「そういえば、お弁当は作らないの?」
月曜日の朝食時、李狐が何気なく真里亜に尋ねた。今日は登校するらしく制服に着替えている。
……言われてみれば。
知尋は、李狐の言葉に首を傾げた。昼食に誘われた時はコンビニのパンだったし、以降も彼女はお弁当を作っていない。料理ができないわけではないのに何故だろう。
すると、真里亜は平然と答えた。
「ええ。今のところ作るつもりはないわ」
「どうして?」
「朝忙しい時もあるし、パンの日にご飯を炊くのは面倒でしょう。だから最初から作らない。それから……校内で私達の関係を知られないため」
最後の理由は、主に知尋の意思を汲んだものだ。
「……ふうん。じゃあ、あたしが自分で作る分にはいい?」
「ええ、どうぞ」
李狐はこの間まで弁当を持参していたらしく、これからも可能なら作りたいという。
真里亜から了承を得ると、その後はご飯の炊飯量などを真里亜と二人で話し合っていた。
「……もう、寮の契約は解除しちゃおうかな。すぐにってわけじゃないけど」
「ええ。しっかり考えてからにすればいいわ。解約するにしても月締めだろうし」
気づけば、知尋が真里亜と出会ってからほぼ一週間。
だんだんと、三人の間で新しい生活が定着しつつあった。
☆ ☆ ☆
「……じゃ、また」
「また教室でね」
李狐、真里亜の二人とマンションの入り口で別れた。二人は途中まで一緒に行き、少し先の道で分かれるらしい。
なお、李狐は「どうせ着けろって言うでしょ?」とチョーカーを身に着けたまま登校していた。
柴鳳の校則は割と緩いので、あれくらいなら咎められることもないはずだ。
そうして、何事もなく教室に到着。
「李狐、先週は風邪か何か?」
「あー、うん。ちょっと拗らせちゃって。もう平気だけど」
「そっかー」
……そういえば、もう李狐の声や視線に怯える必要はないのか。
数分遅れで教室に着いた李狐が友人達と話すのを見て思った。
彼女とも「教室ではなるべくいつも通り」。ただし、さすがに知尋を殴る蹴る嘲笑するところまでは再現しないことで合意している。
だから彼女達の動向を気にする必要はないのだが、何となくそのまま会話を聞いていると。
「っていうか、それどうしたの?」
「え? ああ、うん、ちょっとね」
話題は李狐のチョーカーに及んだ。
李狐が言い淀むと、友人達は更なる追及を始める。もともとそういう話題は好きそうな面子だ。
「え、もしかしてプレゼント?」
「男から?」
「べ。別に、そんなんじゃないし」
「あー、赤くなったー」
以降、聞こえてくるのは姦しい言い合いだったので聞くのを止めた。
別の方向に視線を巡らせると、愛華が女子生徒から話しかけられていた。
「愛華、神代君のところ行かなくていいの?」
「もー、止めてよ。別に私達、まだ付き合ってるわけじゃないんだから」
「へー。まだ、ね」
「そ、それは言葉の綾だよ!」
はいはい、と軽く笑ってあしらわれている。
愛華の顔は真っ赤になっていたが、悪い気はしないのか口元は緩んでいた。
じりじりと。
かすかな嫉妬が胸を焦がした。
☆ ☆ ☆
午後は戦闘訓練。その結果は相変わらずだった。戦う前から逃げ腰になる癖は少しはマシになりつつあるし、痛みにも多少強くなったと思うが、肝心の戦闘能力がやはり足りない。
だから、読心が成功してもしなくても、知尋は結局クラスメートに叩きのめされた。
そんな中、愛華と対戦が組まれる。
彼女は白ベースのウェアにグレーの体操着姿で、知尋の前に立った。
「よろしくね、和泉君」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
互いに軽く一礼し、一呼吸置いたところで教師の号令。
直後、愛華が前に踏み込んできた。真っすぐ前を向いた目へ視線をやれば、感じ取れたのは正面からの突き。
回避か、迎撃か。
思考を巡らせつつ体勢を整える。
愛華のスピードは意外に早い。踏み込みもしっかりしていて格闘経験を感じさせる。中学時代に三年間、護身のために道場へ通っていたらしい。技の冴えという点で見れば、実は李狐より彼女の方が上だろう。
……実戦訓練では、李狐の幻に翻弄されて戦績は振るわないようだが。
知尋には奇策は使えない。結局、回避して一撃を加えることを決めて身体を動かす。読心によって読み取れる攻撃の軌道、それをかわせるラインへ。
と。
愛華がほんの少し、半秒ほど目を閉じてまた開いた。
一度読心がカットされ、再開された時には攻撃のプランが変化している。一歩前で停止しての回し蹴り。
「……ぐっ」
女の子にしては重い蹴りを腕でガード。衝撃を感じつつ一歩踏み込んで拳を繰り出す。
愛華はそれを危なげなく防ぐと、戻した足で強く床を叩いた。
咄嗟に胸の前でクロスした知尋の腕へ渾身の正拳が叩き込まれる。ガードした腕に衝撃が伝わり軽く痺れた。
次の攻撃は。
視線を合わせようとすると、愛華は顔を軽く伏せて読心を防いでいた。
愛華が腕が引き、直後、くるりと背中を見せる。
一瞬、対応が遅れ――後ろ回し蹴りが脇腹に直撃した。
「……参りました」
脇腹の痛みに顔をしかめつつ、知尋はギブアップを宣言した。
戦闘終了のタイミングは個々人の裁量に任されている。時間ギリギリまで戦っても構わないし、一度有効打をもらった時点で負けを宣言しても構わない。一日に複数人と戦うこともあって、どちらかといえば後者の生徒が多い。
