じっと見つめていると、彼の顔がみるみるうちに赤くなった。
意味を理解したら照れが出てきたのだろう。
愛華という恋人がいて、確か真里亜からも告白されているはずなのだから、今更これくらいで驚かなくてもいいだろうに。
『大丈夫。人間としての好きだから』
「……あ。そ、そうですよね」
ほっと胸を撫で下ろす知尋。
微妙にプライドが傷つく反応に、思わず続けて言った。
『今のが冗談、って言ったら?』
「え」
再び硬直。
つい面白いと思ってしまう。
なんというか、反応が素直でわかりやすすぎる。
『冗談』
微笑みながら更に一言。
『だといいな、って思ってる』
「それって」
こくん、と頷く。
自分でもわからないのだ。自分の素直な気持ちが。
対抗戦の時、万里歌は知尋に対して興味が「なくもない」と言った。少なくともあれは事実だ。
興味はある。
どの程度なのかと方向性が掴み切れないだけで。
『私の心、読んでもわからない?』
「……はい」
数秒見つめあった後に知尋が頷く。
「葉月先輩の気持ちは、なんていうか温かい感じで。これがどういう「好き」なのかはよくわかりません」
『そっか』
温かい気持ち。
空になった湯呑から手を離し、胸に手を当ててみる。
とくん、とくん、と規則正しく心臓が動いているのがわかった。
『なら、和泉君のこと、男の子として好きってことにしよう』
「ど、どうしてそうなるんですか?」
知尋が上ずった声で言った。
『だって、私はあんまり恋愛に興味ないから』
男の子から告白された経験もないではないが、全部断った。自分と相手が付き合っているイメージがどうしても湧かなかったからだ。
好きになるなら、一緒にいて幸せになれる人でないといけないと思う。
なら、温かな気持ちで傍にいられる知尋が相手ならきっと、万里歌は幸せになれると思う。
「でも、それなら綾瀬先輩とか」
『葵ちゃんは、私とお友達として付き合ってくれてるから』
実際の性別が男と女だし、気持ち的にも安心できる相手ではあるのだが、少しばかり「恋愛」対象にしにくい。
綾瀬が敢えてそういう付き合い方をしてくれているだろうこともわかっているので、心苦しい部分もあるのだが。
『和泉君は一緒にいて安心するけど、男の子だから』
「でも、僕には愛華がいますし」
拒絶、というよりは申し訳なさそうに知尋。
それはそうだ。既に恋人がいる相手に告白したところで良い返事がもらえるわけがない。OKしてもらえたとしても、それは愛華に申し訳がない。
しかし。
万里歌は小さく首を傾げながら答えた。
『別にそれでもいい』
知尋に彼女がいても、万里歌のことが好きじゃなくても。
『和泉君と付き合いたいわけじゃなくて、和泉君を好きでいたいだけだから』
生徒会で会って話をして、温かい気持ちになれればそれでいい。
学園を卒業したら会う機会がなくなってしまうけれど、『伝心』を使えばいつでも話ができるし、たまに遊びに誘うくらいは許されるはずだ。
……そういう未来を想像してみる。
悪くない。きっと楽しいだろうと、そう思えた。
じっと彼の目を見つめると、彼はしばらく沈黙して、
「本当に、僕でいいんですか?」
『和泉君がいい。対抗戦の時、私の背中を押してくれたのも和泉君だった』
きっと彼自身は否定するだろうし、ルシルや綾瀬にも物凄く感謝しているが、もしも知尋がいなければ、あんなミニライブはできなかったと思う。
あの時は久しぶりに、歌って踊るのが素直に楽しかった。
ふう。
知尋が息を吐いて苦笑した。
「葉月先輩って、凄く変わってると思います」
『よく言われる』
万里歌も微笑を浮かべて答えた。
……さて。
なんとか万里歌の想いを納得してもらえたところで、
『和泉君。私は、和泉君を好きでいてもいい?』
「もちろんです。葉月先輩に好きになってもらえるなら、とても嬉しいです」
知尋はすぐさま、穏やかな口調で答えてくれた。
『高槻さんに怒られたりしない?』
「はい。……愛華は嫉妬すると思いますけど、その。良くあることなので」
妙な言い方だった。
まるで知尋が日常的に浮気をしていて、それを愛華が認めているような。
……しばらく考えて、納得。
彼の周りによくいる人物――例えば、対抗戦で応援に来ていたメンバーを思えば簡単な話だった。
