受け入れてくれた。
『ま、この子はあんまり他人の気がしないし』
『拒む理由などありません。歓迎する理由なら、いくらでも思い至りますが』
『もちろん、わたしも大歓迎だよ。賑やかな方が楽しいでしょ』
絶対に裏切らない味方。
加えて同性という利点もあって、ちさとは愛華達ともすぐに打ち解けた。
初対面とはいえ、ほぼ気心は知れた間柄だというのも大きかっただろう。
彼女は基本的には知尋の中にいる。
必要に応じ、幻影として表に出ることもできるが、その場合でも食事や入浴は全くいらない。生活費が発生しないのでとても安上がりだ。
知尋から半径十メートル以内なら自由に動けるので、マンション内なら割と自由がある。
誰かと話したり、誰かが開いている本やPC画面を覗き込んだり。
『テレビがあればもう少し暇つぶしができるんだろうけど』
『気にしないで。私も兄さんと同じで、どうしてもテレビ見たいわけじゃないから』
知尋の中にいれば、知尋が見聞きしたものをちさとも受け取れる。兄妹間なら心中で思うだけで会話もできる。
登校中は大人しくしていてもらうしかないものの、これならあまり寂しくはない。
以前、『認識疎外』状態の鈴を授業中の教室に放置したのと比べれば大分マシだ。
『能力で身体も作れればいいんですけどね』
『どうでしょう……さすがに難しいかもしれません。もっと時間を置いて、色々試してみたら違うかもしれませんけど』
『可能性はあるんだ。うん、そうなるといいね』
李狐の能力を使えるということは、他の面々の能力も使えておかしくない。
愛華の『治癒』と真里亜の『自己治癒』、肉体に影響する能力を応用すれば、自分だけの身体も形成できるかもしれない。
もちろん希望的観測だし、まだ生まれたての身ではそこまで応用も利かないが。
『ちさとちゃんのことは、次の判定で報告だね』
これだけの特殊ケース、報告しておかないのは逆に不都合が出る。
幻影として自立行動できること、李狐との関係に繋がる点さえ隠せば問題ないだろう、ということで合意した。
そのうち母にも紹介した方がいいかもしれないが、その辺りは保留とした。
知尋が偽名として使っていた『御角ちさと』を名乗るのか、それとも『和泉ちさと』とするかも併せて保留だ。
「そういえば――神代君との戦いでも、ちさとが助けてくれたんだよね。ありがとう。あのままだったら多分、僕が負けた」
「ううん。私はちょっと手助けしただけ。殆どは兄さんの力だよ」
マンションのベランダにて、兄妹で月を見上げる。
隣に立つちさとは幻影状態。女性もののパジャマにサンダル姿だ。
セミロングの髪が風でさらさら揺れる様は、妹ながら美しい。顔の造作にしろ、鏡で何度か見た自分の顔と同じには思えなかった。
「……どうしたの? 私の顔なんて、別に珍しくもないでしょ?」
視線に気づいたちさとが軽く頬を染める。
なお、髪や頬の変化は全て、李狐から借り受けた『幻影』の能力によるものらしい。服装は意識しないと変えられない代わりに、そういう身体の部位は自然と動いてくれるのだとか。
何気なく目線を合わせてくる――相手が幻影のため『読心』は発動しない――妹に、知尋はついどきどきしてしまった。
「あ、いや」
どう言おうかとぽりぽり頬をかく。
結局、気の利いた言葉は思い浮かばない。
「ちさとは可愛いよ。その、僕から見ても」
「……そう?」
ちさとが目を瞬き、自分自身の身体を見下ろす。
「だったら、嬉しいな。あんまり自信ないけど……って、これ、兄さんの顔も貶してることになるのかな」
「そう言われると、そうかも」
ついでに、相手の容姿に見惚れるのはナルシストっぽい。
じゃあ、一体どうすればいいのかと、兄妹でしばし言葉に詰まった。
やがてぽつりと妹の声。
「ねえ。兄さんは、私のこと抱ける?」
「え。抱く、って」
ちさとは知尋の中にいる人格。
こうして幻影になっていても触れることはできない。
そういう意味では抱く方法など――。
むっ、とちさとが頬を膨らませた。
「そうじゃなくて。私がもし生身の女の子だったら、エッチなことしたいと思う?」
