「ごめん、知尋。形勢逆転かも」
「あんた達、裏切る気?」
声を荒げた李狐に、かなめが平然と答える。
「敵の敵が味方なら、敵の味方も敵でしょう?」
灰人がどちらにつくかで、二人の身の振り方も変わる。
単純すぎるほどに単純で明快な理屈。
「兄さん、どうして敵につく気に?」
真里亜が静かに尋ねる。彼女の表情に怒りは見られない。ただ確認として、聞いておかなければならないから聞いているという感じだった。
『面白そうだったからな。和泉知尋を実験に採用することを前向きに検討してもらうことと、他に幾つかの便宜を条件に協力を約束した』
「僕を?」
『面白いことになっただろ?』
軽く言ってくれる。
面白いとか面白くないとか、そんな感情でほいほい動かれたら周りはたまらない。
深海灰人がナタリー側につく。早稀とかなめが敵に回り、灰人が連れてきていると言っていた数名の『落とし物』までが立ちはだかるとすれば――正直、知尋達の勝利は絶望的になる。
この場でナタリーをどうにかしても『支配者』を主に、敵は勢いを増して攻め立ててくるだろう。
「ま、そういうこと」
くすりと笑ったナタリーが、早稀達に縄を解くように促す。
早稀達は素直にそれに応じようとして。
『ああ、早稀。かなめ。別にその女の指示に従わなくていいぞ』
「……え?」
「ごしゅ……灰人さん?」
硬直。
これにはナタリーも疑問の声を上げた。
「どういうこと、カイト?」
『聞いた通りさ。俺はお前に協力するが、そいつらに協力の義務はない。今は二人とも俺の指揮下にないからな』
通信機越しで会ってはいないから、例の検証もギリギリセーフだろうと灰人。
彼は更に言葉を続けて。
『それに、協力の仕方は俺が決める』
「……どういう意味?」
『協力するとは言ったが、積極的に手伝うと言った覚えはない。お前は好きにすればいいし、邪魔するつもりもないが、俺は何もしないさ』
誰も、すぐには何も言えなかった。
「話が違う。それじゃあ協力に……」
『なっているさ。Sランク能力者が一人、何もせずにただ傍観すると言っているんだ。それにどれだけの意味があるか、本当にわからないのか?』
能力者のランク付けにおいて、SランクとAランクの間には大きな隔たりがある。
たった一人で戦況を、苦境を覆しうるだけの力。そうしたものがSランクの能力者には備わっている。
『それに、勘違いするなよナタリー。俺は日本人だ。国の庇護を得、便宜を図ってもらっている。ついでに言えば、そこの和泉知尋とは危害を加えない約束もしている。それを捨て、故郷を裏切ってまでお前達に協力するだけの「見返り」を、お前は用意したか?』
「それは、お前が要求した通りに」
『ああ、確かに受け取った。受け取ったから、これ以上協力しなくても俺に損はないな?』
「……っ」
絶句する女研究者に、灰人が更に説明を付け加える。
当初、灰人はナタリーに協力する振りをしてスパイまがいの行為をすることも考えていたらしい。研究所を占拠する動きを日本側にリーク、逆に殲滅するような。
しかし、結局それは行わなかった。
知尋が島へやってきて、隕石の研究を大きく進めてみせたからだ。これはこのまま、状況がどうなるかを見守った方が面白いと判断。今回の騒動に至っても、ナタリーに消極的な『協力』を続けることにした。
……最悪な言い分だった。
自分勝手で不誠実。
あくまでも自分のやり方を曲げるつもりはなく、騙されたのなら騙される方が悪いのだ、とでも言いたげな態度。
しかし、深海灰人とはこういう人間だ。
『さあ、どうする? ナタリー、お前は俺を敵と味方、どっちに置きたい?』
「……味方」
『OK。なら、俺はこのまま傍観していよう。せいぜい頑張って和泉知尋を追い詰めてくれ。その方が俺も面白い』
通信が切れた。
ふう。
早稀が息を吐き、困ったような顔で歩き出す。ナタリーの傍を離れて知尋達の傍へ。かなめも少し遅れて友人に倣った。
「まあ、知らないおばさんと知尋なら、そりゃ知尋を選ぶよね」
「……私は有利な方に乗るだけですけどぉ」
虫の良い話、とは思わなくもないが。
二人が寝返った――寝返りかけたこと自体が勘違いだったわけで。味方についてくれるなら知尋に文句はないし、他の少女達も苦笑気味に迎えている。
