「おはよう、四葉」
駆け寄ってきた少女を抱き留め、頭を軽く撫でてやる。四葉も知尋の動きに逆らわずむしろ身を寄せてきた。
四葉自身の匂いと共にほのかに香水が薫り、思わず頬が熱くなる。
知尋の傍に寄り添う愛華が不思議そうに首を傾げた。
「黒羽先輩、今日は何だかいつもと違いますね?」
「っ。そ、そうですか?」
指摘された四葉は慌てたように身を離した。
わざとらしく、つん、と顔を逸らすものの赤面しているのがバレバレで、知尋と二人妙な雰囲気に陥ってしまった。
こほん。
そこへ万里歌の咳払いが割って入った。
「葉月さん。……そう言えば、あなたもご主人様の物になったのでしたね」
『今後ともよろしく』
そのまましばし、少女達は交歓を続けた。
四葉だけでなく真里亜達にとっても、知尋の『愛人』になった万里歌とはこれが初めて。短い時間でも顔を合わせておくことは重要な意味があった。
主に雑談とスキンシップ――内容自体は普段とさほど変わらないやりとりからいち早く抜け出したのは李狐だった。
彼女は知尋に歩み寄ると軽く尋ねてくる。
「……で。何で旅行に行くのにここに集合なんだろ?」
柴鳳学園にほど近い公園。
冬真っ只中、それも時間が少し早いこともあって、知尋達の他に人の姿はない。なお、駅からもそう遠くはないが微妙に中途半端な位置である。
乗用車――だと人数的に厳しいので、バスでも手配してくれているのか。
色々、可能性はあるものの、知尋には割と可能性の高い仮説もあった。
「多分、場所とか距離とかあんまり関係ないからじゃないかな?」
「どういう意味?」
李狐はイマイチよくわかっていないようだったが、意味は知尋が説明するまでもなく数分後に明らかになった。
しかしその前に。
「間に合った、かな?」
公園へ二人の少女が駆け込んでくる。
グレーのコートを着たボーイッシュな少女、白浜早稀。彼女が握るリードを首輪に繋がれた、相変わらずのパンクロリータ、指宿かなめ。
急いでここまで来たようで、どちらも息を切らせている。
深海灰人の命令で、札幌の柴鶴学園から柴鳳学園へ転入予定の一年生二人――強力な能力を持つデコボココンビも、どうやら間に合ったらしい。
「あはは……おはよう、白浜さん。指宿さん」
「うん、おはよう和泉君。ごめんごめん、出がけにかなめがぐずっちゃってさ」
声をかけた知尋に、早稀が明るく答える。
「って、私は子供ですか」
「似たようなものでしょ。灰人さんに会うのは楽しみだけど、和泉君には会いたくないって喚いたのは誰って話だよ」
「……だって」
どうやらかなめは相変わらずの模様。
微妙に頬を染めて口ごもると、憂さ晴らしでもするように知尋を睨んでくる。さすがはアイドル、そんな仕草も可愛らしいのだが、果たして自覚はあるかどうか。
「指宿さん、仕事は大丈夫?」
「……頑張って調整してきましたよぉ。残念ながら大晦日のあれには出られませんでしたし」
声をかけると嫌々ながらも答えてくれた。しかし、知尋の一挙手一投足を睨みつける様子からは絶対『読心』を食らうまいとの意思が見て取れた。
そして。
午前十時。
約束の時間ぴったりに、突然すぐ近くから声がかかる。
「お待たせしました」
振り返ると、そこには薄手のコートを纏った二十代後半の女性がいた。
清楚で穏やかな雰囲気と、左手の結婚指輪がアンバランスな彼女が乗るのは、何の変哲もない市販品の車椅子。
この場にいる面々は全員、彼女の顔を前に見ている。
「おはようございます、燕条さん」
「おはようございます、和泉君。参加する方は、全員揃っていますか?」
「はい、大丈夫です」
国内で唯一、データの公開されているSランク能力者。
燕条観月が知尋達に向けてにっこりと微笑んだ。
「……って、燕条さんが送ってくれるの? 贅沢すぎない?」
李狐が呟く。
観月が持つ『開門』の能力を使えば、極端な話、地球の裏側だろうと一瞬で移動できる。交通手段の希少性や移動スピードを考えると、値段換算で物凄いことになるに違いない。
すると観月がくすくす笑った。
「お金は取りませんから安心してください。……それに、これから行く場所へ普通に移動しようとしたら、物凄く時間がかかりますよ」
「南の島だ、って聞いてますけど……」
「はい。ビーチもありますし、今の時期でも泳げますよ」
言って、観月は「念のため」と一人ずつ点呼を取っていく。
知尋に愛華、真里亜、李狐、華、四葉――全六人が順に返事をしたところで、観月が首を傾げた。
彼女の視線は万里歌に注がれている。
「あら、あなたは……」
「あ、彼女は見送りに来てくれたんです」
万里歌の『声』は届かないはずなので、知尋が代わりに答えた。
「なるほど。葉月万里歌さん、でしたね。ありがとうございます」
ぺこり、万里歌がお辞儀を返した。
観月はにっこりと微笑んだ後、あらためて知尋達に向きなおった。