「ちさと、そういう知識もあるんだ」
「あるよ。兄さんと同じくらいには」
不思議な会話だ。
二人で顔を見合わせて笑ってしまう。
ひとしきり笑った後、ちひろは再び月を見上げて言った。
「抱きたいよ。こんなに可愛い子が身近にいて、抱きたくないなんて思えない」
「……変態」
「それは酷くないかな」
「あはは、冗談だよ」
穏やかに、小さく声を上げてちさとが言った。
「どうして、そんなことを?」
「ん……私も、兄さんに抱かれたいから、かな」
彼女も知尋の方を見ずに呟く。
「兄妹なのに?」
「兄妹っていうか……元が一つの人間だから、なのかな。身体があったら重ねるのが普通だって思う」
言われてみれば、知尋の中にもそういう気持ちはあるかもしれない。
殆ど同じ顔をした妹を抱けるとすんなり思えたのは――一緒に過ごしてきた時間が短いから、というばかりではないのかも。
もともと一つだったものが分かれたから。
もう一度、一つに戻ろうとする本能が働いている可能性。
「ああ、双子って身体の相性いいらしいもんね」
「す、鈴さん?」
不意に背後から声がして、振り返るとロングヘアーの女性がいた。
素肌にスウェット、それも上着のファスナーは開けた状態の彼女はベランダの入り口あたりに立っている。
長居はしないつもりで戸を開けっぱなしだったので、そこからいつの間にか盗み聞きをしていたようだ。
「どこから聞いてました?」
「抱くとか抱かないのあたり」
「結構、聞かれたたんですね」
知尋が尋ね、鈴が答えれば、ちさとが頷いて息を吐いた。
まあ、聞かれて困るような話でもないのだが。
「なになに、何の話?」
「えっとね、ちさとちゃんが知尋くんとえっちしたいって――」
「せめて中で話してください!」
寄ってきた李狐達に、喜々として話し始める鈴を、慌てて室内に追い返した。
きちんと戸締りをして居間に戻りようやく一息つく。
発端である鈴は特に気にした様子もなく、くすくすと笑う。
「そういえば、さっきの話だけど。ちさとちゃんが知尋くんに惹かれるのは、双子だからだけじゃないと思うよ」
「どういうことですか?」
首を傾げる愛華を鈴は振り返り、じっと見つめた。
「ちさとちゃんの人格には、わたしたちの影響があるんじゃないかなって。いくら知尋くんの人格がベースになってても、女の子の心を作るには女の子のサンプルが必要でしょ?」
「あ。それは、その通りだと思います」
知尋自身に覚えがあった。
最初、華とのデートのために『御角ちさと』を演じた時点で、知尋は愛華達を立ち居振る舞いの参考としている。
うん、と鈴が頷く。
「ついでに、知尋くんとわたし達は『支配』で繋がってるから。李狐ちゃんの力を使えるところから見ても、わたし達の一部もちさとちゃんの中にあると思う」
愛華達の心をもダイレクトに反映している。
そのため、ちさとは知尋に惹かれる。兄妹での性行為にも抵抗を感じず、むしろ積極的に望みさえする。
「あたし、ちさとは神代あたりのことが好きなのかと思った」
「神代君は格好いいですよね。ちょっと憧れますけど……あの人はアイドルっぽい感じです。見ているだけでいいっていうか、見てるのが一番楽しいかなって」
「振られちゃったね、神代君」
「愛華。神代君が告白したわけじゃ」
「でも、もしちさとちゃんのこと知ったら、したいと思うかも」
さすがに無いだろうと思ったが、知尋には断言もできなかった。
と、ここで真里亜が。
「私は、てっきりちさとさんも女性がお好きなのかと思いました」
「っ」
その声に華が敏感に反応する。
わかりやすすぎる彼女にちさとが苦笑し、それから答えた。
愛華達、一同を見回して。
「ええと……はい。私は女の子も好きです。これは、きっと華さんと兄さんの影響ですね。だから、兄さんが皆さんとするのを見るのも楽しみです」
知尋以外の男とする気はなさそうだから、レズビアンよりのバイセクシャルといったところか。
性癖的には華に近い、と知尋はいったん考えることにした。
「……じゃあ、せっかくだからしようか。実は、新しい能力がどんな感じになるかも試してみたいんだ」