弛緩した空気の中、知尋はナタリーを振り返った。
「……ナタリーさん。実は、僕はある方法で燕条さんと連絡を取りました」
ぴくりと、女研究者の眉が動いた。
「きっと近いうちに来てくれます。そうすれば、あなた達に勝ち目はありません。投降するように仲間を説得してください」
「………」
ナタリーが黙り込んだ。
その瞳は複雑に揺らめいていて、彼女の脳内が今、思案と葛藤でいっぱいになっていることが良く分かった。
誰もが黙ったまま返答を待つ。
彼女の答え次第で、無意味な戦いが続くか、それともここで終わるかが決まる。
たっぷり一分。
口を開いたナタリーが唇を震わせる。
「私は……」
その声を遮るように通信機から声がした。
今までに聞いたことのない男の声だった。英語のそれを翻訳するなら、
『こちら『ライジン』。『ゴヴニュ』と一緒に島へ着いたぜ』
意味を理解した四葉とかなめが「まずい!」と通信機を操作しようとするも、それより早くナタリーが叫んだ。
「日本人を全員無力化して! 大人は殺しても構わないわ!」
通信機の電源が落とされた時には、全てが遅かった。
☆ ☆ ☆
動けなかった。
今すぐ何かをしなければと思いつつも足が凍り付く。回避したと思った矢先、恐れていた脅威が降りかかってきた事実に思考が追いつかない。
他の皆も同じだ。
唯一、知愛だけが「ママ?」と声を上げ、愛華が無理矢理に微笑んで彼女を抱きしめる。
「片方は電気の操作能力者よ」
ナタリーだ。
彼女は敢えて知尋達に聞かせるように解説を口にする。
「三十五歳の黒人。大きな身体で、ただ殴るだけでも十分なイメージだけど――雷を使えばもっとずっと簡単に人を殺せるわ」
電気。雷は自然現象の中でもかなり危険な部類に入る。
まず速い。発生した時には回避は間に合わない。そして体内に浸透する。内部からも焼き尽くされ、なすすべもなく死ぬしかない。
落雷のイメージにより、攻撃へ指向性を持たせることも比較的容易なはず。
逆に広範囲に拡散させて集団を攻撃することも。
「もう一人は武器使い。いえ『兵器使い』。任意の兵器を作り出し、それを用いることができるわ」
兵器。
言われて知尋が思い浮かべたのは銃器。それもナタリーや男達が使っていた拳銃などではなく、ライフルやマシンガン、手榴弾などの高威力の武器達。人の命を奪うためだけに存在する無慈悲な道具類。
それを『造って』『用いる』。
知尋が知る製作系能力者、皆方七瀬は武器以外も作れるが、彼女は物を作るのに「作り方」と「材料」を必要とする。おそらく、やってきたSランク能力者はこうした制限にとらわれないか、制限がかなり緩いのだろう。でなければ「任意に」兵器を作り出すことはできないはずだ。
……まずい。
頭の中にそんな言葉だけが強く響く。
危険すぎる。どちらの能力者も広域殺傷を得意とし、しかも過剰気味な火力を持っている。並の防御では貫かれるし、『刺激共有』でダメージを分散しても全員いっぺんに殺されかねない。
早稀の能力で透明化して近づくのも厳しい。警戒して範囲に攻撃されたら巻き込まれて終わり。最初の一回は通用するかもしれないが、それで無力化できる相手ではあるまい。
作戦、小細工の通じる余地が少なすぎる。
知尋達では対抗するのが極めて困難な相手だ。
止められない。
このままでは日本人研究員が端から殺され、じきにこの研究室に彼らがやってくる。望みは、そうなる前に観月が来てくれるかどうか。来てくれたとして、観月一人でSランク二人を相手にできるのか。
ナタリーが説明した意図通りだろう――知尋の心が絶望に染まっていく。
どうしてこうなった。そうだ、そもそも。
「どうやってこの島に……。こんな時間に船が来るわけが」
「飛行機よ」
ナタリーが答えた。
「正確には戦闘機、と言うべきかしら。ステルス性能の高い、二人乗りの戦闘機を『造って』それを操縦してきたの」
「燃料は」
「電力だけで動くように設計すればいいだけの話でしょう」
都合のいい乗り物を一方が作り、動かすのに必要な電気をもう一方が供給する。
……そんな、完全な力技でここまで来たというのか。
