真里亜に誘われて向かった先は彼女の部屋だった。
寮ではなく、近隣にあるマンションの一室。エントランスのセキュリティを抜け、一階の一番奥。
柴鳳では通学のため一人暮らしをする生徒用の措置が二つあり、一つは寮制度。もう一つは家賃の補助として少額の援助金を受け取ること。おそらく真里亜は後者を利用したのだろう。
もちろん、援助金だけでこのマンションの費用を賄えるわけがないので、彼女の家はきっと、それなりの金持ちだ。
「どうぞ」
部屋の鍵を開けた真里亜は、微笑を浮かべて知尋を中へと招き入れた。
「お邪魔、します」
同級生の女の子に誘われて彼女の部屋へ。
生まれて初めての状況ながら、これまでの流れからむしろ混乱を深めつつ、一歩足を踏み入れる。
靴は見たところ真里亜のものだけだった。同居人はいないらしい。
短い廊下をまっすぐ進んだ先にある居間に通された。
二人掛けの小さなテーブルに、同じく小さめの食器棚。テレビやゲーム機の類は置かれておらず、家具は黒と白、それから木目調で占められている。全体的にシックな色調ながら女の子の部屋だと感じるのは、多くが曲線的なデザインであるせいか。
「着替えてくるから、座って待ってて」
言って真里亜は知尋の分の鞄をテーブルに置き、来た廊下を戻っていく。廊下に閉じられたドアがいくつかあったので、そのうちのいずれか、あるいは全てを自室として使っているのだろう。
そこまでを把握した知尋は一人、小さく息を吐いた。
待っていろ、と言われたものの、居心地は相当に良くなかった。環境も状況も慣れないことだらけ、おまけに道端で言われたあの言葉。
『あなたが望むなら、私が叶えてあげられるから』
あれは、どういう意味だったのだろう。
考えても答えは出ない。おそらく、これからそれを説明してくれるつもりなのだろうが。
大人しく待つしかないのか。
ひとまず椅子に腰かける。手近な椅子を引きかけて、思い直し入り口から遠い方を選んだ。髪も制服も濡れているが、一応玄関で水滴を払いハンカチで拭ったので、まあなんとかなるだろう。
思いつつ数分間、静まり返った部屋で待っていると。
「あなたも着替える? スウェットくらいなら用意できるけど」
着替えを終えた真里亜が居間に戻ってきた。
キャミソールにカーディガンを羽織り、下はスカートにガーターベルト。カーディガン以外は全て黒地で、彼女には良く似合っている。
男と二人きりになるにしては無防備すぎる格好だ。
あるいは、本当に知尋を誘っているのか。
「いや……いいよ、このままで」
女の子の服を借りるわけにもいかないと首を振る。
「そう? 別に遠慮しなくてもいいのに」
むしろ残念そうに真里亜は呟き、キッチンからアイスティーの入ったグラスを二つ運んでくる。おそらくはペットボトルから注いだのだろう。
片方がことりと知尋の傍に置かれ、真里亜が対面に腰かける。
「ありがとう」
「いいえ。……さて、ようやくゆっくり話ができるわね」
そう言う真里亜の姿はあくまで自然体だった。
話をはぐらかすつもりもないらしく「何から聞きたい?」と尋ねてくる。
知尋は一瞬考えてから言った。
「さっき言っていた言葉。あれはどういう……?」
「言葉の通り」
くすりと真里亜が笑みをこぼす。
「あなたが望み、手を伸ばしてくれれば。私はあなたに力を与えてあげる」
「力、を……?」
そんな事ができるのだろうか。
『落とし物』の能力は幅広く、他者に影響を与えたり、他者に依存する能力も存在する。しかし他者を強化するような能力は殆ど聞いたことがない。まして真里亜は他に二つも能力を持っているわけで。
それとも、彼女の言う「力」とは別の何かなのか。
「『落とし物』としての能力で間違っていないわ」
あっさりと思考を肯定される。
「他人の能力を増やす能力、というのは私も知らないし、私自身がそういう能力を持っているわけでもない。ただ、『私とあなた』に限ってだけは特別な方法があるの」
「特別な、方法?」
「そう。あなたが、私のご主人様になること」
思わず、知尋は数秒間沈黙した。
白けたとか、聞いたことを無視しようとしたわけではない。ただ意味を理解するのに時間がかかり、また理解した上で絶句するしかなかっただけだ。
「ご主人様、って……」
脳裏に浮かぶイメージは二つ。犬を連れて散歩する人間と、もう一つは少々いかがわしい類の妄想。というか、対象を真里亜と考えた場合、二つのイメージにそう大きな差はないわけだが。
……いや、きっと知尋が勘違いしているだけだ。真里亜が言いたいのはもっと別の。
「私の情欲の全てを受け止め、管理する存在、ってこと」
「……直球、すぎない……?」
あまりの展開に突っ込みが出た。
つまり、さっきの想像の後者が正しいということになるのだが。
「力の話と、それがどう繋がるのかわからない」
「それは、『落とし物』の能力の成り立ちに関係があるの」
「能力の、成り立ち?」
どうして能力が得られるのか。
いや、どうして「個人ごとに違う能力が発現するのか」か。
「『落とし物』の能力は当人の望み、願い、欲望を反映する。その欲望が強ければ強いほど、得られる能力も強くなる」
「欲望……」
似たような話はどこかで聞いたことがあった。
そう、それは柴鳳への受験準備を進めていた時のこと。
『落とし物』について学んでいた時、教材か何かで読んだのだ。能力の性質には個人の精神性が反映される傾向にあると。
