楓が倒した生徒が四人。観月に倒された華と早稀を合わせると六人。
かなりのハイペースだが、まだ十四人も残っている。ここで知尋が倒されれば柴鳳学園の勝利が遠くなる。
そうならないためには逃げるしかない。
いくら知尋が打たれ強くも、ここで拘束されれば後は気絶するまで殴られるだけだ。
「っ!」
ごろん、と横に転がって楓から距離を取る。
そうして勢いよく起き上がったところで蹴りが来た。知尋は無理に避けようとせず、食らいながら足に後方への力を籠めた。
素で受けたら息が詰まりそうな威力を利用し、数歩分を吹き飛ばされる。
着地。体勢を立て直すより先に身体の向きを変えて走り出す。後方を振り返る暇なんてなかった。
「無駄だ、と言ったはずだが」
十数秒、走ったところで、またも楓が前方に出現した。
キリがない。
それでもまともに戦う気にはなれない。先程の観月との戦い、そして長く楓と接してきた経験が知尋にノータイムで逃走を選ばせる。
「はっ!」
そのために、身体ごと全力で飛び込むような体当たり。
「……ほう」
さすがに捌ききるのは不可能と判断したか、楓は半身になった回避。ならばと知尋は更に地面を蹴った。
直後、腹部に衝撃。
隙の少ないモーションで楓が拳を差し込んできたのだ。
「ぐっ……」
だが、動きを止める程ではない。
『刺激共有』『苦痛軽減』の効果だ。生半可なダメージでは知尋の動きは止められない。最も、これで楓も次からは確実に拘束しに来るだろうが――。
もう一度攻撃される前に。
次にまた姉が転送されてくる前に、少しでもログハウスから遠ざかる。
周囲に目をやる余裕すらあまりない。
進行経路に障害物があるかないか、その程度しか判別せず一目散に逃げる。格好悪いとかそういうことは気にしない。
そして――。
(兄さん。楓さん、追ってこないみたいだよ?)
(……あ)
一分程の全力疾走の後。
ちさとに囁かれた知尋はがくっと速度を緩めた。
完全に立ち止まらないようにしつつ、乱れた息を整える。腕を持ち上げて額の汗を拭い、周囲に視線を巡らせる。
近くに訓練場の建物が見える。
どうやら、いつのまにか緑の多い地帯を抜けていたらしい。訓練場の外壁に歩み寄ると、それに沿って歩く。
(うまく、狙いが逸れてくれたかな)
(多分ね。今のうちに逃げながら休憩しよう)
つまり、楓は別の生徒の元へ移動したということだ。
――この競技において観月はログハウス周辺から動かず、楓は観月から最も近い生徒を狙うルールだ。
また、楓の移動は観月が担当している。
楓が突然知尋の前方に現れたことから見てもこれはほぼ間違いない。
ならば「楓の次のターゲット」を決めているのは楓自身ではなく観月。
観月は定期的に端末を確認し、楓が生徒から一定以上離れていた場合は「自分が視認できず、かつ最も近くにいる生徒」の元へ楓を転送する。
人の良さそうな観月の印象からして、この部分に私情が挟まることはほぼない。
楓が知尋を仕留めきれておらず、追撃を望んでいたとしても、より自分に近い生徒がいればそちらを優先してくれる。
(兄さんが必死に走ってたのは、狙われる順番が変わるのを期待してから……なんだね)
(そういうこと)
うまくいくかは賭けだったが。
他生徒が近辺にまだ残っている可能性は割とあった。逃げた方向の問題――校舎とは反対側に逃げてもすぐ外壁に突き当たって行き止まる――だったり、状況を見ながら観月に挑戦しようとしている者、数人で楓を待ち受け袋叩きにしようと画策する者などもいるはずだからだ。
(……まあ、中途半端が一番危ないんだろうけど)
(そうかな? ほいほい燕条さんに挑戦した兄さんが一番馬鹿だったと思うけど)
(返す言葉もないよ)
楓と出会った生徒達も、ただで負けたいとは思わない。
ある程度は抵抗してくれるはずで、それが今、知尋がこうして得られた猶予だ。
長くは続かないだろうが、有効に使う。動き続ければ更に誰かを追い越して猶予が増える可能性もあるのだ。
しばらく歩いて呼吸が整ったところで小走りに変更。
訓練場の建物を抜けて更に進む。向かうのは、学園の敷地内でログハウスから最も遠い場所――学園の隅っこ。
まあ、着いたら着いたでまた別の問題がありそうだが。
「渋滞してるはずなんだよね、ほぼ間違いなく」
最後まで生き残ればいい。
このルールである以上、どこに逃げるのが一番安全かは自明だ。当然、複数人がそこへ逃げるはず。
しかし最終的な勝者は一人だけ。
果たして、彼らはどうするだろう?
