体育館の舞台袖から移動し、壇上に立つ。
眼下には柴鳳学園の全校生徒、約二百人が勢揃いし、知尋と、その斜め後ろに立つ愛華へ視線を送っていた。
どくん。
途端、胸の鼓動が早くなって抑えられなくなる。
ミスコンの時は案外大丈夫だったのだが、あの時は『ちさとモード』に入っていたうえ、人数も少なかった。
やっぱり、人前に立つのはどうしても緊張する。
(代わろうか、兄さん?)
自分も得意ではないだろうに、そんなことを言ってくる妹に優しく答えた。
(いや。これは僕がやらないと)
軽く息を吸って、少しでも気持ちを落ち着ける。
すると、不意に生徒達の列の後ろ、離れた位置に立つ人影を見つけた。
長い髪をゴムでまとめ、豊かな胸を窮屈そうにスーツへ収めた若い女性――学園の仕事に復職した鈴である。
目が合うと、にっこり笑って手を振ってくれる。
他の生徒達が気づかないところを見ると『認識疎外』中なのだろう。わざわざ見学に来てくれたことに妙な有難さを感じた。
それに、傍には愛華がいる。
舞台袖には真里亜に李狐、華、四葉。
ルシルと万里歌、綾瀬の姿もある。彼女達からは本番前に「落ちたら承知しない」「大丈夫」「落ち着いて」と温かい言葉をもらった。
「一年C組の和泉知尋です。今回、生徒会の副会長に立候補しました」
話し始めると頭が冷え、不思議と大きな失敗はしなかった。
学園祭の準備段階から生徒会の手伝いをしていたこと、副会長にはルシルの薦めで立候補したこと、当選できたら会長のサポートをしていきたいことなど、特に奇をてらわずに話した。
ちさとちゃーん、と、一般生徒から野次が飛んで焦ったりしつつ、なんとか話し終えて愛華にバトンタッチ。
「和泉君を応援する、一年C組の高槻愛華です。入学した頃、私は和泉君のことを目立たない子だと思っていました」
愛華は自らの体験を元に、知尋の人となりを話してくれた。
お互いを相手に練習もしたので、その内容はよく知っている。褒めるだけではなく、率直な所見も含んであってわかりやすい内容だった。
それぞれ数分程度、短い演説を終えて一礼。
生徒達からの拍手を背に舞台袖へ戻ると、最初に感じたのは終わったという安堵だった。
「二人ともお疲れ様」
と、先に会長の立候補演説を終えているルシルが寄ってきた。
身体を知尋達の正面に向けつつ、つんと顔を逸らして声を上げる。
「ま、悪くなかったんじゃない? 自信持っときなさい」
「ありがとうございます」
口が悪いというか、何かと知尋をからかう彼女も悪気はないのだ。知尋もそれはわかっているので、素直に微笑んでお礼を言った。
逆にルシルはバツが悪そうに頬をかき、それから話題を変える。
「っていうか、高槻さんだっけ? 結構凄いことするのね」
「凄いこと、ですか?」
二人して顔を見合わせ、首を傾げる。
ごくごく真っ当な応援演説だったと思うのだが――。
「二人の馴れ初めを最初から丁寧に説明するとか、彼女いない男子には拷問だったんじゃない?」
「……あ」
愛華が呻いて頬を赤らめた。
なるほど、そういう考え方もあるか。
言われてみれば頷ける点もあって、なんだか知尋も恥ずかしくなった。
(あはは。でも、兄さんと愛華姉様がラブラブなのは前からだし)
(1-C以外の人がどこまでそう思ってくれてるか、だよね……)
学園祭、というかミスコンでの優勝以降、知尋は少々目立ち過ぎている。
まあ、『ちさとモード』については奇異の目で見られたり、ネタにされたりで収まっているからまだいいのだが――大っぴらに恋人といちゃつくのはやっかみの的にもなるのではないか。
「今更悩んでもしょうがないでしょ。そんなどうでもいいこと」
「どうでもいい、って」
「彼女がいようが、女装しようが、あんたの仕事が変わるわけじゃないでしょ? それがわかんない相手なら放っとけばいいの」
ルシルらしい言葉だった。
彼女が視線を向けた先には、何やら万里歌と談笑する綾瀬の姿がある。当然のように女子制服を着ていて、その度胸には感服するしかない。
そう。そもそも、あの綾瀬が一年間、生徒会役員を務めているわけで。
案外、本当に悩んでも仕方ないのかもしれない。