『深海さんとか西崎さんとかも、私と同じなんだね』
「……これ以上、隠しても仕方ないですよね」
だいぶ迷う様子を見せながら知尋が頷いた。
「きっと、これを聞いたら引くと思いますけど」
『どんなこと?』
「はい。それは……」
知尋が話してくれた内容は、確かに万里歌の想像を凌駕していた。
愛華とは恋人同士。二人は相思相愛だし、知尋に他の恋人はいないけれど、代わりに知尋は四人の『奴隷』と二人の『セフレ』を持っている。
言われて数名の顔がぱっと思い浮かぶ。おそらくだいたい合っているだろう。
「引きました、よね?」
『ちょっとだけ』
「ですよね」
当然だと頷いた知尋は、ふと動きを止めて「ちょっと?」と首を傾げた。
『みんなが納得してそうなってるなら、別にいいと思う』
素直な気持ちを伝えると、知尋はぱちぱちと瞬き。
『納得してない?』
「いえ、納得してもらってます。ただ、あまりにもあっさりしてたので」
『さっき言った通り。私は恋愛にあんまり興味ないから』
別に知尋を独占できなくても構わない。
好きな人を作るのは心の幸せのためで、どうしても彼氏が欲しいわけでもない。片思いでも別に構わないのだ。
自分のことながらドライすぎるような気もするが。
『それに』
床に手をつき、這うように知尋へ近づく。
彼は一瞬、ぴくっと反応。逃げようか少しだけ考えたようだったが、結局座ったまま万里歌の接近を許してくれた。
なんだか可愛いな、と思いつつ彼の隣に座り直した。
『そういうことなら、私がこうしても許されるはず』
こてん、と、彼の肩に身を預ける。そうすると彼の身体の感触がわかる。
服装によっては女の子に間違われそうな外見なのに、触れてみると男の子だとわかる。現に今、こうして万里歌の身体をしっかり受け止めてくれている。
なんだか安心する。
こんな風に人と触れ合う機会、普段はなかなかない。生徒会の面々とは仲がいいし、クラスにだって友人はいるけれど、彼女達との交流は軽く手が触れ合うとかその程度のものだ。
プライベートでよく会うのは綾瀬くらいで、彼も本当の性別差を意識してか、あまり馴れ馴れしい触れ方はしてこない。
だから、凄く久しぶりな気がする。
「葉月先輩」
すぐ傍で知尋が囁いてくる。
彼に促されるまま、万里歌は身体の位置を少しずらした。もっと密着し、頭を肩ではなく胸に預ける。
『気持ちいい』
暖かくて、幸せで。
安らぎに任せて目を閉じる。そうすると知尋の体温がよりダイレクトに感じられた。
更に、頭に優しく手が乗せられる。
異性に頭を撫でられるなんていつ以来だろう。小さい頃、父親にしてもらった記憶はもう遠い。
……恋も悪いものではないのかも。
そう思いながら、万里歌はしばらくの間、知尋から頭を撫でられていた。
心がどんどん蕩けていく。
このままだと眠ってしまいそうだが、さすがにそれは問題がある。
万里歌は気力を振り絞って身を起こした。
「先輩?」
『私、このまま寝たら当分起きない自信がある』
午後の三時前。
ここで熟睡してしまったら、知尋が帰るタイミングを逃すかもしれない。
この少年のことだ、起こしてもなかなか起きない万里歌を置いて帰るなんてことできそうにない。
『それとも和泉君、今日は泊まっていく?』
「それは、葉月先輩に悪いです」
妙な答え方だ。
言われた万里歌は首を傾げた。
『私が気にしないなら泊まってくれるの?』
「……えっと、はい」
案外、あっさりと頷かれる。
彼の顔はなんだか妙に赤くなっていた。どうしてだろうと考え、恋愛関係にある男女がする行為に思い至る。
知尋が気にするのも当たり前だ。
普通、年頃の女の子は男を簡単に泊めたりしない。
『和泉君もそういうの興味あるんだ。意外』
「ありますよ、人一倍!」
なんだか力強く主張された。
『そっか、奴隷なんて持ってるんだもんね』
「う」
その割に奥手というか、草食系な反応をするから勘違いされるのだと分かっているのだろうか。
ふう。
軽く息を吐いて座り直す。
知尋の方を向く形になって、彼にそっと顔を近づけた。
『じゃあ、まずはキス、してみる?』
「……いいんですね?」
『いちいち確認取らない』
知尋が言葉を詰まらせ、それから表情を変えた。
先輩後輩としてのスタンスから、男と女のスタンスに。向きなおる彼が欲望の対象として万里歌を見ていることが感じられた。
