あまり外には出ない方だ。
用もなく外出しても仕方ないし、無理に用事を作るのも違う。今時、室内で暇を潰す方法などいくらでもあるし、スポーツは特別好きでもない。
だから、万里歌が外に出るのは登下校と生活用品や食料品の買い出し、後は週一程度のペースで行われる「野暮用」くらいだった。
「………」
軽快な音楽の流れる店内を、落ち着いたリズムで歩く。
明るく清潔感のある店内には数多くの棚が並び、そこに本やCD、DVDなどが収められている。万里歌が住む女子寮から徒歩十分ちょっと、駅前にある大手書店チェーンである。
お目当ては暇つぶし用の文庫と、それからもうひとつ。
まず純文学の棚に向かい、持っていない作品を一つ手に取る。
「………」
本のコーナーを出た万里歌は、きょろきょろと辺りを見回した。別にやましいことはないのだが、これから行うことを思うとつい人目を気にしてしまう。
ざっと見た限り知っている顔は見当たらなかった。
既に学園は冬休みに入っている。寮に住む生徒も多くは帰省しているはずなので、ここで出会う可能性はもともと低いだろう。
軽く息を吐いてCDコーナーへ。
新譜の中から目に付いたものを幾つかピックアップして、レジへ向かう。
そこで。
「葉月先輩?」
万里歌は予想外の声を聞いた。
振り返ると、そこには何やらCDケースを手にした生徒会の後輩――和泉知尋の姿があった。
☆ ☆ ☆
「葉月先輩、やっぱり音楽が好きなんですね」
『別に。これくらい普通』
冬の道を寮に向けて歩きながら、万里歌はぶっきらぼうに答えた。
知尋も一緒なのは万里歌が誘ったからだ。CDを買うところを見つかった以上、そのまま帰すのはあまり良くない。せめて口止め、もとい何かしらの説明をしておくべきだと思った。
……そう。万里歌が週一であの店に通っているのは、主にCDを購入するためだ。
田舎であるこの街でまともにCDが買えるのはあそこだけ。
そしてもちろん、音楽CDを買い求める自体はやましいことでも何でもないのだが。
『私には、和泉君があそこにいたことの方が不思議』
万里歌の印象では、知尋は芸能関係に極端なほど疎い。家でも殆どテレビを見ないと聞いたことがあるし、実際、かなめのことを全く知らなかった。
そんな彼がCDコーナーにいたのだから驚きである。
「あはは……。ちょっと、指宿さんの曲を聴いておこうと思いまして」
『かなめちゃんの曲を?』
「はい。何かと縁があったので、それくらいした方がいいかと」
『そういうこと』
聴くだけならネットでもできるのに、わざわざCDを買うあたりが律儀で知尋らしいと感じた。
それにしても、かなめの曲か。
確かに彼女と知尋には奇妙な縁がある。というか、かなめが一方的に知尋を目の敵にしているように見える。
……嫌よ嫌よも好きのうち?
『和泉君、モテモテ』
「よくわかりませんが、多分違うと思います」
知尋が苦笑する。女装が似合う顔立ちなだけあって、笑うと可愛らしい印象になる。たとえ苦笑であっても、だ。
そういう容姿だからか、彼とは性別を気にせず話ができる。
万里歌は男性が苦手だ。小さい頃から兆候はあったのだが、声を出せなくなって以来余計に悪化した。なんというか、彼らには話が通じない。正確に言うと、女同士なら共通認識でどうにかなる部分に言葉を尽くさないといけないのだ。
一対一、面と向かってのコミュニケーションは一刻を争う面がある。
男子から話しかけられ丁寧に応対しようとしたら、返答も碌に聞かず捲し立てられた……なんて経験が、万里歌には何度もあった。
遊びに誘われ、嫌だと答えたら「どうして?」と聞かれ、用事があるといえば内容を尋ねられ、更に「そんな用事なら今度でいいじゃん」と逃げ道を塞がれる。かといって理路整然と「遊びに行くより用事を優先したい理由」を述べたら逆切れされる……なんて経験もあったりする。
その点、綾瀬も知尋も、それからいちおう神代も、万里歌と接点が多い相手は付き合い易いタイプばかりで助かって――。
「葉月先輩?」
知尋に呼びかけられてはっとする。
いつの間にか女子寮まで辿り着いていた。
『ごめんなさい。こっち』
「えっと。僕、入っても大丈夫なんですよね?」
『平気。昼間だし、冬休みだから人も少ない』
気まずそうに付いてくる知尋を背に、部屋の鍵を開ける。
『高槻さんの部屋に入ったこと、ない?』
「はい。会う時はいつも別の場所なんです」
『そう』
少し意外なような、想像通りのような。
案外、愛華は部屋を散らかすタイプ――なのではなく、根本的に世話焼きなのだろう。自分の部屋に招くよりは相手の部屋に行って、料理か片づけ、その他諸々をしたいタイプ。
綾瀬も割とそういうタイプなので親近感がある。
「お邪魔、します」
『どうぞ。別に何もないけど』
言葉通り、万里歌は部屋に物を置かないタイプだ。
ベッドに箪笥、本棚、それからテレビや冷蔵庫といった家電の他は、食事用兼勉強用のテーブルくらい。可愛い小物やぬいぐるみの類は殆どない。唯一、ベッドの上に座る猫のぬいぐるみは、綾瀬が「一つくらい持っているべきです!」と置いていったものだ。
「綺麗な部屋ですね」
軽く視線を巡らせた知尋はそう言って微笑むと、部屋をジロジロ見たりはしないでくれた。そういう何気ない配慮が嬉しい。
というか、女の子の部屋に上がるのに慣れているのだろうか?
