目が覚めると、何やら居間が騒がしかった。
知尋が目覚めたのは真里亜の部屋。昨日、最後の方はいつ力尽きてもいいようにベッドに移動してから行っていたからだ。
外は既に明るい。とうとう夜食すら食べずに夜を明かしてしまった。
また、真里亜は部屋にはいない。それはそうだろう、居間から聞こえる騒ぎは十中八九、あの二人が言い争っているものだろうから。
「身体は……なんとかなるかな」
だいぶ眠いが、別に怪我をしているわけじゃない。
今日は土曜日なので半日授業。それさえ乗り切れば明日は休日なので、少しくらい無理をしておこうと決める。
「……さて」
裸のままベッドを降り、部屋を出て居間へ向かう。
案の定、そこには真里亜と李狐の二人がいた。
「できるわけないでしょ、そんな事!」
「あら、いいの? そんな事言ってると、ご主人様に愛想を尽かされちゃうかも」
「な。べ、別にあたしはあいつにどうされようと」
二人とも寝間着姿だ。真里亜はネグリジェで、李狐はパジャマ。微妙にサイズが合っていないところを見ると真里亜のを借りたのだろう。既に入浴は済ませたらしくさっぱりした様子。
でもって、何やら立ったまま話しているわけだが。
「ええと、何の話?」
「和泉」
「おはよう、和泉くん。よく眠れた?」
頬を染めてぶつぶつと何かを言っていた李狐がぴたりと止まった。彼女はこちらを振り返り、知尋が裸なのを見て硬直する。
一方の真里亜は知尋を振り返ると薄く笑った。
「……ああ、うん。ここのところ眠りの質はいいけど」
それよりさっきの話が気になると李狐に目をやれば、彼女はぷいっと目を逸らす。
「……別に、なんでもないわよ」
「彼女、和泉くんが起きたらどういう口調で話しかけるべきか……って悩んでいたから教えてあげていたの。敬語で、ご主人様ってお呼びしたらどう、って」
「な、馬鹿! 何で言うのよ!」
「それは言うでしょう。奴隷がご主人様に隠し事してどうするの?」
「あたしは奴隷じゃ……奴隷、だけど」
なんだか、二人はなんだかんだ仲がいいように見える。
「ええと、シャワー浴びてくる」
「ええ、ゆっくりしてきて」
「え、和泉……?」
「西崎さんも入ってきてもいいわよ。和泉くんの身体、洗ってあげたら?」
「っ、しないっての!」
なおもつづく口喧嘩(?)を聞き流しつつ浴室へ移動し、シャワーを浴びた。洗濯籠には知尋のワイシャツと下着……その上に真里亜の下着と、ブラウスが二着乗せられていた。
李狐の分の下着はない。おそらく替えがないため今日も身に着けているのだろうが、さっき戸惑っていたのはブラウスを見られたくなかったからか。
……別に今更、この程度大した問題ではないと思うのだが。
そういう目で見られているのなら、と、二着のブラウスを手に取りくんくんと嗅いでみる。最初に嗅いだ方は嗅ぎ慣れてきた真里亜の体臭、ということは、ちょっと汗の匂いが強いもう一着が李狐のものか。
「……なにやってるんだろ」
我に返った知尋はブラウスを洗濯籠に戻し、さっさとシャワーを浴びた。
例によって畳んで置かれていた制服を身に着け、居間に戻る。真里亜は台所で調理を始めており、李狐はパジャマのまま席についていた。
所在なさげに視線を彷徨わせていた彼女はすぐ知尋に気づき、しかし何事もなかったように目を逸らす。
「李狐」
「な、なに?」
名前を呼ぶと嬉しそうに――本人は気づいていないだろうが――振り返る。
「呼び方だけど、好きなようにしていいよ。どっちにしろ学校では変な呼び方できないし、僕も学校では今まで通り『西崎さん』って呼ぶから」
「あ、う、うん」
ほっとしたのか、李狐は軽く息を吐き出した。
「じゃあ……和泉、って呼ぶね」
「うん、ありがとう。手間をかけるけど、よろしく」
「わかった。……っていうか、別にこれくらい手間じゃないし」
さっそく憎まれ口が飛び出すも、声の響きは案外優しかった。
嬉しくなって、知尋はつい彼女の髪に手を伸ばす。そっと撫でると、顔を真っ赤にしたまま睨まれた。
