見えたのは小さな家の寝室だった。
夕方なのか室内は暗く、薄いカーテンの外からはオレンジ色の光が射し込んでいる。また、室内を歩き回る者はおらず、部屋の外にも人気はない。静かな二人の世界で、彼らは情事に耽っていた。
一人は大人の女性。
若くはない。中年と呼ぶほど老けてもいない年齢の黒人だった。髪にパーマをかけ、簡素なブラを肩に引っかけている。
彼女が下半身で飲みこんでいるのは小さなペニスだ。
子供だ。まだ中学校に入学する頃合だろう。彼の肌も黒く、どこか顔立ちが女性に似ているように思えた。
少年はただ、女性のされるがまま。与えられる快楽に喘いでいた。ベッドが二人分の体重を乗せてギシギシと鳴り、それが妙に室内に響く。
そんな中、不意に少年が漏らした言葉は――。
「――ママ」
☆ ☆ ☆
衝撃が脳天を突き抜けた。知尋は回る視界を必死に引き戻す。
すると、妙に高い位置に敵の顔があった。
倒れているのだ。『ライジン』が『願望暴露』を受けたまま腕を振るい、知尋の頭を殴りつけた。勢いが強すぎたために床へ叩きつけられたのだろう。ズキズキと痛む頭が威力を物語っている。
もしもダメージを共有できていなければ、今ので頭を割られるか、それとも脳を破壊されていたのではないか。
大男が知尋を見下ろす。
再び目が合った。無意識に『読心』のモードを通常に切り替えると。
――怒り。
並大抵のものではない。激情と呼ぶに相応しい心の動き。知尋をどうにかする前に、彼自分を焼き焦がしてしまいそうな熱量が渦巻いている。
『感情増幅』によってなおもブーストされるそれに飲まれないよう、知尋は必死に感情を抑えこんだ。
「……てめぇ、見たな?」
問いかけの形を持った断定。
頷くまでもない。『願望暴露』は『読心』と同じく、心を暴かれたことが相手に伝わる――そんな理屈をこねるまでもない。
彼にとっては今のビジョンを見せられたこと、それを行ったのが知尋であることだけで十分だろう。
見られたくない願望。
秘めていた欲望を暴かれてしまった大男は静かに宣言した。
「決めたぜ。お前は死んでおけ」
彼の言葉は変わらず英語。
それでも、簡単なフレーズだったこと、表情からも読み取りが可能だったこともあり知尋にも十分すぎるほど伝わった。
殺される。
自分は彼の『過去』に触れた。
触れた過去の重みは内容を鑑みればわかる。あれは禁忌だ。
子供は殺さない、という方針を『ライジン』が忘れるほどに。
「知尋!」
楓が斜めから割って入る。鋭い蹴りが脇腹に直撃。その結果に攻めた楓の方が目を見開いた。大男が避けなかった、敢えて食らったのだ。
「邪魔だ」
ばちばちばちばちっ!
姉の身体が透明の壁付近まで吹き飛んだ。そのままくたりと腕が落ちて目の焦点も合っていない。身に着けているスーツは焼けてボロボロ、ところどころインナーが見えていた。
指向性のある強力な電撃。
楓は、攻撃の直前に敢えて後ろに飛ぶことで威力をほんの少し和らげた。服を守る余力すら惜しんでベクトルを操作し、ギリギリ一命をとりとめたといったところ。
――後に聞いた話だが、このSランク能力者『ライジン』の能力は元々、もっとずっと弱いものだったらしい。血の滲むような訓練と無数の試行錯誤を繰り返し、底辺に近いDランクから最高のSランクにまで上り詰めた。
降ってわいた力ではなく、努力に裏打ちされた実力を持つ『落とし物』なのだ。
「泣いても喚いても聞かねえ。覚悟はいいな?」
無慈悲な宣告が行われた。
楓は戦闘不能。
真里亜もまだ動ける状態ではない。仕方ない。むしろ、この場に真里亜がいなければ、先の楓への攻撃の時点で部屋全体を狙われていた。
今にも攻撃が始まろうとした時、響いたのはナタリーの声だ。
「止めなさい! その子を殺すのは絶対に駄目!」
壁越しでも聞こえる絶叫。