しかし、確かにそれならば。周辺国に気づかれないまま、ごく少数の精鋭を送り込むことが可能だ。
それだけ無茶をすれば敵も疲れているだろうが、碌な抵抗能力もない者達を皆殺しにするだけなら十分すぎるだろう。
と。不意に部屋の照明が点灯した。
電力が戻ったのだ。
一瞬、Sランク能力者の片方――おそらくは『ライジン』の方――の仕業かとも思ったが、おそらくは違う。切り札の到着により勝敗が決したため、もう暗くしておく必要がないのだ。
『……鈴さん。燕条さんは』
『……ごめん、わかんない。あちこち飛び回ってるはずだし、何度も連絡したらわたしが邪魔になっちゃうから』
間に合わない可能性もある。
いや。敵の能力を思えば、間に合わない可能性の方が高いかもしれない。
「さて」
ナタリーが縛られたまま平然と声を上げる。
部屋の壁に掛けられた時計を見上げて。
「二十三時三十分。ニューイヤーまでには終わりそうね」
☆ ☆ ☆
一分後。
研究室に突入してくる人物がいた。
だいぶ見慣れてきたパンツスーツ姿。
特に傷ついた様子もない立ち姿で室内を見回すのは楓である。彼女は知尋達、加賀見、それから縛られたナタリーを順に見て頷いた。
「全員、無事のようだな」
姉の声には心なしか安堵の色があった。
苦手な相手とはいえ肉親が無事で、ほっとしたのは知尋も同じだ。
「姉さん、研究所の人達は……?」
「第一セキュリティの外にいた者達はある程度助けた。蜂起した側の者達は叩きのめした傍から拘束して閉じ込めてある。全員ではないし、電力が復旧した後は一直線にここへ来たが」
助けた日本人研究員、スタッフには大人しくしているよう伝えたとのこと。
まだ予断を許さない状況は続いているから……と。
楓は、軽口を叩く間もなく言葉を続けた。
ナタリーの方へちらりと視線を送りながら。
「通信は聞いた。Sランク能力者が二人到着したと」
「……うん」
ゆっくり頷いてから補足を加える。
最も重要な点として、観月と連絡を取って動いてもらっていることを話した。
「そうか」
増援の可能性は、楓にとっても有益な情報だったらしい。
「なら、私は時間稼ぎに徹するしかないな」
楓は身を翻すと、テーブル上に置かれたPCの前に。
ID、パスワードを入力することでPCが操作可能となると、迷わず一つのアプリを起動する。
操作に従って動き出したのは透明の壁。
今は知愛となっている隕石――『落とし物』が隔離されていた空間への入り口である。
「高槻。その子と加賀見さんを連れて入っていろ。そこの壁は防弾で、衝撃にもある程度耐えられる。通電する素材でもないから籠城には丁度いいだろう」
「え……は、はい」
名指しされた愛華は一瞬戸惑ったものの、すぐにこくんと頷いた。
部屋に研究室から出るのは危険。ならば、少しでも安全な場所に知愛を運ぶべきだと考えたのだ。
姉の気遣いは正直有り難い。しかし、
「姉さん、時間稼ぎって」
「言葉通りだ」
尋ねる知尋に、楓の回答はにべもない。
「燕条さんが援軍を連れてくるまで、私が敵を食い止める。この状況なら、一分でも長く粘れば生存性は跳ね上がる」
「………っ」
敵を食い止める。
倒すのではなく、足止めをすると楓は言った。
できないのだ。
Aランク能力者にして、個人としては完成された実力を持つ『落とし物』。警察の特殊部隊に所属するエリート、和泉楓をもってしても、Sランク能力には歯が立たない。だから、防戦をせざるをえない。
「どうして……!」
理解した上で声を上げれば、淡々と返事が来る。
「それが私の仕事だからな」
ある程度の危険やトラブルを覚悟していたはずの大人達より、巻き込まれた学生達の保護を優先するのも。
他人を傷つける形で能力を振るう『落とし物』に立ち向かうのも。
結果、命を落とす可能性があるのも。
「だから、お前も、高槻以外の者も一緒に避難していろ。……正直、お前達では足手まといだ」
いつもの姉と同じだと錯覚しそうな言葉。
しかし、それが敢えて突き放そうとしているのだと遅れて理解し、知尋は胸に重苦しい葛藤を抱いた。
いいのだろうか。
姉一人に戦いを任せて、自分達は安全な場所に居て。
そうして楓を死なせることになったとして――本当に自分は後悔しないだろうか、と。