「ごめん、嫌だった?」
「………」
手を離して言うと、何故か更に睨まれた。
そんな会話を続けるうち、真里亜が朝食の支度を終えて居間にやってきた。まず運ばれてきたのは大きなオムレツ。続いて深皿にこんもり盛られたサラダ、多少焦げ目がつく程度に焼かれたベーコン、一人前ずつスープ皿に入ったポタージュ……それから大量のバターロールと、バナナが一人一本ずつ。
「昨日の夕食分も兼ねて、量はたっぷり用意したから」
三人前にしても多いが、そういうことか。
十分な量と美味しそうな匂いに腹の虫が鳴った。李狐も満更ではない様子で、そのうえで複雑そうに「料理も得意とか反則じゃない?」と呟いていた。
しばらくの間、かちゃかちゃと食器の音が室内に響き、やがて真里亜が口を開いた。
「そういえば、西崎さんも寮生活だったかしら?」
「……そうだけど」
それが何か、という態度で答える李狐。
「いえ。なら、あなたもここに住んだらどうかと思って」
「なっ」
驚きの声は知尋と李狐、二人分が同時に上がった。
一瞬顔を見合わせたあと、李狐が上ずった声で反論する。
「できるわけないでしょ、そんなこと」
「どうして? 外泊するのに許可が必要なら、いっそ住所を移してもらっても構わないし。部屋もまだ余っているわよ」
同居については知尋と似たような話をした後だ。真里亜はすらすらと李狐の逃げ道をひとつずつ潰していった。知尋の場合と違い、二人は女同士なので障害も少ない。
寮の家賃もタダではないから費用面で言えばむしろ得だし、食事や洗濯も分担すれば負担を減らせる。
……と、並べ立てられた李狐は言葉に詰まる。
「で、でも。……和泉も一緒なんでしょ?」
「いえ。和泉くんはここに住んでいるわけではないわ」
「そうなの?」
「ええ。住所は移していないから、泊まっているとか滞在している、と言う方が正しいわね」
「一緒じゃん!」
突っ込みと共にベーコンの一切れにフォークが突き立てられた。
まるまる口に放り込んで咀嚼し飲みこんだ李狐は、はあ、とため息をつく。
「どうせ断っても無駄なんでしょ?」
バターロールを千切りながら真里亜が微笑んだ。
「よくわかってるじゃない」
うー、と李狐が呻いた。
彼女は食卓に視線を落とし、食事に集中する振りをしながら何やら考えているようだった。顔も赤い。
だからといって、知尋が寮に戻る、などと言い出したら藪蛇なのだろうが。
知尋は代わりに、当たり障りのない範囲で問題点を口に出す。
「部屋は空いてても、ベッドはさすがに足りないんじゃ?」
「大丈夫よ」
指摘はあっさりと否定された。
パンを一つ食べ終えた真里亜がおもむろに立ち上がり、知尋と李狐を手招きする。二人もよくわからぬまま食べかけの分を片づけて後を追った。
向かったのは真里亜の部屋の向かい側。ドアがあるのは認識していたが、開かれるところは見たことがなかった場所。
初めて見るその中身は――。
「うわ、でか……」
李狐が呟いた。
キングサイズ、というのだろうか。
数人が並んで寝られるサイズの特大ベッドが中央にどん、と置かれていた。その他は床に絨毯が敷かれ、クローゼットと小さなチェストが置かれているくらいであまり物がない部屋だ。
玄関の位置から考ると周囲の壁は厚めに取られている。マンションの一番奥かつ端側の部屋なので騒音の心配はほぼなく、廊下側に取り付けられた窓も二重になっていた。
何のための部屋か、非常にわかりやすい。
「ここなら三人で寝ても余裕でしょう?」
「……確かに」
三人ならば十分すぎる。
プライバシーとか、いろいろと問題がある気もするが。
知尋はそっと李狐の様子を窺った。
彼女は色々と気持ちを処理しきれない様子でじっと立ち尽くしていたが、やがて諦めたように言った。
「……もういいわよ、それで」
「あら。そんなこと言って、どうせここでご主人様に抱いてもらうことを想像したんでしょう?」
「うるさい、ぶっ殺すわよ!?」
大声が室内に響いたが、おそらくこの声も上階や外には漏れていなかったことだろう。