この前の神代と真里亜のような対戦は例外だ。あとは、愛華と泥仕合をするのは嫌だというのも一つ。
知尋のギブアップに愛華も構えを解き、ほっと息を吐いた。
「ありがとうございました。……ちょっと危なかったかも」
「危なかった?」
愛華に一礼を返しつつ、知尋は思わず問い返した。
すると微笑と共に穏やかな返答があった。
「うん。早めに勝負を決めないと、和泉君には全部読まれちゃいそうだから」
「そうかな?」
「そうだよ。凄い能力だと思う」
知尋の読心がうまく効果を発揮できるのは、愛華が素直なおかげなのだが。
それを指摘して彼女の長所が損なわれてしまうのも嫌なので、知尋は敢えて口には出さなかった。
代わりに、別のことを愛華に言った。
「高槻さん。僕はどうしたら強くなれるかな?」
「強く?」
愛華が目を瞬く。急すぎてついていけない様子だ。
「誰と戦っても、今みたいな感じで勝てなくなるんだ。……高槻さんなら、何か原因がわかるかと思って」
きちんと武道を習っていた彼女は、ある程度の観察眼を持っているはず。そういう視点からアドバイスがもらえればきっと役に立つ。
神代に同様のアドバイスを求めても次元が違いすぎて参考になるか怪しいし、真里亜と李狐は自身の能力を最大限に利用するタイプ。他人の戦い方について口を出すのはあまり得意ではない。
「なるほど。そうだなあ……」
知尋の相談を受けた愛華はしばらく首を傾げ、やがて言った。
「私が言うのもちょっと変だけど、和泉くんは素直すぎるのもかも」
なまじ心が読めるため、相手に対応することに集中しすぎる。あるいは自分から向かっていく場合でも、動きが素直すぎて読まれてしまう。
「フェイントとか、変則的な動きを入れると相手が戸惑う……って、私も良く言われたなあ。あとは、そういうのが苦手なら単純に鍛えて強くなれ、って」
「……難しいね」
やはり、どちらも一朝一夕で身に付くものではない。
愛華も苦笑混じりに同意してくれた。
「それはしょうがないよ。みんな頑張ってるんだもん」
「そうだね」
会話が途切れた。
愛華が視線を遠くへ向ける。そこでは試合を終えた神代が対戦相手と何やら会話していた。
「神代君は凄いよね。真っすぐで」
「ふえっ」
妙に可愛い声で振り返ってくる。
彼女は何やら顔を赤らめていた。誰を見ているのか言い当てられたのが意外だったのだろうか。
数秒程どぎまぎした後、愛華はこくんと頷いた。
「そうだね。格好いいと思う」
言ってからはっと顔を上げて、
「で、でも。別に好きとかそういうのじゃ。皆からからかわれて困ってるんだから」
その表情は十分すぎるほど神代を意識しているように見えたが。
「気にしすぎだよ。皆、からかってるだけだろうし」
やはり指摘はせず、知尋は愛華にそう答えた。
☆ ☆ ☆
「訓練しようと思うんだ」
放課後、マンションへ戻った知尋は真里亜と李狐にそう告げた。
それは言うまでもなく、真里亜達が提案した「神代から愛華を奪う」作戦のための方策であり、愛華との会話を参考にした結果だった。
「へー。本格的にやる気になったんだ」
制服からラフな私服に着替えた李狐が、アイスティーのグラスを弄りながら言う。
「まあ、一応。勝てる気はしないけど」
李狐の対面に腰かけた真里亜も微笑んで頷く。
「いいんじゃない? やってみればいいと思うわ。私達が手伝うことはあるかしら?」
「もし相手をしてくれれば嬉しいけど、無理しなくていいよ。僕の我が儘だし」
わざわざ二人に告げたのは帰宅時間が遅くなるからだ。授業以外に訓練をするなら放課後になるので、同居人には伝えておかないとまずい。
「わかったわ。……確かに、あなたと同じ訓練をしたら私達の身が持たないでしょうしね」
「? どういう意味?」
了承した真里亜が付け加えた言葉に李狐がきょとんとする。
「和泉くんは睡眠中の回復が常人の数倍あるの。それを利用して毎日、追加のトレーニングをするつもりなんでしょう」
「……何それ、全然知らなかった」
「ごめん、言う機会もなかったから」
手に入れたばかりだし、人前で使う能力でもないから言わなければまずバレない。
「あんた、そんな能力持っててEランクなの?」
「いや、手に入れてからまだ判定は受けてないんだ」
外に影響しない能力のため社会的価値は低く、ランクへの影響は不明だが。
「考えたけど、短期間で強くなるにはやっぱり能力を使うのが早いと思う。なら、僕にできるのは毎日特訓することかなって」
睡眠時の回復力が増すということは、つまり睡眠時間を減らせるということ。これを利用すれば、通常一晩では回復しないほど疲労しても翌朝に響きにくくなる。
毎日、限界まで身体を虐め続けられる。
「なんか汗臭そう。……まあ、気が向いたら手伝ってあげる」
知尋の話を聞いた李狐の反応はそれだけだった。素っ気ないが、表情は言葉ほど辛辣ではなかった。むしろ、口元には笑みさえ浮かんでいる。
「そういうわけだから、存分にやりなさい。……ただし、もう一つの勉強も忘れないこと」
「もう一つ?」
定期テストの話、ではなさそうだが。
真里亜が席を立って取り出してきたのは、昨日買ったDVDと写真集だった。
「こっちの話よ。もちろん、私達のことも忘れず抱いてね?」
「……それ、相当ハードなんじゃ?」
「大丈夫よ。そのための能力でしょう?」
……なんというか、ご主人様をやるのも楽ではない。