恨みっこなし、楓を全員で待ち受けて一斉に襲い掛かるか。騙し合いや押し付け合いをして自分が生き残ろうとするか。それとも、楓が到着する前に一人になるまで潰し合うか。
そう考えると、正直あまり行きたくない気もする。
などと、思ったのがいけなかったか。
「何の話か知りませんけどぉ、考えるだけ無駄だと思いますよぉ」
「……指宿さん」
知尋の行く手に一人で立つ少女がいた。
指宿かなめ。
学園祭のミスコンで場をひっかきまわし、この対抗戦においても柴鳳潰しを主導してきた少女。
知尋に並々ならぬ殺意を抱いているらしい彼女が凶暴な笑みを見せる。
「ここで共倒れしましょう、和泉君?」
「……悪いけど、今はそんな場合じゃないんだ」
挑発を無視する。
今、かなめと戦うメリットがない。今回は第三種目のような不意打ちもないだろうが、ここで時間をかければ楓の餌食だ。
――あるいは、彼女がここにいるのは時間稼ぎか。
第四種目で志鶴と引き分けた知尋を引き留め、ついでに楓と交戦する。その間に志鶴とまどか、つかさの三人が敷地内の最も遠い位置に移動し、他校の生徒達を殲滅……なんて、ありそうな話だ。
だとすると、かなめは捨て駒ということになってしまうが。
知尋は走る方向を少しだけ変え、その場を通り過ぎようとする。
すると、かなめは当然のごとく追いすがってきた。
「待て!」
声と共に拳が飛ぶ。
これは、単に振り切るのは無理と判断。
このまま追いかけっこを続けるのも体力の無駄なので、足を止めて振り返る。大振りな一撃をギリギリで交わし、握りしめた右拳を繰り出す。
拳が深く、かなめの腹に食い込んだ。
「か、は……っ」
肺に溜めた空気を吐き出し、驚愕の表情を浮かべるかなめ。
しかし、これは当然の結果だ。彼女は、知尋に一矢報いることに気を取られて動きがストレートになりすぎている。
同時に、命の危機を感じている今の知尋には手加減をする余裕がなかった。
かなめはその場に膝をついて知尋を見上げてくる。
瞳からは強い執念を感じるが――。
「ごめん、指宿さん。関節技は得意じゃないんだ」
「く……ま、てっ」
伸びてくる右手を知尋は軽くかわした。
「それじゃあ」
かなめが痛みを堪えて身を起こす、しばしの間に走り去った。
――数十秒か一分程度でややスピードを落とす。
追撃の気配は今のところない。
このまま無事にやり過ごせることを期待しつつ、本校舎の前を通り過ぎた。
「……はぁっ」
息が切れる。
何しろ第三種目から動いてばかり。日頃から身体を動かす習慣がなければもう、疲労で動けなくなっている頃だ。
それでも止まれない。
止まったら死ぬ。
殆ど脅迫観念のような思考が知尋を突き動かした。
『ルシル先輩、葉月先輩。無事ですか?』
何か考えていないと不安で、知尋は『伝心』を使いルシル達に呼びかける。
『先輩?』
しかし、二人からの返事はなかった。
感覚からして相手に届いてはいる。にもかかわらず応えてくれないということは。
ヴー、ヴー。
マナーモードにしていたスマートフォンが懐で震えた。
『ごめん、私も万里歌もやられた』
件名に「返信不要」としたメールは短い一文だけで終わっていた。やはり『伝心』に答えなかったのは万里歌が脱落したせいか。
しかし、ルシルと万里歌まで。
あの二人ならこの競技のセオリーに気づかないはずがない。また、楓や観月が生半可な相手でないことも承知していたはずなのに。
……まさか、何か起こったのか。
ぞくりと背筋が震える。
楓と観月、二人だけで手一杯だというのに、もし他にも脅威が増えたらどうしようもない。
華がやられるところはこの目で見た。
神代を倒したことは楓から聞いた。
ルシルと万里歌も脱落した。
残っているのは知尋、一人だけ。
知尋が倒れれば柴鳳学園は脱落。
もし、柴鶴学園が第五種目に勝利すれば――灰人との賭けに則り真里亜を差し出さなければならない。
それは絶対に嫌だった。
「……っ」
歯を食いしばる。
気持ちを奮い立たせたところで、何かが劇的に変わるわけではない。余力が残り少ないのも、紙一重の死線に立っているのもそのまま。