「では、出発しましょうか。準備はいいですか?」
「はい」
頷いて答えると、参加者は固まって立つように指示された。
手を振ってくれる万里歌に同じようにして答えてから、愛華達と密着する。
……まあ、そこまでくっつく必要はないのだが、愛華と四葉が片方ずつ腕を取ったのを合図に皆が位置を奪い合ったのだ。
「仲が良いんですね」
観月がその一言で済ませてくれたのが幸いだった。
と、思った直後。
平衡感覚が一瞬失われ、気づいた時にはもう別の場所へ飛んでいた。
(便利だね、燕条さんの『開門』)
(……本当に)
移動した先は大きめのデスクと応接セットが置かれた部屋――印象としては柴鳳の校長室に近い場所だった。
観月によると、ここには手続きのために寄ったとのこと。
「じゃあ、ここって……?」
「まだ国内です。国の機関の一室ですね」
観月が『開門』で海外に行く場合、船も飛行機も使わないため手続きが少々特殊になる。そのため、『落とし物』を扱う機関のスタッフが面倒な手続きを代行してくれているらしい。
もちろん、そこには観月がほいほい国外に出るのを抑止する意味もあるだろうが。
観月とは顔見知りらしい妙齢の女性職員に指示され、一人ずつパスポートを提示。短い確認の後でOKが出た。
これで知尋達が行う出国手続きは問題ないとのこと。
「実は、これから向かう所は特殊な場所なので、向こうで入国手続きを取る必要はないんです」
「それって……?」
「詳しい話は着いてからにしましょうか」
再び観月の能力でテレポート。
今度こそ移動先は南の島だった。
「あ、暖かい」
知尋の左腕を抱いた愛華がぽつりと呟く。
彼女の言う通り国内とは気温が違う。空に輝く太陽も心なしか力強く、日本の冬用の格好では暑そうだ。
こんなこともあろうかと。
事前にネットで「冬場のハワイでの過ごし方」を調べていた知尋達は、コートを脱ぐなどして対応した。泳げるといっても日中と夕方以降で体感温度が大きく変わるために長袖は必要、調節可能な服装が望ましいとのこと。
さて。
あらためて周囲を見回してみると。
「海が近いですね」
知尋の右腕を抱く四葉の台詞だ。
一同が立っているのはビーチのすぐ傍にある陸地だった。辺りには南国っぽい木が生えており、空気には潮の香りが混ざっている。
定期的に聞こえてくる波の音も心地いい。
陸の方向には何やら建物が見える。屋根にソーラーパネルを備えた白いそれは、割と最近作られたものに見える。
「でも、誰もいませんね」
華が視線を送っているのはビーチ。
白い砂浜には人っ子一人いない。澄んだブルーの海は美しく、入らないにせよ散歩するだけで気持ちよさそうなのだが。
「この島には観光客がいませんから」
観月がそう説明してくれる。
「観光地じゃないってこと?」
「はい。というか、居住用の島ですらありません。ここは世界のどの国にも属していない、地図にも載っていない島なのです」
「……え」
全員、観月の言葉に目を丸くした。
互いに顔を見合わせて、聞き間違いでないことを確認する。
どうやら耳は正常だったようだが――なんだか、のっけから物凄いことになってきた。
「この島にいる人間は、全部で百人にもなりません」
東京ドーム十個分ちょっとの小さな島らしい。
元は無人島だったらしく、原住民はいない。そして滞在者のほぼ全員が先程見た建物――白い施設の関係者らしい。
外部との行き来は数日に一度だけ来る船のみ。
他の方法としてはヘリコプターでも使うか、それこそ観月のようなテレポート能力に頼るしかない。
「じゃあ、あの建物って……?」
「世界数か国――主に日本とアメリカが主導で運用している、『落とし物』研究の重要拠点。言わば秘密の研究施設だ」
答えたのは観月ではなかった。
白い建物――研究施設の方から歩いてきた人物。長身に略式のスーツを身に着けた、マニッシュな雰囲気の女性。
知尋の姉にして、警察の対『落とし物』用特殊チームに務めるAランク能力者、和泉楓である。
「姉さん」
「よく来たな、知尋。他の皆もようこそ。ここは普通、一介の学生が来られる場所ではない。せっかくだからゆっくりしていくといい。話は通してあるから、不用意に研究区画を歩き回らなければ問題ない」
「今の説明聞いて『ゆっくり』って難しそうだよね」
早稀がぼやいた。
続けて、かなめが真面目な顔で楓に問いかける。
「あなたがいるってことは、あの方もここにいるんですかぁ?」
「ああ。私でもいないと、あの男をここに連れてくるのは危険だからな……ただ、この場には何故か来ようとしなかったが。『俺に会いたがってる子猫が二匹ほどいそうだから』とか何とか言っていたか」
不可解だ、とでも言いたげに楓。
(どうせわかってるんだろうけど)
(信用ないね、兄さん。いや、物凄く信用してるのかな?)