胸が、小さく跳ねる。
自分は嫌だろうか。彼に女として触れられるのが。
……嫌、じゃない。
『しよ?』
「……はい」
知尋の手が両肩に触れる。
あくまでも優しく、軽く載せて支えるだけの手つき。こういうのには慣れているのかもしれない。
それなら、お任せしてしまっていいだろうか。
目を閉じて唇をゆっくり突き出す。
ちゅっ。
知尋の唇が触れるまでの数秒が、物凄く長く感じた。
それから、唇が離れるまでの一秒足らずも。
はう。
つい息を止めていたのに気づいて呼吸を戻す。
ゆっくり目を開けると、知尋と正面から目が合った。
恥ずかしい、と思った。アイドルを目指していた頃の経験から、羞恥心は感じにくい体質になっているはずなのだが。
「どうでした?」
『どきどきする』
背中に両腕が回された。
ぎゅっと抱きしめられ、身体が密着する。
胸が押しつぶされるような形になって息苦し……くはあまりなかった。四葉や真里亜みたいに胸が大きくないから仕方ない。別に気にしてなんかいない。いないということにした。
「本当だ。葉月先輩、凄くドキドキしてます」
『当たり前』
こういう時『伝心』は便利だと心から思った。
もし普通に喋っていたら、きっと彼に上ずった声を聞かれることになっていただろう。恋愛に興味がないとか言いながらこの有様では笑われるかもしれない。
きっと、彼はからかったりしないだろうと思いつつも。
もう一度キスをした。
今度は二秒くらいの間、唇を触れ合わせていた。
永遠のような口づけの間、万里歌は身体から少しずつ力が抜けていくのを感じた。唇が離れる頃には殆ど力が入らなくなっていたが、抱きしめられているお蔭で何の問題もない。
「先輩。……しますよ」
『……ん』
こくんと頷――きかけて。
ふと、大事なことを思い出した。
『あ、待って』
がくっと、知尋が首を傾けながら拘束を解く。
自由になった万里歌は床に手をつき、なかなか力の戻らない身体で這って進む。数歩の距離を移動して手に取ったのは、放置していたスマートフォンだ。
迷わず――電話機能は使った覚えがない――メールを起動し、短い文章を作成。宛先を選んで送信。
「メール、ですか?」
『そう』
答えながら知尋の傍に戻る。
自分から抱きしめられにいくのは少し勇気が必要だったので、代わりに彼の膝の上にちょこんと座る。そうして背を預けると、知尋は黙って抱きしめてくれた。
『これ、いいかも』
「それは、良かったです」
少し呆れているような知尋の声。
やっぱり肩透かしは良くなかったか。
申し訳ないと心の中で思いつつ、万里歌はスマートフォンを持ち上げる。画面に表示させるのは先程のメールだ。
背後から知尋が覗き込んでくる。
「綾瀬先輩、ですか」
『うん』
送ったのは本当に短い文章。
――今から和泉君とエッチする。
ぶっ、と知尋が噴き出した。少し失礼だと思う。万里歌だって文面は悩んだのだが、他に何を書けばいいのか全く思いつかなかった。
ただ、
『言っておかないとと思って』
「それは、そうかもしれませんけど。綾瀬先輩も困るんじゃ」
メール受信の着信音が鳴った。綾瀬からだ。
――三十分で行きますからちょっと待っててください!
最後の「!」マークに勢いが感じられるような、慌てているのにわざわざ記号を打ったのか、と思うような。
『解せぬ』
「いや、それは綾瀬先輩の台詞だと思います……」
綾瀬はきっちり三十分後にやってきた。
「和泉君、どういうことか説明してください!」
出迎えるまでもなく合鍵を使って入ってきた彼は、くっついたままの万里歌と知尋を見て凄い顔になった。
鬼も逃げ出すのではないかという必死の形相に、万里歌はむしろくすりと笑い。
『合意の上』
火に油を注いでみた。
ぴきっと綾瀬が硬直し、何やら知尋の手が震えはじめる。
「……ふ、ふふふ。とりあえず和泉君。あなたに言いたいことがあります」
「は、はい」
「葉月先輩を抱くつもりなら、私も一緒に抱いてください」
沈黙が下りた。
まあ、喋れない万里歌と発言者の綾瀬を除けば、実質黙ったのは知尋だけなのだが。
「……先輩達って、変わってますよね。思いっきり」
『何を今更』
あっさり返した万里歌に、知尋は何も突っ込んでこなかった。