「それじゃあ」
「うん」
知尋は真里亜と連れ立ってマンションを出た。入り口で別れ、それぞれに歩き出す。
李狐は一緒ではない。
今日は学校を休むのだそうだ。体力がちょっと心もとないとのことで、食事の際に制服に着替えていなかったのもそのため。
部屋に一人で残すことになるが、それついて真里亜は警戒していないようだった。
「別に、見られて困るような物は置いていないもの」
「……パソコンは?」
「ログインにもフォルダにもパスワードをかけてあるわ。それに、確たる根拠もなく他人のPCを漁ったら彼女の方が犯罪よね?」
「なるほど」
知尋と真里亜を敵に回すことを考えれば、部屋を荒らしたり小細工する可能性は低い。たった半日では時間的にも心もとない。
「こちらが信頼を見せれば、向こうの壁も脆くなる……っていう考えもあるけどね」
今日のうちに私物を運び込めるようにと、李狐には合い鍵まで渡してある。
まさか、それこそが罠だとは考えもしないだろう。
☆ ☆ ☆
土曜日は半日授業で、授業内容もかなり変則的になる。
具体的には、四限分の枠がまるまる自由選択になっているのだ。何も履修しないのは認められていないが、選択できる科目はスポーツや武道、能力訓練から芸術・技術科目まで多岐に渡る。
月曜から金曜の午前中に行われる座学では主要科目を集中的に教えており、ここには音楽や美術、情報処理など実践的な授業は含まれていない。そうした「省かれた」科目から必要なものを補完するのが主な用途である。もちろん、特に興味がなければより強くなるために身体を動かしても構わない。
土曜の授業は基本、二限分でワンセットになっており、各人が履修できる科目は最大二つ。
知尋は一・二時限目に美術を、三・四時限目に情報処理をそれぞれ選択している。
訓練を受けるのは体力がもたないし、大学進学も考慮すると少しでも内申が欲しいからだ。もともと読心系の能力者は心理学者やカウンセラーなどの進路が一般的なため、運動系以外の要求水準が高い。
なお、神代は四時間を体育と訓練に割り振り、愛華は家庭科と美術を選択していたはずだ。生憎、履修時間の関係で知尋とは一緒にならないが。
確か、李狐は家庭科と訓練という組み合わせだったか。
そして。
「……あ」
美術用の鞄――大きく嵩張るのが難だ――を持って専用の教室へ向かうと、そこで真里亜の姿を見つけた。
どうやら彼女も同じ時間に美術を履修していたらしい。「意外だった?」とでも言いたげにちらりと視線を送ってきた。
……実際、まさかここで出会うとは思っていなかった。
後で聞いた話によれば、ストレス発散と心の整理のため「自分を表現する」科目を選択したのだそうだ。ちなみに三・四限目の選択科目は音楽とのこと。
課題の静物デッサンを続けながら機会を窺って真里亜のスケッチブックを覗けば、彼女は時間を惜しげもなく使い陰影の表現に腐心していた。その精度は目を見張るものがあったが、その分、全体の完成度はなかなか上がらない様子。
進んで苦行を選ぶあたりは彼女らしかった。
知尋自身はというと、美術は得意でもなければ不得意でもない。デッサンのように基礎が重要な課題は割と好きだが、これが風景画や粘土細工等になると途端に何をしたらいいのかわからなくなる。
多分、静かに作業に没頭する時間が好きなのだろう。
ある意味、瞑想のようなものだ。作業に集中する一方、頭のどこかで様々なことが浮かぶ。そうしているうちに心が落ち着く。
――今週、知尋の身に起こったこと。
真里亜と出会い、彼女と契約を交わしたこと。李狐から決定的な攻撃を受けたこと。神代から声をかけられたこと。
真里亜や李狐を何度も、何度も抱いたこと。
一週間前の知尋であれば想像することすらできなかった変化に思いを馳せているうちに美術の時間は終了した。