明らかにがっかりした様子を見せるかなめを見ながら、知尋は妹と心の中で会話を交わした。
現在、灰人は早稀とかなめに対して自分と距離を取るよう命令中。その命令は不可抗力による接触までは禁じていないが、やはり灰人は出来る限りかなめ達に会わない方針らしい。
灰人の影響がない状態で知尋の影響を受けるとどうなるか、という実験らしい。
意図はわかっていても、やっぱり可哀そうだと思ってしまう知尋だった。
「でも、姉さん。そんな大事な場所にどうして僕達が?」
ひとまずかなめ達のことは保留。
代わりに必要なことを尋ねると、姉は振り返って淡々と答えた。
「もちろん、必要があったからだ」
「必要?」
「ここの研究――『落とし物』の解明に。お前の力が」
すっと、静かな瞳が知尋を射抜いた。
その瞳を見返そうとすれば、相変わらず視線は微妙に逸れてしまう。
「僕の、力」
思ってもみない台詞だった。
南の島に招待されたのは四校対抗戦、もしくは灰人との個人的賭けに勝利した報酬、くらいに考えていた。でなければあの灰人からまた良く分からない難題を吹っ掛けられるか。
しかし、まさか知尋の力が必要だとは。
となれば他の面々はおまけ――というと申し訳ないが、知尋を招待する方便と、単純な好意によるものなのだろうか。
国を跨いだ研究において知尋が必要とされる理由とは何だろうか。
そもそも、知尋にはそんな大それた能力はない。大勢から馬鹿にされてきた『読心』はもちろん、他の能力だって一つ一つは取るに足らないものだ。
(ううん、兄さん。もしかしたら『私』が目的かも)
(……そっか)
『補助人格』、ちさとが必要とされている可能性はあるかも。
能力によって人格を得た例は世界を探せば他にもありそうだが、人格が疑似的にとはいえ実体化した例はおそらくない。
彼女の存在は対抗戦、および能力判定でバレているので、ちさとは研究の対象になりうるのかもしれない。
「お久しぶりです、楓さん。でも私、兄さんと一緒じゃないと何も協力しませんから」
「ちさと」
私服姿で実体化したちさとが楓を睨む。
一応、諫めてはみるも、妹の勇ましい姿勢は変わらなかった。
睨みつけられた楓は肩を竦める。
「それは手厳しいな。……まあ、ひとまず宿泊施設に案内しよう」
言って楓は踵を返す。ついてこい、ということらしい。
観月は別の場所――食材やら日用品の搬入を頼まれているらしい。Sランク能力者を物凄い用途に使うものである――に行くということで、一同は大人しく楓の後をついていった。
白い建物の前で一人ずつゲスト用のカードキーを渡され、入り口のセキュリティを通る。何故か知尋だけカードの柄が違った。
「そのキーが無いと出入りできないから注意するように」
研究者や職員らしき大人に物珍しそうに見られながら、リノリウムの床を歩き、程なく、割と開けてお洒落な感じのエリアに出た。
「ここから先がゲスト用の宿泊施設だ。二人一部屋で構わないな?」
当然のごとく、少女達の顔つきが真剣になった。