精神性。
であるならば、知尋が読心の能力を得たのは。
「人の心がわからないのが、辛いんでしょ?」
「っ」
不意な問いかけにずきりと胸が痛んだ。
きっとそれは図星だったから。
相手が何を考えているのか。自分のことをどう思っているのか。わからないと不安で、押しつぶされそうで。
余計な、悪い想像ばかりを繰り返してしまう。特にあの、西崎李狐のような相手ならなおのこと。
顔を曇らせ視線を逸らした知尋を、真里亜は何故か慈愛を感じる微笑で見つめた。
「私の能力も、私の欲望から生まれたの。私は苦痛が欲しい。屈辱が、羞恥が欲しい。それが何よりの快楽だと思っているし、そのことを他人にもわかって欲しいと思っている」
いわゆるマゾヒスト。
そして、彼女の二つの能力はどちらもその性癖から生まれたもの。
身体が再生すれば、より多くの苦痛を得ることができる。受けた苦痛を相手に共有すれば、彼女の「快楽」を伝えられる。
だから、そういう力を得たのだと。
真里亜の言葉には真実味があった。否定する材料もないし、逆に、少なくとも先程、知尋が覗いたあの感情は尋常ではなかった。
「……それは」
「狂ってる。そう言いたいんでしょう?」
「あ、いや」
咄嗟に否定しようとしたが、明確な言葉が出てこない。
なんとなく罪悪感を覚える知尋に対し、真里亜は笑んだまま。
「自分でもわかってるから大丈夫。でも、だからって変えられないし変えるつもりもない。だってこれが私だから」
真里亜がグラスの中の紅茶を飲み干し、空いた手で自らの身体を抱く。
豊満な胸が両腕で押され、変形する。
はぁ、と悩ましげな吐息が唇から漏れる。
間違いなく、知尋に見せつけるためにやっているのだろう。手の込んだ悪戯でなければ、彼女にとってはそれが悦びなのだ。
思えば、教室で自らの手にペンを突き立てたのだって尋常な精神ではない。いくら治せるとしても痛いものは痛い。彼女の言うように、痛み自体を望んででもいない限りは高校生の少女にできる行為ではない。
――それから十数秒で腕は解かれた。
真里亜は再び何事もなかったように話を続ける。
「話が逸れたわね。……つまり、強い欲望が能力を作るの。それは既に能力を持っている者でも同じ。欲望によって能力を強化したり、新たに得ることも……できる」
彼女の右手がすっと伸ばされて知尋の顎に触れた。
くいっと顔の向きを調整されると、真里亜と正面から見つめあう格好になる。
知尋の読心が発動する。
入り込んでくるのは、やはりあの情動。先程は強烈すぎて理解できなかったが、つまりこれは恋慕ではなく欲なのだ。
荒れ狂う程に激しく深い、快楽への欲求。
「あなたの力なら、私の欲望を理解できる。私と契約しましょう、和泉くん。あなたが私のご主人様になってくれるなら、代わりに私の欲望をあげる。私の身体も心も、全てあなたのものにしてくれていい」
甘い囁きが知尋の心を揺さぶる。
「そうすれば、深海さんと同じ能力が手に入る?」
「真里亜。まあいいけれど……私と同じ力は難しいと思う。だって、私があなたに望むのは私を理解して、私を支配してくれることだから」
同じ体験をして同じ欲望を抱えるのではなく、真里亜の欲望を理解した上で真里亜を蹂躙する。
される側ではなく「する側」の欲望を抱け、ということ。
苦痛を、屈辱を、羞恥を。快楽を真里亜に「与える」ことで得られる欲望は、力はきっと、それに相応するものになるだろう。
「想像してみたことはない? あなたを馬鹿にするあの子を力でねじ伏せて、思う存分凌辱するところ。自分の意のままに嬲れる奴隷が欲しいと思ったことは?」
「……それは」
ない、といえば嘘になる。
西崎李狐は「チャラい」見た目と日頃の言動のせいで印象こそ良くないが、容姿自体は割と整っている。知尋だって年頃の男子だ。彼女で淫らな想像をするな、という方が無理な話だった。
李狐や、あるいは愛華などに「ご主人様」と呼ばせる妄想をしたことも……ある。
「いいのよ、私を好きにして。あなたがしたいと思ってること、全部私で試して?」
瞳が、言葉が、指が、淫らに知尋を誘う。
ここまで来れば、彼女の言葉に嘘がないことは間違いない。彼女が抱いている一番の感情は、自身と知尋に向けた性欲だ。
――欲しい。犯して欲しい。肌を叩いて、刃を突き立てて欲しい。全部、全部が快感に変わるから。
気づくと知尋は勃起していた。
身体が熱い。ペニスではなく下腹部、女性であれば子宮のある位置が疼き、その疼きが波のように全身へ伝わっていく。
極度に興奮した女の身体というのは、こういう風になるだろうか。
「どうせ外は雨だし、和泉くんは一人暮らしでしょう? なら、ここで一晩中、ずっと一緒にいましょう?」
黒い服に包まれた艶めかしい肢体、匂い立つような少女の身体を思うさま蹂躙できる。
他でもない真里亜本人が、知尋にそのことを望んでいる。
なら――何も躊躇うことなんてないんじゃないか?
「……ああ」
知尋は半ば意識しないまま手を伸ばし、顎に触れる真里亜の手を掴んだ。片手で手首を押さえ、もう片方の手で指の間に指を這わせていく。
真里亜が目を細め、軽い吐息を漏らした。
「……ん、ふ。ああ……じれったいけど、こういうのもいいね」
くいっ、と真里亜の手が引かれる。
つられるようにして席を立つ知尋。真里亜も自ら立ち上がると、歪な繋がり方をしたまま知尋を廊下へと誘う。
「私の部屋に、行きましょう」