敵であるナタリーがそこまでするのは意外だが、彼女が心配しているのは知愛への影響だ。隕石の化身である少女と最も繋がりが強い知尋が死ねば――それも目の前で殺されれば、ナタリー達に対してどうしようもない反感が生じるだろう。
碌に情緒も発達していない今であっても、何らかの強力な報復が行われるかもしれない。
それがなかったとしても、知愛を育て、制御する人材を片方欠くことになる。
「お前らの都合なんか知るか。俺は俺で、こいつが危険だと判断した。だから殺す」
ナタリーはなおも叫んだが、大男はもう取りあおうともしなかった。
「止めて!」
次に聞こえてきた声は愛華のもの。
倒れたまま頭を動かして見れば、コンピュータ制御のはずの透明な壁が開いている。愛華はその付近に膝をついて知愛を抱きしめている。ここに来る過程で知尋がやったのと同じこと、知愛による開錠が行われたのだと理解。
愛華の疲労が濃いのは『治癒』によるものだろう。先程の頭へのダメージ、それを何人分か治したに違いない。おそらくは、自分の分を後回しで。
そうして『ライジン』の視線が知尋から逸れた隙に、一人の少女が飛び出してくる。
黒縁眼鏡の小柄な少女。御宿華だ。
「すみませんが、この人は殺させません」
「華」
知尋は上体を起こして華を見た。
知尋に対し、常に憎まれ口を憚らないレズビアンの少女は、自分よりずっと大きい男の前で両腕を広げていた。
ちらりと目だけで振り返って頷いてみせる。
「悪いですけど、あなたに死んでほしいとまでは思ってないんですよ」
彼女の目線はすぐに前へ戻った。
きっ、と『ライジン』を見据えたまま動かない。
「嬢ちゃん、そこを退け」
「いやです」
日本語と英語。
互いにニュアンスだけの会話だが、どうやら通じたらしい。
大男は一瞬、困り顔を浮かべ――。
「っ」
華と目を合わせてから『四秒』。
弾かれたように視線を切ると、腕を振るって華を突き飛ばした。
「ぐっ」
背中を打った華はちっ、と舌打ちする。
無私の献身に見せかけた『略奪』狙いが失敗した。おそらく『ライジン』は先程の、知尋の『願望暴露』のせいで「視線を合わせる」ことに抵抗感が生まれていたのだ。だから、不自然に目を見てくる華に嫌な予感を覚えた。
これも、駄目。
グルルルル……。
「ん? ……ああ、幻か」
突如、研究室の入り口、背後になる位置に出現した猛獣――大きなオスの虎を一瞥し、大男は軽く呟いた。対象となる空間に軽い電流を流すとか、そういう方法で真偽を確認したのだろう。
透明な壁の向こうで、李狐が悔しそうな表情を浮かべるのが見えた。
「やっ!」
「はっ!」
そこに。
誰もいないはずの空間から、早稀とかなめ、四葉の攻撃がヒット。
「次から次へと……今度は透明になる能力かよ」
しかし大男はさして痛い様子も見せずに雷を放った。
「あああああっ!」
さすがに早稀達への攻撃はきちんと手加減されている。現状の共有設定は知尋からの一方通行のため、三人は身体を痺れさせて動けなくなる。
――全ての能力が破られた。
知尋達が束になっても敵わない。
数の差をものともしない絶対的な個。
「さて、ようやく邪魔者はいなくなったな」
『ライジン』と目が合った。
怒りは殺意に変わっている。先程よりもずっと冷めた、しかし深い感情。
知尋は震える声で言った。
「僕を殺すのはいい。でも、他の皆は殺さないで欲しい」
自分一人が死ぬのならまだいい。誰かが死んで自分が生き残る方が辛い。
だから、そう思った。
まあ、どっちみち、この相手に日本語は通じない。知尋の言葉は届かないのだが。
「いいぜ」
しかし、大男はそう言って頷いた。
気持ちが伝わったのだ。先程のようなニュアンスによるものかとも思ったが、違う。胸の中、あるいは頭の片隅に何か実感のようなものが生じている。
……能力?