続けて書記、庶務、会計の演説が滞りなく行われた。
更に、風紀委員会関連の演説も併せて行われる。
全て済むと解散し、各教室にて投票作業となる。
一般生徒達が次々に掃けていくのを確認しながら、知尋は愛華へ声をかけた。
「じゃあ、戻ろうか」
「うん。……知尋君も、一緒に戻っていいんだよね?」
「僕が開票作業に参加するのは問題だからね」
知尋というか、立候補者全員がそうだ。
まさか票に細工する者がいるとは思えないが、それでも「公正な選挙」をアピールするため、候補者は開票に参加しない。
なので、各クラスの票をクラス委員が回収し、別室に集めた後は有志の出番となる。生徒会とも風紀委員会とも直接関わりのない生徒が二チームに分かれて開票、集計して結果を発表するのだ。
発表は校内放送で行われる。
候補者は各自の教室で、ドキドキしながらそれを待つことになる。
「よう和泉、お疲れ」
「そこそこ格好良かったよー」
教室では何人かからそんな風に声をかけられた。やはり大部分の生徒は真里亜や神代に意識を向けていたが。
ともあれ、舞阪主導でさくさく投票用紙が配られた。
(っていうか、僕も自分で自分に投票するんだよね)
(あ、じゃあ、私が書いてもいい?)
それはいいアイデアかもしれないと、ちさとに身体を明け渡す。
「ふふ」
少々鼻歌交じりに――隣に座る真里亜がくすりと笑っていた――ちさとは用紙に文字を記していく。
『信任』
知尋の欄に書かれたのはその二文字だけだ。
後から上に『不』の文字を付け足すフェイントも警戒したものの、結局それは現実にならなかった。
ちさとは全員の欄に『信任』を記し、用紙を二つに折りたたんだ。
簡単な作業だったからか、むしろ名残惜しそうに。
(もう。私、意地悪なんてしないよ。失礼だな)
(ごめんごめん。不安だと色々浮かんじゃって)
回収された用紙を舞阪が持っていき、帰ってきてしばし。
『これより、生徒会役員選挙および風紀委員選挙の投票結果を発表いたします』
来た。
大丈夫だろう、という気持ちと万が一、という気持ちが同時に胸を巡る。
『生徒会長 ルシル・オーウェルさん。当選』
当然のごとくルシルは当選。
順番的に、知尋の発表はこの次だ。
丁寧に一人ずつ発表されていく形式が動悸をより早め――。
『生徒会副会長、和泉知尋君。当選』
おお、と、クラス内が湧いた。
続けて真里亜や華、それから神代の当選が告げられると、これ以上は聞く必要はないとばかりに騒がしくなった。
皆が口々におめでとうと言い合い、知尋も勢い任せに揉みくちゃにされた。
(ふふ。おめでとう、兄さん)
(ありがとう、ちさと)
ちさとからの祝福に答えていると、喧騒の中、舞阪が声を張り上げた。
「和泉、生徒会の仕事する時は女装するのか?」
「しないよ!」
それを合図に、周囲で笑いが巻き起こった。
☆ ☆ ☆
結局、信任投票による落選者はなかった。
知尋と真里亜、華――それに神代と、A組の湯瀬朱香。来年度の生徒会役員、風紀委員として選出された面々は、選挙翌日の放課後、会議室代わりの空き教室へとさっそく集められた。
そこには四葉、ルシル、万里歌、綾瀬の生徒会メンバーと、沙雪を始めとした風紀委員数名が同席している。
風紀委員に関して、沙雪以外の面々とはほぼ面識がないが、目を引くのは副委員長。
(不破(ふわ) 達彦(たつひこ)さんだったっけ)
(うん。能力は『強靭』だったかな)
身長はおそらく百八十センチ前後。筋肉に覆われた大きな身体を、窮屈そうにパイプ椅子へ沈めている。
……と思ったら、よく見ると尻の部分が少し浮いている。
いわゆる空気椅子というやつか。
不和の『強靭』は肉体強化系の能力で、効果としては、とにかく身体が頑丈になる。殴られてもダメージを受けにくくなるし、間接的に肉弾戦の破壊力も増す。休息時の回復も速くなるらしい。
ランクはB。バランス型と防御特化という違いはあるが、神代にとって一つの理想像、目指すべき先駆者の一人であると言える。
そんな彼は、知尋達一年生の姿を認めると大きな声を上げた。
「よう神代、訓練は欠かしてないか?」
十分すぎるほど室内に響く声に、知尋は思わず眉をしかめる。
