とりあえず、知尋と万里歌はいったん引き剥がされて。
綾瀬にお茶を出してあげると、彼は難しい顔で湯呑みを抱えてずずっと啜った。
それからほっと一息。
『少し落ち着いた?』
「はい。和泉君に処女を捧げる心の準備ができそうです」
『それは良かった』
頷く。
そういえば、何故か綾瀬は制服姿なのだが、ここに来る前は学園に用事でもあったのだろうか。
「いえ、あの。論点が色々おかしいと思うんですけど」
耐えきれなくなったように知尋が突っ込んだ。
と、綾瀬が胡乱な瞳を彼に向ける。
「いいじゃありませんか。女の子二人と3Pできるんですから、和泉君にはデメリットありませんよ」
「女の子だっていうなら気軽に3Pとか言わないでください!」
ちょっと声の大きさが心配になってきた。
……ともあれ。綾瀬が妙に落ち着いているのは事実。
万里歌は自分の分のお茶を啜り、尋ねた。
『葵ちゃんは和泉君としてもいいの?』
「はい。和泉君のことは嫌いじゃありませんし」
『そっか』
なら、万里歌としては文句ない。後は知尋が納得するかどうかだが、
「綾瀬先輩、僕のことは恋愛対象として見てないんじゃ?」
「見てませんでしたよ? 見たら好きになっちゃうかもしれませんから」
綾瀬を女の子として扱ってくれる男の子で、本人も女装が似合う。
正直、二人の相性が悪いわけがない。もし知尋に恋人がいなければ、もっと早くどうにかなっていたに違いない。
……と、万里歌にはわかるのだが、知尋はなおも納得できない様子。
「いや、女の子の処女は、そんなに簡単に捧げるものじゃないです」
「私としては、ちさとちゃんの処女をもらうのでも構いませんが」
「っ!?」
びくっと反応した知尋が綾瀬から距離を取る。
綾瀬はすぐに「冗談です」と微笑んだが、もし知尋が了承していたら喜々として実行しただろう。
くすり。
「別に軽い気持ちで言っているわけじゃありません。これは和泉君に、私の葉月先輩を傷物にする覚悟をしてほしいからです」
「覚悟」
「はい」
頷いた綾瀬は、言いにくそうに声量を落として続けた。
「私、男なんですよ? それでも抱けますか?」
万里歌を抱きたいなら、それだけの『覚悟』をしろ、と。
同時に綾瀬も初めてを失う覚悟をしてここに来た。負担としてはどちらもおあいこというわけだ。
『葵ちゃん、私のこと好きだったの?』
「ずっと前から好きですよ。お友達としてなのか、恋愛対象としてなのか、保護者みたいな気持ちなのかは曖昧、っていうか複雑ですけど」
『……そっか』
愛されている、とあらためて実感。
自分は本当に良い人達に恵まれている。
きっと、柴鳳に来て正解だったのだ。
「どうですか、和泉君」
「……はい。綾瀬先輩なら考えるまでもありません」
「あら」
即答だった。
綾瀬が少々おどけた様子で口もとに手を当てる。その実、赤くなった顔を知尋から隠したのだと、万里歌の位置からは良くわかった。
――きっと、知尋のこういう所が、一部の女の子には致命的に効くのだ。
でも、お蔭でうまく話がまとまりそうだ。
思った万里歌は、先程知尋から聞いた話を綾瀬にも伝える。
「……なるほど。三股くらいしてそうなのは気づいてましたけど、なんと七人もいましたか」
「そ、それだけですか?」
「高槻さん達は皆、恋する乙女の顔をしてますからね。私は馬に蹴られて死にたくありません」
綾瀬はきっぱりとそう言い切った。
すると、知尋は言葉もないという風に沈黙。
しばらく何かを考えた後で口を開いた。
「綾瀬先輩が葉月先輩のことを好きなら、僕の出る幕は」
『それは駄目。そういうこと言うなら、さっきのキスを返して欲しい』
「む、無理です」
引きつった顔で返答があった。
更に言葉を続ける彼は真剣な顔。
「……でも、他の人と恋人同士になれるならその方がいいです。好き同士でないなら別ですけど」
『私は葵ちゃんのこと、好き。でも和泉君のことも好き』
「――もう、本当に葉月先輩は可愛いです」
綾瀬がぎゅっと抱き着いてくる。