「あ。でも、葉月先輩、その」
言葉を詰まらせた知尋がちらちらと床の隅に視線を送る。
「アレは片づけてもらえると……」
『……ごめんなさい』
洗濯済みの物を畳み忘れたのか、ブラが一つ落ちていた。こほん、と咳ばらいをして回収し、箪笥の中にしまった。
念のため室内を見回してみたが、さすがにもう落ちていなかった。
『でも、和泉君は下着くらい見慣れてると思うけど』
「そういう問題じゃないです」
『冗談』
でも、ないだろうか。
ミスコンで優勝した「ちさとちゃん」のこともあるし、身に着ける側の人間が今更、動じなくてもいいだろうに。
ふっと微笑みつつ、万里歌はお茶を淹れて知尋に差し出した。
「ありがとうございます」
知尋が湯呑を手にし、一口飲む。
「あの、葉月先輩。前から聞きたかったことがあるんですけど……」
『私の、昔の話?』
「はい」
やっぱり。
あんなところを見られた時点で、そういう話になるだろうと思っていた。あるいは、知尋ではなくクラスメート等に見られたのなら話は違っただろう。万里歌の昔話を断片的にでも知っているのは生徒会のメンバーくらいだから。
出くわしたのが知尋で良かった、とも思う。
逆に、下手な相手に会って好きなアーティスト話などを延々聞かされる方が辛かったかもしれないから。
……ふう。
万里歌は軽く息を吐いて知尋に告げた。
『未練がある、っていうわけじゃないよ。私はあの頃、歌を歌うのが嫌だったから』
「え……」
『やらされてたの。お母さんとお父さんに』
目を見開く知尋に、少しずつ語って聞かせる。
万里歌は小さい頃から音楽に適性があった。ちらっと聞いただけの曲を口ずさんだり幼稚園で歌を先生に褒められたりは日常茶飯事。カスタネットなどの楽器にも興味を示し、家でもよく遊んでいる子供だった。
そんな万里歌を、両親――特に母親が芸能界に入れたがったのだ。
『お母さんはね、昔、アイドルになるのが夢だったの』
華やかな舞台で歌って踊り、人々の歓声を受ける職業――アイドルは、まだ小さかった万里歌の目を惹くのにも十分な力があった。
今でこそ、あの頃の自分はアイドル、芸能人という存在の「表の面」しか見えていなかったとわかるが、当時の幼い万里歌には知る由もなく。
やってみたい? という母親の問いに、無邪気に「うん」と答えた。
その頃はまだ歌が好きだったから。母親に言われるがまま歌やダンス、ピアノなどの習い事に通った。
最初はとても楽しかったのだ。
好きなことをたくさんできるし、上手くなればなるだけ両親が褒めてくれたから。
しかし。
『上手くなってレッスンが本格的になるほど、お母さんたちの態度が変わっていったの』
万里歌が結果を出し過ぎたのもあったと思う。
家や幼稚園、小学校以外で本格的に学ぶようになると、彼女の音楽センスが他の子供達と一線を画すことが浮き彫りになった。
結果、子の成長を素直に喜ぶ色はだんだん薄れ、両親は別の『熱』を宿すようになった。
「いつの間にか、子供より親の方が夢中になってしまう……っていうやつですか?」
『そう。……和泉君も経験ある?』
「……少しだけ。父さんが、そういうところのある人でしたから」
『よくある話、だよね』
万里歌は頷いた。
柴鳳学園の生徒――『落とし物』の子供達はその能力故、特殊な境遇を辿ってきた者が多い。
あるいは、特殊な境遇にあった故に能力を得たか。
『私の場合、お母さんは本気で私をアイドルにさせようとして、お父さんは私が将来稼ぐかもしれない「お金」が欲しくなったみたい』
レッスンはどんどん厳しいものになっていった。
