「やっぱり当たったね」
「うん。約束は守るから」
「ありがとう」
正面から向かい合い、神代の目を見る。
――試合開始直後、真っすぐに進んで右足での蹴り。
読めた。
これまで彼の心を読む機会は殆どなかったが、どうやら相当に馬鹿正直な性格らしい。相手を侮るでも、勝利への熱意に燃えるでもなく、戦闘の方針をしっかりと思い描いている。
「始め!」
教師の号令。
神代は情報通り、真っすぐに知尋へ向けて進んでくる。速い。やはり基礎的な身体能力が知尋とは違う。
『落とし物』としての能力は、使わずに勝負するようだ。
知尋はやってくる神代を、その場に立ったまま待ち受けた。やや足を広めに開き、踏ん張りが効く状態にする。そして右足を引き半身気味に。
神代は方針を変えない。読心による情報はそのまま。
にっ、と笑みを浮かべて知尋に肉薄する神代。
ここだ。
右足を踏み出し、カウンター気味に右の拳を繰り出す。
インパクトはほぼ同時。一瞬だけ早く知尋の拳が神代の胸に食い込み、固い感触と共に衝撃を伝える。
しかし、神代の身体は多少のふらつきさえも見せなかった。
直後、左脇腹に蹴りが直撃。事前に心構えをしていたにも関わらず吹き飛ばされ、床を一メートル近く擦った。
「……参りました」
知尋は半身を起こして神代に告げた。
正面から完全に叩きのめされた。文句のつけようのない負けだった。
ふっと息を吐いた神代が歩いてきて手を差し出した。知尋の手を握って引き起こす。
「フェイントとか、全然関係なかった。神代くんなら深海さんに勝てるかもしれない」
「いや、いい勝負だったよ。あの拳にもっと威力が乗っていれば結果は違っていた」
知尋を助け起こした神代は、視線をやや遠方へと向ける。そこでは真里亜が、ほぼ捨て身の戦法によって相手を「完封」する姿があった。
勝てる、だろうか。彼はあの少女に。
知尋は、自分がいったいどちらを応援するべきなのかよくわからなくなりながら、二人の戦いが始まるのを待ち受けた。
神代と真里亜の対戦はその日の最終戦だった。
クラスメート相手に真っ向から突っ込み、見事カウンターを食らって即座に敗北した知尋は、対戦後の挨拶を済ませるとすぐ、真里亜たちの戦いを見学に向かった。
そこに広がっていたのは意外な光景だった。
真里亜が床に組み伏せられている。
神代が彼女の腕を取り、関節技を決めているのだ。
成程、と知尋は思う。
真里亜は自らの能力により受けたダメージを相手に返すことができ、また治癒能力によって自分のダメージは癒してしまう。だから普通の肉弾戦では相手が一方的に不利にすることができるが、拘束系の攻撃は彼女にとって弱点となる。
動きを封じられてしまえば攻撃できないし、相手から攻撃らしい攻撃が無ければダメージを返すこともできない。そうなればもう降参するしかない。
まあ、神代も関節を極めている分だけ、僅かなダメージを返還されているようではあるが、その程度で揺らぐ彼ではない。
まさか、こんなに簡単に決まってしまうのか。
そう思った知尋だったが、真里亜は思わぬ行動に出た。
彼女は自ら右腕を動かし、より関節が極まる状態にした。それを勢いよく行ったため、周囲にまで響く音と共に腕の関節が外れる。驚いた神代が手を離した隙に身を起こし、真里亜は神代から距離を取った。
「……まさか、そんなことまでするなんて」
神代が驚きを隠せない様子で呟く。
一方の真里亜は額に脂汗を浮かべつつも笑顔で答える。
「生憎、我慢強さには自信があるの」
実際、あれは彼女以外が容易に真似できる芸当ではないだろう。真里亜にしても、治せるという保証がなければさすがに軽々しくはできないはずだ。
左手でごりっ、と無理矢理右の関節を嵌めると、構えを取る真里亜。
「二度、同じ手を食うつもりはないけれど、どうするの?」
「……はあ。仕方ない。なら、正攻法で行かせてもらうよ」
そこからは消耗戦だった。
お互いに接近しての殴り合い。一応、神代は真里亜の顔や腹を狙わないよう配慮しているようだったが、それ以外の場所は容赦なく殴り飛ばしている。
