番外編 つけるとかつけないとか /西崎李狐 ★
「はい、これ」
ある日の放課後。
西崎李狐は和泉知尋が帰宅するのを見計らい、居間のテーブルに『ある物』をどさりと置いた。
帰りがけに寄ったドラッグストアのレジ袋。
その中に入っているのは、
「栄養ドリンク?」
レジ袋を覗き込んだ知尋が首を傾げる。先に着替える暇は与えたため既に私服だ。微妙にダサい服装だが、元が悪くないのでそれなりに見られ……もとい。
自分があげた服を着ればいいのに、あれは外出用だからと大事に取っておいてくれ……それもいいとして。
確かに栄養ドリンクも一ダース、十二本入りの箱が入っている。が、
「そっちじゃなくて、先に見る物があるでしょ」
半眼で突っ込んだ。
すると横手から深海真里亜が顔を覗かせる。
悔しいが、いつ見ても彼女のプロポーションは完璧。着ている服も安物ではなく、彼女に似合っている。李狐には簡単に真似できない。
妙に大人びて見える瞳に、レジ袋の一番上に置かれた物が映った。
「こっちの箱のこと?」
「そ。今更だけど、必要でしょ?」
真里亜が箱を手に取った。
薄い長方形の箱。透明のフィルムで包装されており、それを剥がして開けるようになっている。
それをじっくりと観察した後、真里亜は李狐へと視線を移した。
「必要? どうして?」
「本気で言ってんの!?」
大声が室内に響いた。少女の瞳が丸くなる。
「何を興奮しているの?」
「ゴムよゴム。コンドーム!」
「あら。そんな卑猥な単語を連呼するなんて」
「ぶっ殺されたいわけ!?」
そう。
李狐が買ってきた物とはコンドームだった。通学路からできるだけ外れた店を選んだとはいえ学校帰り、制服姿で購入するのは相当恥ずかしかった。
そこまでして買い求めた理由は、当然一つだ。
「和泉はこれ、なんだかわかるでしょ?」
「うん、まあ。……避妊具、だよね」
「そ。する時は、その、これ着けてくれないと……あたしも、深海さんも、妊娠、しちゃうでしょ?」
恥ずかしい。
なんでこんな説明をしなくちゃいけないのか。
顔が赤く染まっているのがわかる。
聞かされた知尋も同じように真っ赤になっていた。
「っていうか、今まで着けてなかったのが不思議なくらいなんだけど」
知尋と真里亜、二人と同居を始めてしばし。殆ど毎日のように知尋に抱かれる生活が続いている。それはもう諦めと慣れが半々だが、避妊については話が別だ。
「和泉、あたしたちが妊娠させるつもりだったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「けど?」
「最初にタイミングを逃したきり、忘れてたというか」
これである。
はあ、とため息を吐く。
……まあ大方、原因は真里亜だろう。この女が自分から避妊を言い出すはずないし、もし知尋が提案しても有耶無耶に流しそうだ。
当の彼女は、わかっているのかいないのか平然としていた。
「あんた、妊娠して学校辞めるつもりなわけ?」
「それもいいかもしれないわね。そうすれば、ご主人様のためだけに時間を使えるようになるし」
これも、何割か本気だろうから性質が悪い。
くすりと真里亜が笑った。
「冗談よ」
「……ほんとに?」
「ええ。だって、多少|膣内射精(なかだし)されたくらいで子供ができたりしないでしょう?」
「いや、できるっての。普通に」
子供なんてできる時は簡単にできる。
実際、中学時代に友人の一人はそれで妊娠している。彼女は中に出されたのは一回だけだと言っていた。本当に一回だけだったかどうかは定かでないが。
『どうするって? そりゃ堕ろすでしょ。育てらんないし』
友人はそう言って笑っていた。
確か、費用は相手の男に出させると言っていたか。