彼の感触は、知尋のそれとは少し違った。確か、筋肉がつきすぎないよう気をつけているのだと前に聞いた気がする。後は衣装のチョイスもあってか、女の子的な柔らかさをより多く感じた。
抱き着いた姿勢のまま、綾瀬は知尋の方を見て。
「正直なところ、葉月先輩を人に取られるのは嫌です。でも、同時に私一人じゃ葉月先輩を支えられないとも思うんですよ」
『葵ちゃん?』
にっこりと、振り向いた綾瀬が笑う。
「黒羽先輩やルシルさんは強い女性ですけど、葉月先輩はどこか危なっかしいんです。だから放っておけないし、不安で。何しろ私は『この通り』ですから」
彼は、そこで学園の女子制服を着た自分の姿をアピールしてみせる。
「私自身も頼れる人、心を預けられる人がいたらいいなあ……って思います。それで、さっき三十分程必死に考えた結果――和泉君は適任なんです。これ以上ないくらいに」
もちろん、未来の話まですればわかりませんけど。
そう付け加えた上で、綾瀬は首を振ってみせた。
「先の話を仮定しても仕方ありません。今、どうするべきかが重要なんですから」
『和泉君、どうする?』
「据え膳、そのまま捨てるはずありませんよね?」
万里歌と綾瀬、二人から見つめられた知尋は、やがてしっかりと頷いた。
「わかりました。責任を持って引き受けます」
知尋と万里歌にとっては二杯目になるお茶を飲み干して。
|して(・・)いる最中に催したりしないよう、交代でトイレに行ってから、綾瀬と二人、知尋を両側からホールドした。
これでもう逃げられない。
万里歌にしろ綾瀬にしろ、いつもならありえないほど大胆な行為だ。いざとなったら心が決まる物だ、と思う。
「結局、綾瀬先輩と葉月先輩が付き合って、僕がお二人とセフレみたいな感じになる……で、いいですか?」
『私は構わない』
「はい。私としても願ってもありません」
知尋には愛華がいる。
彼と恋人同士にはなれないのだから、綾瀬と付き合うことになるのは自然の成り行きだ。
『葵ちゃんとこんな風になれるなんて思わなかった』
「……その場の勢いって怖いですよね。でも、軽い気持ちだけで決めたわけじゃないんですよ?」
『私も、もちろんそう』
見つめあって頷きあう。自然と微笑みが漏れた。
間に挟まれた知尋がなんだか不思議な表情を浮かべ、言った。
「じゃあ、葉月先輩の初めては綾瀬先輩の方がいいですよね?」
『ん……』
尋ねられ、万里歌は少し考える。
綾瀬からも視線が送られてくるのを感じながら、ゆっくりと首を振った。
『初めては和泉君がいい。葵ちゃんと一緒に和泉君に抱かれたら、葵ちゃんともっと仲良くなれる気がする』
「葉月先輩……」
『万里歌でいいよ、葵ちゃん』
「お二人はやっぱり仲がいいですね」
知尋が笑った。
『もちろん』
「私と葉月先輩……いえ、万里歌さんは仲良しですよ?」
二人で知尋をベッドに誘おうとしたら止められた。
一人用のベッドだから三人で使うにはさすがに狭い。まずはこのまま、できることから始めた方がいい、と。
これには綾瀬ともども納得した。
とはいえ、経験がなく知識も少ない万里歌にはどうしていいかわからない。
綾瀬はどうやら万里歌よりも色々知っているようで、できる限りの準備は済ませてきたらしい。
――シャワーを浴びて、服を着替えて、後はお尻の穴を綺麗にして。
最後のは理解が追いつかなかったが、女性器を持たない綾瀬がペニスを受け入れるにはお尻を使うことになるのだと、二人が優しく教えてくれた。
綾瀬が知尋に覚悟を尋ねていた真の理由がようやくわかった。
同時に、理解したうえであっさり頷いてみせた知尋はなかなかの大物なのではないかとも。
『そういえば、私、シャワー浴びてない』
「あ、そうですよね……準備の時間、いりますか?」
『……ううん、いい。時間をかけるとだんだん怖くなっちゃいそうだから』
幸せな気持ちが大きいうちに先に進みたい。
求めるように視線を送ると、知尋がそれを見つめ返してくる。綾瀬が腕の拘束を解くと同時、肩を抱く形でキスされた。