それでも気力は、身体を動かすための力になる。
視界の端を学園の景色が流れていく。
普段は校門から本校舎に移動し、本校舎から訓練場やグラウンドに移動するだけで、学園を「散歩」をしたことなど殆どない。
こうして駆けまわってみると学園の広さが良く分かる。
今度、ゆっくり回ってみるのもいいかもしれない。
ただし、無事に全てが終わったらの話だが。
「――あ」
見えた。
学園の敷地、その端だ。
二方向を外壁に囲まれたその辺りに誰かが立っている。他校の生徒なのは確定だが、一体誰が。
「あら。ごきげんよう、和泉知尋さん、だったかしら」
「はい。それで正解です、お嬢様」
立っていたのは二人。
彼女達の姿を見て「最悪だ」と思った。
――悠然と佇む縦ロールと、右手を押さえながら立つショートヘア。
「城崎さんに、磐木さん……」
「ええ。名前を憶えて下さっているとは、話が早くて助かりますわ」
言って縦ロール、城崎まどかが笑う。
余裕だ。
それも、そうだろう。
彼女の周囲には何人か、倒れたり蹲ったりしている生徒がいる。しかし立っているのはまどかとつかさだけなのだ。
「さすがに、このまま私達の勝利とはいきませんか」
戦闘不能になった生徒達の中には柴鶴の生徒会長、志鶴の姿もあった。
そして、心配していた味方の二人も。
「……はぁ。当たり前でしょ? うちの新人は鍛え方が違うの」
学園の外壁に背を預けたまま強がるルシルに、隣の万里歌がこくこく頷く。
「先輩。何があったんですか?」
「乱戦よ。ここの場所取りでやりあった結果がこれ。……不甲斐ないとか言わないでよね。そこの有馬さん倒すのにどんだけ神経使ったか」
「ええ、お見事です。まさか正攻法で私が倒されるとは」
ルシルは第四種目の後、知尋と華が伝えた志鶴の印象から攻略法を導きだしていたらしい。
内容は簡単。
地面で躓いたり目にゴミが入ったり不意の騒音で驚いたり、そういうことがないよう「常に注意しながら戦う」だけ。
不確定要素を味方に付ける――アクシデントの発生率を上げる志鶴の能力は確かに凶悪だが、起こるアクシデントの殆どは本人の意識次第で防げる。そうすれば志鶴は何の能力も持たない人間と同じというわけだ。
ただし、実行はそう容易くない。何しろ、近接戦闘の最中に足元やら何やらに細心の注意を払わなければならないのだ。普通は集中力が続かなくなるか、肝心の戦闘が疎かになってしまう。
『天才』の能力を総動員した上でギリギリ勝利。その後すぐつかさにやられて体力を使い切ったとのことだ。
万里歌はルシルに志鶴と一騎打ちをさせるため、つかさ他、数人の生徒と乱戦を演じていたらしい。結果、彼女達はほぼ共倒れ。腕を負傷しつつも立ち上がったつかさだけが残った形。
「……城崎さんは?」
「わたくしは高見の見物をしておりましたわ」
「いや、それは自慢にならないんじゃ」
しかし、厄介なのも事実だ。
柴鶴学園は数の有利を活用してまどかを温存し、それが見事にハマった。知尋が辿り着けなければそのまま勝負が決まっていたかもしれない。
ふっ、とまどかが笑みを浮かべて告げる。
「これ以上は誰も来そうにありませんわね。……では、和泉知尋さん。わたくしとつかさ、二人を相手にどこまでやれるか見せていただけますか?」
「………」
息を飲む。
知尋も、もうあまり体力が残っていない。
一方、相手は二人。しかもまどかは戦闘を行っておらず、しばらくここで休憩している時間もあった。
条件は圧倒的に不利と言っていい。
ちらりとルシル達の方を見ると、なんと笑顔が返ってきた。
「お膳立てはしたから、やっちゃいなさい」
「先輩?」
「何か事情があるんでしょ? 四葉と華もなんか張り切ってたし。だからってわけじゃないけど……ま、ちょっとくらいは期待してる」
喋れない状態にある万里歌も手を持ち上げ、ぐっ、と親指を立ててくれる。
「……わかりました。僕も、打たれ強さには自信があるんです」
瞳から何かが溢れて来そうになるのを堪え、知尋はまどかを見た。
「それに、姉さん達と戦うよりはずっと気が楽ですから」