李狐も付き合い上、笑ってその場を流したが、内心では信じられない想いでいっぱいだった。
セックスを簡単に考えすぎている。
子供を作るというのは神聖な行為で、本当に好きな相手とするものだ。できた以上は産むのが当たり前、そう思っていた。
……セックス以外は何だってやっていた李狐に言えた義理ではないし、結局は李狐もこうして、知尋達との関係に流されているのだが。
「ね、和泉。今からでも遅くないから着けようよ。……今までの分でできちゃったら、あたし産めるように頑張るから」
「……李狐」
知尋が目を瞬いた。
「本気、なんだ」
「当たり前でしょ。結婚して、なんて和泉に言えないからシングルマザーだけどさ。あたしの能力ならそこそこ稼げるはずだし。なんとかするから」
生まれてくる命に罪はない。
というか、別に知尋との子供ができること自体に不満があるわけでは……って、何を考えているのか。
ともすれば奴隷という立場を恭順しそうになる自分を必死で律する。
「ねえ、西崎さん。愛が重いって言われることない?」
「うっさいわね! あたしは今真面目な話してんのよ!」
この女は何度混ぜっ返せば気が済むのか。
「いえ。私も割と真面目な話よ。父親もしくは母親が『落とし物』の場合、性行為による妊娠率は大幅に低下するっていう話、聞いたことない?」
「……まあ、あるけど」
これは噂ではなく、統計により導き出された事実だ。
原因は不明だが、遺伝子の変異か何かの影響と見られている。確率の減り幅は大きく、片親が『落とし物』であるだけで通常の十分の一程度まで低下。両方が『落とし物』なら、更に大きく減少する。
むしろ、『落とし物』同士の夫婦の多くが不妊に悩んでいるという話も。
「……っても、当たる時は当たるでしょ。あれだけ何回もやってるんだし」
手コキにフェラ、パイズリに素股、本番セックス等々何でもありで、しかも知尋の精力はかなりのものがある。他の男とやった経験があるわけではないが、あれだけ毎日できるのは特別なはず。
と、真里亜は首を傾げて何やら指を立てた。
「そうね、確かに。和泉くんは毎日平均六回くらい出しているし」
「あ、やっとわかって……」
「となると、コンドームも相当な数必要ね」
「え」
思わぬ指摘に、李狐は硬直した。
「一日六回で計算すると、ひと月で約百八十個。その箱が十二個入りだから、箱が一ダースあってもひと月持たないわ。出費も馬鹿にならないし、何より一々付け直すのが面倒じゃないかしら」
「……ええと」
そういう思考は頭から抜けていた。
今日李狐が買ってきた箱があの値段だから、ひと月の予想使用量を賄おうとすると……余裕で服を買いに行ける額が吹き飛ぶ。
「ひ、必要経費だし」
「でも、コンドームをつけるとご奉仕のやり方も限定されるわ。口に含んでもゴムの味になるし、精液を飲ませていただくのにひと手間増えるし」
それもプレイとしてはありだけれど、と真里亜。
彼女の趣味は放っておくとしても、出費と手間の問題は確かにある。いかに自分達の関係が普通じゃないかという話にも繋がってくるが。
「……うう」
思わず頭を抱えて唸ると、知尋が心配そうに言ってきた。
「でも、李狐の言い分もわかるよ。心配なら、挿れる時だけでも着けるようにすればいいんじゃないかな」
「……和泉」
知らず瞳が潤んだ。
いっぱいいっぱいになりかけたところで助け舟を出されて、不覚にも胸がきゅんとしてしまったのだ。
そもそも女の子の妊娠については男子が心配するもので、そういう意味では知尋の対応は優しくもなんともないのだが、錯覚というのは恐ろしい。
自分が我儘になり過ぎていたのではないか、なんて。