これまでよりも深いキス。
ゆっくりと抱き寄せられ、更に唇へ何かの刺激が来る。
唇を押し広げるように侵入してくるそれが、知尋の舌なのだと気づくのに一瞬遅れた。
大人のキスだ。
年齢的には知尋より二歳も年上なのだが、今日は初めての体験ばかり。
心臓の鼓動が早くなるのを感じながら彼の舌を受け入れる。といっても、とっさに歯を立てたりしないよう、身体が硬直してしまわないようにするのが精いっぱい。
それでも知尋はうまく万里歌を誘導してくれる。
無理矢理に舌を押し込まず、入り口付近をなぞるように刺激。万里歌が自然と口を開くにつれて少しずつ奥に入ってくる。
「万里歌さん」
綾瀬が位置を変え、背中側から抱きしめてきた。
身体から余分な力が抜けて楽になる。自分以外の舌が口内にある違和感も徐々に慣れてきて、素直に受け入られるようになった。
つんつんと舌で舌を刺激される。つられて動かせば、表面や裏をなぞり上げられた。
とろり。彼の唾液も口内に流れ込んでくる。知尋の体温を感じて、万里歌は戸惑いと嬉しさを同時に感じた。
二人の唾液がだんだん混じり合う。
舌もまた知尋に触れられる度に反応し、知尋はそれを利用して更に万里歌を責めてくる。いつしか、されるがまま舌を絡めている自分に気づく。
いやらしい。
知尋と綾瀬、二人に密着されていることで体温も上がっている。
しかし、顔が上気してしまっている理由は暑さばかりではないだろう。
ぷはっ。
唇が離れると、万里歌は呼吸を整えるのに追われた。キスの最中はもう夢中で、どうやって息をしていたのかもよくわからない。
知尋達からの抱擁も終わり、どこかぼうっとしたままぺたんと座り込む。
万里歌が現実に戻ってくるまでの間、今度は知尋と綾瀬がキスをしていた。
「ん……ふっ……」
責めているのは知尋。綾瀬が男の子にされるがまま、口内を嬲られている姿は何だか新鮮だった。自分もあんな顔をしていたんだろう、という気持ちも相まって、恥ずかしさとある種の興奮が混在する。
キスの後ではぁはぁと息を吐くのも同じだった。
赤くなった綾瀬の顔を見ていると、愛しさがこみ上げてくる。
『葵ちゃん』
そっと呼びかけて彼に唇を寄せる。
と、知尋が後ろから万里歌の肩に触れた。
「葉月先輩。服、脱がせてもいいですか?」
『ん』
首肯を返した。
着ていたセーターとカットソーが脱がされていくのを、万里歌は身をよじったり腕を持ち上げたりしてサポートする。なんだか召使いに傅かれるお姫様にでもなった気分だった。
シンプルなブルーのブラが露出すると恥ずかしくなるが、すぐにそれどころではなくなった。
綾瀬と唇を重ねたからだ。
知尋とした時とは違う、お互いぎこちないキス。
遠慮がちに舌で舌を突きあっていると、知尋が背後から腕を回してくる。小さな胸が彼の両手で包まれる。
やわやわと胸が愛撫され、くすぐったいような感覚が走る。我慢しようとしてもぴくん、と身体が跳ねてしまう。
でも、嫌ではない。
綾瀬とキスを続けたまま胸を弄ばれる。
知尋の力加減は絶妙だった。デリケートな部分に痛みを感じさせずに性感を刺激してくる。やがてブラもずらされて直接乳房と乳首に触れられた。
ふぅっ。
反応を堪えるのが難しくなった。身体を仰け反らせて息を吐く。
指の腹や先端で乳首を刺激されると、より明確な快感。
万里歌が小刻みに痙攣しているのを見た綾瀬は、万里歌の首筋にキスの雨を降らせて来る。二人がかりで気分と性感を高められ、いいように蕩かされてしまう。
どのくらいの時間だったか。
知尋の手が離れた時には「もっと欲しい」とすら思ってしまった。
「万里歌さん、もう我慢できなさそうですね」
綾瀬が瞳を潤ませながら囁いてくる。
なんだか『伝心』で答えるのも恥ずかしくて、黙ったまま頷いた。
「じゃあ、葉月先輩。ベッドに寝てもらえますか?」
『……うん』
言われるままにベッドへ寝転ぶ。
身体に引っ掛かっていたブラは知尋が外してくれた。彼の手でスカートも脱がされてショーツだけになる。
