高速の右ストレートが正面から迫り、避ける間もなく直撃。
衝撃により一メートル程度、後ろに吹き飛ばされる。なんとか受け身を取ったものの、口からは自然と声が上がった。
「あた……っ」
知尋は右手を持ち上げると、先程、拳がめり込んだ頬へと当てた。
ずきずきと痛む。
と、対戦相手が倒れたままの知尋に歩み寄り、すっと手を差し伸べてくれた。
素直に手を取って立ち上がる。
「ありがとう、神代君」
「いや。それより、大丈夫かい? 最後のはだいぶ綺麗に決まったと思うんだけど」
「うん。これくらいなら大丈夫。僕は治りも早いから」
知尋には『睡眠促進』がある。真里亜の『自己治癒』のような即効性はないものの、眠っている間は約三倍の速さで回復する。
六時間眠るとちょうど十二時間分、人より余分に休める計算だ。
知尋は神代に軽く微笑みながら周囲に視線を送った。
「それに、今日はこれで終わりだし」
「ああ、そうだね」
個室ではない方の訓練場。
辺りのスペースではクラスメート達がそれぞれペアで試合をしている。既に終わっているペアもあるものの、大部分はまだ試合中だった。
授業終了までは後数分。
知尋は奇しくも、一日の最後に神代と当たり、早々にぶっ飛ばされたわけだ。
『身体強化』により運動能力を高めた彼の、スピードを重視した攪乱を受け、徐々に速さについていけなくなって終わり、である。
「そういえば、今日はあの能力を使わなかったんだな」
「ん……ああ、うん」
知尋は苦笑いを作って答えた。
「あの能力は条件があって。この試合では使えなかったんだ」
「ああ、なるほど」
あの能力、と言いつつ具体的な効果を知らない神代はあっさり頷く。
しかし実際、神代の言う能力――『刺激共有』はこの試合では使えない。
ダメージの共有が可能なメンバーのうち愛華、真里亜、李狐、華の四人は周りで訓練中だし、四葉も授業中。鈴だってまだ仕事をしているはずだからだ。
本気の真剣勝負ならともかく、授業中の試合ならそこまで無理しても仕方ない。
あの能力がないと神代に手も足も出ない、というのが情けなくはあるが。
「でも、やっぱり手ごわくなったよ、和泉君は」
「そう、かな」
「ああ。自覚はないのかい? 攻撃パターンが時々、微妙に変わるだろう? あれでタイミングが掴みづらかった」
指摘された点には心当たりがあった。
(そっか。ちさとが手伝ってくれたから)
(……あはは。少しでも役に立ったなら嬉しいな)
妹、ちさとの存在である。
仮に能力名は『補助人格』とでもしておくが、これを使い、知尋は言わば二人がかりで神代に挑んでいたのだ。
もちろん、人が沢山いるこの場でちさとが実体化したわけではない。ただ、知尋の中にいる状態でも彼女にはできることが色々あるのだ。
例えば大振りの攻撃を終えた瞬間。
例えば神代の攻撃を回避した瞬間。
知尋が集中のピークを過ぎ、一瞬気を抜いたところでちさとが身体の操作権を握る。人である以上、どうしても発生してしまう思考の間隙を、もう一人の人格が穴埋めし、次の動きをほんの一瞬だけ早くする。
また、知尋とちさとでは男女の差から『癖』に微妙な差異がある。
局所的に入れ替わることによって神代のリズムを外し、それが彼にやりにくさを感じさせていたらしい。
「お蔭でスピード勝負に持ち込まないと辛かった。今回のはいい勉強になったよ」
「こちらこそ。やっぱり神代君は凄いよ」
などと言い合っている間に、少しずつ試合を終えた生徒が増えてきたようだ。
一人、自分の対戦相手を置いてこちらへ歩いて来る男子生徒がいる。イケメンと形容すべきかどうか迷う少年――舞阪集である。
「くそ、注目の対決は見逃したか」
「舞阪。お前、自分の試合は」
「あー、負けたよ。俺は肉体労働、割と苦手なんだっての」
それより、と彼は二人の傍まで歩み寄り、がばっと肩を引き寄せた。
彼が言ってきたのは、流れからはやや外れた言葉だ。
「お前ら、選挙の応援演説は誰にするか決めたのかよ?」
☆ ☆ ☆
知尋は生徒会の副会長に。