理屈で言ったら明らかにおかしい考えすら浮かんできてしまう。
「ふふ。和泉くんは優しいのね。着けるのと着けないのとでは、全然気持ちよさが違うっていうのに」
「え?」
次いで耳に届いた声に問い返す。
「そう、なの?」
「……いや、僕も経験ないからわからないけど。そういう話は確かに聞いたことある、かな」
そういえば。
李狐の知識の中にもそういうものはあった。ただし、女の子の側も生の方が気持ちいい、というベクトルの話だったが。
――本当なのかな。
そんな李狐の内心を見透かしたように、真里亜がにっこり笑って二人に告げた。
「じゃあ、今夜あたり試してみましょうか。コンドーム」
とりあえず、李狐に拒否する理由は見当たらなかった。
☆ ☆ ☆
「……で、ええと」
小さな照明だけを点けた寝室に二人きり。
真里亜は「二人だけでどうぞ」と言って不参加だ。
チョーカーにパジャマ姿で大きなベッドに乗った李狐は、傍らに置いた箱を手に取り、包装を剥がした。邪魔なゴミはくしゃっと丸め、いったんパジャマのポケットに入れておく。
箱を開き、中の物を取り出す。
正方形にパッケージされた小さな品物。六個ずつ繋がっているそれをひとつ、破ってしまわないよう丁寧に外す。
なんか、凄くエロいことしてる……。
何度も繰り返した行為の記憶から身体が疼いてくるのを感じつつ、李狐は包装されたコンドームを手に知尋を見た。
「どうしよっか」
同じくパジャマ姿の彼は「うーん」と小さく唸ってから言った。
多少申し訳なさそうな顔で、
「できれば着けて欲しい、かな」
「……ま、そうなるよね」
男の本能というのも少しはわかってきたつもりだ。
この少年をあまり甘やかしすぎるのもどうかとは思うが、一応、奴隷という立場である李狐は、主人に命じられれば逆らえない。
知尋に頷き、李狐はコンドームの包装を破った。
いらなくなった包装もパジャマのポケットに入れ、肝心の避妊具を手にした。
リング状のゴムに薄い膜のようなものが付属した物体。それを片手に、知尋のパジャマを脱がしてペニスを露出させる。
「もう大きくなってきてるんだけど」
「……仕方ないと思う」
つまり、この状況に興奮しているのか。
それは悪くない、と思った。
「じゃ、着けるよ」
知尋に膝立ちになってもらい、避妊具を宛がう。
「あれ、この向きであってる?」
「逆じゃない?」
「そう? ……あ、これ違う。やっぱり最初のであってるじゃん!」
などとやりつつゴムを伸ばす。
なんだかうまくいかない。滑りが悪いというか。
「滑り気が必要なのかな?」
「……あー」
結局濡らす必要はあるらしい。
ゴムをいったん外し、唾液を垂らして馴染ませる。そうしてもう一度着けると今度はうまくいった。
「どんな感じ?」
「なんだろう。締め付けられてるっていうか」
「ふうん」
つんつんと指で突いてみる。
当然だが、いつもの肉の感触とは違うゴムの質感が指に伝わる。
竿を握ってふにふにと刺激する。
かすかに弾力を感じてちょっと面白い。
「あ、やっぱり感覚がちょっと鈍くなるんだ」
知尋が呟く。直の刺激ではなくなるからか。
こんな薄い膜なのに、不思議だ。
「じゃあ、舐めるよ」
「うん」
ちろ、と先端に舌を這わせる。滑らかで、生のペニスとは全然違う。
ペニスの独特の臭いも軽減されているが、代わりに真里亜も言っていたゴムの臭いをかすかに感じる。
知尋の反応は。
かぷっと浅く加えつつ上目遣いに見ると、彼は割と平然とした様子だった。やはり一枚隔てているせいで浅い刺激では足りないらしい。
仕方なく奉仕のレベルを上げる。
唾液をまぶし、ゴムの上で指を滑らせる。十分に行きわたったら深く咥えて、じゅぼじゅぼ淫らな音をさせながら口で扱きたてる。