「あ……良かった。感じてくれていたんですね」
『え?』
「下着に染みができてます」
確かに、愛液による小さな染みが見えた。
恥ずかしくなって足を閉じると、知尋が困ったような顔をする。困らせるのは本意でないとゆっくり足を開いた。
『葵ちゃん、カーテン閉めて』
「あ、はい」
レース編みの薄いカーテンは閉めていたが、夜用の厚いカーテンまで閉めてもらう。部屋がだいぶ暗くなったが、まだ日中。
隙間からの薄明りだけでもある程度は見える。
するりとショーツが抜き取られる。
また足を閉じたくなるのをなんとか我慢。知尋の指が秘所に向かうと、万里歌の左手を綾瀬が両手で握ってくれる。
はぁっ。
敏感な部分をなぞられた途端、身体が跳ねた。
万里歌は殆ど自慰をしないタイプで、秘所に触れた経験もあまりない。数少ない記憶の中でも、こんなに敏感だったことはないのだが。
……人に触られると、全然違う。
どんなに取り乱しても声が漏れないのが有難かった。
知尋が指を動かす度にはしたなく反応してしまう有様では、喘ぎ声はきっとすごいことになっていただろう。
荒く呼吸し、空気を少しでも取り込むことに集中できる。
でも。
『私、声、出せないからつまらなくない?』
「そんなことありません。葉月先輩の反応、凄く興奮します」
「女の子の息遣い、って凄く|そそる(・・・)ものなんですよ」
そう言われると呼吸すら恥ずかしくなってくるが、そこまではとても気にしていられない。
ひだをなぞられ、中をほぐされ、クリトリスを刺激される間中、万里歌は乱れた。
夢中で快感を受け止めていたので気づかなかったが、愛撫が終わる頃には股間はびしょびしょになっていた。
「葉月先輩は、きっと感じやすい体質なんですね」
『恥ずかしいこと言わないで』
ついぴしゃりと言ってしまった。
しかし、知尋は穏やかに笑うだけ。照れ隠しなのがバレバレだったのだろう。
「それじゃあ、行きますね」
『……うん』
いつの間にかコンドームを装着した知尋が近づいてくる。
勃起したペニスが秘所に宛がわれると、その大きさに身体が硬直した。あんなものが入って本当に大丈夫なのだろうか。
あまり長身でない愛華や真里亜だって経験しているのだから、大丈夫なのだろうとは思うけれど。
「大丈夫です。本当に苦しいのは最初だけのはずですから」
『わかった』
知尋を見上げると、彼もじっと見つめ返してくれる。
……これから、彼に初めてを捧げる。
胸がきゅっと締め付けられる。慕情が沸き上がり、何故かどんどん強くなっていく。最後にはもう、狂おしいほどに。
想いが弾けるイメージと共に強く、彼との交歓を願った。
『一気に、やって』
返事は、ずん、という衝撃だった。
喪失感と、物凄い充足感。
「あ、あああああっっっ!」
誰か、知らない人の悲鳴が聞こえた。
それが誰の声だったのか。万里歌の思考が追いつかないうちに、知尋はペニスをピストンし始める。
何が何だかわからないまま、万里歌は行為を受け入れた。
痛い。しかし、しっかりとほぐされていたからか、思ったより痛みは少ない。
頭が真っ白で余計なことを考える暇もなかった。
呼吸を繰り返しながら先程と同じ人物の声を聞く。
透き通った女の声。それが今は艶めき、独特の色気を醸し出している。
「先輩の、中っ、きつくて……」
甘く染まった知尋の声。
気持ちよくなってくれているのだ。そう思ったら、きゅっ、と膣が締まった。
「あ、先輩、それ……っ」
出る。
知尋が囁くように言った瞬間、ペニスの感触が一際大きくなり、それから脈動が感じられた。
時間にして十数秒。
はぁっ、と、知尋が息を吐いてペニスを引き抜く。
埋まっていたものが無くなると、膣がじんじんと疼く。しばらくこの疼きは収まらないだろうと思えた。
きっと、それも初めての証。
「お疲れ様でした、万里歌さん」
『ありがとう、葵ちゃん。……和泉君、私、しばらく休んでもいい?』
「もちろんです。あ、でも、その前に」