最初に通っていたスクールから、何度も別のところに移った。もっと有名な大きな所、もっと有名な先生のいる所、と。
毎週、遠くまで通ってレッスンを受け、それ以外の日も小学校から帰宅後、一日何時間も自主トレーニングをする日々。
最終的に辿り着いたのが、中学時代に受けた、とあるアイドル発掘オーディション。
練習の成果か、万里歌は数十倍の倍率を勝ち抜き候補生の一人に選ばれた。
たった二名の候補生。そのもう一人が指宿かなめ。
「指宿さんって、そんなに凄かったんですね……」
『凄かったよ。私より二歳も年下なのに、かなめちゃんは本当に熱意があった。何が何でもアイドルになろう、って思ってるみたいだった』
若くて純粋だったからこそ、かもしれない。
自慢ではないが、実力では万里歌の方が一枚上手だったと思う。それでも、彼女こそアイドルに相応しいと思わせるものが、かなめには備わっていた。
自分は勝てなくていい。
あの子が勝てばいい。
そう思ったが、両親は絶対、あの子に勝てと口煩く言った。
『何のためにアイドルになるんだろう、って思った』
いつの間にか、歌うことも踊ることも苦痛になっていた。
『伝心を手に入れたのはそんな時だった』
喋らずに意思を伝達する手段を求めるほど、レッスンが嫌になっていたのだと思う。
しかし、万里歌は能力の発現を両親に伝えなかった。言ったところで何が変わるわけでもない。むしろアイドルだけでなく『落とし物』としての成功まで求められる可能性を恐れた。
声を失ったのは『伝心』を得てから数か月後のことだった。
ちょっとした交通事故未遂。母と一緒に道を歩いていた時、スピードを出した車に轢かれかけた――それだけで、怪我も無く終わった出来事。
『でも、そのショックで私の声は出なくなってた』
心因性の失語症という診断だった。
カウンセリングの類も受けたが治療には至らず。これにより、万里歌はアイドルへの道を断念せざるを得なくなった。
母は責任を感じて以前の情熱を失い、父は金の卵を失ったショックで酒の量が増えた。
万里歌が『伝心』の能力を両親に披露したのはこの頃だ。
娘と話ができなくなったわけではない……そう知った両親は少しだけほっとした様子だった。
それから、万里歌は柴鳳学園への入学を自ら希望し、親元を離れて生活するようになった。
一つはもう両親に煩わされたくなかったから。
一つは両親に対して負い目があったから。
『私の声が出なくなったのも『伝心』の効果かもしれないから』
「……葉月先輩」
『未だに私の喉は治らない。一生治らないかもしれない』
誰も『伝心』と失語症の因果関係を否定できない。
それも仕方のないことだと思っている。
『伝心』は万里歌が生活していくのに必要で、同時に万里歌が背負うべき十字架そのものでもあるのだ。
『これで、私の話は終わり』
気づけば、手の中の湯飲みはすっかり冷たくなっていた。
湯呑みを両手で包んでお茶を飲み干す。と、正面に座った知尋が俯いて「すみません」と言った。
「話を聞けば、何かできることがあるかも……なんて、少しだけ思っていたんですけど」
『気にしなくていい』
自ら力不足を申告してくる知尋に微笑ましさを覚え、万里歌は音も無く笑った。
むしろ、根拠もなく治ると保証されないことが有り難かった。別に無理して治したいわけではないし、気遣いになっていない気遣いをされる方が困ってしまう。治してくれなくても、誰も恨んだりしないというのに。
『そういう子だから、私は和泉君のことが好きなんだと思う』
「え」
予想外、といった表情で瞬きをする知尋を、万里歌は正面からじっと見つめた。