後半の情報処理は気楽なものだった。
美術と違い内容は座学に近いが、目的は技術の習得。「できない人をできるようにする」ことを主眼としているためスピードはゆっくりで、多少の心得がある知尋にとっては骨休めのようなものだった。
のんびりと授業を頭に入れ、帰りのHRを迎える。
そこで、担任からクラス全員に話があった。
「今月末には定期試験、それから能力の判定が実施されます。皆さんにとっては入学後初の判定となりますので、前もってできるだけの準備をして臨むよう心掛けてください」
『落とし物』の能力判定。柴鳳学園ではこの判定と定期試験の結果、両者を総合的に加味した上で生徒の成績を決定する。
特に能力判定の方は重要だ。学園が能力者のための施設である以上、あまりに見込みのない場合は在学できなくなることもありうる。逆に好成績であればある程度の優遇措置が取られることもある。知尋にとっても大きな意味のあるイベントだ。
生徒達がざわつく中、担任は号令をとって退出していく。
軽く息を吐いて荷物をまとめていると、生徒達の会話が聞こえてきた。
「神代は狙うのか、Bランク?」
「お前ならいけるんじゃね?」
興味を惹かれて顔を上げれば、神代が男子に囲まれながら苦笑していた。
「もちろん狙うつもりでいるよ。……ただ、さすがに難しいだろうね」
ランクは全部で六段階しかない。だから、一つ上に行くだけでも相当な難題なのだ。また、EからDに上がるよりもDからC、CからBに上がる方がより困難となる。特にBランク以上は人数がぐっと下がる難関で、到達した時点で十分、能力を生かした仕事に就けるとされている。
このクラスで言えば、神代と真里亜には可能性が無くもないが。
「お前で厳しいとかどんだけだよ」
「俺だってまだまだだよ。もっと鍛えないと上には行けない」
言って、神代はちらりと視線を移す。
その先にいるのは女子生徒と話をしていた愛華だ。彼女は視線に気づいたのか振り返り、神代と目を合わせた。
長身美形の少年と、守ってあげたい系の少女。
絵になる光景に、周囲の生徒達も何も言わず見守り、
「……え、っと。神代君?」
黙り込んだ神代に対し、愛華は遠慮がちな声を上げた。
それに神代が反応したのは数秒後。
「あ。……ごめん。高槻さん」
「あ、ううん。いいけど……」
見つめあった余韻のせいか、愛華の返事も煮え切らないものだった。
そこに誰かの呟き。
「なんだ、告白でもするのかと思ったのに」
告白、という単語が耳にした生徒達の間に広がり、ざわざわとした喧騒を生む。
むしろ、当事者である愛華と神代が取り残されて。
神代が慌てて声を上げた。
「あ、いや。そういうわけじゃ……っ」
否定の言葉が途中で止まる。
彼は頬を染め、しばらく視線を宙に彷徨わせる。何かを考えている……いや、迷っているのか。
そうして、やや大きめの声が教室内に響いた。
「高槻さん」
「は、はいっ」
ざわめきが鎮まった。
増え始めたギャラリーが話の行方を見守る中、二人は再び見つめあう。
神代が口を開き、言葉を選びながら愛華に告げた。
「……その、前から君のことが気になってた。本当は、言うのはまだまだ先にしようと思ってたんだけど」
「う、うん」
「もし、僕が今度の判定でBランクになれたら、付き合ってくれないかな」
愛華が目を見開いた。
先程の声が切っ掛けになったのか。
神代と愛華、どちらにとっても突然の告白に周囲も息を飲み、真っ赤になった二人へ視線を送る。
「え、ええと……っ」
愛華が視線を下へ向ける。
彼女は床、あるいは近くの机を見つめながら小さく言った。
「ま、前向きに検討させてください……っ」
ひゃっほう、と誰かが叫んだ。