ごっ、と。
神代の蹴りや拳が当たるたび、真里亜の身体からは恐ろしい音が発せられる。それを聞くだけで攻撃の威力が凄まじいことが窺えた。
……知尋と戦った時とは段違いだ。
それは彼が今、『落とし物』としての能力を行使しているから。神代悠希の能力は身体強化。筋力や運動能力、身体の頑丈さを強化する「だけ」の、単純にして最高峰の能力である。
事実、真里亜の骨が軋むほどのダメージを逐一「返され」ているにも関わらず、神代の動きは鈍らない。肉体が持つ防御力、耐久性能のレベルが真里亜とは全く異なる証だった。
ダメージを受けても治癒できる少女と。
ダメージを受けても物ともしない少年。
まさにクラス内の頂上決戦と呼ぶべき戦いを、気づけば試合を終えた生徒の殆どが見守っていた。
既定の五分が経っても、教師ですら止めに入らない。
戦いは、真里亜が劣勢。
流れが速すぎて治癒が追いつかないのだ。治す端から大ダメージがやってくるため、彼女はもう満身創痍の状態になってしまっている。
まともな人間なら、とっくにギブアップしているであろう状況。
しかし彼女は動き続ける。痛む身体に鞭打って、神代の身体に攻撃を入れ続ける。大して効いていないことも理解しているだろうに。
そして。
少女の抵抗が実を結び始める。
神代の身体がぐらりと揺れたのだ。彼はすぐに踏みとどまるも、その動作は決して彼が楽な状態ではないことを示している。
「降参、してくれてもいいのよ?」
「冗談を言わないで欲しいな」
真里亜の呼びかけに神代は笑って答える。全身に汗をかき、顔もややひきつりかけていたが、それでも真っすぐな印象は変わらない。
神代が再び動き出す。拳と蹴りを織り交ぜたラッシュ。
真里亜はそれを腕で防ぎ、あるいは敢えてまともに食らって反撃を加える。
両者の動きは少しずつ、しかし着実に遅くなり始めていた。
ダメージがピークに達しつつあるのだ。そしてこのままペースが落ち、制止する時間が多くなれば、戦況は逆に傾いていく。
持久戦なら真里亜が有利だ。
「じゃあ、一気に決めさせてもらう」
神代が深呼吸をし、腰を深く沈めていく。
両腕と両足、全身に力を貯めるように。
「………」
真里亜は神代と一定の距離を保ったまま、ただ彼をじっと見つめた。構えるでも、必殺の一撃を阻止しようとするでもなく、自然体で。
堪えるのではなく受け流すつもりなのか。
「……なあ。死ぬんじゃね、これ」
誰かが呟いた。
実際にはこの訓練中に死亡することはほぼあり得ない。臓器の欠損や出血多量でも無いかぎり、教師あるいは校医が適切な処置を行うし、応急処置程度ならばこの場にいる愛華にも可能だ。
だから、神代も真里亜も死地にあるわけではない。
……本人達の心境は、おそらくそれに近いものがあるのだろうが。
「あ」
神代が動いた。
右足の踏み込みが訓練場の空気を震わせ、一呼吸のうちに彼我の距離がゼロになる。真里亜の懐に飛び込んだ彼は、移動のエネルギー全てを拳に乗せ、真里亜の上半身へと叩き込んだ。
直後、二人が同時に吹き飛ぶ。
磁石同士が反発するように、正反対の方向へ。真里亜は背中を打ってごろごろと転がり、神代は大きく叩きつけられたまま動かなくなる。
静寂。
二人とも息をしていることはすぐにわかった。
命の心配はない。ならば後は、どちらが先に立ち上がるか。
立ち上がった方が勝者だと、誰もが自然と理解していた。
五秒。十秒。十五秒……三十秒。
そのままさらに十数秒が流れ、まさか相討ちかと思われた時。
「くっ……」
神代が動いた。
床を探るように手を動かし、ぐっと力を籠めて半身を起こす。
彼はそのまま息を吐き、足を立てると立ち上がった。途端にふらついてしまうほどのダメージ、もはやぼろぼろの状態だったが。
真里亜は、動かない。
天井を見上げたまま右手を胸に置き、ゆっくりと呼吸を整えている。
「ありがとう。最後まで付き合ってくれて」
神代が真里亜に歩み寄り、にこりと笑った。動けない真里亜に配慮したのか手までは伸ばさない。
真里亜はそんな彼を見上げると、すぐに首を振った。