神代は風紀委員に、それぞれ立候補している。
風紀委員はあまりに人数が多くない限り信任投票だし、副会長も他に立候補がなければ同様だが、いずれにしろ候補者による演説会は催される。
演説会では本人のスピーチの他、応援者が話をする時間も設けられているのだった。
なお、応援者は基本一名。
多くても二名までとするのが慣例となっている。
「ま、和泉は高槻に頼めばいいような気がするけど」
授業終了後、更衣室で着替えをしながら舞阪が言う。
彼から知尋を挟んだ反対側では神代も同じように着替えている。手を動かしがてら、先程の話の続きというわけである。
まあ、訓練ではどうしても汗をかく。
夏場を過ぎただけマシだが、それでも男子更衣室はムンムンとした熱気に包まれるので、会話で気を紛らわせられるのは有り難い。
「んー」
「あれ、違うのか?」
「いや。そういえば、応援演説のことは考えてなかったな、って」
副会長に立候補、というプレッシャーの方に頭が行っていた。
もちろん、今から頼んでもいいのだが、愛華は医務室の手伝いで忙しい。これ以上、やることを増やすのも酷ではないか。
代わりに真里亜や李狐、あるいは華あたりに頼む手もある。
そういえば、愛華を含めたマンションメンバーの誰からも応援演説の話題を聞いていない。皆、割と関心が無かったり、依頼しても断られたりしないといいが。
「あー。お前、その反応だと知らないな?」
「へ、何を?」
「他の立候補者」
「昨日、掲示されてるのは見たけど」
確認した時点でルシルと知尋、綾瀬以外の立候補は無かった。
また、生徒会役員選挙を取り仕切るのは現生徒会なので、以降に動きがあれば情報が入ってきていてもおかしくない。
疑問に思いつつ着替えを終え、廊下の掲示板を確認すると。
『書記 立候補 一年C組 深海真里亜』
『会計 立候補 一年A組 御宿華』
二つの名前が掲示板に増えていた。
気のせいか、どちらも見覚えのある名前だった。
「……え」
「はは。やっぱ知らなかったな」
硬直する知尋を見て、何故か舞阪が胸を張る。
とりあえず彼のことは無視して脳内に呼びかけた。
(ちさと、知ってた?)
(ううん、私も初耳)
となると本人の独断か、兄妹にだけ知らされていなかったか。
一応、もう一つ確認しようと、知尋は心の声を、ちさとではなく別の相手へ飛ばした。
『あの、葉月先輩。生徒会役員の新しい立候補者って知ってました?』
『うん。面白そうだから和泉君には黙ってよう、って話になってたよ』
やっぱりそういうことか。
首謀者は、聞かずとももはや自明。
知尋は嘆息しつつ、万里歌に心の声でお礼を言って会話を終えた。
傍に立つ舞阪達を振り返る。
「じゃあ、舞阪。俺の応援演説はお前に頼んでいいか?」
「あいよ。そうなるだろうと思った。湯瀬も立候補者だろうし、白峰先輩は公平第一とか言いそうだもんな」
彼らは風紀委員の候補者リストを見ながら言い合っていた。
……なんだか、応援演説の宛てがぐっと減ってしまった。
☆ ☆ ☆
「申し訳ありません、知尋様。つい今朝の話だったので、お伝えする時間も取れず」
「いいよ。ルシル先輩のやりそうなことだし」
帰宅後の居間にて。
真里亜から話を聞けば案の定、首謀者はルシルだった。
なんでも今朝、華と一緒にいる時に偶然出会い、数分雑談をしているうちに立候補が決まっていたのだという。
それは立候補というより推薦ではないだろうか。
「いいじゃないですか。和泉君に迷惑がかかるわけじゃないですし」
ロングスリーブの衣服に身を包んだ華が横から言った。
このところ入り浸りになっている彼女は、住居から着替えを何着かこちらに移している。彼女が居間に居る光景もだいぶ当たり前になってきた。
「そうですね。お二人が生徒会に入ってくだされば、兄さんも助かると思います」
こちらはワンピース姿のちさと。
幻影状態で、まだ帰宅していない鈴の椅子に形だけ腰かけている。
「……まあ、うん。ちさとの言う通り。知り合いがいると心強いよ」