「うっ」
小さな呻き声が上がった。
やっぱり、知尋はこういうのに弱い。人をあんな風にレイプしておきながら、女の子というものに綺麗な幻想を抱いていて、だからこそ積極的に下品な行為をしてやると喜ぶ。
倒錯的な快感があるのだろう。
李狐も同じだ。こうやって淫らな行為を続けているとだんだん興奮してきて、自分のいやらしい行為も興奮材料になってしまう。
できるだけ我慢しているが、だんだん抗えなくなっている自分がいる。
いや。今は余計な事を考えないようにしよう。
口の動きに強弱をつけつつ舌で先端を刺激する。早く絶頂に導くための行動だったが、コンドームのせいで滑ってうまく効果が出ない。
結局、知尋が射精するのには普段の五割増しほど時間がかかった。
「なんか、負けた気分」
片手でコンドームを外そうとすると、知尋がかすかに顔をしかめた。痛かったらしい。「ごめんなさい」と謝って両手でそっと外した。
水風船のように、たぷたぷとゴムの中に精液が貯まっている。
「……これ、どうするんだろ」
捨てるんだろうとは思うが、液体をそのままゴミ箱に捨てていいものか。
ちょっと、面倒臭いなと思った。
「……まあいいや」
とりあえずティッシュを下に敷いて、邪魔にならない場所へ置いておいた。新しいコンドームを取り出して被せる。一回目よりは手間取らなかった。
……また、余計な性知識を得てしまっただろうか。
「和泉。する、でしょ?」
「うん。そこに寝てくれる?」
「はあい」
ベッドに寝そべると、知尋がキスをしてくる。フェラの後なのに精液の味がしないのはなんだか不思議だった。
それから、ノーマルなプレイの時はいつもそうであるように丁寧な愛撫を受ける。
濡らさなくても挿入に支障はなかっただろうが、知尋のこういう所は嫌いじゃない。優しくされればどうしたって身体と心が受け入れてしまう。
意識も股間もとろとろになったところで挿入され、正常位でセックスした。
いつもよりぬるりとした感じ。
感覚が鈍い、と知尋が言っていた意味がわかった。
ほんの少しだが確実に肉の実感が弱い。ペニスの熱さも感じにくいし、滑る一方で妙な摩擦も感じる。
「あ、あーっ!」
そのせいか、なんだか微妙に|乗れなかった(・・・・・・)。
「……変な感じ」
それでも何度かペニスを受け入れ、ぐったりする身体を横たえながら李狐は呟いた。
「気に入らなかった?」
「そう聞かれると、答えにくいけど」
知尋は隣に寝たまま優しく髪を撫でてくれる。子ども扱いされているみたいで複雑だけど、気持ちいいから拒否できない。
コンドームは避妊のためには必要で、でも正直、邪魔臭いなと思った。
どうせ妊娠したら産むつもりで、これまでのセックスで妊娠している確率もあって、知尋とは『落とし物』同士だから簡単には着床しない。
お金の問題も考えたら……。
「ああ、もうっ!」
「っ!?」
つい大声を出したら知尋がびくっとしていた。ちょっと可愛い。
「もういいや。……次から普通にしよ」
「いいの?」
「ん……なんか考えるの馬鹿らしくなってきた」
目を閉じる。
余計なことを考えず、心地よさに身を任せる。
だんだん自分が駄目になっている気がするが。
「李狐」
「ん?」
目も開けず、首も動かさないまま反応する。
「僕なりに、だけど。大事にするから」
「……ばーか。当たり前でしょ」
でも、言ってくれただけで幸せだった。
なんて、本当どうかしている。
☆ ☆ ☆
翌日、真里亜から「どうしても避妊したいなら」と、知り合いの病院を紹介された。低用量ピルが格安で――コンドームより安く処方してもらえるらしい。
「そういうのがあるなら先に言いなさいよ!」
つい、怒鳴らずにはいられなかった。