「いいえ。……あなたこそ、ただの訓練でよくもここまでするわね」
すると、それを聞いた神代が目を細めた。
「訓練だからだよ。ここで頑張らなければ、本当の実戦で頑張れるはずがない」
そこで、わっ、とギャラリーから歓声が起こった。
神代と真里亜、両者に等しく称賛が送られる。同じ一年生、同じ『落とし物』である以上、本来は全員がライバルであるわけだが、これだけの戦いを見せられれば皆、素直に凄いと評するしかないのだろう。
知尋もまた、二人の戦いぶりに感嘆した。
基礎的な身体能力で圧倒的に劣る中、ほぼ互角の戦いを見せた。ドッジボールの試合の際に真里亜にかけた自らの言葉を、自らの力で覆して見せた神代。
別格、と言っていい戦いぶりだった。
「大丈夫、深海さん!?」
いち早く真里亜に駆け寄っていくのは愛華。能力を使って手当てしようとする彼女を、しかし真里亜は首を振って制した。
「私は自分で治せるから、治すなら神代くんを治してあげて」
「そう? 本当に大丈夫?」
「大丈夫。心配ないから」
こくん、と頷いた愛華が今度は神代に駆け寄っていった。
傷を治す能力のない神代は、愛華の能力を素直に受け入れて応急処置を受け始める。今のままでは自力で校医のところまで歩くのも辛いだろうし、確かに必要な措置だろう。
と、知尋の視線に気づいた神代が振り向く。
彼はふっと笑ってすぐに視線を戻したが、一瞬目が合った知尋は、読み取れた神代の感情に首を傾げる。
……なんだか胸が熱くなる感じ?
真里亜の性欲とは違う、もっと純粋な気持ちだ。
ということは恋愛感情……なのだろうか。
相手は知尋、では当然なく、自然に考えるなら今、彼の傍にいる人物。
「高槻さん?」
そう思って神代の顔を見れば、確かにほんのりと赤くなっているような。
意外、でもないか。美男美女、善人同士でお似合いに見える。愛華の方にどこまでその気があるのかは良くわからないが。
そこへ担当教師の声。
「結構時間も経ってしまったし、すぐに動けない人もいるので、今日はここで帰りのHRを行います。担任の先生には連絡したので、到着するまで待っていてください」
担任の到着まで一同の騒ぎが止むことはなく、その日は訓練場でHRを受けて解散となった。
すっかりヒーロー扱いの神代を横目で見つつ、着替えを済ませて更衣室を出る。
そういえば、真里亜はどうしただろうか。
知尋が着替えに移動する時にはまだ訓練場にいて、隅の方で壁に背を預けていた。クラスの女子に囲まれてもいたので、すぐには移動できそうになかったが。
気になって見に行くと、彼女はまだそこにいた。
既にクラスメート達は着替えに向かったらしく、残っているのは真里亜一人だ。神代のとの戦いによる疲労、ダメージが相当大きかったのだろう。
「和泉くん」
「やっぱり、買い物は僕が行こうか?」
微笑む彼女に尋ねると、むっとした顔で首を振られた。
「駄目だって言ったでしょう? むしろ、予定通りに買い物しろ。いや、お前一人で行け、とか言われる方が興奮するんだけど」
「さすがに酷すぎないかな、それ」
まあ、知尋が言えた義理ではないかもしれないが。
残念ながら、興奮に突き動かされていない時にそこまでできるほど、知尋はまだ吹っ切れていない。
はあ、と息を吐く。
「じゃあ、落ち着くまで待ってるよ」
「ありがとう。教室か、屋上にでも居てくれればいいわ」
「わかった。無理しないようにね」
言うと、真里亜がきょんとした表情を浮かべた。
「あなたは本当に、変な人」
「……そうかな」
少々心外ではあったが、文句は言わず知尋はその場を後にした。
途中で購買により、自販機でパックのジュースを買ってゆっくり飲み干す。それから教室に戻ると、真里亜はまだ来ていないようだったが、教室に残っている生徒はだいぶ疎らだった。
多くの生徒はもう下校したのだろう。
自分の席に腰かけて荷物を整理する。すぐに作業は終了し、若干手持無沙汰になったため、机に突っ伏してうとうとする。
そのうち本当に居眠りしてしまい――微睡みの中、知尋はがたん、と物音を聞いた。