真里亜の兄、灰人率いる『アブソリュート』からの襲撃は今のところないものの、知尋の周囲は何かと物騒だ。
気心の知れた仲間が傍に居てくれれば、色々対処もしやすい。
Mだけあって根気のある真里亜が書記、あれこれ口煩くも気の回る華が会計というのも適任だろう。
二人とも学園祭実行委員を務めていたことも何かの縁か。
と、背後からくすりと笑う声。
「あは。うちの学校の生徒会は、ご主人様が支配できちゃうかもですね」
聞くところによると、札幌の柴鶴学園は灰人の支配下にあるらしい。
似たようなことを柴鳳学園で行うのは対抗手段としてある意味、理に叶って――。
「それもどうかと思うな」
苦笑して振り返る。
メイド服にチョーカーという姿の李狐が、知尋の斜め後方に控えていた。
やっぱりメイドといえば無暗に座ってはいけない――と、妙なこだわりを見せた李狐本人による行動である。
メイドらしく行動するための訓練だと言って、日常生活で立っている時間を少しずつ増やしていた。
本人も冗談のつもりだったらしく、李狐が微笑んだ。
「みんな忙しくなると、あたしだけ除け者って感じだよね。いっそ、あたしも立候補しようかな?」
「まだ当選が決まったわけじゃないわ」
言って、真里亜が穏やかに首を振った。
「それに、あなたには家事をお願いしているでしょう?」
学園祭で他の面々が忙しかったこともあって、最近は家事の大部分を李狐に頼っている。気づけば人数もだいぶ増えているので、負担もかなり大きいはずだ。
李狐も頷いて、
「そういえばそっか。まあ、あたしは料理とか好きだからいいんだけど」
そこから応援演説の話題に移った。
真里亜と華まで立候補するとなると、知尋も含めて最低三人の協力が必要になる。
同一人物が複数人を応援する、という方法も規約上は禁止されていないが、投票する生徒の心象も考えれば止めた方がいい。
「鈴さんには頼めないでしょ? どうするの、兄さん?」
「ん……そうだね。四葉にも頼めないし」
彼女はルシルの応援をすることになっている。
前会長がバックに付き、当人も副会長を経験済み――ルシルはほぼ当確だろう。
んー、と、思考を巡らせた李狐が首を傾げる。
「あたしが真里亜の応援しようか? ご主人様は愛華に頼めばいいし」
「高槻さん、私は考慮されてますか?」
「ううん。御宿さんはA組にも友達いるでしょ?」
あっさり返され、華は憮然としながら「そりゃ、いますけど」と答えた。
「すみません、私がお手伝いできればいいんですけど」
「いいえ、そう言ってもらえるだけで十分です」
ちさとがすまなそうに肩を落とすと、慌ててにっこり微笑んで見せる。
「何、この扱いの差」
李狐が呟くも、正直お互い様である。
そんなわけで李狐が真里亜の応援をし、華はA組のクラスメートに頼むことになった。
知尋は、医務室の手伝いを終えた愛華にあらためて話をし、
「うん、いいよ」
拍子抜けするほど簡単に了承をもらった。
忙しい彼女に頼むのが申し訳なかったが、愛華は「それくらい大したことないよ」と首を振った。
その後、少々じっとりした視線を知尋に向けて。
「むしろ、私以外の人に先にお願いするのは不満かも」
「う、ごめん」
一応、頼むところまでは行かなかった、というのは言い訳か。
そんなこんなで、生徒会役員選挙の公示期間はあっという間に終了。
立候補者の大半が既存の生徒会メンバーだったせいか、それとも暇でない生徒が多いためか。結局、各職とも他の立候補者が出ることはなく、選挙は信任投票となることが決まった。
他の候補者と争わなくていいとわかると正直ほっとした。
もちろん、信任投票も甘くはなく――全校生徒の三分の二の賛成を得なくてはならないのだが。
「大丈夫だよ。そういうので反対票入れるのってよっぽどだから。それに、文句があるなら自分が立候補しろって話でしょ?」
かつて選挙を経験している学園OG、鈴はそう言ってのほほんとしていた。
彼女の励ましを有り難く受け取りつつ、知尋は愛華や真里亜達と共に演説の原稿を作成。
遂に、選挙当日を迎えたのだった。