一呼吸のうちに二人へ何人もの生徒が群がり、もみくちゃになる。突然の大騒ぎに、通りかかった他クラスの生徒が何事かと覗き込んでくる。
その様子を遠巻きに見ながら、知尋は静かに席を立った。
邪魔にならないよう後ろの出入り口へ向かおうとすると、席に着いたままの真里亜から囁き声。
「見て行かないの?」
「そういう気分にはなれないよ」
そう、という返事を聞きながら教室を出た。
そのまま学園を出てマンションへ戻る。合い鍵を使って入り口を抜け、部屋へ。
玄関先は静かだった。
ただいま、と言おうか迷い、結局黙って靴を脱いだ。
李狐の靴は玄関にある。どうやら外出中ではないらしい。
ないとは思うが、一応、奇襲を警戒しつつ廊下を歩く。
居間から人の気配はしない。
なら一体どこにいるのか、と。
しゃっ。
不意に、洗面所の入り口にかけられたカーテンが開く。
知尋は反射的にそちらを振り返り――李狐と目が合った。
下着姿だ。
昨夜と同じ白いブラとショーツ。くすんだ金髪と警戒を解いた自然な姿が相まって、真里亜の肢体とはまた違う普通の女子高生の無防備な姿を演出している。
思わず立ち止まって硬直した。
嗜虐心とは違う純粋なドキドキ感に戸惑いつつ、知尋はそのまま立ち尽くし、
「な、なんでいるのっ!?」
叫び声と共にカーテンが再び閉じられたことで我に返った。
「ご、ごめんっ」
慌てて顔を背ける。既に視線は遮られているため大した意味はないが。
……ついでに言うと、なんでも何も、知尋がここで寝泊まりしていることは伝えたはずだ。いや、帰宅の気配がなかったと言いたいのだろうが、例え玄関で声をかけたとして、今の李狐の様子で気づいたかどうか。
まあ、言っても仕方ない。
「ええと。僕は居間に行くから」
「……うん」
小さい返事を確認してから居間に向かった。知尋の荷物はスポーツバッグに入れて部屋の隅に置きっぱなしになっており、どのみち着替えにはこれが必要だった。
李狐が洗面所から出てきたのは数分後のことだった。さすがに今度は制服を着ている。
なお、彼女が出てくる前に着替えを始める愚は犯さなかった。それでは二の舞というか、今度こそ言い訳できない可能性が高い。
「……もう」
知尋の存在をちらりと認めてから、李狐は台所へ行きコップにアイスティーを注いだ。どうやら、さっきのは湯上りに冷たいものが飲みたかったらしい。
グラスを手に戻って来た李狐へ告げる。
「じゃあ、僕は着替えるから」
「はいはい」
一々言うな、とでも言いたげに手を振られた。
少々釈然としないものを感じつつ、着替えを持って移動する。直後に洗面所を使うと嫌がられそうな気がしたので、朝見たあの部屋で着替えた。
「ただいま」
「お帰り、真里亜」
着替えが済んだところで真里亜も帰ってきた。
制服のまま居間へ向かう彼女と一緒に居間へ戻った。
真里亜は李狐の服装を見て目を細める。
「西崎さん、寮には戻らなかったのね」
「あー、うん。寝てたら昼近かったから。それに、午前中に戻るとサボりがバレそうだし」
「そう。お昼ご飯は?」
「まだ」
「わかったわ。じゃあ何か作りましょうか」
彼女は頷いて上着を脱ぎ、ついでにスカートも下ろす。脱いだ制服を椅子にかけるとブラウスの裾から黒い下着を覗かせたまま洗面所へ。手洗いうがいを済ませ、台所でエプロンを身に付ける。
すかさず李狐が突っ込んだ。
「って、あんた、その格好で料理するわけ!?」
「? 汚れてまずいものは脱いだから問題ないでしょう?」
よくわからない、という風に真里亜が首を傾げる。
李狐は、はあ、とため息を吐いて知尋を振り返った。
「あいつ、いつもこうなの?」
「……うん、まあ」
苦笑いで答える。
李狐が理性的な反応を示している、というのも知尋から見ると変な話だった。