一方、呼びかけられた神代は慣れているらしく、すぐに笑顔を浮かべて答えていた。
「はい。これからもご指導お願いします」
「よしよし。お前にはまだ教えることがいっぱいあるからな」
はっはっは、と不破は豪快に笑った。
どうやら見た目通り、体育会系というか暑苦しい系らしい。
そんな彼を、沙雪がじろりと横目で睨んだ。
「不破。訓練は構わないが、あまり神代をお前のノリに染めるなよ。私が困る」
「む。相変わらず白峰は真面目だな」
ははは、ともう一度笑ってから不和が静かになる。
あらためて口を開いたのは四葉だ。
「皆さん、ようこそ。これからよろしくお願いいたします」
立ち上がっての一礼に知尋達が応じるうち、ルシルが相方の言葉に続いた。
「当選早々で悪いけど初仕事よ。皆にも今度行われる学校対抗戦の参加者選びに同席してもらうから」
必要に駆られて、というよりは引き継ぎの一環らしい。
何しろ、この参加者選びは年に一回だけ。新人達にも様子を見せておかないと、前年までどうやって決めていたのか伝わらない可能性があるからだ。
まあ、来年度のように、前年からの続投メンバーがいる場合は必須ではないが。
「お前らも大体参加者候補だからなー。呼んどいて損はないだろ」
何か意見があれば自由に発言して構わない、と前置きされた上で、まずは簡単に説明を受ける。
学校対抗戦が行われるのは十二月最初の日曜日。
場所は、この柴鳳学園。
札幌の柴鶴学園と他二校――大阪の柴龍学園に、九州の柴甲学園から代表者がやってきて、柴鳳の代表者と競い合うことになる。
代表者は各校五人。全五回戦を行い、最も勝ち数の多かった学校が優勝となる。
「現時点では、種目の内容はわからないんですよね?」
「ええ。代表者の選出、公表後に、各校の代表者が種目決めを行うことになっているわ」
だから、あらゆる事態を想定して代表者を選ぶ必要がある。
ルシルが肩をすくめて言う。
「別に勝ってもちょっとした賞品が出るくらいだけど、学校側は割とやる気だったりするわね。別の学校と直接競う機会なんてそうそうないから」
責任を負うにはちょっと辛い条件かもね。
と、彼女はそこで言葉を切って更に言った。
「その上で、誰かやりたい人いる?」
「―――」
室内にいる過半数が困った顔をした。
意地の悪い聞き方だ、と。
その上で、数秒後には全員が手を挙げていた。
「よろしい」
にっ、と笑うルシル。
そんなことだろうとは思ったが――どうやら試されたらしい。やる気のない奴を使う気はない、というか、使いたい奴が無気力だと困るから発破をかけた、といったところか。
説明が終わったところで沙雪が口を開いた。
「では、始めようか」
校内の目ぼしい生徒については、綾瀬によりリストアップされていた。知尋を含めたこの場にいる全員と、他にも数名の名前がある。
(この中から五人、って難しいね)
リストを見て、ちさともあらためて呟いた。
実際、人数的にも条件的にも難易度が高い。
この場にいる面々がそれぞれ好きに選んだ場合、てんでバラバラの結果になってもおかしくなさそうだ。
何か選ぶ指針があればいいのだが。
「あの。去年の結果とか、残ってませんか?」
華が挙手して質問する。
すぐさま綾瀬が応じ、スクリーンを使ってPC内のデータを表示してくれた。
「ありますよ。去年は、柴鶴学園が三勝して優勝していますね」
「……三勝」
つまり四校のうち少なくとも一校が、一勝もできていない。
「うちは一応、一勝してるけどね。種目との相性もあるし、そういう偏りも普通に起こるって覚悟しときなさい」
そうルシルは言うのだが、知尋は別のことを考えざるを得なかった。
平均一勝となる戦いにおいて三勝した学校。その勝利の要因には、生徒の能力も当然あったはずだ。
柴鶴学園。
『アブソリュート』――深海灰人が生徒会を掌握しているという高校の底知れなさを感じた。
「去年、柴鶴学園で勝ち星を得た生徒は全員、三年生です。ですから今年は大幅にメンバーを変えてくるのは間違いないでしょう」
補足するように綾瀬が言う。
しかしそれは、逆に言えば、相手の出方が全く読めないということも意味していた。