知尋は言葉を止め、悪戯っぽい表情で万里歌に告げた。
「その、好き、って言ってくれませんか。口で」
『? 私、喋れないよ?』
「それでもいいんです。振りだけでも」
よくわからないが、儀式のようなものだろうか。
万里歌は『わかった』と伝心で答え、身を起こして知尋達の間辺りに身を寄せる。
そして。
「……二人とも、大好き」
自らの唇から紡がれた音色に、目を大きく見開いた。
☆ ☆ ☆
「葵ちゃん、寝ちゃったね」
「……そうですね」
外がすっかり暗くなった頃。
万里歌は知尋と二人、ベッドの枠に背を預けるような形で寄り添っていた。
綾瀬はベッドの上で寝息を立てている。彼は裸のままだが、胸から下には毛布がかかっているので一見少女のようにしか見えない。
「葉月先輩は身体、大丈夫ですか?」
「明日筋肉痛になりそうだけど、今は平気」
あれから、綾瀬と知尋の行為をはさんで万里歌はもう一回知尋とした。
身体の中にペニスが入ってくる感覚はまだまだ慣れない感じだったが、一回目よりは圧迫感が減り楽になったように思う。
二回した万里歌をよそに一回だけの綾瀬が寝てしまっていると、まるで綾瀬がだらしないみたいだが、慣れないことをしたという意味では彼が一番大変だったのだ。今は寝かせておいてあげたいと思う。
「良かったです」
ほっと息を吐く知尋。
と、彼は床に放りっぱなしになっているズボンを引っ張って、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「時間?」
「はい。そろそろ帰った方がいいかと」
夜間になって、女子寮から男が出てくるのは外聞的にまずい。
確かに、夕食時前後のこのあたりが許されるギリギリかもしれない。綾瀬は、まあ、基本的に男子として扱われないだろうからいいとして。
「……泊まっていって、って言ったら駄目?」
我が儘を言ってみた。
知尋はふっと微笑んで万里歌の頭を撫でててくれた。
「また来ます」
着替えて部屋を出ていく彼を、万里歌は一人で見送った。
『刻印』の刻まれた腕をぎゅっと握りしめ、今まで感じたことのない種類の切なさを胸に抱きながら。
☆ ☆ ☆
こうして、万里歌は知尋の『愛人』になった。
セフレだと何だか良い様にポイ捨てされそうで不満だったので、呼び方だけ変えてもらったのだ。まあ、基本的に気兼ねなく甘えられる関係、というのは変わらない。
知尋の能力を受け入れて『契約』も交わした。
『刻印』の位置は、お腹だと色々不都合がありそうだったので腕、右の手首あたりにしてもらった。それ以来、なんだか毎日調子が良くて、この分だといずれ知尋から離れられなくなりそうだ。
なお、綾瀬は知尋と『契約』を結ばなかった。
――和泉君の下に入ったら対等じゃなくなるじゃないですか、と。
万里歌の心を惹きあう関係でいるために、敢えてそうすることに決めたらしい。
綾瀬と万里歌との関係は、表面上あまり変わっていない。もともと仲良しだったうえ「女の子同士」なので、傍から見れば呼び方が変わったとかその程度だ。
お互いの部屋に遊びに行く機会は前よりも増えたが。
それから、万里歌の声について。
突然話せるようになった原因はよくわからない。心因性だからそういうこともあるだろうし、能力の影響だとすれば考えるだけ無駄だ。
と思っていたら、翌日、どうやら完全に治ったわけではないことが発覚。知尋か綾瀬と話す時以外は相変わらず声が出なかったのだ。
きっと、完全に心を許した相手だけ特別なのだろう。
あるいは、知尋が何かカウンセリングめいたことをしてくれたのかも。
わかるようなわからないような、微妙な理屈で万里歌は納得。
ただ、せっかくなので今度、三人だけでカラオケに行こうと約束した。今ならきっとまた楽しく歌えるだろう。
「今度、高槻さん達にも挨拶させてね」
『はい。是非、お願いします』
初めてスマートフォンの電話機能を使い、好きになった人の声を聞きながら、万里歌は心からの笑顔を浮かべた。