「僕の言っていることがわかるのか?」
「ああ、わかるぜ。どういうわけかな」
相手の言っていることもなんとなくわかった。
どういうわけかと『ライジン』は言った。なら、この能力は彼のものではなく知尋のものだ。
新しい能力。
気持ち、あるいはイメージを送り受け取る、そんな力か。
――万里歌の。
想いが形になった能力だろう。知尋と言葉だけではない。見ている光景や、感じている気持ちまでも共有したい……できれば、離れた場所でも。そんな気持ちが込められた優しい能力。
もしかしたら『隕石』との会話中にも発動していたのかもしれない。
『伝心』と『読心』の合わせ技のようなそれを思うと、万里歌の顔が浮かんでくるようだった。
「……そうだよね」
「ん、何だ?」
「いえ」
皆だけ助けて欲しい、というのは違う。
もちろんそれだって知尋の本心だが、もっと奥には別の気持ちがある。
怖い。死にたくない。もっと生きていたい。
そしてこの場にも、遠い日本の地にも、知尋に生きていて欲しいと思ってくれる人がいる。
死ぬわけにはいかない。
死ぬにしてもできる限り足掻いて、足掻いて、足掻ききってからだ。
「抵抗します」
立ち上がりながら『ライジン』を見据える。
警戒されているせいか、視線はすぐに逸らされてしまったが――一瞬だけ目が合った瞬間、カチリと何かのピースが嵌まるのがわかった。
(兄さん、いける?)
(うん、いける)
(……良かった。私もさっきから実体化できないか試してるんだけど、全然上手くいかないから)
肉体を持てたら時間稼ぎする気が満々だったとちさと。
それもそれで無鉄砲だが、知尋の無根拠な「いける」を信じてしまうのも恐ろしい。
(だって、兄さんがはっきり言うってことは自信あるんでしょ?)
(……ありがとう)
信頼に感謝で答えながら踵を返す。
くるりと大男から背を向けると、今できる全速力で走り出す。向かう先は透明な壁、愛華と知愛が開けたままになっている入り口だ。
「逃げる気かよ!」
少し遅れて声がかかるも、もちろん本当に逃げるつもりではない。
遮蔽を取れれば一番いいのは事実だが、メインの目的は『ライジン』の虚をつくこと。まさかこの状況で知尋が逃げると思っていなかった相手は攻撃より恫喝を優先した。
その、小さな隙があればいい。
何をすべきなのか、どうすればできるのかはなんとなくわかっていた。
イメージを送る。
万里歌からもらった能力、仮称『送像・受像』の応用だ。能力を用いて意思の疎通が可能なら、浮かべたイメージを相手に叩きつけることもできるはず。
ただし、本来は誰にでも送れるわけではないだろう。
『伝心』と同様、対象の指定が不可欠な能力。知尋の場合はおそらく『読心』の対象となっている者か、あるいは『支配』で繋がっている者にしか送ることはできない。
通常ならば、だ。
「な、にっ!?」
背後から『ライジン』の声。
「っんだよ、これはっ!」
イメージの送信が成功したのだ。
……やっぱり。先の感覚を信じて正解だったらしい。
知尋が感じた「繋がる」感覚は、つまり、知尋自身の新たな能力の目覚め。『読心』の追加オプションとして「最後に目を合わせた相手とリンクを繋ぐ」能力が追加された証だったのだ。
リンクといっても『支配』のそれほど強固なものではない。
ただ単に、目を合わせなくても『読心』や『願望暴露』の対象にできるというだけ。時間が経つか、あまり距離が離れるとリンクが切れる可能性もある。
それでも、この能力により応用性は一気に広がる。
今、この状況がまさにそうだ。
「てめえ! またわけのわからない幻見せやがって!」
そう。
今、『ライジン』が見ているのは『幻』。
ただし、李狐やちさとの用いる『幻影』――光の屈折などを利用して実際に像を結ぶものではない。相手の脳にイメージを送り込み幻覚を見せるものだ。
見せたのはある人物の姿。
『願望暴露』で見た黒人女性、大男の母親が刃物を手に襲い掛かってくる映像だった。えげつない行いだと思いつつ、これが最も効果的だと判断した。
「幻だと思うなら、電撃で攻撃してみればいいでしょう!」
壁の入り口に到達。愛華と知愛を纏めて抱き上げ――さすがに二人一辺は物凄く無理があった――数歩移動してから下ろす。
そして再びイメージに集中。イメージは「送り続け」なければ消えてしまうし、他のことをしていると精度が下がる。
イメージの中で、女性は『ライジン』を何度も何度も切りつける。
無表情で、何度も。
「く、くそがああああっ――!」
大柄な黒人の、Sランク能力者が叫んだ。
彼は叫んで、そして何もしなかった。たっぷり一分以上も立ち尽くしたまま頭を抱え、そして。
「遅くなりました」
研究室の入り口から飛来した、無数のバスケットボールが男を卒倒させた。